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記者の目:「『時効』よ止まれ」の反響を読んで=宮川裕章

 殺人事件についての時効制度を考える連載「忘れない 『時効』よ止まれ」(7月15~17日朝刊、3回)で取材に当たった。27年前に起きたロス銃撃事件で元社長の三浦和義容疑者(61)=日本で無罪確定=が今年2月にサイパン島で逮捕され、米国など主な先進国に殺人事件の時効がないことがクローズアップされたことをきっかけの一つとして始めた企画だった。読者から、「時効を廃止すべきだ」というメールや手紙が50本近く寄せられている。

 いくつかを紹介する。▽「逃げおおせたら、罪が帳消しになる。これほど矛盾した話はない。(警察は)草の根を分けても悪を捜し出すのが義務だ」(京都市の78歳男性)▽「民事と違い、刑事事件では裁きを国に委ねるほかないことを思えば、国が事件の追及を放棄する制度は再考すべきだ」(東京都国分寺市の男性)▽「時効は犯人に『15年逃げれば無罪ですよ』と言っているのと同じ。遺族に『15年以内に捕まらなかったらあきらめてください』と覚悟を要請する規則だ」(京都府の40歳男性)

 読者の声だけではない。毎日新聞が7月に行った世論調査で「時効をなくすべきだ」との回答が77%あったことからも、逃げ切った犯罪者を許すことに多くの人たちが違和感を抱いていることが分かる。そもそも、時効はなぜ存在するのか。古くから刑事訴訟法などで規定され、答えは明確ではないが、主に三つの理由があるとされる。

 まずは、年月の経過に伴う「証拠の散逸」だ。時間がたてば新たな証拠収集の可能性は低くなるし、存在している証拠も原形をとどめなくなるとの考え方だ。しかし、科学技術の進歩で、証拠の価値の重さや保存をめぐる状況は以前とまったく異なる。DNA鑑定を見ても、ここ10年で精度が格段に上がり、データの蓄積も進んでいる。00年暮れの東京・世田谷一家殺害事件では、犯人の指紋だけでなくDNA型も警察にデータとして保存されている。犯人はいつでも特定できる状態にあるが、逮捕されなければ7年後に時効を迎え、その後データが合致しても、この事件で捕まることはない。

 次に、捜査費用の問題。税金を使うため、長期捜査は国民に負担を強いるという考え方だ。ところが、捜査の現状は、最初の1、2年は集中的に行うが、その後は縮小し、証拠の管理が中心になる。新たな証拠や証言が得られた時点で、捜査員を再招集するのが普通だ。時効がなくなっても、追加の費用は少ない。

 最後に、遺族や社会の処罰感情が薄れるという説。しかし取材をした印象では、遺族の無念さは時効が近づくとともに、むしろ増幅している。「時効というのは何のためにあるのですか、逃げ切った犯人へのご褒美ですか」。時効を3年後に控えた東京都葛飾区の上智大生殺害、放火事件の遺族は、発生から丸12年の今月9日、凶悪犯罪での時効撤廃を事件現場で訴えた。別の事件の遺族は、時効に触れる質問をした途端に心を乱した。

 取材した法律家や学者も総じて、こうした根拠が説得力を持たなくなりつつあることを認める。代わって学者らの間で最近主流となっているのが「犯人の利益」説だ。時効制度を20年にわたり研究する姫路独協大の道谷卓教授は「一般の人に理解されにくいが」と前置きしたうえで、「犯人は逃げ隠れする間も、周囲と人間関係、権利関係などを築き上げる。それを数十年たって突如壊してよいのかというのが『犯人の利益』説の考え方だ」と言う。やはり分かりづらいと思う。

 一方で、時効制度の見直しが、警察の権力強化につながらないかとの懸念はある。しかし、だからといって、遺族が泣き寝入りし、犯人を利する制度が存在し続ける現状を容認するにもためらいがある。

 殺人の時効は、04年の刑事訴訟法の改正で15年から25年に延長された。当時の法制審議会での議論は、法律論や学説が中心で、遺族感情や時効の必要性についてほとんど触れられていない。連載には、制度廃止を支持する意見だけでなく、制度維持を求めるメールも1通だが届いた。問題は、時効に関する議論が、これまで一般国民の考えを取り入れることなく、法律家に委ねられてきたことだ。

 複数の専門家が「時効の長短や存否は国民が判断すべきものだ」と語っている。既成の理論や学説にとらわれない、普通の国民の普通の感覚で制度を見直すことが、一番良い道につながると思う。国は、時効制度と一般の感覚のずれを埋めるよう動くべき時に来ているのではないだろうか。

 (東京社会部)

毎日新聞 2008年9月11日 0時14分

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