2008年02月14日

カーボン・デモクラシー

先日の新聞に TV番組の批評として
ロンドン市長が提唱した「Carbon Democracy」が取り上げられていた。

デモクラシーとは簡単に言えば政治思想 民衆による支配と言った所か。

カーボン(炭素)を排出する権利は 世界1人1人平等であるべきだという事らしい。

イギリスのウォーキングという10万人都市で 徹底した分散型エネルギーの推進にて
CO2排出を75%も削減したとして これを人口が約74倍のロンドンにもあてはめて
世界の最先端低炭素都市を目指したいとの事。

方法論としては 住まう所の電気等はなるべく近くで発電する等
小型発電の供給世帯数の制限をなくすとか そういった規制緩和で
日本の原発の様な 一カ所集中型では無く分散型エネルギーを促進する。

簡単に言えば 例えば燃料電池が発達したとして(現段階でほぼ無理ですが)
各家庭で その使用カロリーを賄おうと言うモノで考え方的には理に叶っていると思う。

新聞でも かなり高い評価がされていて日本でも・・って論調になっていた。

でも 本当にそうか。

世界規模でカーボンデモクラシーの考え方を推し進め様とすれば
言葉は悪いが 世界の全人口が先進国並みの二酸化炭素を排出する権利が
あるという事になり そうなるともう確実に地球のキャパを超えてしまう。

実際 京都議定書で定められた後進国と言われる国の排出量だが
1人頭の排出量が極端に少ないのは確かで またそれは90年代の
景気低迷が生んだ余剰分に他ならない。

その分を 過剰にCO2を排出した国に売ろうと言うシステムで
これがそのまま カーボン・デモクラシー。

排出権取引の後ろ盾になっているのだ。

その取引は 後進国が【先進国並み】に排出量を増やすまで続けられ
普通に世界レベルで考えれば排出量は変わらず お金だけが動く事が解るだろう。

なぜ京都議定書が世界的に広がらないかと言えば
排出権取引ビジネスとしての【旨み】がなくなるからに他ならない。

こんなモノにお金を出す必要は無い。

これ 石油や石炭など埋蔵化石燃料の採掘を世界レベルで減らす方向に
持っていった方が良いかと思われ。

確実に供給分が減り その量も確定しているのなら 今の原油高の
抑制には繋がるだろうし(価格は下がりませんが) 供給されないなら
更なる省エネを模索していくしか方法が無いから。

石油枯渇は見えている。
人口爆発も見えている。

それでも その対策は見えていない。

それが現状。

個人的には化石燃料の採掘量制限をして 排出権取引では無く
採掘権取引とかの方が 道がいくつか見える様な気がする。

分散型エネルギーって視点は素晴らしいと思うけど
根底がデモクラシーだと もしかして間違った方向に行っちゃうかもってお話でした。

認めなければいけないのは
私達の生活は 誰かの犠牲の上に成り立っていると言う事かなと。



Posted by Eye's オカダ at 09:26│Comments(2)TrackBack(0)環境

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この記事へのコメント
ソースはこれでつか?
http://blog.livedoor.jp/y0780121/archives/50172269.html
Posted by ・ at 2008年02月14日 14:40
あ それかも。
どこかで読んで感銘受けて その後新聞記事読んで
探してたんですが その可能性大ですね。
本ぢゃ無かったか・・潜在エネルギー需要が森林伐採に行き着くですか
確かにアリな考え方です。てかそちらの方が全然正論ですね。
Posted by Eye's at 2008年02月14日 15:46