●梶駿吾(00年ビデオザワールド)interviewed by Atsuhiko Nakamura

ホットエンターテーメント代表取締役。AV監督。にっかつ芸術学院卒。ホストなどジゴロ稼業からAV監督に転身、八百本以上のアダルトビデオを撮影する。99年公開映画「駅弁」で監督脚本主演をこなし、劇場公開した。

 梶俊吾に初めて出会ったのは、岩尾悟志がインタビューした97年2月のとき。腕に百八十万円の時計を光らせた梶俊吾は、実弟であるホットエンターテーメント取締・梶信介と、淡々と好調の経営状況を語っていた。カメラマンとして同行した僕は、超高級車コルベットの横で二人の写真を撮った。そして二回目は一昨年の十月、傑作『駅弁』劇場公開中にインタビューをした。劇場公開を成し遂げて日本映画界の末端に仲間入りをした梶俊吾は、初めてのフィルム映画制作の興奮と女に貢がせまくっていたジゴロ時代を饒舌で語りまくり、メチャメチャご機嫌だった。
 AVのラインナップから梶俊吾のクレジットを見なくなったのは、二千年を迎えた一年前。映画第二弾は自らの非道なジゴロ時代を描くと張り切っていたので、僕はてっきりとクランクインをしているのかと思っていた。
 聞いて驚いたが、実状は映画製作どころか気が狂って一切仕事はしていないとのことだった。病名は強迫神経症。日常生活で不安がひどくなり、自分でも気にする必要がないとわかっていても、気になって頭から離れずに、ほかのことが手につかなくなる。この強迫観念が異常に強くなって、マトモに生活できない状態になってしまう神経の病気である。
 ホットエンターテーメントの扉をあけると、奥の社長席に梶俊吾が座っていた。派手な貴金属と高級ブランド品で身を包んでいるはずの格好は、なんとジャージだった。しかも不釣り合いな安物の革靴を履いている。AVバブルの申し子といわれた男の極めて貧乏くさい姿は、絶句してしまうほど奇妙であった。
 
【九十九年十二月・兆候】
 梶俊吾は常に緊張感が漲った気の短い男であったはずだが、穏和な表情をしていた。見栄っ張りだったはずが、身に纏ってるのは紺のジャージ。苦笑いしながら、この一年間の壮絶な出来事を告白してくる。
「『駅弁』を劇場公開まで持っていって、次はなにをするか?って考えてた。ダイヤモンド映像を超すって目標だったから、会社のラインナップを三十本体勢まで持っていこうかなとか。次の映画に進まなきゃいけないなとか。でも十二月の時点で冷めてたんだ。『オレはこのまま一生AV撮り続けるのかな……』とか、感傷に浸ったりして。AVを監督するのに、とことん飽きてた。現場に出ても、前みたいな高揚感がないし。そんなとき会社で制作費が盗まれたんだ。社員による内部犯行だった。絶望的なショックを受けたんですね。この十年間、もの凄い高いビジョンを見ていた。AVに対しても、会社に対してもそうだし。映画に関してもゴジラを作りたいだの、ハリウッドに進出するだの、帝王になるだの騒いでたんです。設立からホットは映画会社なんだって錯覚があって、たかがAVの撮影でもハリウッドの凄い機材を使いまくって。実際はそんなものAVで必要ないわけ。けど映画みたいに撮ることに陶酔していた。 自分が間違ってたなと。はき違えてたって気づいてしまった。高すぎる場所を目指して、社員に対してもそれを求めてて。オレの中のパワーは、高いところ目指してのパワーだったのね。でも自分の夢や希望は、単なる空想にすぎなかったんだと。AVの現場をまるで日本映画の現場だと錯覚して、AVギャルを吉永小百合だと思って演出して、AVギャルに映画レベルの演技なんか出来るはずないのに一生懸命に演出して。パッケージにしてもファッションモデルでもないのにJJのようなポーズが取れるものだと錯覚して。十年以上、そんな空想の中にいたんですね。今考えると、妄想と現実のギャップで狂ってしまったのかもしれない」
 足を組んだ梶俊吾は、一気に語る。梶俊吾の無垢なまでの情熱は、半分冗談と思って聞いていたが本気だったのだ。AVギャルは吉永小百合でないし、JJのモデルでない。客観的に聞けば、当たり前のことだ。最高峰に対抗しようなど聞いている方は楽しいが、本気だったとは驚きである。
 目が覚めてしまった梶俊吾が自らの精神に異変を感じたのは、99年12月。強迫神経症の兆候だった。
「強迫神経症は鬱病の一種。最初はどうなったかというと、気づかないうちに会社に出なくなった。もの凄い絶望感にかられて、一人ではいれなった。常に絶望と孤独感が襲ってきて、耐えられなくなる。絶望感が大きすぎて、なんにもやる気が起こらなくなるんだ。凄まじい神経質になって、極度の綺麗好きになった。ちょっとした埃が許せなくなって、気が狂ったように掃除して、一日風呂に十回くらい入る。朝起きてシャワーを浴びて、いつ水を止めていいかわからなって、混乱しているうちに一時間、二時間って浴び続けてしまう。掃除も途中でやめられないし、もう出勤どころじゃない。ぶっ倒れるまで掃除をし続ける。食欲は一切なくて食べれないし、どんどん衰弱する。一生懸命片づけして、最終的にはぶっ倒れる。それを繰り返す。孤独感で一睡も出来ない。いい加減、死ぬと思って弟に病院に連れて行ってもらったんだ。
 医者には典型的な強迫神経症だと診断された。入院するまでもないかなって、薬を飲みながら通院の方を選んだんだんだけど、寝れるようになっただけで狂ったような掃除癖は直らなかったね。薬が効いて夜十時頃寝て、次の日の二時くらいまで寝続けてしまう。絶対に起きれない。起きても眠い。すぐに昼寝しちゃう。絡まった神経が頭の中でこんがらがって、敏感な神経を強い薬で麻痺させるという治療だったんだけど、寝れる以外に効果はなかった。でもあの時点で薬で麻痺させてなかったら、きっと最後は自殺までいっただろうね」
 水を浴びすぎて全身は干涸らび、体重は二十キロ近く減少した。

【二千年一月・発狂】
 衰弱し続けた梶俊吾は命の危険を感じ、病院へ駆け込んだが、さらにおかしい方向へ爆走していく。薬服用後の話は本人は殆ど記憶がなく、すべて後から聞いた話という。 
「凄いことがありましたよ。映画を見に行ってもね、内容がまったく理解で出来ない。わからないんですよ。レストランで大暴れしたりとか、メチャメチャだったみたいだね。通院してるとき女と食事してて、イタリア料理店で発狂して、店中にワインをぶちまけたり。なにに不満だったのかわからないけど、大暴れしたらしい。そんなのが何軒もあったんだ。一番凄かったのは、新宿の三越本店で食器売場で高級な皿を全部ぶち割ったんですね。傘を振り回して。キチガイですね。三越は告訴するって激怒したんだけど、精神病患者だってことで示談で済んだ。病気で狂ってるんじゃなくて、薬の副作用がそれほど強かったってことなんだ。まわりの人間は、正常なときと異常なときの境目がわからなくて、困ったらしいね。オレは異常になると、凶暴になるんですよ。わめき散らすは暴れるは、とにかく危なかったらしい。あとは靴を五十足くらい買った。毎日、毎日、靴を買いに行くのね。買っても気にくわないから捨てて、それを毎日繰り返す。結局、全部捨てましたね。洋服も捨てた。だから今、入院中に着てたジャージしかないんですよ(笑)。
 部屋は掃除しすぎて、なんにもない。何百万も注ぎ込んだ時計も貴金属もない。美術品が好きだったんだけど、付いてる埃が許せなくて全部処分した。全部最高級品だったけど、ただ捨てちゃったのもいっぱいあったよ。勿体ないなんて、全然思わなかったね。ある日、物欲の頂点に達したのが原因なんだ。欲望の鬼となって一週間で、一千五百万くらい買い物した。結局捨てたんだけど、服とか指輪とかネックレスとか靴とか買いまくった。弟とか先生はキャンセルで大変だったみたい。キャンセルが効かなかったのも、五百万ぶんくらいあったのかな。無意識のうちに、何故か高価な買い物をしてるんですよ。元々物が好きな方だったんだけどホント買いまくった。アッという間に千五百万円を使い果たして満足したのか、今度は物欲が一切なくなってしまったんだ。物に対する欲望が消滅して、家の中のものは全部いらないと思って狂ったように捨てた。家具もいらないし、指輪もいらない。もう、最低限のものさえあればいい。これからの生活ではなんにも買わないかもしれませんね。なんにも欲しくないから」
 何度も書くが、誇らしげにジャージを着ている梶俊吾は、なんとも言えない不気味さを醸しだしている。ついこの間まで何人もの女を囲い最高級品で着飾っていたのに、それが逆にトラウマになってしまったのだろうか。
「散々酷いことをやらかしてるのに、記憶がない。買い物に行ったのも覚えてないし、暴れた記憶もない。他にも覚えてないことがいっぱいあるし。社員に対しても、余計なことを言いまくってるんですよ。『どこかの会社をぶち壊しにいくから、それを作品にしろ!』とか言ってたみたいで(笑)。それに一日二十回くらい会社に電話して、訳の分からないこと叫んでたらしい。秘書の自宅にも気が狂ったように電話しまくって、彼女はノイローゼになちゃったし。弟もおかしくなりかけてたって。最初の病院ではまったく直る見込みがなかったから、小渕総理が入院してた大学病院に変えたんですね。でも担当の精神科の先生に対して、一日二十回以上脅迫の電話を掛けてたっていうんですよ。『オマエを確実に殺す! 絶対に殺すから』って絶叫してたらしいんですね。なんで殺さなきゃならないのかわからないけど、殺すって(笑)。先生はたまらないですよ。たまたま正常なときに先生から「梶さん、もう許して下さい」って、泣きながら言われて。そのときに脅迫してた事実に初めて気づいたんですね。オレが悪いんだけど患者に『助けてくれ!』なんて懇願する医者も医者だと思って、通
院をやめた。途方に暮れましたね」
 三ヶ月も薬を飲めば直るだろうと、甘くみていた強迫神経症の脅威。腰が重かった梶俊吾が入院を決意したのは、全裸でずぶ濡れになって半日部屋で震えていたときだった。我に返って鏡を見つめると、情けない自分が立っている。記憶にないので実感がなかったが、精神がヤバイことを確信した。
「もうこのカラダを入院させなきゃって、翌日精神学会の最大の権威がやってるSクリニックってところに泣きついた。料金は高いけど、ビデオも本もいっぱいだしてる権威だと。最大の権威の先生で直らなかったら、もうオレは終わりだと。その先生に託した。この頃、会社でも代表を下ろそうって話が出てたみたいだった。キチガイが代表権を持ってたら、会社の存続に関わるって。確かに、なにしでかすかわからなかったからね」

【二千年九月・入院】
 今までの経過を包み隠さず話し、即入院が決定した。鬱病や分裂症など、症状が酷い患者が数十人入院している大きな精神病院だった。
「薬での治療とカウンセリングしましたね。殺風景だから絵とか勝手に飾ってたの。病院はオレがマルサの回し者だと思ったみたいで、看護婦が額の穴とか調べまくってるの。オレは毎日文句を言ってたし、嫌われてましたね。九時の消灯なんかじ寝れないから、女の分裂病患者とかナンパして、携帯で話したりしてたんですよ。精神病院は言ったことがとにかく筒抜けで、気持ち悪かった。盗聴してるんですよ。ナースコールがないのも、盗聴してるから必要ない。婦長がもの凄い権限を持って、ナンパしまくってるオレを目の敵にしてるんですね。婦長がくれる薬が通院してるときと違うの。オレは『薬が違うじゃないか!』って怒り狂ったんだけど、婦長は『新薬が開発された』とかいい加減なことを言って、無理矢理投与してくる。が震えるような恐ろしい薬を飲まされて、眠り続けたこともあって復讐されるんですね。婦長の薬は、とにかく効く。小便を漏らすわけにいかないから、無理矢理起きてトイレに行くんだけど、頭が重くてフラフラして壁に何度も頭が激突するんだ。ペンキが剥げるほど頭が激突して、とにかくヤバイ。このまま婦長に嫌われたままだと、命に関わると恐ろしくなって、菓子折を持って謝りに行ったんですよ。『これからはナンパもしないし、なんでも言うことを聞くから許してくれ!』って謝罪した。それからは薬を投与されなくなって、普通の患者と同じ扱いになったね。病院では毎日泣いてましたよ。話してると、婦長にとんでもない薬を飲まされるからツライんですよ。孤独すぎて、涙が止まらないんだ。ワンワン声を出して、毎日泣きましたよ。オレは一生キチガイなのかなって、哀しくなってきて。泣きわめいてましたよ」
 梶信介の話によると、病院で狂ったように女患者をナンパしている梶俊吾は病院内でかなり問題になってたらしい。
 強い薬の副作用で様々な記憶がなくなっても、カラダに染み込んでいる映画魂は忘れることがなかった。異常な精神病院の空間を目の当たりにし、精神病をテーマに映画を撮ろうと、目論んだ。
「夜中真っ裸でお踊り続けてる奴とか。糞を漏らしまくってる奴とか。気が狂ったように泣きわめいて、脱走する奴もいたし。面白い世界だなと思って。いろんな患者にインタビューして、原因をいっぱい聞いた。まあ、女性の殆どは恋愛絡み。男に騙された、貢がされたとか。逆に男は全部仕事なんだよね。通勤の電車に乗れないとか、会社の扉を開けようとすると吐いちゃうとか。通勤に片道三時間かかって狂ったとか。だったらそんな会社辞めればいいじゃんって思うんだけど、みんな辞められないと。不景気で次の就職がないし、女房子供がいるから無理だとか言ってる情けない連中ばっかだった。映画化へ向けて調べあげて、シナリオを書いたりしたんだけど、退院する頃にバカバカしくなって放り出したんだ。精神病の女なんて所詮男に騙されたバカな女、男は会社のストレスとかバカバカしいことで狂った糞みたいな連中。ただの気の弱い人間の集まりじゃないかって。くだらない弱者の集団を映画化なんかにする必要ねえや!って」
 入院から約三ヶ月。担当医の薦めで、埼玉の実家に帰ることになった。十九歳で家を飛びだしてから、二十年ぶりの帰郷であった。
「今年の正月は実家に帰って、土いじりとかしてたんですよ。土をいじるのなんて、三十年ぶりくらい。素手で土を掘って、ギュッと握りしめるんですね。それが最高に良いんですよ(笑)。すごいキモチイイ。毎日、土をいじってましたね。朝、早いんですよ。病院時間で起きちゃうから。近所を散歩して、土いじる。最高だった。やっぱ家族といるのは、最高ですよ」
 女を騙して貢がせまくっていた男が、近所を散歩して土いじりで感激する。目の前の梶駿吾は、これまで知っている男とはまるで別人だった。梶俊吾の笑顔を眺めて、複雑な気分になってしまった。なにもかもを忘れ自然に帰るのは、欲や汚れを落とし裸になった人間の原点なのだろうか。
 四ヶ月の入院生活の末、一月末に退院。自宅へ帰るとまた同じことが起こるんじゃないか? と恐怖感に囚われ、しばらくホテルで寝泊まりをした。覚悟を決めて帰ったのは、一週間後だった。

【二千一年四月・変貌】
 四月十二日、梶俊吾は三軒茶屋のハウススタジオで、一年ぶりのAV撮影を行って
いた。
「今まではAVの撮影がなによりも楽しかった。AVが生き甲斐だったし、楽しくてしょうがなかった。けど今は、楽しくない。一昨日一年ぶりに現場に出たんだけど、苦痛しかなかったね。二日間とも苦痛で逃げだしたかったし、撮影終わってから眠れなかった。どうしようもない嫌な状態だった。撮影にはいるときは久々だから楽しいだろうって期待してたんですよ。でも恐ろしい苦痛とストレスしか感じなかった。久しぶりなんでギャラの高い可愛いコばかりを集めたんだけど、嫌な感じしかしない。整形の女を眺めて、何故狂ったのか確信したんですよ。錯覚だったと。オレは夢を見ていたんだと。ブスをシンデレラに作りあげる。ブスをお嬢様に作りあげる。それに対してずっと喜びを感じてたのに、もう喜べない。現場でも『喜びを感じられないから、最初から美しいモノが撮りてえや』って、投げだしてた。AVギャルなんて、殆どがどうしようもない素材なわけでしょ。女優でもタレントでもないんだし。どうしようもない腐った素材を味付けとかで豪華なフランス料理に出来たんだけど、もう出来ない。だからこれからは撮らない、外部の人に頼んでプロデュースに専念する。映画も会社を巻き込まない。オレ一人、個人としてやる。そう決めたんだ」

「オレはもう別人ですよ……」という梶俊吾を前にして、僕は混乱が治まらなかった。
「狂う前は髪を茶色に染めるのが好きだったけど、今は黒じゃないと嫌。昔はグッチとかアルマーニとか着て、結構派手だったんですよ。時計だったら、ゴールドじゃないきゃ嫌だとか。そういうのがまったく興味がなくなってね。今はね、真面目なシングルのスーツを着て、サラリーマンみたいになりたい。地味なベルトをして、地味なネクタイをしてさ(笑)。そういう趣味になったんだ。あと車もそう。ずっとコルベットに乗ってて、入院中に売っちゃったけど、あんな下品な車耐えられない。気持ち悪くて、乗りたくもない。カローラで十分。指輪も大好きだったんだけど、嫌いになったし。ブレスベットも嫌いになったし…………」
 病気をしたとはいえ、人間そう正反対に変貌するものだろうか? 相変わらず極端な梶俊吾に、新たな異常性を感じてしまった。

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