昨夜、仕事から帰って引き続き裁判の話をする二人。
「ヤツは男を敵としか思っていないだよ。父親が愛人を作ってたことが全ての根源だと思う」
「それにしたって、ケイのお姉さんやお母さんには関係ないでしょ?」
「それがね、父親から発してる行動なんだよ。父親を憎んでるから、婆さんも自分の夫でありながら墓参りもしないし、ヤツも右に倣えで行こうともしないんだよ。
普通、命日にはお寺さん呼んで供養してもらって、墓参り行くでしょ?それさえしないんだから、憎しみは凄いものだと思うよ。その延長線で、浮気をしたケイを許せないし憎いからケイを取り巻く全てが憎いっていう思考回路になってるんだよ」
「それもあるかもしれないけど、ケイが浮気する前からだったじゃない」
「父親のことがあるから、ケイを締め付けておかないといけないという強迫観念に駆られたんだと思う」
「それにしても、異常だよ!」
「そうだよね」
私は本人尋問を楽しみにしていた。
裁判官が移動し替わり、今の裁判官は裁判当初の被告の異常さを見てはいない。
前任の裁判官に話は聞いているかもしれないが。
当初、ペラペラと話していた被告は、話せば話せすほど不利になると悟った弁護士に止められたのか?裁判官が替わる前に話さなくなったのだ。
被告の本性と化けの皮を剥がせるのは、本人尋問でしかないと思っていた。
しかし、本人尋問というのは、どちらかの要求で行われるものではない。
私自身もよく知らなかったが、全ては、裁判制度の中で決められた順序で行われる。
余程のことがない限り、順序が変わることはない。
順序からすると、裁判で本人尋問が行われるというのは最終段階を迎えたということだ。
互いの言い分を証拠と共に準備書面で繰り返し、出尽くしたところで陳述書提出、本人尋問、最終弁論、裁判官の勧めによる和解勧告、結審、判決となる。
ケイの最終弁論はまさしく年末。。
刑事事件でもそうだが、光市の本村さんも本人尋問を終え来月最終弁論を迎え、結審となり来春判決という順序だ。
もしかすると、ケイの場合も来春の4月頃になる可能性もある。
判決が下るのは、早くても来年の2月頃だろう。
すでに腹を括っているので、私は来年の何月になろうと構わない。
そんなことより、最終的に被告に精神的なダメージを与えケイの正当性を証明できればいいのだ。
あんなにも自分勝手で、優しさの欠片も人に対する少しの思いやりも持てない人間を許しては置けやしない。
あんまりだ!!
お会いしたこともない、ケイの両親の敵を討ってあげたい。
孫に一度も会えずに旅立ったお二人の無念を晴らせてあげたい。
会ってお話したかった。
私がどんな人間か知ってもらいたかった。
お会いできなかった分、ケイの勝利を勝ち取って、いずれ私も逝くであろうあの世で、良いご報告ができればと思っている。