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離婚4.出口の見えない日々

テーマ:るみかのケース 2006-09-21 14:37:19

仁王立ちの夫。
怒りが頂点に達しているのが見て取れる!

「何時だと思ってるんだ!」
「朝帰りしたわけじゃないし、何も隠さないといけないようなことしてないんだからいいじゃない!」
謝る気など全くなかった。どうして、この男に従わなければならないのか?!それが先に立っていた。


夫は無言で私の髪を掴みバスルームに引っ張っていった。そして、シャワーを手に水を頭に浴びせるのだった。
好きなようにすればいい。こんな男といるのなら死んだ方がましだ!と、どこか人事のようにされるがままになっていた。

騒ぎを聞きつけ娘が起きてきて、父親を止める。

「やめてよー!」

「こいつが悪いんだ!」自分は決して悪くないと思っている夫。自分を怒らせるのが私が悪く、それは人のせいなのだ。


怒りが収まると、次はああでもない、こうでもないと延々と自分勝手なことを言うのだ。
黙って聞いてるのにも限界がある。
「私はあなたの物じゃない。個なんだよ!一人の人間なんだよ!」
だけど、異常者にはこんな話は通用しない。また、前の話を持ち出してくる。

「こんな生活もうイヤ!離婚してよ」
「何言ってんだ!離婚なんてしない」

こんなやり取りで夜が明けてしまうことも数え切れないぐらいあった。
家を出ても良かったが、何をされるか分からない怖さを感じてそれも出来なかったのだ。

それに、私の親兄弟は夫を真面目な良い人だと信じており、私が何を言っても私の我が侭だとしか取ってもらえなかった。

暴力に関しては親が悲しむだろう、と思って言えなかったので尚更私の我が侭としか思えなかったのだろう。

夫の両親に至っては、自分の息子のことを信じており、義母とは良い関係ができていたので、夫の行いを話すのは憚られた。


私が働くことによって家計も以前よりは潤っていたので辞めろとは強くは言わない狡さを見せた。

この歓迎会のことがあり、所長を良く思っていないのだ。所長は二次会の時には帰っていなかった。それを話しても信じず、所長が引きとめたと決め付けるのであった。時給が上がったのもそんな経路があったからだと勝手に決めてかかったのだ。


夫は人間は成長し変わるということを知らないようだった。知ろうともしなかった。


そんな中、やはりこんな生活は堪えられないと思い、家を出る決心をする私であった……。



ヨウコの思惑どうりに

テーマ:ケイのケース 2006-09-21 13:21:43

徐々にヨウコに惹かれていったケイは付き合うことに決めた。
けれど、結婚などまだ先のことだと思っていた。
ところが、ヨウコは付き合い始めて2ヶ月も経たない内に「お母さんに会って欲しい」と言うのだった。


ケイにはまだ会う気など全くなかった。

ある日、デート中に「本当はあなたより一つ上なの」と、ヨウコは隠していたことをケイに話した。ケイはヨウコを同じ年だと聞いていたし思っていた。この頃には、ヨウコに惹かれており、驚きはしたがそれを咎めることもなく受け入れた。

デートの後、ケイはヨウコの住まいのある最寄の駅まで送って行った。それを役目のように感じ毎回送って行くのであった。

出会って4ヵ月後「お母さんが仕事終ったら外食しようって待ち合わせしてるの」と言うので、その駅までヨウコを送った。
ヨウコが待ち合わせをしていると言ってた時間よりかなり早く着いた。ところがホームにはすでに母親がいたのだ。
これは、一刻も早くケイに母親を会わせたかったヨウコが、彼が必ず駅まで送ってくれるのを計算した上で仕組んだに違いない。

ヨウコはケイなら母親と自分の思い通りになるだろうと考えていた。
事実、ケイの日記を読む限りそんな青年だった。この頃も、相変わらず純真無垢で人を疑うことなどしないしできないのが見て取れる。

故に、彼女は母親にケイを会わせて、少しでも早く結婚に向けて意識させようと考えていたと思う。
ケイはまだ若く好青年でモテていた。純情青年だけに、いつ他の女に持っていかれるか分らない。それもあって、彼女は焦っていたのだろう。

ケイを巧みに罠にかけて行くヨウコ。


ヨウコの会社の独身女性はケイの会社の男性と結婚するのが憧れでもあったのだ。社名は言えないが、言えば誰もが納得できるだろう。
その頃は、終身雇用の時代でケイが定年まで勤めれば、ある程度昇進し収入が上がっていくのは確実だった。

ケイはヨウコに取って絶対に逃してはいけない獲物だった。

ケイのアパートにヨウコは通うようになった。
この頃にはキスは済ませ、ヨウコの体を触るまではいったが、罪悪感が先たち決して一線を超えようとしないケイだった。
ヨウコはヨウコで、結婚をするまでは一線を超えさせてはいけないと思っていたのだろう。


彼女は次第にケイの部屋に来るのを嫌がるのだった……。



離婚3。どこまでも擦れ違う二人

テーマ:るみかのケース 2006-09-20 14:27:09

「今日ね、契約更新があって時給が100円上がったんだよ!」
「ふーん」
「異例なんだって」
「そんなのおかしいよ。どうしてお前だけ上がるわけ?」
「頑張ったから、認めてもらえたんだと思う」
「所長って男に下心があるんじゃないの?」
「…… 」
「そうじゃなきゃおかしいだろ?」

絶句する私。。

言葉が出なかった。悲しくて悔しくて。。
こんな風に歪んだ目でしか物事を見れない夫が憎らしくて仕方なかった。
そうだ、話したのが間違いだったんだ。夫は喜びを共有できるような相手ではなかったことを思い出すが、悔しくて引き下がれない。だけど、口喧嘩を娘の前ではしたくない。口をつぐむ私。


それで、終わってくれればいいが、夕飯を終え順番にお風呂に入り娘が自分の部屋に行くと、お酒を飲み始めまたその話を蒸返すのは夫だった。私の時給の話だったのに、夫は巧みに話をそらせ前のことまで持ち出してくるのだだった。そして、最後には全く違った話になるのが常であった。それは、モラハラ人間そのもので、私に言い負かされるのはプライドが許さないのだ。

ただ、私に勝ちたい一心で論点を変えて行くのだ。


故に、私が穏やかに建設的な話をしようとしても無駄であった。夫には更々そんな気などないのだから。

夫にすれば、私に意見をされるなんて何よりも腹立たしいことだったのだろう。


入社してすぐに、私の歓迎会をしてもらったのだが、夫はそれさえも「行く必要はない。何で、行かないといけないんだ!」と、信じられないことを当然のように言った。私の歓迎会で店の予約も済んでいるのに行けないなどと言えない。そんな夫を無視して行くことにした。一度うちに帰り大急ぎで夕飯の用意を済ませて、夫が帰宅するまでにうちを出ようと思っていたが、こんな日に限って夫の帰宅は早く出かける支度をしているところに帰って来た。
「何してるの?」
「歓迎会行かないわけにいかないから行って来る」
「行く必要ないって言ってるだろ!どうして、仕事以外で拘束されないといけないんだ!」
何を言っても無駄だと思った私は「行くから」の言葉を残してうちを出た。


歓迎会は楽しく盛り上がった。
同世代の男性が多かったので話が合った。早くにうちに帰る気になどならなかった。
お酒を飲んだ私は、プツリと何かが切れた。この頃はまだ携帯電話は普及してなかったので夫から電話がかかることもない。

2次会にも参加し時計の針は一時を指そうとしていた。
あんな夫でも、どこか罪悪感を感じてた私は、嫌々ながらうちに帰った。

そして、タクシーでマンションの前まで行きエレベーターに乗って部屋の前に。
嫌だなぁーと思いながらドアを開けると、夫は仁王立ちでそこにいた……。

したたかに

テーマ:ケイのケース 2006-09-20 13:15:33

時給が上がったことを夫も喜んでくれるだろうと思っていたが、それは甘い考えだった。
夫は私が勤めていることに、腹立たしい思いを常に抱えており認めるというような寛容さは持ち合わせなかったのだ……。



私と出会って1年が過ぎたころ、ケイは私に3冊の日記を差し出した。

ケイの部屋に日記があることはしっていたし、興味はあったが勝手に見るようなことはしなかった。


そして、ケイが会社に行っている間に高校生の頃からの日記を読んだ。


これ以降は、ケイの日記と話を元に書き進んで行く。

ケイは温暖な地方の島で、末っ子の長男で生まれた。

女の子しか居ない家に男の子が生まれて両親は大そう喜んだそうだ。

野山を駆け回り、夏には海で泳ぎ釣りをしたりで遊ぶことには事欠かない少年時代を過ごした。


日記は高校生になってからのものである。

この頃のケイは活き活きとした高校生活を送っている。

友人関係に悩み、恋に苦悩する純情そのもののウブな男の子の内面が綴られていた。


高校では成績は優秀で、高校から幾つもの優等生バッチをもらった。

進学を希望したケイだったが、家計が許さず就職するしかなかった。

外資系の大手の会社に就職が決まり、高校を卒業すると夢と希望を抱いて勤務地である都会で一人暮らしを始めた。


高校で彼女はできたものの、手さえつないだことのない関係であった。

その彼女と遠距離恋愛になった。その頃もちろん携帯電話など普及していなかったので、手紙のやり取りが二人の気持ちを繋ぐ唯一の証だった。しかし、距離が二人の気持ちさえも引き離し、彼女に好きな人が現れこの恋愛はあっけなく幕を閉じた。


ケイが二十歳になる頃、ケイの会社と取引会社合同主催のリクレーションでハイキングがありケイも参加することにした。そこに、取引会社に努め、今、離婚訴訟中の戸籍上の妻ヨウコも参加した。彼女は元々は参加しないことになっていたが、参加するはずの女の子が急用で参加できず、そのピンチヒッターで参加しケイとヨウコは出会った。


これが、そもそもの間違いの始まりだったと言って良い。


その後、付き合うということなく二人は遊びに行くようになった。

モラハラをする人間は自覚はないと言うが、まさにヨウコもそうであった。


ヨウコは数年前に父親を亡くし、兄弟はなく母親と二人暮しだった。

父親は外に愛人をつくり家を省みなかったようだ。母親と自分が苦労したことをケイに話しケイの同情心をくすぐった。


(この時からモラハラが始まったたように私は思う)


付き合っている間、常識的な考えを持ち話し、異常さを全く感じさせることはなかった。我が侭を言うもでもなく、気の強ささえケイに見せることはなかった。そんなヨウコに次第に惹かれて行くケイであった。


ヨウコは獲物を前に、モノにするまでは自分の内に秘める全ての感情を押し殺すことなどなんともなかったのだろう……。



成長しない夫

テーマ:るみかのケース 2006-09-19 10:46:04

結婚した頃は、男というものを知らずに7歳年上の夫の言うことは全て正しいと思っていた私だった。


面接を終え、一週間後に電話がなければ不採用とのことであった。この会社がダメであれば他を探そうと思った。

ところが夫の思いとは裏腹に、契約社員として採用との電話がかかったのだ。

意欲に燃えフルタイムで勤め始めた私だった。それが、夫には気に食わなかったのだ。

事務と言っても電話応対もあり、定時になったからと言って放って帰れるものではない。

夫は定時で家に帰ってくる。仕事を終えた私はその帰りに買い物をし、大急ぎで食事の用意をした。

先に帰った夫は「まだか!」と、不機嫌にため息をつく。


焦る私。。


そして、食事が終わって片付けを済ましてほっとして本でも読んでいたりテレビを見ていようものなら、あからさまにため息をつき、まだ洗い物をしていない私に無言で「洗い物をしろ」と言いたげに怒りだし、私が食後にゆっくりとするのさえ文句を言うのであった。

「洗い物をそのままにしたまま眠ったことなどないでしょ?」というと「俺は置いているのが嫌なんだ」と言うのだ。かと言って自分ですることなど皆無だった。


この頃には口論が耐えなくなった。これは夫とは気が合わないからだ、相性が悪いとしか思い当たらなかった。

働き始めたことが私自身の自信にも繋がり、いつの日か夫の言うことを聞こうとは思わなくなっていた。


会社は既婚男性の多い職場で、よく家庭の話が出た。

「嫁に何々してあげないと」とか「家族でどこどこ行った」とかの話を頻繁に聞いた。

その度にうちの夫との違いに落胆する私であった。


あまりにも違いすぎるのだ。


「昨日嫁が飲みに行くってい言うから、子供にご飯作って食べさせてお風呂に入れて帰ってこないなぁと思ってたら、帰って来たの2時だったよ」

「それで怒らないんですか?」

「どうして怒るの?嫁もたまには羽伸ばしたいと思うからしょうがないと思ってるよ。2時はちょっと遅いけどね。眠ってしまってたよ」

これを聞いたとき、私の中で衝撃が走った!夫の心の狭さ、器の小ささを思い知らされた感じだ。

女の同級生とさえ、夜出かけさせてはくれない夫。


「嫁が遊びに行くから、早く帰ってあげないと」と帰って行く人もいた。

こんなことが重なり、今までの男性に対しての認識が間違っていたのを気付いた。

うちの夫は普通じゃないと。


世間知らずで無知だった私は、色んなことを吸収して行った。

私が勤めていた会社は、年に一度、契約社員の契約の更新がある。何月に入社しようがみんなこの日が更新なのだ。

時給が上がるのもこの時である。

勤め始めて半年後その日はやって来た。その時に、私は所長に時給を100円上げてもらった。他の契約社員との兼ね合いもあってだ。

しかし、異例は異例だったらしい。だけど、私は頑張って前からいる人よりも業務のことに精通できており、クレーム処理までこなせるようになっていたので、嬉しい反面当然のことのようにも思っていた。業務については必要書類をうちに持ち帰ってまでも、学んだ。


会社帰りには、自分を認めてもらえたことが嬉しくて飛び上がりたいばかりに気持ちは弾んでいた。

そして、家に帰り夫に話した。きっと、夫も喜んでくれるだろうと……


モラハラ加害者だった元夫。

テーマ:るみかのケース 2006-09-17 14:03:36

私は、高校を中退し16歳で7歳上の夫と結婚しその年の終わりごろ女の子を産んだ。

元夫は、自分の言うことすることが正しいと信じており、何もかも私に押し付け縛り付けた。

今考えると、夫もモラハラ加害者そのものである。だが、その頃、モラル・ハラスメントという言葉自体ほとんどの人が知らずにいた。

もちろん、私もその中の一人である。なぜ夫は建設的な話ができないのか?なぜ、自分の言うことを人に押し付けるのか?なぜ、すぐにカッーとなるのか?どうして話を摩り替えて行くのか?話をしても、言葉尻を捉えてどんどんと全く違う話になっていき、最後には最初に話してたこととは全く違う話になっているのだ。この頃、常に?が頭の中でクルクルと回っていた。


娘が幼い頃に、お弁当を持ってピクニックに行こうと言う私に対して夫は「そんなこと恥ずかしくてできない」と言うのだった。

自分は趣味のバイクを乗り回しながら、私がしたいことを言うと「そんなのは必要ない」と必ず否定された。

夫の妹一家が3人の子供を連れ遊びに来た時、私は精一杯もてなした。その一家を引き連れ色んな所に連れて行った。

外出すれば、必然的に外食になるしテーマパークに行くには入場料がいる。その支払いはもちろん私達だ。

それは仕方のないことで、嫌と思ったこともない。

妹夫婦が帰って、お金の話になると信じられないことに「どうしてそんなに使ったんだ!」と夫は怒るのであった。

こんな理不尽な事はない。自分の身内が来てもてなした結果であるのに、私に怒りをぶつけるのだ。

妹夫婦は帰った後、気を使ってお礼にと菓子とその箱に数万円を入れ送ってくれた。

夫は自分のプライドからか、そのお金を送り返した。私には文句を言いながらだ。


夕食時の一家団欒の時間をぶち壊すのは、いつも夫の訳のわかない苛立ちからだった。

夕飯を終えて、お腹が膨れ他愛もない話を私と娘がしていると「勉強はしないのか!」と急に怒り出し水を注すのだ。

別に娘は勉強をしない訳でもなく成績も良かったのにである。


テストで98点取ってきても彼女は父親に褒められることはないのだ。

98点取れるのであれば、100点取れるはずだというのが夫の論理だからだ。

授業をちゃんと受けて、勉強していれば100点取れて当然という考えなのだ。

夫が子供の頃成績が良かったわけでもない。


私の中学の頃の同窓会があって「行きたいんだけど、行って良い?」と聞くと「行く必要ない!」の一言で片付けられた。

このようなことは、数えればきりがないほどあった。私がどれだけ努力しようがどうにもならなかった。


20代になり「誰の稼ぎで食べてるんだ!」と言われ働こうと思い求人広告を見て事務を募集していた会社に面接に行った。夫は私が働くことに猛烈に反対した。でも、この時には夫の言うことを聞こうとは思わないかった。

それでも夫は、高校を卒業もしていない私が採用される訳がないと高をくくっていたのだった……

モラル・ハラスメント

テーマ:ブログ 2006-09-15 17:43:46

夫側からモラハラを受けている妻のブログや、ウェブ上での悩み相談などは多々ある。

でも、逆に妻からモラハラを受けている物は少なく無きに等しい。

そこで、モラハラを受けている男性の役に立てばと思いブログを始めることにした。


彼から聞くだけでは、イマイチ真実味に欠けていたけど追々真実だと知ることに。


ケイが受けてきたモラハラは結婚前に遡る……

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