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外に癒しを求めたケイ

テーマ:ケイのケース 2006-09-29 13:31:29

この家はケイの家であって、ケイの家ではないのだ。
姑は自分を誇示するように、家が出来上がったときにはすでに、ケイの表札と同じサイズの表札を門柱に掲げていた。
一緒に生活するようになり、まだ姑の本性を知らずにいたケイは体調を壊した姑に「仕事を辞めれば?」と労わり促した。

姑はすでに夫の遺族年金を貰っており仕事を辞めた。
しかし、家に金を入れることはせず、基本的な生活はケイの稼ぎで賄われていた。
故に、姑は遺族年金が全て小遣いになり、お気楽な生活をしていた。
だが、ケイに感謝の気持など微塵も持たなかった。


それどころか、自分がいるから家が成り立ってるなどと思う傲慢な考えの持ち主だった。

姑はお風呂に入るときに、お湯がバスタブから温泉のように流れていないと嫌だと言い、毎日バスタブからお湯を溢れさせたまま入浴するのだった。ヨウコは母親にそれを咎めもしなかった。その為、大きな家でもないのに水道光熱費は毎月7万を超えていたのだ。ケイは後にこのことを知った。


ヨウコもユウを妊娠前に会社を退職しており、お金を全て握られ二人に好き勝手されて、ケイは趣味を持つことさえ許されず、何の楽しみもなく馬車馬のように働くだけであった。

夫婦は別に寝るようになってからセックスレスと言って良いほど、ヨウコは関係を持とうとしなかった。若いケイの性欲が満たされることはない。ユウが小学生になっても、ヨウコは息子と寝るのをやめなかった。
ケイに取ってなんとも暗い日々が続いた。

ケイが一番自分らしくいられるのは家ではなく会社であった。
会社の仲間と一緒にいる時間が一番楽しい時間だった。

そんな時、ケイは研修で遠方の事務所に行かなくてはいけなくなった。ホテル住まいをし、週末に家に帰った。
そこで、ケイは契約社員でバツ1年上のサヨコと出会った。

一緒に飲んだときに意気投合し、不倫関係になった。
サヨコのマンションは事務所から近く、ケイはそこで寝泊りするようになった。
ケイはサヨコが好きとか愛とかそういう感情はなかった。ただ、性的欲求を満たしたかっただけだった。サヨコもそれでいいと思っていた。

研修を終えても、一年ぐらいそんな関係は続き、仕事だと言ってはケイはサヨコの元に行った。

しかし、こんな関係に終止符が打たれる日がやって来る。

ケイは出張に、サヨコを連れて行った。
その時の二人分のチケットの領収書を自分の部屋に無造作に置いていた。
それを、掃除をする時にヨウコに見られてしまったのだ。

それを見たヨウコはすぐに会社に電話をし、ケイに「話があるから今日はどこにも寄らないで帰って来て」と言って電話を切った。

まさか、ばれた?

そう言われケイは仕事を終えたその足で家に帰った。

家では怒り狂ったヨウコが待ち受けていた。

「これは何なのよー!」泣き叫ぶヨウコ。

取り合えず素直に謝るケイ。

「もう二度と会わないって電話しなさいよ!」と、言われケイは仕方なくヨウコの目の前でサヨコに別れを告げた。

怒りの収まらないヨウコ。

「裁判するからね!離婚よ!」

ヨウコはまだ若いケイの性欲など考えることなどなかった。それを少しでも満たしてあげようともしなかった。
普通の妻なら自分も至らないとこがあったと反省するのだろうが、自分には悪い所は一つもないと思っているヨウコが反省するはずもなかった。

不倫が良いとは言わないが、こんな状態ではケイが他の女性に走るのも仕方ないことだと思う。ケイに聞いたが、結婚してから、数えられるぐらいしか肉体関係がなかったと言うのだ。

このことは後に、ケイの言ったとおりだろうなぁと想像できることがある。


この時に、別れていればケイはまだ良かったのかもしれない。
しかし、許されないことをしたと言う罪悪感がケイを苛み、謝るしかなかったのだ。

しぶしぶながらヨウコはケイを許した。
ヨウコの叔父が「今別れて子供を抱えて苦労するより、勤めてる会社が確りしているので将来的なことを考えると今別れるのは損だ。許す方が得だ」と言われたこともあった。

それから、ヨウコは弁当を作り一切ケイにお金を渡さなくなった。
元々一日千円では何もできないのだから、そんな必要などない。
この頃には、ケイはかなりの年収を得ていたが、預貯金や家計などヨウコは一切ケイに話そうとしなかった。不信感が募りケイが通帳を見せるように言うと「ほら、これだけしかないでしょ?」と、赤字のページを見せるのであった。

そんなはずはないと思い、問い詰めると鬼のような形相で食って掛かり、ケイの一言に何倍もの言葉が返っきた。もめるのがイヤでそのことに触れないようにするのだが、我慢できず問うと、同じことが繰り返された。

人を締め付ければ締め付けるほど、人は違う方向に行くのをヨウコは知らない。


そして、そんなヨウコの行動がケイに家庭を壊させる方向に向かわせるのだった……。


息子を引き離されるケイ。

テーマ:ケイのケース 2006-09-29 11:33:22

ヨウコに、通帳やカードを取り上げられてから年末のボーナスが出た。しかし、何だかんだと、ヨウコは言いケイには一切小遣いを渡さなかった。このことに怒り抗議すると「家族の為なのよ」と、尤もらしく丸め込まれケイはそれを鵜呑みにしてして「しょうがないなぁ」と、納得はしてないが諦めてしまうのであった。

息子のユウが生まれてから、一層口うるさくなるヨウコ。
自分が気に入らないことをケイがすると、息子の躾に悪いと逐一指摘した。

ヨウコは母親とよく言い合いをした。それが原因で母親が家を出ていくと言うことも度々あった。そう言いだすとヨウコは「お母さんに一緒に謝って」と関係のないケイにまで謝らせるのだ。

ケイは仕事の関係で、年に数度海外へ行くことがあった。その度に、ヨウコは自分達を海外に連れて行けと言うのだ。

ある日、ケイに何の相談もなく「〇月〇日に海外へ行く」といわれた。姑がお金を出すというので「まぁいいか?」と思い着いて行った。現地に着いてツアーで観光をしたのだが、たくさんの人が乗っているバスの中で、ヨウコは母親と大きな声で口喧嘩を始めた。あまりにも恥ずかしい光景にケイがそれを止めると、姑は「親子のことに口を出すな!」と言うではないか!姑に対してかなりの不満を抱き我慢していたケイだが、心の中で何かが壊れる音を聞いた。

それ以来、姑とは必要最低限の言葉しか交わさなくなった。

そして、ユウが3歳になる前、ハードな仕事が続き帰宅したケイはユウを抱いてうとうととしてしまった。疲れきっていたのだ。
「ユウの躾に悪い!」と、ヨウコはケイからユウを完全に遠ざけた。ヨウコはユウと二人、別の部屋で寝るようになった。食事さえも一緒にさせてもらえず、ヨウコが盆に食事をのせ運んでくるのだった。ケイは一人部屋に篭るようになった。
この部屋には冷暖房はなくテレビさえなかった。
この部屋から会社に行き、この部屋へ帰って来る日々が続いた。

他者と親密になったことのないモラハラ加害者は、他者と親密になるのを恐れている。本当の自分を知られるのが嫌なのだ。だが、結婚対しては大きな理想を持っているのだ。自分が育った家庭が理想的なものでなければ、余計に理想的な家庭を築こうと理想を当てはめる。それを成し遂げるのは配偶者を支配し思いどうりの人間にしなければならないと脅迫的な考えを持つと思われる。


故にヨウコがケイから息子を引き離したのは「躾云々」ではない。ケイと同じ部屋でいるのはこれが限界だったのだろう。同じ部屋にいなくても支配はできるのだから。


そんな中「誰の為の家なんだ!」と悔しさが込み上げるケイであった。


ある日、ケイの母親が親戚の結婚式で、ケイの住む町を訪れた。
近くにいるのでケイの家に寄りたいと電話がかかった。だが、姑もヨウコもそれを拒んだ。
仕方なくケイは近くの喫茶店で母親とあった。母にはユウが生まれたことを知らせていない。そのことが喉元まで出かかったが「絶対にユウがいることは母親に言うな!」と、姑とヨウコに釘を刺されており、言うことができなかった。


この頃、ケイは会社で大事なでロジェクトをかかえていた。ヨウコは自分が気に入らないことがあるとケイのスーツや仕事用のバッグを隠し仕事に行くケイの邪魔をする事が度々あった。こんなことをして「パジャマのままで会社行け」と言うのだ。そんなこと出来るわけもない。ヨウコのお陰で会社に行けないことがあった。会社に行かないとみんなに迷惑がかかる。姑は何を思ったのか?「仕事を辞めさすよ」と言う始末である。ケイに仕事を辞めさせてどうやって食べようというのか?

つまり、ヨウコと姑にまた何をされるか?分らない恐さからもユウが生まれていることは言えなかったのだ。
ケイの母が帰った後、その喫茶店のママに「お宅の旦那さん、おばあさんとうちにきましたよ」と言われ「恥ずかしい!」と、ケイに怒りをぶつけるヨウコだった。年老いた夫の母が遠くから出てきて、一度は息子のうちに行きたいという思いを跳ね付けておきながら、自分達が恥ずかしいことをしてるとは思わない母娘であった。

悪いのは常に自分たちではないのだ……。


支配

テーマ:ケイのケース 2006-09-28 13:36:37

結婚した時に、ケイは自分の全預金を出して家を買った。なのに、ヨウコは結婚指輪が欲しいといい、そのお金を自分で立替ケイの小遣いから毎月差っ引くということをしたのだ。


このように、まだ、23歳と若いケイにはヨウコの言いなりであった。

交流を経つ実家の両親や兄弟の悲しみなど計り知ることはできなかった。


後に、ケイが流産直後の電話のことを姉に聞いたところ「若いから、子供はまたできるわよ。気を落とさないでね」と、言っただけであった。だがケイが聞いたのは「年下のケイを騙して子供をつくろうなんて大それたこと考えるな!ちゃんと働いて親に仕送りをしなさい」などと言われたと、ヨウコは話していたのだ。


これも、モラハラの典型で「被害者を身内や友人との縁を切らせる」ということだったのだろう。

その上、モラハラ加害者は、極端な考え方で、敵味方で人を判断する。義姉はヨウコにとって邪魔者以外の何物でもなく敵だったのだ。

ケイが「実家との付き合いはしない」と言ったとき、ヨウコは「これで誰も邪魔する物はいない。自分の思いどうりにできる」と密かにほくそえんだことだろう。


着実にケイを支配して行くヨウコ。。


会社から帰ってケイはいつものように最後に風呂に入り、掃除をして上がり、バスタオルで拭いてるところに、ヨウコが掃除の点検に来た。拭いているケイに向かって「だから、バスタオルは汗を拭くもんじゃないって言ってるでしょ!!」と、食って掛かってきた。そして、自分のバスタオルを持ってきて「そんな拭き方をするから、あなたのタオルは臭いのよ!そんな拭きかたしないから私のは臭わないわよ!」と、臭いを比べさせるのだった。しかし、ヨウコの手にしてるのは洗い立ての物だった。何故かしら?タオル類を毎日洗おうとしないヨウコ。特にケイのバスタオルは週に一度ぐらいしか洗っていなかった。


ケイは自分達のモラルを押し付けてくる、ヨウコと姑にうんざりしていた。

ケイが何を言っても、ケイが間違っているとされるのだ。

口が立ち雄弁なヨウコは、言葉巧みにケイを手玉に取るのだった。


流産から半年後、ヨウコは第二子を身ごもった。


何事もなく予定日近くに、無事、男の子が生まれたユウと名づけられた。


孫が生まれてから、姑はますます口を出すようになった。

夫婦仲も良いとは言えず、ケイはどこか投げやりになるのだった。

常に自分は蚊帳の外なのだ。帰宅しても自宅は安らげる場所ではなかった。


家に帰るのが苦痛になっていったケイは、仕事帰りに上司に飲みに連れて行ってもらい酒を覚えた。

ケイの帰宅が12時を過ぎると、ヨウコはチェーンをかけてケイを締め出した。そのため、ケイは会社に戻り事務所で夜を明かすことも多々あった。


新婚当初、小遣いは月に3万程度渡されていたが、若いケイは後先考えずに覚えたてのパチンコに使ってしまった。

ヨウコはそれに怒り、それが、2,3月続くとケイに小遣いを渡さなくなった。その上ケイ口座の通帳、印鑑、カードを取り上げ、ケイのお金に関する自由を奪った。


それ以来、一日に昼食代込みで千円渡すのだった。

これは、ボーナスが出ようが給料が上がろうが変わらなかった。


その千円さえも渡されなくなる日が来るのだ……。



巧みにケイを実家から遠ざけるヨウコ

テーマ:ケイのケース 2006-09-28 12:40:07

「友達が結婚して、旦那さんの田舎の家の名義に友達もしてもらったんだって」

新居に入居して間もなく、奇妙な話を始めるヨウコ。

何が言いたいか分からないケイ。

「そう」としか答える他ない。

「でね、私もあなたの田舎の家の名義に加えて欲しいの」と、言い出した。

「そんなことする必要ないよ」

「加えてよ!」

「そんなこと言うなんておかしいよ!」

「あの人はしてもらったのに」

「そんなの関係ないじゃないか」

得体の知れない恐ろしさを感じて、ケイは頑としてそれを突っぱねた。


この時、ヨウコはまだ一度もケイの実家に行ったことはなかった。

行ったこともない田舎の家の名義に加えろなんておかしなことを言う女だ!と、不信感を抱くケイ。


大体、普通、夫の田舎の家の名義に妻を加えるなど聞いたことがない。余程の資産家なら税金対策でそんなこともあるだろうが。


その後も、繰り返しこの話をするヨウコだった。しかし、ケイは取り合わなかった。


ヨウコはケイの嫁になったという自覚はなく、何かにつけ母親に付従った。ケイの言うことに耳を貸すことはなかった。


結婚式をしていないので、顔見せでケイの田舎で小規模な披露宴をすることになった。

しかし、姑はそんなことはすることとない。なぜ行かなくてはならないのか!?と拒否し、ヨウコが輪をかけたように母親に従った。

普通の母親なら、娘が嫌がったとしたら「あなたは○○家の嫁になったんだから」とでも言うのだろうが、姑はケイを養子にでもらったような気になっていたのだろう。

姑もヨウコもケイの立場など考えることなどしない。自分達が良いと思うことだけが良くて、嫌と思うことは全て嫌なのだ。

二人は田舎育ちのケイを見下していた。方言が抜け切らないケイに「方言を直せ」と、言うのだ。


ケイはそれを何とか説得して田舎に連れて帰った。ケイは両親が高齢で授かった子だった。両親はかなり年老いており、父親は入退院を繰り返し、ヨウコを連れて帰った時には家で寝込んでいた。

実家は長男が嫁を連れて帰って来たことを祝い、賑やかな宴会が繰り広げられた。ケイの実家は姑やヨウコを精一杯もてなした。だが、そんなことが伝わる母娘ではなかった。二人の態度がそれを物語っていた。


家に帰って間もなく妊娠しているのが分かったのだ。ヨウコはケイの実家からかかってくる電話を嫌がるのだった。とは言っても、実家からの電話は頻繁にかかるわけでもなく、用がなければかかったりしない。たまにかかってくる電話にヨウコは苛立ち地団太を踏んだり、ドンドンと飛び跳ねたりするのだった。まるで、お腹にいる子供を追い出すようにそれは続いた。

ケイが止めると食って掛かり鬼の様な形相で、殴りかかってくるだった。


そして、妊娠中毒症にかかりヨウコは流産してしまうのであった。

ヨウコは流産したのはケイの実家からの電話のせいだ!と決め付けた。

流産したことを知り、ケイの姉から見舞いの電話がかかった。

「若いんだから、また子供はできるよ」との言葉をヨウコは「こんなことを言うなんて!」と悪意に取るのだった。

「お姉さんに酷いことを言われた!」と、仕事から帰ったケイに泣きついた。

流産後のこともあり、まだ、ヨウコに愛情を感じていたケイは姉にどんなことを言ったか?確かめもせず、ヨウコの話をそのまま受け実家との交流を絶った……。



思い起こせば

テーマ:るみかのケース 2006-09-27 14:03:43

私は、子供の頃から父が大嫌いだった。

大人しい姉とは逆に落ち着きのない私はよく父に怒られた。けれど、親戚の者が集まると父の態度は一変し、成績の良かった私の自慢を始めるのだった。私は他の子供達よりは早くに大人の汚さを知ったような気がする。


中学生になり、大人に対しての嫌悪感は一層強くなった。両親もそうだが、思春期にありがちな「なぜ、勉強しないといけないのか?」との私の問いに明確に答えられる大人はいなかった。この頃には、両親を完全に馬鹿にしていた。どうして、こんな親の元に生まれたのか?と思っていた。


生きているのが虚しく、生きている価値さえ見出せなかった。自暴自棄になり、私は外に外にと癒しを求めた。中2の頃には一切勉強をしなくなった。父が自慢する材料にはなりたくないと思ったのだ。この頃の父との関係は最悪だった。一言も言葉を交わさず、何か言われたら徹底的に反抗し、口が立つ私は父が答えられないことを言い父を追い詰めた。


私の問いに答えられない父を見て、心の中で、ほらみろ!偉そうなこと言ったって私の言うことに答えられないじゃん!と、バカにした。故に父は母に怒りをぶつけるようになった。


その頃知り合ったのが夫だった。

年上の彼が私を救ってくれるととんでもない勘違いをしていたのだ。自分のしていることが間違いだと気付かずに、家から出たいという思いも募っていた。

彼は物静かで、ハンサムだった。しかし、女を弄ぶような男ではなかった。

そんな彼にどんどんと惹かれて行った。


勉強はしてはいなかったけど、何とか高校に入学することができた。

入学して、彼に身を任せる日が来た。そして、妊娠したのだ。

私に手を焼いていた両親は反対することもなく二つ返事で結婚を賛成した。

彼の方の両親の反対もなく、結婚式を挙げ夫婦となった。

その頃、きっと、幸せになれると信じて疑わない私であった。


その後、どんな不幸が待ち受けているかも知らずに……。


妊娠

テーマ:ケイのケース 2006-09-26 14:12:04

新婚とは程遠い日々を送るケイ。

ヨウコと二人お風呂に入っていると、姑が「いつまで入ってるんだ!」と、早く上がれと急かした。

それ以来二人が一緒に風呂に入ることはなくなった。


風呂から上がり体を拭き汗を拭っていると「バスタオルはそんな風に使う物じゃない」と、ヨウコはおかしなことを言った。

「何が?」訳の分からないケイ。

「バスタオルはポンポンポンと、水分を取る物よ!汗を拭くもんじゃないわよ」と、言うのであった。

「そんなの、どうでもいいじゃないか。洗えば澄むんだから」

「バスタオルは私が言ったように使う物なの!」と、自分には決して間違いはないと信じて疑わないヨウコ。


お風呂上りにバスタオルを使うのに、汗か?湯の水分か?など区別がつかない。

なのに、このように自分の規範(モラル)をケイに押し付けた。


仕事を終え家に帰ると何故か?冷たい空気が流れていた。

ケイにはその理由が分からない。


ヨウコは仕事で疲れ切って帰っているケイに姑の酒の相手をさせるのだった。

本当ともウソともつかない話を延々とする姑。

その話にも疲れ、無意識のうちにコクリコクリと居眠りを始めるケイ。

それを見てすかさず「お母さんが飲もうって言ってるのに!」と、怒り出すヨウコ。


自分の家でありながら、くつろぐことのできないケイだった。


その後、風呂に入るのだが、いつの間にか?姑が常に一番風呂で次がヨウコ、最後にケイが入るという順番が決められていた。

出るときに掃除をするように言いつけられていた。言うとおりにしないと、ヨウコが怒るのでケイは仕方無しに毎日掃除をして風呂から上った。だが、それで終わりではない。ヨウコは掃除が終わった風呂を覗き、毛の一本でも残っていれば鬼の首を取ったように怒り狂うのであった。


風呂上りには、誰もが髪の毛が抜ける。だけど、ヨウコはそれさえ許さないのだ。ケイの髪を拾って「頭をちゃんと洗わないから、抜けるのよ!」と、怒るのだ。ケイにはそんなヨウコを理解できなかった。


寝室では、ケイが求めてもヨウコは滅多に応じず、まだ若いケイの性欲は満たされることはなかった。

しかし、少ない中でもヨウコのお腹には新しいに命が芽生えるのだった。


このことが、また、二人の関係を悪化させて行くのだ……。


自殺

テーマ:るみかのケース 2006-09-26 13:55:45

話は前後するが、私は自殺を試みたことがある。

それは、私が19歳の時だった。娘2歳。。
好きで一緒になったのにも拘らず、夫の内面を知るにつけ暗く沈んだ気持ちになって行った。夫は7歳年上で、私より知識があって当然なのに知識の浅い私を常に馬鹿にするのだった。
できていることに関しては目を向けず、できていないことをワザと指摘もした。私がする事は何も認めることはなかった。この頃から母には別れたいと言っていた。しかし、母は真剣に取り合おうとはしなかった。

そんなことが重なり夫の束縛と口の煩さに耐えられず、次第に私は追い詰められていった。まだ、若かった私はどうしていいのかさえ分らなかった。


この頃、チャミーグリーンと言う食器洗い洗剤のCMがテレビで流れていた。お爺さんとお婆さんが、仲良く手を繋いで微笑ましく歩く姿が印象的なもので、私は年老いた時には、お互いに支えあい思いやりの持てる、そんな爺さん婆さんになるのが理想だった。

しかし、夫とはそんな関係には絶対になれないことも分かっていた。

その日、夫が帰宅し何かで意見が対立した。
元々建設的な話ができる人ではない。夫の義父母がと同じように話が出来ないのだ。夫婦であってこんなに寂しいことはない。夫は私の話を聞く耳を持たず、言葉短かに否定し、それを納得できず私は反撃する。若い私には、夫の理不尽言い草を聞き流すことができなかった。娘は眠っていて、夜中まで、お互いに譲り合えない口論は続いた。

「こんな生活するのなら死んだ方がましだよ」と、言った私に夫は「死ねば」と、言った。

その言葉を受けて、私は家を飛び出した。

このまま夫婦でいる意味などない!

もう、何もかもどうでもいいと思った。
私を分ってくれる人間などこの世に存在しないのだ!

こんな人と一生一緒にいないといけないのなら死んだ方がましだと思った。

娘は生きていれば、私がいなくても幸せになれるかも知れない。
だから、娘を道ずれにすることは考えられなかった。

とにかく、こんな人生はいらないということだけが先走っていた。

家を飛び出して向かった先は、家の近くの歩道橋だった。

躊躇することもなく階段を駆け上がる。

どうして、私はこんな運命に生まれてきたんだろう?……。
涙が頬を伝ったが、苦しみから逃れたい。そのことだけに心奪われていた。

自分の命を絶つべく、サンダルを脱いで飛び降りた。
どうしてサンダルを脱いだか?柵があるのでサンダルを穿いたままでは飛び降りにくかったからだ。

この様に飛び降りるまでは鮮明に覚えている。

だけど、飛び降りた瞬間に意識は遠のいた。

そして、図らずも探しにきた夫に発見されたのだ。病院に運ばれた私は意識は朦朧としていた。
結局、私は背中の肋骨6本を折り、骨盤に皹が入りはしたが一命を取りとめた。

意識を取り戻した私は、生きてることがたまらなくイヤだった。私は死ぬことさえ許されないのか?どうして生きているの?と、涙が止め処なく流れた。
飛び降りた高さが足りなかったんだ!次は、もっと高い所から飛び降りようと固く心に誓った。今すぐにそれを実行したいが、片方の肋骨が全て折れているので、動きたくても動くことさえできなかった。もちろんトイレにさえ行けない。

そんな私に夫は「どこまで尻拭いさせるんだ」との言葉を投げかけるのであった。そんなことを言われた私は、自殺をしようとしたことを誰にも言えはしなかった。娘は母が面倒を見てくれたので、付き添いの人を頼んだ。

私は3兄弟で、兄、姉、私は末っ子だった。幼い頃から両親は共働きで、私は幼い頃から鍵っ子でしっかりすることを余儀なくされたように思う。小学生の頃は、今と違って土曜は午前中は授業があり、昼に家に帰るのだ。しかし、母は仕事でいない。
母は何を思っていたか?子供達に昼食を用意してはいなかった。故に私は小学1年にはガスを使い卵焼きを焼いて食べていた。これは、自立心を養うといった考えの元でされたことではない。


ようは放って置いたのだ。他所の家では、お母さんが働いていたとしても、お金を置いているなり、昼食を用意するなりしていたが家は違っていた。両親は、色んな意味で考えの浅い足りない人間であった。私が小学生の高学年になった頃には両親を完全にバカにしていた。子供達が人格形成に一番必要な時期に、何の考えもなく両親は放っておいたのだ。そんなこともあり、私は人には絶対に本心を語らない少女に育った。けれど、成績は良く近所では俗に言う賢い子で勉強のできる子として通っていた。

父親は昔気質の人間で、大人しい姉を可愛がった。
私は落ち着きがなく、いつも怒られていた。

10代の頃には、このことをそのまま引きずっていたので両親に本心を言う気もなく言えやしなかった。自殺と知らない人には石の階段から転げ落ちたことにしたのだった……。

ケイの思いとは裏腹に

テーマ:ケイのケース 2006-09-25 13:49:08

ケイは結局、家を買うことに同意せざるを得ない状況に追い込まれ、結婚と同時にローンを組んで家を買った。

入籍時には、まだ、新築の家は出来上がっておらず、数ヶ月の間ケイはアパートで過ごした。

その間に、ヨウコは「お母さんと一緒に住んで欲しいの」と、信じられないことを言い出した。新婚の家に嫁の母親と一緒に住むのを喜ぶ男がいるだろうか?それに、ケイは長男でいずれ両親の面倒を見なければならない。


「それはできない」と、ケイはきっぱりと言った。

しかし、ヨウコに泣きつかれ仕方なく首を縦に振るケイであった。


これは全てヨウコの計算ずくのことだろう。

入籍や家の契約も済ませてしまっており、今更何もかも白紙に戻すことなどできない。自分の母親と一緒に暮らす説得をするなど、赤子の手を捻るぐらいに簡単なことと思っていたに違いない。

卑怯なことに、ヨウコは母親と一緒に住むことを、ケイの口から母親に言わさせたのだ。


そして、家も出来上がり、一緒に暮らしだした。

だが、3人の生活はケイにとっては、苦痛以外の何物でもなかった。ヨウコは2年に渡る付き合いの中で、ケイに見せたことのない態度をしだす。


顔の洗い方から、食事の仕方まで細かいことまで指図し押し付けるのであった。

義母が常に一緒に居るので、新婚らしくイチャイチャもできない。

義母は、ケイを差し置いて一家の長であるがごとく振舞い何かに付けて口を出した。

母娘揃って、勝手なことをいい行動を取り始めた。養子でもないのに、ケイは肩身が狭く、まるでマスオさんのようであった。


家庭の異常さを知るケイ。


自分は利用されたのかもしれないとも思った。

こうなれば、ヨウコを愛していたのかさえも疑問を感じた。


こんな家庭が欲しかったんじゃない!と……。





家を出る決心をしても

テーマ:るみかのケース 2006-09-25 12:36:15

夫は何一つ成長していなかった。それに気付いた私は、この人と生活して行くのは無理だと思った。

娘にに対しても心が狭く、ことあるごとに怒るのであった。怒るというより、イカるって感じである。「どうして、そんなことで怒るの?」と、聞くと「あいつは怒らないと分からない!」と言うのだ。しかし、そうではない。娘は聞き分けのいい子で、言って聞かせれば十分に理解できた。だた、夫が気に入らないだけなのだ。こんなことが日常茶飯事であった。


普通、娘を持つと目の中に入れても痛くないって言う人が多いが、夫は娘を可愛いとは思っていたのだろうけど、その可愛がり方は歪であった。毎日の生活の中で、妻子に愛情を持って優しく接することの出来ない夫は私達に物を買い与えることでそれを埋めようとした。夫に言わせれば「愛情があるから買うのだ。気持ちがあるから買うんだ」と、言ったが娘も私もそんなことは望んでいなかった。


穏やかに日々過ごせればそれでいいのだ。


悩みが尽きない日々を送っていた私がある日行き当たったことがある。夫がどうしてこんな人になってしまったのか?それは、夫が育った実家にあるように思う。田舎に居る夫の父親は、兄弟の多い次男だったのだが、長男が亡くなり必然的に夫の父親が家を継ぐことになった。まだ弟や妹が学生の頃、見合い結婚して母親が嫁に入った。夫の祖父は、出来の良い長男を異様に可愛がっていたらしい。父親は出来の良い方ではなく、父親に虐げられていたという。


夫の実家は、どこか暗く不思議なくらい笑いの少ない家であった。笑いどころか、夫の両親、妹、弟と家族全員が短気な家庭であった。母親はデキの悪い夫に代わって、家計や諸々を切り盛りしていた。まともな話をできる人で、私は義母を嫌いではなかったし、自分の母親と変わりなく接していた。しかし、義母は私にはまともでも、義父に対する接し方は異様であった。私が居ても、ちょっとしたことで義父にギャーギャー喚き怒るだ。結婚した当初は、義父がデキが悪く義母が全てを切り盛りしてるのだから仕方ないよねぇ、と、思っていたが、年月を重ね義母の理不尽さが分かってきて、義父が可哀想だと思ったものだ。


モラハラという言葉を知って分かったが、義母も義父に対してモラハラをしていたに違いなかった。

夫はそれに気付かずその連鎖をそのまま受け継いだのだろう。振り返ってみると、夫がしていることは母親そのもので何も変わりなかった。


そんな夫に何度も別れ話を私から切り出すも「悪い所は直す」と言うのであった。その度に、改めてくれるかも?と元の鞘に納まるが夫は私や娘に対する態度を改めようとはしなかった。


仕舞いには、別れ話を切り出す私に「男が居るんだろう」と、言い出すのだった。


私の願いは、ただ穏やかな生活がしたいそれだけだったのに……。

生真面目なばかりに

テーマ:ケイのケース 2006-09-22 14:20:55

母親と会ったケイは、ヨウコの家にも遊びに行くようになった。
暫くすると、母親から結婚を促されるような話を度々されるようになった。
そして、ヨウコと付き合い始めて2年の年月が流れた。

ある日、趣味の集まりに「ついて来る?」とケイが言うと彼女は何を思ったのか?「はい」と答えプロポーズと勘違いし母親にプロポーズされたと話したのだ。

その事を聞き混乱するケイであった。まだ、結婚なんて早いと。

しかし、ケイの純真で生真面目な性格から後には引けない。
ヨウコを好きで嫌いじゃないのだから。

そして、結婚の話が具体的になるとヨウコは「本当はもう一つ年上なの」と、告白するのであった。結局のところヨウコはケイより2歳年上だったのだ。この時代に結婚適齢期と言われる年齢にすでに達していた。故に、更にヨウコと母親は焦っていたのだ。この時期を逃すと行き送れのように言われる時代だった。

結婚の話が具体化し、今更ヨウコが2つ上だと聞いても、ケイはどうすることもできず受け入れるしかなかった。

田舎育ちで、まだ若くスレてないケイを手玉に取るのは2歳年上で都会育ちのヨウコにとって他愛もないことだっただろう。


仕事が忙しくデート以外で無駄遣いをしないケイは、田舎の両親に仕送りをしながらも自然と預金は貯まりケイの口座には450万の蓄えがあった。隠していればいいものを、それをヨウコに話してしまうケイであった。


ケイに450万の預金があることを知り借家住まいだったヨウコは、結婚式を挙げるより「家を買いましょう」と、言うのだった。

そんな気のなかったケイを、家を買うことにどれだけのメリットがあるか雄弁に語り、言葉巧みに説き伏せケイを納得せざるを得ない状況に追い込んで行くヨウコだった。


この家が、ケイの不幸な結婚生活の始まりになるのだが、そんなことを知る由もないケイであった……。



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