現在位置:
  1. asahi.com
  2. 社説

社説

アサヒ・コム プレミアムなら過去の朝日新聞社説が最大3か月分ご覧になれます。(詳しくはこちら)

沖縄密約―政府は文書を公開せよ

 政府が国民にうそをつき続ける。動かぬ証拠や証言を突きつけられても、しらを切る。そんなことがこの日本でまかり通っている。

 1972年に沖縄が日本に返還される際、日米両政府は密約を結び、本来は米側が負担するはずだった返還費用400万ドルを肩代わりした。

 この密約の存在は、後に公開された米政府の外交文書で裏付けられた。交渉にあたった当時の外務省アメリカ局長も事実を認めている。

 それでも「そんな密約はなかった」と否定し続けている政府に対して、ジャーナリストの原寿雄さんや作家の澤地久枝さんらが、密約を記した日本側文書を公表するよう情報公開法に基づいて請求した。

 この密約は当時の毎日新聞記者、西山太吉氏が察知し、裏付けとなる文書を渡された野党議員が国会で政府を追及した。その後、文書を外務省の女性職員から入手したことを理由に、西山氏は国家公務員法違反(守秘義務違反のそそのかし)で起訴され、有罪が確定した。外務省機密漏洩(ろうえい)事件である。

 今回の開示請求は、さまざまな議論を呼んだ事件の経緯とは別に、密約文書そのものの開示を求めるものだ。

 日本が払った400万ドルは、米軍が占有していた軍用地を元の田畑に戻すための費用だ。当時はベトナム戦争などで米側の財政事情が苦しく、交渉をまとめるために佐藤栄作首相が決断したとされる。

 密約を明かせば、これまで国民にうそをついていたと認めなければならない。だから、どんな証拠が出てこようと無理を承知でしらを切り続ける。そうだとすれば、国民の知る権利を政府自らが侵害していることになる。

 30年以上も前のことだ。関係者はみな退職したり、亡くなったりしているから、重大な責任問題にはなるまい。なのに政府がこうまでかたくななのは、ほかにも密約があるからだろう。

 日本への核持ち込みや朝鮮半島有事の際の在日米軍基地からの出撃などに関して、もっと重大な密約があることが、公開された米外交文書で明らかになっている。それも認めなければならなくなる、というわけだ。

 しかし、この国の主人公は国民であり、公文書は国民のものである。機微に触れる外交交渉の記録でも、後に公開されるという原則が守られてこそ、政治に緊張と責任感が生まれる。透明性は民主主義の根幹にかかわるのだ。

 今回、公開請求された外交文書3点はすべて米側で公表されている。存在しないという回答は通用しない。

 自民党政府が密約を認めないなら、民主党は、政権交代を通じて歴代政権のうそを暴くと国民に公約してはどうか。日本の民主主義の成熟度を問う、それほど重い問題なのだ。

タイの混乱―アジア全体にも損失だ

 タイの政治情勢は混迷を深めるばかりだ。収拾の糸口が見えてこない。

 首都バンコクでの反政府、親政府両勢力の衝突は死傷者を出し、サマック首相は非常事態を宣言した。

 反政府の旗を掲げる民主主義市民連合(PAD)は首相退陣を求めて首相府を占拠しているが、10日目になっても退去の気配がない。国会で多数を占める首相も退陣を強く拒んでいる。

 なぜ、こんな事態に陥ったのか。

 PADはタクシン元首相の腐敗を追及し、同調した軍は06年のクーデターで政権を転覆させた。元首相率いるタイ愛国党は解党させられ、元首相も訴追された。ところが新憲法のもとで昨年末の総選挙に勝ったのは、愛国党の流れをくむ「国民の力党」だった。

 その党首で「タクシン氏の代理人」を自任したサマック氏は、ほかのタクシン系の政党との連立をはかり、政権を握った。PADから見れば、倒したはずのタクシン政権の亡霊のような政権ができてしまったのである。

 そしてサマック首相が5月、タクシン氏の復権に道を開く憲法改正に乗り出そうとした。これが、PADの大規模な街頭運動のきっかけだった。

 PADが戦術を激化させ、首相府などを占拠したのは、前回のような軍の動きを期待してのことだといわれる。

 だが非常事態宣言によって治安回復の権限を得た軍は、いまのところ実力行使の姿勢は見せず、政権に対して事を起こす考えもなさそうだ。

 軍は冷静な姿勢を保ってもらいたい。これ以上の流血の事態だけは、なんとしても避けねばならない。

 タイは東南アジア諸国連合(ASEAN)の中核の一つだ。ASEANは将来の共同体をめざす歩みを徐々に進め、日本などとも経済連携協定(EPA)を結んで、アジアの発展の一翼を担おうとしている。

 タイには首都だけで3万人以上の邦人が住み、自動車産業などの分野で多くの日本企業が工場や事務所を置く。その国が揺らぐことは、日本をはじめアジア全体にとって大きな損失だ。

 先のクーデターまでは、選挙による政権交代を重ね、民主主義への歩みを続けてきたのではなかったか。

 タイ社会はタクシン氏の支持基盤だった東北、北部の農民層と、PADが頼みとする都市中間層に分断されているようにも見える。タクシン流の強権政治の復活もPADの過激な行動も、この亀裂を深めるばかりで民主主義を前進させはしないだろう。

 タイの混乱は多くの場合、軍が動くかプミポン国王が仲裁に入って解決に一役買ってきた。しかし、法を超えた軍の行動や80歳になる国王の介入に頼ることは、そろそろ卒業すべきだ。

 この危機を、民主主義を次の段階に進めるきっかけにしてほしい。

PR情報