出だしでいきなりすったもんだしたニューヨーク(NY)の幼稚園は、結局1年通ってやめにした。息子本人がそのまま続ける気がないというし、どうせすぐに日本に帰るのだし、NYの幼稚園もちょっと経験したし、まっ、これでいいか、という感じだったのである。
それから1年ほどは、また気楽にプラブラ街を見て回ったり、1カ月ほどマンハッタンにある日本の幼稚園に通ったり、残り少ないであろうNYの生活を相変わらずの観光客気分で過ごしていた。
ところが、夫の留学が延びた。なんと博士号課程に進学が決まったのだ。
どうしたものかと思っていると、息子は前の幼稚園以外でいいところがあったら、英語の幼稚園にまた行ってみたいと言い出した。
よし、また幼稚園探しだ。
ちょうどそのころ、ママ仲間の裕美ちゃんちの娘がマンハッタンの幼稚園に行きだした。様子を聞いてみると、なんとその幼稚園も子どもが慣れるまで保護者が教室にいてもいいという。
なんだ、まだそんなところがあったんだ。
欠員がないと入れないと言われたが、早速面接に行って、前の幼稚園のようなことはないかと念を押して聞いて、欠員が出たらすぐに教えて欲しいと伝えて帰ってきた。
すると、1週間ほどして午後の部に1人欠員が出たとの連絡。
早速次の週から週3日午後2時から6時まで、私と息子は新しい幼稚園に通い始めたのであった。
ここは面白かった。
4歳から5歳児が12人に先生が2人。元気のいい若い女性の先生たちで、両耳にピアスが3つずつついていたのはいいにしても、水泳の授業で水着になったら、肩甲骨に赤いバラのタトゥがしてあったのにはさすがに驚いた。
でも、毎日全身全霊を尽くして子どもたちに接している姿には惚れ惚れしてしまった。
秋の遠足で、平日の昼間だというのに、母親はもちろん父親もほとんど参加してきたのにも驚いた。
遠足のお弁当の時間にも驚かされた。
私がイメージする幼稚園児の遠足のお弁当は、のり巻き、いなり寿司、もしくはおにぎり、サンドイッチ、鳥の唐揚げ、タコウインナー、うさぎの形に切ったりんごなど「お母さんが作ったかわいいお弁当」。なにせ、私にとっては「遠足のお弁当デビュー戦」だったので、そのイメージ通りのお弁当を作っていった。
ところが、すっかり浮いていた。
ほかのアメリカ人のお母さんが作ってきたお弁当は、パンにピーナッツバターとジャムを塗ったものや、ホットドッグなどという簡単なものばかり。私の力の入ったお弁当を見て、「誰が作ったの?」とアメリカ人のお母さんに聞かれたので、「私だ」と答えると、肩をすくめて、「まー、大変だったわねえ」とあきれた顔をされてしまった。
しかし、子どもたちには大うけ。
ほらねえ、子どもはこういうの好きなんだよ、と私は密(ひそ)かに自己満足していたのであった。
(次週に続く)