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【社会】復興へ真摯に 伊藤さん 知人に8日前メール2008年8月29日 朝刊
「まだまだアフガンで頑張ると信じていたのに…」「和也は伊藤家の誇り」−。アフガニスタン東部で武装グループに拉致され、死亡した非政府組織(NGO)「ペシャワール会」(福岡市)の伊藤和也さん(31)の遺体に二十八日、同会の中村哲現地代表(61)が対面し、関係者らはあらためて深い悲しみと悔しさに包まれた。 「虫害もなく、順調に生育」「熟し始めた種子が鳥害に」。事件の八日前、伊藤さんは日本で同会の農業支援に携わる高橋修さん(77)=京都市=に最後となった業務報告のメールを送っていた。厳しい環境で、アフガン農業の復興に注いだ情熱が伝わってくる。 伊藤さんは拉致現場となったブディアライ付近の農家を担当。十八日のメールではアルファルファや大豆、ブドウの状況を報告。サツマイモの生育不良について「昨年三年目にして初めて収穫までたどり着けたため、油断した。一年一年経験を重ねることが重要と分かりました」と反省し、真摯(しんし)な人柄がにじんでいる。 農家自らの耕作を基本としつつ「自分も時間があるときに圃(ほ)場を回り、作物の状態のチェックと打ち合わせをしています」。灌漑(かんがい)井戸と枯れ川の修復作業もしており「井戸の一本は水が湧(わ)き出た。あとの二本も今月には水が出る」と期待していた。 高橋さんは二〇〇三−〇五年、伊藤さんと現地で農業支援に携わった。伊藤さんは最後のメールで、帰国予定が八月から冬に延びたことに触れ「一年以上高橋さんと打ち合わせができなくて申し訳ありません」と書いていた。 高橋さんは「大変コツコツ努力するタイプの人で、殺されたなんて信じられない。メールからは身の危険を感じている様子はなく、まだまだアフガンで頑張ると感じていたんですが…」と悲しみに暮れていた。 『夢か現実か分からない』 母、所属先弔問に伊藤和也さんが所属していたペシャワール会の後藤哲也会長(68)が二十八日午後、静岡県掛川市にある伊藤さんの実家を弔問、家族に事件の経緯を説明し、遺品を手渡した。 後藤会長が「大変なことになり、ご家族の苦しみはいかばかりか拝察する。私も苦しく悲しくつらいと思っている」と弔意を伝えると、母順子さん(55)は涙をこぼしながら「(和也さんと)実際に対面していなくて、夢か幻か現実か分からない」と苦しそうに訴えたという。 和也さんが現地の演奏家に作ってもらったという民族楽器や、アフガン派遣の志望動機書を受け取った父正之さん(60)は「現地の人に受け入れられたから楽器を作ってもらえたんだと思う。和也は伊藤家の誇り。家族で胸を張りたい」と語った。 正之さんは二十八日夜、「一分一秒でも早く家族の元に和也を帰してほしい。それが家族の訴えです」とするコメントを発表。後藤会長によると、伊藤さんの遺体は三十日午後、同会の中村哲現地代表らが付き添って帰国し、家族が中部国際空港で出迎える予定という。 両陛下が弔意 音楽祭鑑賞中止天皇、皇后両陛下は二十八日、伊藤和也さんの両親らに弔意を伝え、静養先の群馬県草津町で予定していた音楽祭「第二十九回草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティヴァル」のコンサートの鑑賞を中止された。 宮内庁によると両陛下の弔意は、川島裕侍従長から高村正彦外相を通じ両親とペシャワール会に伝えられた。
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