いりゃあせ名古屋

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東海豪雨:非情の雨、また 町中、ごみあふれ--愛知・岡崎の伊賀川

 東海地方の記録的豪雨で、死者と行方不明者が出た愛知県岡崎市の伊賀川周辺では30日午前、民家前に臨時で設けられた集積場にごみがあふれた。布団、畳、冷蔵庫、テーブル、ソファ……。ぼうぜんと見つめる住民たちの心を逆なでするように、再び強い雨が降りしきる。不明者の捜索もはかどらない。住民は一様に疲れた表情を見せている。【式守克史、佐野裕、米川直己、石原聖】

 ■嘆く住民

 同川のほとりに1人で住む神谷きぬ子さん(83)宅は1階の天井まで水につかった。午前6時ごろから、手伝いに来た親類らとともに泥だらけになったテレビ、エアコン、本棚、食器棚などを運び出したが、すべてだめになっていた。

 庭にたまった泥をスコップですくうたびに、ひざと腰が痛む。「疲れる。でもやらないといけない。誰かが何とかしてくれるわけではないから」と元気がない。

 夏休み最後の週末。川向かいに住む市立広幡小6年の藤井俊行君(11)は自由研究のリポートや図工のポスターがぬれた。この日は所属する少年野球の練習日。降り続ける雨が恨めしい。「最悪。テレビが見られないから何がどうなっているのか分からない。これからのことを考えるとちょっと不安」とこぼした。

 市のごみ収集車3~4台が同川沿いの一軒一軒を訪ねてごみを回収しているが、担当者は「いつ終わるのか分かりません」と途方に暮れている。市内2カ所の焼却場には早朝から直接、車でごみを持ち込む人も。「直接持って来る人は被害が軽いからまだいい。ごみや泥で身動きできず、ごみの収集が追いつかない地域もある」。別の担当者はそう言い、カッパからしたたる雨で目をしばたたかせた。

 一方、消防と警察による行方不明の杉本富美子さん(80)=同市城北町=の捜索は伊賀川で午前8時から再開されたが、川の水位が再び上昇。杉本さん宅は壁が壊れて中がむき出しの状態となり、家財道具が一部流れ出した。それぞれの自宅で片づけをしていた付近住民の多くは、近くの学校に開設されている避難所に戻った。

 ■ボランティア

 市福祉会館2階に設けられた防災ボランティア支援センターには10時現在で西三河地区を中心に大学生や社会人ら76人のボランティアが集まった。持ち場が決まると緊張した表情で現地に向かい、被害が大きかった伊賀、稲熊両町を中心に畳や家具の運び出しに汗を流した。

 同県一色町で小中学生相手の防災学習に取り組む一色防災ネットワークの久保田芳道さん(48)は「ボランティアへの参加は新潟県の中越地震に次いで2回目。我々の活動が被災者の不安を取り除ければありがたいことだ」と語った。

 だが市は正午、雨が強まって2次被害の恐れがあるとして活動を中止させた。

 ■避難勧告

 愛知県災害情報センターによると、同県内では再び強まった雨の影響で、新たに幸田町の広田川で堤防道路が10メートルにわたって削れるなど被害が増えた。岡崎市内の山中川と乙川でも護岸のコンクリートの一部が崩れ、県内の河川被害は計13河川19カ所となった。名古屋地方気象台は岡崎、安城、西尾、蒲郡、豊川、田原の6市と吉良、幡豆の2町で土砂災害の危険性が高まったとして警戒を呼びかけている。

 岡崎市は午後0時50分、市中心部など市内の3分の1にあたる3万5587世帯に避難準備情報を出した。名古屋市災害対策本部も午前9時半、名古屋市公館東側(東区東外堀町)の堀ののり面が幅約15メートル、高さ6メートルにわたって崩れたため、付近の1世帯1人に避難勧告を出した。

 同気象台によると、岡崎市の30日午前8時から正午までの雨量は65・5ミリに達した。28日午前8時から30日正午までの雨量は、同県内の観測地点20カ所のうち、岡崎398ミリ▽蒲郡326ミリ▽豊橋318ミリ▽一宮249ミリ▽名古屋215・5ミリ▽東海212ミリ--と6カ所で200ミリを超え、多い所で名古屋市の8月1カ月間の平均雨量(140・4ミリ)の倍以上に達している。

 ◇立ち退き交渉中に 不明の杉本さん宅、堤防内市有地

 杉本富美子さんの自宅は、伊賀川堤防内の市有地に建っている。河川法上は河川区域内に認定されている場所で、愛知県と岡崎市が川の拡幅のため立ち退き交渉をしている最中に豪雨に見舞われた。

 県河川課によると、伊賀川の城北町周辺では大正後期から昭和初期にかけ、堤防内ののり面下に民家が建ち始めた。住民は市と賃貸借契約を結び、1970年代には約80軒が軒を連ねていた。

 杉本さん宅は地上1階・地下1階の2階建てだが、堤防上からは地下1階部分は見えない。今回の豪雨で水位が上昇、高さ約2・5メートルの地下1階部分が濁流にのみ込まれ、屋内にいたとみられる杉本さんの行方が分からなくなった。

 伊賀川周辺は71年の集中豪雨で溢水(いっすい)したことから県は75年、堤防上を含めた一帯を河川区域と認定、77年に改修計画を策定し、総事業費約20億円で川の拡幅に乗り出した。県と市は、城北町一帯の住民との契約が終了すると更新せずに立ち退きを求めているが、交渉は進まず、現在でも約50軒が堤防内に残っている。

 伊賀川は城北町以外の地域でも堤防のすぐ近くに民家が建ち並んでおり、一部は川床を掘る改修法で対応する計画だという。交渉の遅れから、県の改修計画全体の中で伊賀川の優先順位は低かった。【月足寛樹】

毎日新聞 2008年8月30日 中部夕刊

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