2007年は、旧ソビエト連邦(以下、ソ連)からのシベリア抑留者の釈放が本格化してから60年目に当たる。 厚生労働省が掌握しているだけでも、約60万人の日本軍民がシベリアに抑留され、強制労働に従事させられた。重労働、極寒、栄養失調でその約1割、6万人が死亡。無事帰国できた人も、厳しい後遺症から、ほぼ同数の人が相次ぎ死亡したとされている。 しかし、実際は、民間人を含めて約107万人が抑留され、行方不明者を含む推定死亡者は約34万人にも達すると言われている。このような悲惨な事実が、なぜ起こったのだろうか。 記者の父はシベリア抑留兵で、極寒、飢え、重労働の三重苦からやっと生還したものの、10年あまりで後遺症により死亡した。私自身も母に連れられ、満州の荒野をさまよい、あやうく残留孤児になるところだった。 「シベリア抑留」と言われても、いまや知らない人は少なくないのではないだろうか。関係者が少なくなりつつある今、その実情を探り、記録することにした。 鳥取県東伯郡湯梨浜町馬ノ山に、鳥取県シベリア抑留慰霊碑建立委員会が建立したシベリア抑留慰霊碑 ソ連軍侵攻 第2次世界大戦末期の1945年8月8日深夜、ソ連は日本に対して、一方的に日ソ不可侵条約を破棄して宣戦布告。その1時間後に満州を奇襲攻撃、軍事侵攻した。 日本は8月15日にポツダム宣言受諾を発表。しかし、降伏したにもかかわらず、同16日には南樺太、同18日には千島列島も武力攻撃を受け、占領された。 ソ連は、ドイツが5月7日に無条件降伏すると、軍主力をシベリア鉄道で満州国境に送り、対日戦に参加することを決めていたのだ。 1945年7月1日、旧日本軍が入手した情報によると、満ソ国境の周辺に増強されたソ連軍は、約55万人。戦車2000両、飛行機4000機、各種火砲7000門だった。さらに、シベリア鉄道で、大兵力の移動が続いていた。 しかし、日本側の情報分析は甘かった。 実際に、満州国境を突破したのは、ソ連側の戦後公式文書によると、兵員157万人、戦車自走砲5500両、飛行機3400機、各種火砲火2万6000門だった。 対する関東軍の配備兵力は、質、量とも貧弱で、兵員は半数以下の約70万人。 在満日本人男子を、根こそぎ動員したため、高齢者部隊が多く、小銃も10万人分足りなかったという。 精鋭師団を南方作戦に抽出され、総合戦力は精鋭師団の30パーセント程度まで低下していた。特に戦車は、装甲の薄い軽戦車を主体にわずか200両、飛行機も200機程度しかなく、火砲にいたっては1000門ほどしかなかった。 劣勢は、予想されており、関東軍は対ソ作戦を「満州全土の3分の2で反撃しつつ後退し、新京南東の長白山地を背にした通化に軍司令部を移し、残り3分の1でパルチザン戦を展開する」という持久戦作戦を描いていた。 この作戦は、6月14日に関東軍隷下の各方面軍に示達され、9月下旬までに全軍の移動・配備が行われる計画だったが、8月のソ連軍の侵攻によって日の目を見ずに終わった。 満ソ国境の東、北、西の3方向から侵攻してきたソ連軍は、当時世界最強と言われた「T34戦車」を先頭に、装備の不十分な日本軍を各地で撃破、あっという間に首都、新京に迫った。 これに対し、日本軍は地雷を背負った兵士が敵戦車に飛び込むという特攻作戦しか対抗手段はなく、ほとんどが敵戦車に行き着くまでに自動小銃で撃たれ、戦死した。 関東軍は、ゲリラ戦に戦法を変更しようとしたが、8月15日、大本営から戦闘停止命令を受け、戦闘行動を中止、ソ連軍に降伏した。 ただし、一部地域においては、劣悪な通信事情や激しい戦闘状況もあって、8月後半まで戦闘が続けられた。 悲劇は、その直後から始まった。 ソ連軍によって、日本軍は武装解除され、関東軍首脳を手始めに、捕虜となった日本兵たちは、続々とシベリアに送られた。さらに、ウラル山脈を越え、遠くポーランド国境近くまで連行された部隊もあり、全ソ連に分散収容された。 一般的には「シベリア抑留」という言葉が定着しているが、実際にはモンゴルや中央アジア、北朝鮮、ヨーロッパなどにも送り込まれていた。 現在でも、それらの地域には抑留者が建設した建築物が朽ちて残存している。 彼らの墓地も各地に存在するが、整備されているものは極めて少ない。大部分の墓地は、遺骨の所在も分からないまま原野と化し、山林や農地になったところも少なくない。墓地数も埋葬人数も、不確定のままである。 1975年に引揚援護局は、ソ連地域の州別日本人死亡者の調査を発表した。それによると、ソ連全土の日本人墓地数は332カ所、埋葬人数は4万5575人だった。少なく見積もっても約1万5000人以上が、不明のままなのである。 (つづく) 【参考文献】
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