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夢現舎小島一志へのメッセージ

突然始まった、私への小島氏のブログでの攻撃は誤解に満ち満ちていたので、小島氏に電話したところ文章で反論してくれれば、全文ブログに掲載するとのことでした。
既にメールで私の率直な意見・感想を送信して4日経過しましたが載った気配が無いので当ブログで同じものを掲載することにしました。


夢現舎 小島一志様
                                                 極真会館浜井派
                                                  代表 浜井識安
大変驚いています。先日来、何がどうしたのか突然私に対して
 浜井識安はさっそくブレ始めた
 浜井氏は権力闘争を演じ始めた
 浜井氏は計略と裏切りによって完全に男を下げた
等々の内容が小島さんのブログで始まりました。

小島さんがどのような情報を元に、またどのような判断の仕方でこのような結論に至ったかは私には全く理解できませんでしたので「まあ仕方ないが何か誤解しているのだろう。小島氏は小島氏の信念や考え方があるから、こちらが何を言ったところでそれはいろんな見方があるという相対論で終わってしまうだろうな、何にもしないでおこう。」かとも考えていました。

しかし口頭で言ったことは訂正も出来ますし、いずれ消えてしまいますが、活字となるとこれは訂正しても文章や主張そのものは半永久的に残ってしまうのです。しかもこの状態ですとブログだけでなく出版される本にまで誤解された内容の文章が続きそうだと感じたので、まず電話で「どうしてそういう結論になったのか?」を先日小島さんに質問させてもらったわけです。

小島さんにいろいろ質問した内容についての私の意見は後で書きますが、小島さんの主張は小島さんなりに「私は浜井氏の言動・行動も分析し、浜井氏が接した人物にも裏を取って書いているので、信念を持っている。決して誰かの意見を代弁したり、誰かに偏って味方しているわけではない。その証拠に極真館の盧山館長やそれと敵対関係の松井館長とも付き合いはあるが自分の信念は曲げたことが無いし自分の書いたことには自信を持っている。」ということでした。

電話では中々意見を明確に出来にくいし、直接会うのも最近出張が多く、互いに中々タイミングを合わせるのが難しいので、最後は小島氏が「もし浜井師範に反論・異論があるならば文章で送って下さい。全文そのまま掲載します。」とまで言ってくるので「じゃあ小島氏に任せるので文章を送ります。」ということになったので、この文章を作ったわけです。

さていくつか具体的に意見を述べる前に、まず根本的に誤解されているのではないかと思われる「極真館との関係」について率直に述べたいとおもいます。
極真館の盧山氏や広重氏に対して「極真館に入る」と約束したり「一生盧山師範についてゆく」と言ったと断定されてしまってますが、誰がそう言っているのでしょうか?後で詳しく述べますが、それは全くの誤解です。

私は財団法人極真奨学会に協力したいという意志は最初から漠然と持っていましたが、必ず極真館に入るという意志も持ったことは無いし約束した覚えもありません。もちろん極真館に入るということも進路の選択の一つであったことは事実ではありますが松井派を離脱するとき離脱してから何が起こるかわかりませんでしたから「必ずこうする。」という明確な進路決定はありませんでした。「様々な選択肢に悩んでいた。」これが事実です。そこに計略も何もありません。

さていくつか小島さんに質問していて気が付いた点について書いてみます。

1.「浜井がブレた」といわれている件については

  私が小島氏と会ったときに小島氏に言った「後継直後、松井氏の人間性を見誤ったことは、私の間違いだったかもしれないな。」という言葉を小島氏が「あたかも(遺言より)私浜井自身が松井氏を後継者として認めていた。」かの様に受け取ったのではないか?ということでした。それは小島氏が「盧山館長が松井氏を担いだのはあくまで遺言があり、その点では全くブレていない。」という発言を小島氏がしていたからです。しかしその点では私も全く同じであり、まず遺言という土台ありきであってそれを前提として、私は当時松井氏を信頼し支持したに過ぎません。あくまで個人として、先輩として「人間性を見誤ったかもしれない、間違っていたのかも知れない。」という見解なのです。13年前松井氏を支持したのも、去年松井氏のところを去ったのも遺言の実行を優先している点で全くブレは無いのです。
こんな些細なことでもなかなか伝わらない。会話は難しいものですね。
この文章でも理解してもらえるかどうかわかりません。

*私は相対論(こんな見方もあんな見方もある、だから正論など無い。誰が正しいとは言えない。)は間違っていると思います。相対論に対し私は「これが絶対正しい。」という絶対論を主張するわけでは有りません。
私が主張するのは原点論です。「原点は何だったのか?」です。たとえば松井氏が二代目館長になった原点は遺言です。そうであるならば松井氏には遺言を守ってもらいたいと考えるだけです。故大山倍達総裁も言っているではないですか?「孝を原点として他を益せよ」と。つまり「親孝行が他者への感謝と恩返しの原点になるのだよ」と。

2.「小島氏のブログは私の声明文をパクったモノでしょ?」と浜井が言った?という件について

これは電話の会話では小島氏に聞いてはいないので何のことか全くわかりません?
これはとぼけているのではなくほんとにわからない、心当たりが無いのです。私が松井派を離れる際、大山倍達研究家さんの裁判経過報告を引用させてもらったことは事実ですし感謝しています。それがどうして私が小島氏に「あなた私の声明文をパクった云々」と言う必要が有ったのでしょうか?私も思い込みは強いほうですが、これは直接小島氏に聞いてみたいと思います。何か私の方にそう受け取られる言動があったのでしょうか?

3.財団法人の私物化・乗っ取り?

財団法人は確か20人?の理事、20人?の評議員だったかで構成され、理事長の梅田氏・理事の米津氏・故大山総裁時代の理事数名以外は現在そのほとんどが極真館ゆかりのメンバーです。私は先日1回だけ理事として理事会に参加した新参者に過ぎません。その私が一体どんな画策をすれば私物化や乗っ取りができるのでしょうか?
どうしたら理事会や評議員40名?が浜井の言いなりになるのでしょうか?そんなことが出来ないから公共性のある財団なのでは無いでしょうか?

10億円?で奪い取ると書かれましたが、それなら自分で興せばいいわけです。多くの面識もない理事のいる財団法人極真奨学会を乗っ取るよりも自分の知り合いや友人で固めた新しい財団を興せばすむはずです。(もっとも私はそんな現金を持ってはいませんが。)
そもそも文部科学省の指導や合議制の財団であるからこそ公共性が有るのであって、そこが派閥と違うものだと捉えていたのですが、何かおかしいでしょうか?

私は財団法人極真奨学会が故大山総裁の唯一残した財団法人であり、遺言の第1条にもあるからここに極真のメンバーが派閥を問わず結集することが、誰のものでもない公的な財団に成ると考えて行動しただけです。
連合会の長谷川師範や極真會の水口館長を評議員に推薦したのも、両氏とも故大山総裁のおかげで今の自分があり、飯が食えていると公言し、大会パンフレット等にも故大山総裁のことをしっかり載せているからです。
この推薦については推薦の理由も含めて事前に梅田理事長にも盧山館長にも報告してあります。それも推薦する前から「派閥が違う極真関係者にも財団に参加し協力してもらえるように動きますよ。」と何度も念を押しています。
それが何故私物化だの乗っ取りだのという話になるのでしょうか?
極真館以外の派閥である私や長谷川氏や水口氏が財団に理事・評議員という形で参加すればそれは派閥を超えた極真の大同団結の最初の第一歩となると考え行動してきたのです。そうすれば極真の公共化・社会的地位の向上・大会の統一等をのぞんでいる有志が派閥を超えて参加しやすくなるのではないでしょうか?

4.「浜井は極真館に入る、盧山館長に一生付いてゆく。」と言っていながら、すぐに裏切ったという件について

私は財団法人の設立について5年前、梅田氏や盧山氏・広重氏と意見を同じくして松井氏と対立し、梅田氏・盧山氏・広重氏が去った後も松井氏に約4年にわたって遺言の実行を迫った後、松井派を去ったのですから、その意味では梅田氏、米津氏、極真館盧山館長・広重副館長とは同志的な気持ちは持っています。しかし極真会館という名称を変えるつもりも、故大山総裁以外の誰をも自分の師とする気持ちは持っていません。
極真館に入ると約束した覚えもありません。私が盧山氏に一生付いてゆくといつ誰に言ったのでしょうか?また誰がそういうことを言っているのでしょうか?私自身も「誰々に一生ついてゆく。」と公言する人間を信じません。過去にそれを反古にした人が何人かいると聞きいていたからです。
極真空手の世界でも「もう誰が悪いとか誰を信じたのが間違いだった。」とか言うつもりも無いのです。それぞれ自立した有志が派閥を超えて財団を支えていけば良いと考えているだけです。そうでなければこれほど分裂し派閥化した極真はまとまらないと考えているからです。

誰かが商標を取ったところで事態は変わりません。強権で一時商標を持っていたとされる松井氏のようになっても分裂状態を変えることは決して出来ないでしょう。強権を持ってもこのように分裂してしまったのですから。

5.「浜井は自分の勢力拡大に走っている?」という件について

(1)まず第一にこれは「財団の公共性」と「派閥の利害関係・勢力拡大の私利私欲」に分けて考えるべきでは無いでしょうか?

もちろん誰でも欲はあるでしょう。各派閥は既に各地で競合状態になっています。利害関係・道場設置など勢力拡大の調整も難しいでしょう。多少の遠慮・配慮はあっても、同じ派閥同士で仮に調整できても他派閥との調整は事実上不可能でしょう。ただ現在のような分裂状態でも極真人口自体は分裂前の2倍以上と推定されています。
派閥の競合状態での発展、これも極真のあり方の1つかもしれません。

しかし極真が底辺を広くして統一全日本や統一世界大会を開催するためには大同団結は必要なのです。仮に極真人口は増えても個々の派閥の優勝者のレベルは逆に低くなっています。やはり優勝者同士の切磋琢磨は必要なのです。
派閥は利害の戦いの場だからこそ財団を利害関係・道場設置の調整の場には出来ないのです。私利私欲ですから調整しても争いは起こるからです。利害関係・道場設置・勢力拡大は試合と同じで法律・ルールや道徳に従って正々堂々戦うしかありません。

もちろん私も自分の道場生を増やしたいと思っているし、勢力を拡大したいと思っていますが、財団に協力して極真を公共化したいと真剣に考えているのも事実です。
それはあくまで財団は極真全体のレベルアップ、社会的地位の向上、統一全日本・世界大会の開催、会館の建設、オリンピック参加などの大義名分の為のものなのです。したがって財団は1派閥のものであってはならないのです。

現在極真館が財団の維持にもっとも貢献し、苦労しているのは事実ですが財団=極真館であってはならないのではないでしょうか?
ここがブレたりズレてしまうとどうにもなりません。
各派閥に勢力拡大・私利私欲があるのは認めても、財団に各派閥の私利私欲があってはならないのではないでしょうか?

(2)「他流派の大会に神出鬼没で顔を出し、勢力拡大に奔走している」件について

松井派にいた頃は松井派でがんばっていれば故大山総裁の遺言は実現できると考え、極真の他派や他流派フルコンタクト各派の大会にはあまり興味はありませんでしたし見にも行きませんでした。(当時は事業も忙しかったし大変だったという理由もありましたが。)

しかし松井派を離れてみて新極真や連合会や極真館など極真系の大会が実際どのようなものなのか、他流派の大会はどうなのか現実に見てみたくなったのです。特に他流派の大会は松井派の時代から石川県支部の多くの道場生が参加させてもらっていたからです。
繰り返しになりますが、離脱後どのような方向で活動していくか確定していたわけでは有りません。
前にも書いたように財団については松井派を辞める直接の原因でもありましたし梅田理事長・米津理事・極真館の盧山館長や広重副館長に共鳴していましたから協力したいという気持ちはありました。
しかし空手界において「こうしていこう」という具体的な考えは固まっていませんでした。
極真館に入る、入れてもらうというのも進路の選択に全く無かったわけではありませんから、それゆえ極真館に入るという誤解を与えたのかもしれません。ただ基本的には財団に協力してゆくという形で他の派閥とも交流したいという想いが一番強かったのです。

そんな中で誰がどのような考えで活動しているのか知る為にここ1年以上極真系・他流派を問わず、多くの大会を見に行っていたわけです。
本で読んだり、耳で聞くのとは違って大変勉強になりましたが、それをいきなり勢力拡大に奔走していると非難されても戸惑うばかりです。
繰り返しになりますが、先に説明したように仮にそれが勢力拡大の行動であっても非難される筋合いのものではないと思うのですが。

*盧山館長や広重副館長、さらに極真館のメンバーと何度か話してみたところ「極真館は派閥ではなく、極真会館を一つのものにする為のものであり、極真館=もとの極真会館=極真会館一本化の組織なのだ。だから極真館=財団であってもおかしくない。」と説明を受けたのですが、それは各派閥も自分たちが極真会館であると思っていることを考えれば、私には納得できませんでした。もしかしたら極真館=極真会館の一本化組織と考えているからそこに参加しない浜井は裏切り者でありケシカランと誤解されているのかもしれません。


6.武道家はどうあるべきか?

武道はもともと「武=矛を止める」に始まり「人類が共存してゆく為に、敵といえどもその命と存在を認め、正々堂々戦った者同士であるならば尊敬の念さえ持とうとする人類の理想的生き方モデルの一つであり、人類の平和共存への文化的遺産」だと私は考えています。

それゆえ極真空手を武道とするならば「派閥は派閥として互いに認めあった上で、仮に勢力争いがあったとしても、それが礼儀と節度あるものならば大同団結し、財団法人による極真の公共化や世界最大級の統一大会の開催という共通目標によって極真の武道家こそが武道精神のもとに真っ先にまとまるべきと考えるのですが、理想論でしょうか?故大山総裁の言うように「心広く」して、派閥は派閥としてもう互いに認め合う時期が来ているのではないでしょうか?
  
誤解を招く言い方かもしれませんが、大山総裁御存命中の分裂前の極真会館でも支部長の皆が皆、仲が良かったわけでもなかったと思います。
気が合う人もあれば合わない人もいたと思います。
しかし一つの大きな大会等で協力し合ってやっていたはずです。派閥を派閥として認めて、出会ったら互いが武道家として最低限の礼儀を守って大同団結できればと願っています。
多少仲が悪くとも極真の兄弟ではありませんか。

7.水口氏・増田氏・黒澤氏


水口氏や増田氏の団体を友好団体としているのは一応本人たちに連絡して名刺の裏に友好団体として載せて良いか了解を取った上で書いたものです。
友好団体はすべてそうしました。浜井派という少人数の団体で活動してゆく以上できるだけ各派の大会に道場生を参加させる機会を作ってあげる必要があるからです。黒澤氏とは極真館の大会で顔を合わせたので今度のような考えで道場を運営しているのか?浜井派とも友好団体となってくれる可能性があるかどうか知りたかったからです。何か会ったり話したりすると「引っ張ろうとしている」と判断されているようですが私自身引っ張られたところで動きませんし、他人もそうだと思っているので、引っ張ったところで来ないと考えています。この点を小島氏は少し考えすぎではないかと思います。

先日も浜井派北海道本部で空手セミナーを水口氏と私で実施しましたが、別に水口氏を浜井派に入れようとは思っていませんし、水口氏本人も互いに独立しながらも協力してくれると約束してくれています。
昔の弟子と一緒に稽古するのも楽しいし、酒も飯もうまいものですよ。
増田氏も全くの独立自尊ですから、今後も大会等で交流できればと考えています。
また他流派フルコンタクトカラテの一光会館の中尾館長も昔の大阪南支部の弟子でしたが、今は独立した組織です。だから大会には参加させてもらっていますが「浜井派に入る入らない」とは全く関係なく友好関係のままです。中尾館長とはそんな話は話題にすらなっていません。

 いくつか気が付かなかった件があるかもしれませんが、私の見解は大体こんなところでしょうか?

何の因果か、小島氏にはいきなりボコボコに書かれてしまいましたが、小島氏への反論というより率直に私の意見を述べさせてもらいました。
まだまだ小島氏が私に対して言いたいことがあるとは思いますが、個々の疑問点は文書で発表される前に私に直接ぶつけてもらえば、すべて答えていくつもりです。そのような場が私に与えられればですが。

ただ私は文筆家では無いので、常にこのような形や出版物で小島氏とやり取りするわけにはいかないし自分の主張を発表する場といえば浜井派のホームページだけです。
できればいきなり裏切り者だの、うそつきだのと書かれたくないものです。
頭が悪い、出来が悪いというならまだしも卑怯者やうそつきといわれるのは武道家として恥だと思います。
ましてや小島氏の個人ブログならまだしも、出版される書籍等ではもう取り返しがつきません。
くれぐれも事実を慎重に調べてからブログや本に書いていただきたい。
一人の人間の名誉がかかっているのです。
そういう想いです。

まあこんな風に人物をいきなり叩いてみて、その対応や反応を見るのも文筆家としての小島一志氏の格闘技的取材手法なのかな?とも思いましたが、少し度が過ぎているのではないかと感じます。

そしてその誤解や誤解がエスカレートした根本には最初のボタンの掛け違い、つまり「浜井は極真館に入るはずでは?」という誤解された前提があるのでは無いでしょうか?
極真館ではなく誰が見ても公共化すべき財団法人極真奨学会への参加・協力でしたらその意図は漠然とでしたが最初からあったのは事実ですが。

なおこの文章は小島さんの個人ブログに載せていただければ充分です。
あまり大げさにしたくありませんから。

もし参考になれば浜井派のホームページに財団法人に関する私なりの草案(浜井案)が載っていますのでご覧になって下さい。
これは私が財団の梅田理事長・米津理事・盧山理事に提案したものです。
http://kyokushin-hamai.com/

以上が私の率直な意見ですが、真意が伝わってくれればと思います。  押忍  
2007年9月17日(月)記

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2007年09月20日 11:11に投稿されたエントリーのページです。

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