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最終更新:2008年8月20日(水) 19時4分

風船爆弾、報道規制が生んだ「悲劇」

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 「風船爆弾」というのをご存じでしょうか? 第二次大戦中に旧日本軍が開発した風船爆弾が海を渡り、アメリカ本土で6人の命を奪っていた事実はあまり知られていません。戦時下の報道規制が生んだ「悲劇」を追いました。

 これは、第二次世界大戦当時、旧日本軍がアメリカ本土を攻撃するために放った風船爆弾の映像です。9000個以上放たれたというこの爆弾のうち、361個が実際にアメリカとカナダに到達しました。

 風船爆弾は和紙でできているということですが、実際に触ってみますとプラスチックバッグのような強さと硬さがあり、60年以上経過した今も非常に頑丈です。

 「1944年、アメリカ軍が最初に風船爆弾を発見したとき、軍は、これが一体何で、どこからきたのかさえわからなかったのです」(スミソニアン航空宇宙博物館、トム・クローチ学芸員)

 しかし、風船爆弾は当時のアメリカに思わぬ打撃を与えていました。ワシントン州の軍事工場を停電させ、操業を3日間ストップさせたのです。工場では、長崎に投下された原子爆弾が製造されていました。

 アメリカ政府は当時、風船爆弾についての報道を自制するよう、メディアに求めました。爆弾の成果を敵側の日本に知らせず、アメリカ国民をパニックに陥らせないためでした。

 「風船爆弾という武器に打ち勝つため、(米メディアの)報道規制は最も重要だったのです」(風船爆弾の研究者、ロバート・ミケシュさん)

 報道機関によるこうした自主規制は、罪のない市民の犠牲を生みました。1945年5月、アメリカ西部オレゴン州の森で、ピクニックに来ていた女性と子ども5人が風船爆弾の不発弾に触れ、死亡したのです。

 戦時下の情報統制を優先すべきか、国民の安全を守るべきか。6人の死から半月後、アメリカ政府は初めて風船爆弾の存在を公表したのです。

 「アメリカ本土で敵の攻撃によって、初めてアメリカ市民が亡くなりました。アメリカ政府は風船爆弾の情報を開示して、市民に注意を呼びかけたのです」(風船爆弾の研究者、ロバート・ミケシュさん)

 広島に原爆を投下したエノラ・ゲイが展示されているスミソニアン博物館の別館。

 「(風船爆弾でアメリカ人が死んだことを知っていますか?)知りませんでした。知っているかぎりでは、被害はなかったと思っていました」(見学者)

 風船爆弾は、今もその片隅で、戦争報道のあり方を問い続けています。(20日18:16)



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