京都駅

のはじまりは京都駅。ご存知日本一の観光都市の表玄関であるこの駅には、1日17万人の乗降客がある。そんな駅の山陰線乗り場は、西の端にあり、ヨーロッパに多い櫛形ホームとなっている。確か山陰1〜4番線と呼んでいたと思う。1994年12月に、番線の呼び名が整理され、「はるかホーム」を含めて30〜34番線と呼ぶようになり、山陰線は31〜34を使用している。30番台にしたのは、山陰本線のサンにかけたものだという。ついでながら降車専用となっている34番は、日本一大きい数字のホーム番号らしい。
また、88年から京都〜園部間を嵯峨野線と呼んでいる。

烏丸中央口全景 夜の烏丸中央口
烏丸中央口正面 烏丸中央改札口付近

  丹波口駅
くに京都のまかない所(どころ)、京都中央卸売市場を有する丹波口駅は、島式(ホームが線路に挟まれているもの)1面2線ホームの高架駅。かつての平安京の朱雀大路の跡を南北に走る嵯峨野線が、五条通(国道9号線)と交差する位置にある。改札口には、いわゆるバタバタ式の列車案内表示が残されている。興味のある方は一見を。
丹波口駅 五条通の高架線

  二条駅
在は、島式1面2線のホームの高架駅で屋根は木造トラス。右の写真は旧駅舎で、伊藤忠太の設計。現在は有形文化財に指定され梅小路機関車館に移築されている。周辺の開発は映画館ができるなど著しい。
二条駅 駅前千本通 旧二条駅舎

  円町駅と花園駅
は民家の裏側を、時には洗濯物を見ながらのんびりと走っていたが、現在は共に高架で島式1面2線ホーム。
円町駅 駅前丸太町通 花園駅 駅前丸太町通

  太秦駅
隆寺や東映太秦映画村などの観光資源を有しているわりには思い出が脳裏に浮かんでこない。尤も子供の頃には映画村は無かった。現在の駅舎は、モダンで今風の建物。不思議を感じてその歴史を少し調べてみると、あった、曰く因縁が・・。
太秦駅は1975年、映画村の北端にある山陰本線沿いの敷地を、赤字に喘いでいた国鉄から買収、映画村の一般公開と同時に運用を開始。太秦駅という名のセットが開設されたことにより、それまで撮影所の外へ出ないと撮影ができなかった鉄道に関するシーンの撮影が容易にできるようになった。なお、当時の太秦駅は映画撮影の為に設営されたセットであるため、当然ながら一般の乗客が乗る列車は全列車通過していた。国鉄も太秦駅のことを一般の乗客が乗り降りする駅とは認めていなかったという稀有な歴史を持っていた。
画撮影のためのセットとして作られた太秦駅が大変貌を遂げることとなったのは、1989年。かつて大赤字に喘いでいた国鉄はすでになく、民営化されたJR西日本によって太秦の地を通る山陰本線は運営されていた。そんな中、JRは京都駅近辺の山陰本線のイメージを革新しようと"嵯峨野線"という愛称を導入することとなった。それに伴い、映画村の最寄り駅として太秦駅に嵯峨野線の列車を止めようとする計画があがってきた。映画村は「撮影現場の環境保全」を理由に太秦駅に実際の列車を止めることを拒否していたが、3度にも及ぶJR社長の映画村訪問、2度にも渉る土下座、そして映画村側の「まずは我々の足を舐めろ。そして映画村の下僕として永遠の忠誠を誓え、話はそれからだ」というJR社長に対する屈辱的な要求を呑ませることで、太秦駅に嵯峨野線の列車を止めることを了承した。
これ以降、映画村とJR西日本との関係は以前よりも良好となり、当時の社長は現在でも時々映画村を訪れて親交を深め合っているという。また、当初は普通列車のみの停車であったが現在では一部の快速列車も停車、映画村の増収にも一役買っており、近辺に住宅などがあることも手伝って思いの他利用客は多く、1日4400人を数えている。
スッキリとした駅舎 何故か広々とした駅前 映画村

  嵯峨嵐山駅
西有数の観光名所嵐山、嵯峨野への玄関口。確か以前は嵯峨駅と呼び殆ど乗降客がなかったように思うが、近年は日曜日ともなれば観光客でごったがえす。隣接してトロッコ駅が存する。
現在、京都〜園部間複線化のため仮駅舎建設中で、現存の駅舎は隠れている。
隠れている駅舎 モダンな作りが懐かしい 駅前通り

  保津峡駅
津峡駅は相対式ホーム2面2線の無人駅。面白いことに自動券売機があり簡易型自動改札機が対応している。1日平均208人の利用客があると聞いて驚いた。大方がハイカーか。車で駅にたどりつくのはひと苦労がいりますぞ。
保津峡駅 保津峡駅改札口 川の上にあるホーム

  馬堀駅
線化とともに移転したらしく思い出は見つからない。宅地開発に伴う利用客増加に併せ、有人駅となり、現在ではみどりの窓口が設置されている。最寄りにトロッコ電車の終点、亀岡駅がある。
馬堀駅 駅前ロータリー

  亀岡駅
去の記憶があまりない駅だが、保津川下りの拠点であることは今も変わりはない。
京都〜綾部間では比較的大きな駅であったが、現在では京都や大阪のベッドタウンとして利用客は非常に多く、1日の乗降客は約1万人を数える。駅舎は橋上駅舎へと移行するため(平成20年完成予定)取り壊されていた。
駅前通り 旧亀岡駅舎

  並河駅
在の駅は北へ約120メートル移設されたもので、旧駅舎跡地は鉄道歴史公園として整備され、D51型ディーゼル機関車040号機と新幹線0系電車22形1003号の先頭車両運転台部が設置、展示されている。
並河駅 駅前ロータリー

  千代川駅
波大納言の生産地である千代川は、開業時からの駅舎を使用している。現在はこのあたりまで京都市へのベッドタウン化が進んでおり、1日の乗降客は2000人を超えるという。
木造駅舎 相対式2面2線ホーム 駅前広場