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脱ブーイングの心 〜極! サポーター道(6)

2008年8月5日

写真「サポーターはアミューズメントを作り出すパーツ」と話す山崎さん。スタジアム全体の雰囲気を確かめるため、試合中はわざわざ2階席に行くこともある

 サッカーにブーイングはつきものだ。情けないプレーを見せた選手や、勝てないチームへの「愛の鞭」ともいえる。しかし、川崎フロンターレのサポーターは、ブーイングをしないことで有名だ。さて、その真意とは?

 「選手が『畜生!』という顔をしている時に追い打ちをかけるのではなく、後押しするのがサポーターだと思うんです」

 フロンターレ応援団「川崎華族」代表、山崎真さん(28歳)は、サポーターとファンの立場に一線を画す。「ブーイングは、サービスに対して満足しない人の行為だと思う。劇場で『自分がこれだけお金を払っているのに、内容が不満だ』と唱えるようなもの。いわば、ファンの視点です。でも、サポーターは支援者。選手から一生懸命な態度が見える限り、ブーイングはやめたい。勝っても内容が悪かったら拍手しないという姿勢は、一生懸命に戦った選手の次のモチベーションにつながるでしょうか?」

 喜びも悔しさも、選手、クラブと共有する関係。それが山崎さんのサポーター道の底流を行く。「勝った時は喜びを満喫させてもらうのに、負けた時だけブーイングするのは、クラブを支える者としてずるいでしょう」。サポーターが常に「一緒に」という姿勢を続けることで、選手も負けた次の試合は、より全力で戦うようになる。クラブからも支援者として認められ、欠かせない存在として理解される。そんな三位一体の考え方だ。

 ホームスタジアム等々力陸上競技場がある川崎市中原区在住の会社員。もともと野球好きだったが、フロンターレがJリーグ準会員となり、JFLで戦っていた1997年に応援を始めた。この時期は、川崎を本拠にしていたヴェルディが東京移転をほのめかし(2001年に東京移転)、その一方で、新興のフロンターレは鉄道の駅などに「フロンターレは川崎市唯一のホームチームです」といった挑発的なポスターを貼って浸透を図っていた。

 川崎華族は2001年に結成。「ヴェルディもいなくなり、プロ野球の大洋もロッテも川崎から去った。自信を持って川崎をアピールできるシンボリックなものとして、フロンターレが『華』になるように」と命名した。

 10人くらいからスタートし、今も20人前後のグループ。「試合の90分だけを応援するのがサポーターではない」。チーム状態を見て必要な時は、練習日にグラウンドに行き、選手を鼓舞する。クラブと話し合って集客戦術を練り、街頭で応援を呼びかけることもある。

 「後押し」という点で印象的だったのは、昨年9月30日の甲府戦。アジア・チャンピオンズリーグ(ACL)との連戦を乗り切るため、選手の疲労を考慮した関塚隆監督は23日の柏戦でメンバーを8人入れ替えて0―4で敗れていた。これに対し、当時Jリーグ専務理事だった犬飼基昭・日本サッカー協会会長が「サポーターを裏切ったことへの説明を求めていく」と発言。あたかもフロンターレが二線級のメンバーを出し、Jリーグを軽視したかのように解釈し、責任を追及する姿勢を見せていた。

 川崎華族は、スタンドに「犬飼さん、我々は裏切られていません」という横断幕を張った。「腹が立ったのは、ピッチで戦う11人に失礼な発言だということ。犬飼さんは毎日練習を見て、二軍とか三軍とか、評価基準を持っているのか。俺たちは柏戦の11人がその時のベストメンバーだと思って応援していた。俺たちの大切な選手に失礼だと思った」と山崎さん。

 横断幕を見たJリーグのマッチコミッサリーは「はがすように」と要請してきたが、山崎さんたちは「誹謗中傷ではない。このメッセージを通じて選手を鼓舞している」と拒否。「君たちの言いたいことはよくわかった。お願いだから」というマッチコミッサリーの再要請を受け、ようやくはがすことに同意した。連戦に立ち向かうチーム事情を汲み取っているサポーターの思いを、機構側が誤って解釈したことに対し、強烈な意思を示すことは重要だった。

 ブーイングをしない川崎華族方式は、周囲へ強要はしなかったが、いつしかサポーター全体に浸透している。もちろん、ブーイング派のサポーターと意見を戦わせた経緯もあるし、今でも「極端すぎる」という意見をぶつけられることもある。でも、このサポーター道は間違っていないという確信がある。「フロンターレの選手はどんな時も、我々サポーターへの感謝のコメントを絶対に忘れないからです」(中小路徹)

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