Column of the History |
79.韓国は日本から独立したのではない!! ── 独立記念日「光復節」の真実(2000.10.7) |
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「光復節」(カンボッチョル) ── これは、「解放記念日」(日本の支配から解放された日)・「独立記念日」(日本から独立した日)とされている韓国の祝日(8月15日)です。昭和20(1945)年8月15日、日本の終戦に伴い、祖国・韓国は日本の植民地支配から「解放」され、そして「独立」したのだと言う訳です。しかし、この「光復節」とされる日 ── 8月15日は、実は「解放記念日」・「独立記念日」等では決してありません。と言う訳で、今回は「光復節」を通して、韓国の独立事情について触れてみたいと思います。
大韓民国(以下、「韓国」と略)。この項目(用語)を某歴史事典で調べてみると、
「1948年8月15日、アメリカの支援の下、南朝鮮に成立した国(後略)」と書かれています。日付は終戦と同じ「8月15日」です。しかし、これがそもそもの間違いなのです。韓国が独立(建国)した日は、昭和23(1948)年8月13日で、この日、首都・ソウルで、韓国樹立の宣布式が挙行されているのです。日付は「8月13日」です。つまり、「独立記念日」(建国記念日)は、8月15日では無く、正しくは8月13日と言う事になります。しかし、何故、独立記念日を2日も鯖(さば)をよんだのでしょうか? これは、早い話が、「終戦の日」と「独立記念日」を、同じ8月15日とする事で、韓国は終戦によって日本の植民地支配から独立したのだ、と言う事を強調したかったからなのです。では本当に、韓国は日本から独立したのでしょうか? 実は、韓国は日本から独立した訳では無かったのです。
昭和20年8月15日、日本の終戦に伴い、当時の朝鮮総督、阿部信行・陸軍大将と、朝鮮軍司令官、上月良夫・陸軍中将の二人が、朝鮮総督府から日章旗(日の丸)を下ろし、太極旗(現・韓国国旗)を掲揚させると共に、朝鮮建国準備委員会を結成させ、朝鮮に自治権を付与しました。つまり、終戦の日、朝鮮は「自治権」を獲得したのであって、決して日本から「独立」したのでは無いのです。しかし、その自治権も、同年9月8日、米軍が南朝鮮(後の韓国)に進駐してくると、解消されてしまいます。進駐してきた米軍は、ソウルの空にはためいていた太極旗を引きずり下ろし、再び日章旗を掲揚させたのです。つまり、アメリカは、朝鮮をあくまでも「日本の一部」として扱った訳で、その「日本の一部」である朝鮮が、やれ「自治権」だの、やれ「独立」等とは、以ての外と言う訳です。そして、進駐の翌日(9月9日)、連合国軍最高司令官 ダグラス=マッカーサーが、南朝鮮に対して、アメリカによる「軍政」を布告、ソウルの空には星条旗(アメリカ国旗)が翻(ひるがえ)る事となったのです。つまり、韓国の前身 ── 南朝鮮は、終戦の日、日本から「独立」する事無く、今度はアメリカによる「軍政」の下に置かれる事となった訳で、8月15日は、決して「祖国の解放」(独立)等では無いのです。
沖縄同様、アメリカの軍政下にあった南朝鮮が「独立」を達成したのは、終戦から3年後の昭和23年8月13日でした。つまり、韓国にとって本当の意味での「祖国の解放」(独立) ── 「光復節」は、8月13日だった訳です。しかし、この事実を韓国初代大統領・李承晩(イ・スンマン)等韓国指導部は歪曲してしまいました。本当はアメリカから独立したのにも関わらず、「我々は日本の敗戦によって、(日本の)植民地支配から解放された」と喧伝(けんでん)し、国民の愛国心を煽(あお)った訳です。「反日」で国民の結束を維持する。未だに日韓関係において「後遺症」を残す李承晩の「反日教育」の原点が、ここにあると言えます。そして、8月13日が本来の「独立記念日」であるにも関わらず、敢えて、8月15日を「光復節」としたのには、多分に「政治的配慮」が働いていたと言う事です。この点を踏まえた上で、「光復節」 ── 韓国の独立事情を捉えないと、日韓関係において日本は、とんでも無い勘違いをする事となるのです。