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アヘン王、巨利の足跡 新資料、旧日本軍の販売原案も(2/3ページ)

2008年8月16日15時3分

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写真極東国際軍事裁判の法廷にアヘン問題の証人として出廷した里見甫(中央)=46年9月4日

 中国側の資料は、愛知県立大学の倉橋正直教授(中国近現代史)が南京の中国第二歴史トウ案(トウは木へんに當)館で発見した。

 極秘印がある「中支阿片麻薬制度ニ関スル参考資料」と題する文書などで、この文書は38年10月1日付で軍特務部が作成していた。

 文書によると、蒋介石政権はアヘンの取り扱いを厳禁していたが、旧日本軍の特務部は中毒患者の救済を名目に許可制とする布告文案を作り、維新政府に示していた。

 文書は、浙江、江蘇、安徽の3省の占領地域で人口を2495万7千人とし、うち3%がアヘン中毒と推定。台湾や旧満州国の実績から、維新政府の税収を3173万元(当時の日本で2322万円、現在の物価で約111億円に相当)と見込んだ。

 当時、駆逐艦の建造予算が1隻676万円だった。

 付属する文書には、軍特務部から任務を引き継いだ日本政府の組織と維新政府が交わした覚書の内容も記され、アヘン収入の扱いについて、維新政府側と軍特務部の間で協議することなどが明記されている。

 倉橋教授は、資料について「表向きは中毒患者の救済を掲げながら、軍部が傀儡政権に膨大な利潤が上がるアヘンの流通制度を導入させた実態がうかがわれる」と話している。(永井靖二)

     ◇

 〈里見甫〉 中国の日本語新聞の記者などを経て、32年12月、旧満州国の首都新京(現・長春市)で「満州国通信社(国通)」を設立。日中戦争が始まると陸軍特務部の依頼でアヘン流通を支配したとされ、「アヘン王」の異名をとった。敗戦後は戦犯訴追を免れ、政治・経済の表舞台に現れることなく死去した。

◆秘密主義者の詳細示す資料

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