2008-08-16 トリアージ論争について
トリアージ論争ってまだ続いていたんだ。
よってたかって少数を攻撃しまくり。レッテル貼り、イヤミ、罵倒・・・・。
見ているこっちがクラクラしてきた。
タイマンで論争しあうなら、多少は過激な発言も華だとはおもうんだけど。
でもどう見ても集団リンチだよね?
ブクマで汚いヤジ飛ばしてる人たちは少しは遠慮したらどうかなあ?
大体おまえら、応援ブクマしすぎだっての。そんなに特定の人の文章が好きならば、「お気に入り」に入れれば?
注目のエントリーを利用するのは辞めようよ。
とりあえず、おまえらはちょっとブクマしすぎ↓
id:zu2 id:REV id:D_Amon id:K416 id:ohkami3 id:tokoroten999
さて、この論争。実りあるものかといえば・・・そうじゃないよなあ。
詭弁のガイドラインで15個ぐらいあったけど、この論争に参加している彼ら(※両方)の文章を細かく砕いていけば、
以下の項目に合致しまくりでなかなか笑える。
ブクマの文も酷いけど、ブログに書いてあるものをセンテンスごと分解してみれば、
・事実に対して仮定を持ち出す
・ごくまれな反例をとりあげる
・主観で決め付ける
・資料を示さず自論が支持されていると思わせる
・一見関係ありそうで関係ない話を始める
・知能障害を起こす
・自分の見解を述べずに人格批判をする
・レッテル貼りをする
・決着した話を経緯を無視して蒸し返す
・勝利宣言をする
・細かい部分のミスを指摘し相手を無知と認識させる
↑の項目に当てはまりそうなものがわんさか。
だれか赤ペン先生やってくれると面白いかもね。
ぶっちゃけ、福耳先生のあのエントリに対しては、全体主義的なものへの批判は当然サヨク側からでても良いし、
それを言う人の存在は貴重なものだ。
丁寧に指摘して、丁寧に受ければもうちょっと実りのある議論だったのにね。
あと、いちいち話を拡大する必要はありません。
大体、経営学で全体主義の行き着く先は、ホロコーストでもなければ、救助から漏れた被災者の死亡でもないんだよね。
せいぜい労働争議が起こるぐらい。
某hokusyu氏について一言。
俺の嫌いな「頭が悪い」タイプの人に、
「自分の知識を無理矢理に事例に当てはめ、自分の有利な結論にもっていく」というのがいる。
すっげえ単純化すると、以下のようになる。
よーし、○○の事件について何か書いちゃうぞ〜
(この事件について述べつつ、対抗言論を思いっきりDisっちまうぜ)
↓
○○については過去にあった◇◇と構造が似ている!
or
○○については聡明な哲学者のA氏が▲▲と指摘したことと同じである。
(どうだ。俺はこんな知識があるんだぜ。ふふん♪)
↓
だからこういう結論なのだ。
こういうことが分からない奴は、救いようのないバカだ!
・・・とまあこんな感じ。
なんか結構、毎回同じパターンなんで飽きてきた。
(細かいところで強烈なイヤミや罵倒を入れれば、それっぽい文章が書けますよ)
問題は、この真ん中の「〜と構造が似てる」というところ。
過去に起こったことは、構造が似ていても、現代の個々の事例にあてはめることが出来ないことが多い。
どんなに立派な哲学者が構造を語っても、それをきっちり当てはめて結論づけることはなかなかできない。
だから、hokusyu氏のエントリは、無茶な結論で集約することが非常に多い。
「〜という理由から、秋葉原の中央通りを「加藤智大通り」と改称することを提案します!」
「落書きは文化を破壊していない!」
「ニコニコ大会議はファシズムだ!」
etc
(たとえば、上の単純化された図式を視野に入れて読んでみよう→http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20080506)
まあ、要するにこじつけなんですよ。
俺はいつもニヤニヤ笑ってたんだけど。もし良かったら過去のエントリとか一通り見てみるといい。パターンが見えてくるから。
でも問題はそういう無茶な文脈に気づかず、hokusyu氏が自分の考えを補強してくれたかのように考えるイナゴちゃんたちなんだよね。
イデオロギーさえ似ていれば連帯しちゃうイナゴたち。
はてなは、カルト的な集会場だなといつも思う。
http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20080815/p1
http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20080812/p1
http://d.hatena.ne.jp/Sokalian/20080815/1218822748