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2008年8月15日 (金)

【猫哲学61】 猫進化論。

 チータというのは、かっこいい動物やね。

 細くて足が長くて、顔が小さい。顔つきも上品である。きっと、顎が
いかつくないからだろうな。

 なにもかも、うちのバカ猫とは大違いである。こいつときたらほんと
にもう、…あ、なんだか不愉快そうな顔をするじゃないか。悪口を書い
てることに気付いたのかな。妙なとこだけ勘のいいやつだな。いまさら
書き直したりする気はないぞ、寝てろよ。

 とにかくチータは美しい。しかも、なごんでいるときにはゴロゴロい
うんだよ。大型の猫族ではチータだけがゴロゴロいうのだそうだ。かわ
いいでしょ。足が速いうえに姿がよくて、性格までいい。文句のつけよ
うがない。まことに進化の極致である、などと進化論者ならばいうだろ
うか。

 私はいわないよ、そんなこと。進化論が駄論であることを知っている
からである。

 今回はダーウィンに喧嘩を売ってやるのだ。19世紀、20世紀を騙
してきた進化論というのがいかにアホであるか、猫哲学的に暴露してや
る。進化なんて言葉が好きな人は、これ以降を読まないでおくことをお
勧めします。

 では、なぜ進化論が駄論であるのか。チータの話を続けてみよう。

 チータは時速90キロで走る。これはアフリカの草原に住む生き物の
なかでは最速である。だから獲物を捕まえるのに、さほど苦労しない。
ほんとにとってもすばらしい。しかしその後が、けっこう笑えるという
のか、かなりかわいそうなの。

 まず獲物を捕まえても、息の根を止めるのに手間がかかる。早く走れ
るのとひきかえに頭蓋骨が軽くて小型なので、顎の力が弱い。獲物の首
筋にくらついても、相手はなかなか死んでくれない。そうこうするうち
に逃げられちゃったりすることもある。だから、なるべく小さな獲物を
狙うように心がけていらっしゃる。

 さて、めでたく獲物の息を止めたとする。安全なところに運んでいっ
て、さあお食事だー。子供をかかえている母親も多いから、おチビのと
ころに運んでやらないといけない。スリムな身体で、自分よりも大きな
インパラなんかをくわえてとことこ歩く姿は、なんともいえずいじらし
い。

 ところがところが、それをジャッカルが狙っているのよねえ。

 ジャッカルは足も短いし顔もでかい。そんなに早くも走れない。でも
大荷物をかかえてよたよた歩いているチータなら、簡単に追いつける。
そこでジャッカルはチータさんに凄んでみせるのだ。

ジャ:「おいこら、その獲物、こっちによこしやがれ」

チー:「やーよ。なんてことをいうのよ」

ジャ:「つべこべいわずにさっさとよこせ。痛い目にあいたいのかよ」

 チータとジャッカルが喧嘩をしたら、チータは勝てません。早く走る
ためにスリムで身軽になったぶん、腕力は弱いのだ。

チー:「いやーん」

ジャ:「へっへっへ、こいつはもらっていくぜ」

チー:「ああ、悲しい。あたしにもっと力があったなら…」

 力があったらね、こんどは早く走れないのよ、チータさん。気の毒だ
けど。

 イソップ物語ではない。今日もサバンナのどこかで繰り広げられてい
るありふれた情景だ。私はテレビで何度もその光景をみている。なんて
不自由なのチータさん。あなたも苦労が多いね。

 これっていったい、進化したの? それとも退化したの?

 このチータの例が、進化論が哲学的にはアホ論議であることを示す、
最もわかりやすい例なのだ。なんのこっちゃ、って? まあ、いずれわ
かってきますよ。もう少しおつきあいくださいな。

 進化とは何か。ダーウィンの進化論について一般的に思い込まれてい
るのは、「生物種がより有利な生存を求めて、複雑で高度なものに変異
していくこと」のような感じだろうな。※

(※ダーウィン自身は、一度も「進化」という言葉を使っていないらし
いので、これは現代で一般的な定説のことと思ってください。広辞苑に
もそう書いてあるし)。

 しかし、ここで哲学的に問いかけてみよう。

 複雑なことが、良いことなのか?
 高度なことが、良いことなのか?

 チータの例でわかることは、より早く走れるということは、必ずしも
有利にはならないということだ。早く走るために、別の有利な要素を捨
ててしまっていることに気付いていただきたい。

 ジャッカルなんて、さほど大きくもなければ早く走もれない、たいし
て特長のないやつなのに、腕力がちょっと強いというだけでチータより
も優位に立てるんだもんな。

 チータは、高度に変異することによって、かえって生きにくくなって
いるんじゃないの? げんにアフリカでは絶滅を危惧される種のひとつ
に数えられている。

 複雑なことは、いつも良いとはかぎらない。
 高度なことは、いつも良いとはかぎらない。

 生物界では、むしろシンプルで原始的なもののほうが生き残りやすい
んじゃないのかな。ゴキブリなんてのはその典型だ。では、チータより
もゴキやんのほうが優れた生物だというのか。あいつは、チータよりも
進化した生物なのか?

 なにがなんだかわからなくなってきたでしょ。

 別の例をあげよう。

 時計は、進化する。
 自動車も、進化する。

 時計にしても自動車にしても、より正確に、より高性能に、より便利
に、よりかっこよく、どんどん進化する。なぜそれが進化といえるのか
というと、それは人間が使うものだからだ。良いもの、優れたものとい
う判断は、人間がしていることなのだ。これを価値判断という。

 つまり、より価値の高いものに変化していくことを、「進化する」と
いっているわけなのだが、どこが、どんなふうに価値が高いのか、そこ
のところを決めるのは人間なのである。誰が価値判断をしているのかが
明瞭であるからこそ、AはBよりも価値が高いと認識可能なわけ。

 そして、もしもそのAが、Bが変化してできたものであったとき、A
はBよりも進化しているといっていいのだ。かなり理屈っぽいな。でも
進化という言葉を使う場合には、価値判断をする誰かが必要だというこ
とはおわかりいただけたと思う。

 価値判断をともなうからこそ「進化」という言葉が意味をもつ。価値
判断と無関係ならば、「変化」といえばいいのだ。たんに「違う」とい
うだけのことさ。このへんの違いが、わかるかにゃ? 

 つまりね、変異の果てにチータみたいにかえって生きにくくなってい
るのなら、それを「堕落」といってもべつにかまわないわけでしょ。な
らば、進化と堕落の違いをなにか説明できる? できるわけないよね。
いわゆる「進化論」というのは、「堕落論」といいかえても意味はまっ
たく同じじゃん。ならばそれを、たんに「変化」となぜいわないの?

 どうしてまあ、こんなバカなことになっているのかというと、価値判
断という認識のプロセスが無視されているからなわけよね。

 では時計や自動車なんかではなくて生物種の場合、その価値判断をい
ったい誰がやるの? 人間か? それってヘンじゃないか。だって生物
は人間の創ったものではないでしょ。

 地球は、人間がいなくなっても存在するかもしれない。いや当然、存
在するだろう。その地球には、生物だっているだろう。その生物が、よ
り高度だの複雑だの生存に有利だの、いったい誰が価値判断をするとい
うんだ? それとも、人間のいる地球では生物は「進化する」が、人間
がいなくなったら「進化しない」とでもいうつもりか。

 あっほー。

 ここまでが、進化論に対する猫哲学的批判である。これで議論は終止
符をうたれている。論理破綻は明瞭に示されたのだ。これでおしまい。
これ以上なにをいってもムダ。でも、納得しない人は多いだろうな。

 くどいけど、もう一度いうね。進化とは、価値判断を前提とする言葉
である。人間の作ったものは、人間による価値判断が可能だ。だが生物
は人間が創ったものではない。だから人間による価値判断はできない。
ゆえに進化論とは、空論である。

 ついでにいっとくと、神なら価値判断が可能だろうが、人間は神では
ない。

 誤解のないようにいっておくけど、私は生物種が変化しないといって
いるわけではない。ましてや創造論の信者でもない。生物の形がいまの
ようなものなったのには、それなりのメカニズムとプロセスがあったの
だろう。しかし、それは未知のものである。その未知のものを、まるで
わかったかのように語り、さらに愚かな価値判断まで味付けして喜んで
いるバカどもを、笑っているだけだ。

 ここまで、あまりにもシンプルすっきりと書いてしまったので、これ
だけでは理解できない方も多いと思う。ならば世間でいわれる進化論の
常識にそった形での批判をくわえてみようかと思ったのだが、よく考え
ると以前に『週間ウィトゲンシュタイン』でやってしまっていることを
思い出した。なので、ここではそれを全文引用しようと思う。かなり手
抜きであるな。でも、同じことは同じ文章でしか書けないのだ私は。ま
あええやんか、どうせタダやし。

 それでは、『週間ウィトゲンシュタイン』より、進化論批判編です。

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※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
※【(まだまだ週刊)ウィトゲンシュタイン】 Vol.6 ※
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今回はちょっと脇道にそれて、ウィトゲンシュタインから離れます。
とはいっても、出発点はウィトゲンシュタインそのもの。
まず、次の一行をみてください。

================================
※4・1122
※ダーウィンの理論は、自然科学の他の仮説以上に哲学との交渉がある
 とはいえない。
================================

 この文章は、前後関係不明に、不意に出てきます。ウィトゲンシュタ
インは、このことをよほど言っておきたかったんでしょう。訳文だと控
えめな印象ですけど、この意味は、

「ダーウィンの進化論なんて哲学的に見たらゴミじゃん」

ということなのです。

 もとよりダーウィン嫌いの私は、この一行を読んで、嬉しさのあまり
躍り上がりましたね。ああ、私と同じ考えの人がいる。なんちゅうまあ
心強いことじゃろか、ってね。

 で今回は、ウィトゲンシュタインの考察からちょいと離れて、ダーウ
ィン批判を展開しちゃいます。とはいっても面白いからまあ読んでね。
ウィトゲンシュタインがたった一行で言いたかったことの解説でもある
わけだし。

【ダーウィンを哲学的に批判すると、こうなる】

 まずダーウィンの学説の最重要ポイントを整理しておきましょう。

1:適者生存
  生物は、より適応した個体が生き残る。
2:突然変異
  ある種に生じた突然変異が、新種を生み出す要因になる。
3:環境斉一説
  環境の激変は変移の原動力ではない。地球環境の激変はなかった。

 ? と思うでしょ。ダーウィンの有名な著作は『種の起源』。なのに
種がどこから来たのか、その起源については何も語っていない。しかも
1、2、3の中のどこにも、進化という言葉は出て来ない。まことに嫌
らしい逃げ道を張り巡らせた理論なのです。

 まずはっきりと言えることは、「進化論」と高らかに言うのならば、
「進化とは何か」を定義しなければならない。ところが、これを未だに
明確に定義した生物学者はいません。

 例えば、猫とチータはどちらが進化しているのか、あるいはモンゴル
馬とサラブレッドはどちらが進化しているか。なるほど、違いは、あり
ます。でも、優劣などありませんね。では、バクテリアと朱鷺はどちら
が進化した生物か。ナンセンスな問いですね。両者は違うものです。比
較してもしょうがない。ただはっきりいえることは、バクテリアはこれ
から数億年後も確実に生き残っていることでしょう。朱鷺は絶滅したけ
ど。だから、バクテリアの方が進化した生物? (爆笑)

 さて、では猿と人間はどちらが進化しているのか。ここで人は間違い
やすい。「人間のほうが進化してるに決まっているでしょ」という人が
いる。そりゃあ、自分のほうが偉いと思いたいのもしゃあないけど、そ
の人は決定的に間違えている。科学的であるべき判断にいつのまにか、
自分は偉い、かわいいなどという主観を持ち込むからそういうことにな
る。哲学的には、猿も人間も一緒です。猿は、山に適応した霊長類。で
人間は、文化環境に適応した変な霊長類。違いはありますが、優劣など
ありません。

 客観的であるべき自然科学の考えに、いつのまにか好みや優劣といっ
た主観を忍び込ませたのがダーウィン理論。何で、世の中の人は、これ
は科学じゃないと気が付かないのだろう。

 ではこれから、先に並べたダーウィンの主張1、2、3を徹底的に馬
鹿にします。

1:適者生存

 ここでは、「適者」とは何かが問題になります。生存に適した者、と
解釈できますが、例えば特別デカイとか腕力があるとか、美人であると
か、早く走るとかいう個々の要素は問題になりません。強いやつだって
病気に弱かったりする。弱々しくてヘロヘロなやつが病気には強かった
りする。結果として生き残るのは誰なのか、予測することは絶対にでき
ません。目に見える差異は判断の材料にならないのです。で、現代生物
学が到達した「適者」の定義とは何か。それは、「より多くの子孫を残
した者」とされています。ふむ。

 では、続く「生存」とは何か。よりよく生きるという意味なんだろう
けど、これもまた、大金持ちになったとか、喧嘩で勝ち続けたとかとか
いうのは自然科学の対象になり得なくて、「生存」する、よりよく生る
とは、「より多くの子孫を残すこと」、ということにされています。

 つまり「適者生存」を平たく言うとこうなります。

「より多くの子孫を残すものが、より多くの子孫を残す」。(爆笑)

 こういうのをトートロジー(同義反復)といって、哲学的には何も言
ってない以上にお馬鹿なこととされています。

 次に行きましょう。

2:突然変異

 ダーウィン理論が生まれてほぼ150年。あらゆる生物種は安定した
ままで、どのような進化も起こりませんでした。その間、生物学者が何
人いたのかは知らないけど、彼らの目の前で起きた「進化」の実例を報
告をできればノーベル賞は絶対確実だったでしょうに、今に至るも、た
だのひとつも観察されてはいません。その間、さまざまな突然変異個体
が観察されはしましたが、すべて一代かぎりで死んでいきました。

 現代生物学の観察の成果で、突然変異体はほとんどの場合、生殖能力
を持たないことが知られています。また細胞は、突然変移したDNAを
正常なものに修復する能力をもっていることもわかっています。

 つまり、突然変異は、種の変異をもたらさない。ははは。

3:斉一説 はどうでしょう。

 ダーウィンとその取り巻きは、地球の環境はずっと一定で、安定して
いたと主張しました。環境の激変は、進化の要因ではないと。

 でも、地層や化石の記録から、過去の地球をとてつもない大激変が襲
ったことは、いまや常識です。これもただの迷信。

 ね、変でしょう。こんなオンボロな理論が今でも真理として教科書に
載っていて、批判すると変人だと思われるんです。世の中どうかしちま
ってるとしか思えない。科学文明だ21世紀だといわれる現代って、実
はとんでもない迷信を抱え込んでいるような気がします。アインシュタ
インとか、ビッグバンとか…。何だかねえ。

 最後に、なぜこんな進化論のようなクソ理論が支持されてきたのかだ
け書いておきます。

 あの時代は、ヨーロッパがアフリカ、アジア、南アメリカでひどい侵
略行為をしていた時期と重なっていました。だから、白人には便利な理
論だったのです。「我ら白人は、この土人たちに較べれば進化した種な
のだから、何をやっても許されるのだ」という、正当化のための屁理屈
として。だから白人は、今でも進化論を捨てられないのです。

 白人が有色人種に優越感を持つために支えられてきた空理論を、我々
有色人種が信じるなんて、とても醜悪なことです。きっぱりと捨てまし
ょう。お釈迦様によると、すべての動物の価値に優劣などありません。

 ちょっと長くなっちゃいましたねえ。ではまた。

□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

 以上が、この世に数冊しか存在しない幻の拙著『週間ウィトゲンシュ
タイン』からの引用である。

 では最後に、上の引用の終わりのほうにもあった、進化論の根元をな
す西洋人のバカな人種偏見を、もっとも端的に示す例をご紹介しよう。
これを読んだら、知識人たちの多くはひっくりかえるかもしれない。と
くに「進化」なんかにロマンを抱いていたあらゆる論者は、赤面のあま
り二度と人前に出られないかもよ。

 下に引用するのは、進化論のカリスマ的な論者であるティヤール・ド
・シャルダンの手紙からの抜粋である。初めてこれを読んだとき、私は
腰が抜けるほど笑い転げた。そしてその後で、寒気がしたね。

 この人物をご存知ない方にちょっと解説しておくが、ティヤール・ド
・シャルダンなる野郎は北京原人の発見者として有名な博物学者。同時
にイエズス会士にしてフリーメイソン、悪名高い異端神父で、あの有名
なピルトダウン人の捏造にもかかわったとされるいかがわしい坊主であ
る。社会進化論なんかの理論的支柱として小難しい論文をいっぱい書い
ていて、この人の文章をうれしそうに引用する日本人の学者もたくさん
いたりする。

 さあ、それでは、その20世紀初頭の大知識人の世迷い事を、大笑い
しながらお読みいただきたい。

□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

『世界を旅すればするほど、人々はこれほどの生物学的証拠を無視して
まで人種の平等を認めるという大きな間違いをしていると感じます』

『中国人は進化が止まってしまった原始人であり、わたしたち白人と比
較して、人類学的には劣等な本質を備えた未進化の犠牲者である可能性
について…ますます確信を持つようになりました』

『組織された社会にとって人間的にいくらそう希望していても、わたし
たちは人間の層が同質でないかもしれないことを忘れてはなりません。
そうでなければ、中国人にも黒人にも、生物学的不可能性によって白人
とは異なる、特別な役割を見つけてやらなければならないでしょう』

『土着民たちは増加したり、絶滅したりするでしょう。人はわたしが残
酷であるとか、カトリック的でないとか言うかもしれません。しかし、
真実はと言えば、進歩とは、与えられた時代を生き延びてしまった者た
ちがすべて滅びるように働きかけるものなのです』

『ヒンズー教徒たちはわたしをがっかりさせました。彼らを見ていると
進化の力が余り働いていないようです』

『インドは中国やマレー同様自治能力はないようです』

『ファシズムは未来にその腕を広げています…もしかすると、ファシズ
ムは明日の世界の設計図なのかもしれません』

『左翼の進歩主義者と布教学者たちに対抗して、わたしはムッソリーニ
と共に立ち上がります』

『平和とは征服のより進んだ過程でしかありません』

『個人的に、わたしはファシズムが反進歩主義的勢力をかばったりしな
ければ、その苛酷なやり方を許したくなります』

『進歩的民主主義者は基本的には本当に進歩的独裁者と変わりません』

『キリストは救い主です。しかし、キリストも進化によって救われたこ
とを付け加えなければなりません』

(1927年4月6日)
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

 このおっさんに、女子十二楽坊の美しくて芸術に秀でていて、純粋で
ひたむきでかっこいいねーちゃんたちを見せてやりたい。それほど見事
な中国人を目の前にして、この野郎自大な俗物はいったいなんというだ
ろうか。

 まあ、細部にいちいちつっこんだらきりがないのでやめておくけど、
この程度の人物が進化論の精神的支柱であったことは隠しようもない事
実なのである。

 それにしてもなあ…。「キリストも進化によって救われた」だって。
ぎゃは、ぎゃはは、ぎゃはははは(白鳥座まで…は…)

 ただひたすら、笑いましょう。でも、こんな駄論が21世紀の戦争の
思想的背景になっている事実を思って、ちょっと泣きましょうね。

 じゃあいったい、人間はどうやって誕生したのかって? そんなこと
あたしゃ知らないよ。なんの記録も残されていないし、証拠もない。い
つか発見されるかもしれないが、今はない。原人の化石骨なんて、あん
なのはぜんぶインチキだ。

 いろいろな仮説を主張するのは勝手にやればいい。しかし、それらは
あくまで仮説だ。それを真理のように語るから、しかも論理的にむちゃ
くちゃだから、私は「それは違うんじゃないの」といっているだけだ。
知らないものは知らない。わからないものはわからない。そんなものを
知っているかのように語ってはいけない。世の中、そういう連中が多す
ぎるのだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「あたしは、進化論なんか信じちゃいないわよ」

 いつもの超美女がそんなことをいうので、私はいささか自信がぐらつ
いた。こやつと同意見ということは、けっして正しさを証明するわけで
はない。むしろその反対であることが多い。

「だってあたしに、これ以上どうなれっていうのよ」

「やっぱりそうきたか」

「あたしの価値は無限よ。誰にもどうこういわせないわよ」

「あんたの場合はそうだろうよ。でもな、世間ってものは…」

「なんにもわかってないのね。女はみんなそうなのよ」

「およよ」

「進化論なんて、男の思いこみよ」

「うわあ」

「だから男ってバカなのよ」

 またもや反論不能である。かくして進化論は、彼女によって終止符を
うたれしまったのであった。ほへ。

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○ところで**せんせい、ティヤール・ド・シャルダンってフランス人
でしょ。フランスではどう評価されているんですか?

 大知識人? それともゴロツキ? 知りたいなあ。

[上の文章は、約3年前に書いたものです。]
[original from 【猫哲学HP】 http://nekotetu.com
[mail to:nekotetu@mbr.nifty.com]

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