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勝手に関西世界遺産

登録番号180 天王寺動物園「戦時中の動物園」展

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写真毒入りのエサを食べず、絞殺されたヒョウの剥製写真絞殺される前日のヒョウと原春治さんの写真=いずれも天王寺動物園で

 天王寺動物園で開かれている「戦時中の動物園」展は、一頭のヒョウとひとりの男の記念写真から始まる。ヒョウは跳び箱の上に前脚をきちんとそろえて座り、男はアフリカ探検に出かけるかのような帽子をかぶり、ヒョウの背後に寄り添い、腰にしっかりと手を回している。両者の信頼関係がひしひしと伝わってくる。

 撮影の翌日には、男が我が子同然に育ててきたヒョウを自らの手で殺さねばならなかったと聞かされなければ、これは、ある日の天王寺動物園で撮られた、和やかで、少々晴れがましい写真にしか見えない。なるほど、そういわれてみれば、飼育員原春治さんの表情は暗く、沈んでいる。帽子に白シャツ白ズボンは正装であり、まさしく明日に迫った別離の記念写真だったのである。

 写真は昭和18年9月12日に撮影された。天王寺動物園では、9月はじめから、いわゆる「猛獣処分」が行われていた。もしも空襲で檻(おり)が破壊され、市中に猛獣が逃げ出したらたいへんと、先手を打って殺害することを「処分」と称したのだった。東京の上野動物園が先鞭(せんべん)を切り、天王寺動物園が後につづいた。

 「処分」とは、当時も今も、殺害という現実から目をそらす言葉かもしれない。人間よりもはるかに強靱(きょうじん)な動物を殺すだけでも過酷な仕事なのに、もっとも身近に接し、愛情を注いできた飼育員自らが手を下すのは悲劇というほかない。採られた方法は薬殺だったが、原さんの流した涙を敏感に察したのか、写真に納まったヒョウだけは毒入りのエサに手を出さず、やむをえず絞殺するほかなかったという。こうして、天王寺動物園では10種26頭が殺された。

 飼育員は文字どおり「飼育」が使命であり、殺害はまったくの埒外(らちがい)である。戦争が終わったあとも、彼らが口を閉ざし、この出来事について多くを語ろうとしなかったのは無理もない。あの世に行ったらまず動物たちに謝りたいというのが原さんの口癖だったという。

 しかし、この悲劇は日本の動物園が歩んだ歴史のまぎれもないひとこまであり、忘れてしまいたい過去にも向き合うべきだと考えた天王寺動物園は、一昨年より「戦時中の動物園」という展覧会を開催してきた。

 この企てが、動物園の外部ではなく内部から起こったがゆえに、剥製(はくせい)となってこの世に姿を残した猛獣たちも浮かばれるというものだろう。

 今年はピューマ、トラ、ヒョウ、ライオン、ホッキョクグマが迎えてくれる。

(文・木下直之〈東大教授〉 写真・小笠原圭彦)


○過去見つめ平和望む

 天王寺動物園(大阪市天王寺区)の「戦時中の動物園」展は、06年に始まった。宮下実園長(58)は「戦後60年を過ぎ、戦争関連の催しが減りつつあった。そういう時だからこそ、動物園から戦争の悲しみを伝えようと、職員たちが考えた」と振り返る。

 その思いを来園者はしかと受け取ったのだろう。毎年8月の会期中に、連日3千人以上が会場の園内「レクチャールーム」を訪れている。

 当時の写真や新聞記事も豊富に紹介されているが、目を引くのは殺処分された猛獣たちの剥製だ。小首をかしげたライオン、大きく口を開けたヒョウ。企画担当の浦隆秀さん(57)が「どの動物も、普段世話をしている担当飼育員が手にかけた」と教えてくれた。自ら慈しんだ命を、自らの手で絶つ。想像するだに、胸が締めつけられる。

 会場の資料に、当時の飼育員の言葉があった。二度とこんなことは繰り返したくない。戦争はいやです――。

 自国の、異国の動物を間近に見ることができる動物園は、いわば平和な時代の象徴だ。そこでおきた過去の悲劇を見つめることは、未来の平和を望む思いにつながる。

 17日までの午前11時と午後1時半から、職員が説明する。見学は24日まで。動物園入場料(一般500円)が必要。月曜休園。問い合わせは、同園(06・6771・8401)へ。(松尾由紀)

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