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北京五輪第3日の10日、柔道会場に日の丸が揚がり、君が代が流れた。日本人金メダル第1号、内柴正人選手の表彰式だ。
中国人の観衆はどう反応するだろうか。一抹の不安を覚えながら、テレビの中継画面に見入った人もいたに違いない。観衆の多くは起立し、メダリストたちの健闘に拍手を送った。
だが、わずか4年前にはこんなこともあった。中国で開催されたサッカーのアジア杯。日本代表の試合では観衆の大半が相手チームの応援に回り、ブーイングが浴びせられた。中国との対戦となった決勝では、試合後、日本選手団のバスは群衆に囲まれた。
■生々しい傷跡の体験
3年前に中国各地で起きた激しい反日デモの嵐も、まだ記憶に新しい。
そんな嫌日感情がまたいつか噴き出すことはないのか。五輪で繰り広げられる熱戦を楽しみつつも、そんな不安がなかなかぬぐえない。
中国の人々の嫌日感情が戦争の記憶に根ざしているのは言うまでもない。
万里の長城に近い河北省張家口。都内で勤務する看護師の三瓶久美子さん(29)が青年海外協力隊員として派遣され、この街の病院で働き始めたのは3年前の冬だった。日中戦争時代、この街は戦略的要衝として日本軍に占領され、その支配は8年間に及んだ。
「日本人がここに何をしに来た」。自己紹介を終えるやいなや、病室のベッドに横たわっていた老人たちからあがった怒声を、三瓶さんは今でもはっきり覚えている。
「日本軍の兵隊がおれに何をしたか知っているか」。ある老人はそう言って右手と右足に残る刀傷を見せた。「日本兵は赤ん坊を刀で突き刺し、女たちに手を出したんだ」
いくつもの病室で、老人たちから向けられた怒りに満ちた視線。戦争のことを知識としては学んできたつもりだった。だが、その心の傷の深さは想像をはるかに超えるものだった。
それでも日々の仕事をしつつ、老人たちから当時の話を聞き続けた。次第に彼らの表情が和らいできた。2年後に帰国する際、老人たちが心底別れを惜しんでくれたように思えたという。
■抽象化する戦争の記憶
戦争についての直接の記憶を持つ世代は、どんどん減りつつある。代わって中国社会の中心を担うのは、彼らの子や孫、ひ孫である。そうした世代の嫌日とは何なのか。
3年前、東京大学と北京大学の学生が「京論壇」と名づけた討論フォーラムを立ち上げた。反日デモの激しさをまのあたりにした双方の学生たちが「日中関係をどうすればいいのか、本音で語り合おう」と呼びかけ合った。
「日本人はよく軍部の独走などといった逃げ口上を用いるが、われわれから見れば日本は日本、別物ではない」「戦前と戦後の日本の体制は連続しているのではないか」「日本企業は質の悪い製品を中国に輸出している」
過去2回の討論会で、中国人学生からこうした発言が出たという。昨年の討論に参加した山形宏之さん(25)は、中国側には思いこみや誤解も少なくないと痛感した。しかし、決して単純な嫌日一色ではないことを知ったのも大きな収穫だったと話す。
かつての軍国主義を恨むと話す学生が、戦後日本の経済発展に対する羨望(せん・ぼう)を語る。靖国神社について批判的な意見が多い中で、戦争で亡くなった肉親を思う遺族の感情には理解を示す学生もいた。
戦後世代、とりわけ若者たちにとって戦争の記憶とは、多くがメディアや教育などを通じてもたらされる。それだけに抽象的で、時として現実離れした理解をうんでしまう面も免れない。その時その時の政治的要請を反映しやすくもなる。
中国の5大学の学生を対象にした06年度の世論調査では、「日本を主導する政治思潮」を聞く質問に対し、53%が軍国主義と答えた。自由主義は18%、平和主義は9%しかなかった。
■若い世代の取り組み
日本社会の嫌中感情にも、似た側面があるのかもしれない。中国の現実よりも、思いこみや毒入りギョーザのような「事件」に影響されやすいのは事実だろう。大国化する中国への反感と閉塞(へい・そく)感から抜け出せない日本自身へのいら立ち。嫌中と嫌日は今の日中関係を映して、合わせ鏡のように共鳴しあっているのかもしれない。
互いの「嫌」感情を、どう乗り越えるか。今秋の「京論壇」第3回会合の準備に走り回る北京大学の張一さん(19)は「自分たちが学校で受けた教育や家庭での影響などをお互いがさらけ出し合ってはどうか。無理をして歩み寄るよりも、なぜ歩み寄れないのかを知ることが大事だと思う」と語る。
認識がどこでずれていくのかを探り、柔軟な心で双方の「違い」に向き合っていく。回り道のようだが、それが結局、信頼と友情を手にするための王道なのだろう。時代とともに、そうした違いの中身も急速に変化していくとなれば、なおさらだ。
中国と日本との間ではこれからもさまざまな摩擦があろう。だが、嫌日と嫌中がぶつかり合うのは不毛である。
終戦から63回目の夏。五輪が象徴する中国の台頭は、日中関係にも新たな発想を迫っている。若い世代の取り組みにそのひとつの芽を見る。