海上自衛隊の艦艇が掲げる旭日旗(自衛艦旗)をご存じだろ
うか。日の丸から16条の旭光が出ているデザインである。各
国の海軍軍艦は、それぞれの軍艦旗を掲げるが、「自衛艦」は
国際的には日本海軍の軍艦であり、自衛艦旗はその「軍艦旗」
にあたる。
軍艦は国土の延長とされ、軍艦旗を掲揚する艦艇に行き会っ
た民間船は自らの国旗を少し下げ、元の位置に戻す、という形
で敬礼をするのが国際慣行である。
実は自衛艦旗は戦前の日本海軍の軍艦旗そのままのデザイン
なのである。海軍が「海上自衛隊」、軍艦が「自衛艦」などと
戦後の言い換えが進められた中で、なぜそのシンボルである軍
艦旗のデザインがそのまま護られたのか。そこには軍艦旗を護
ろうとした人々の陰ながらの苦心があった。
昭和29年の自衛隊創設の際に、当時の反軍的世論を鑑みて、
軍艦旗のデザインも再考することとなり、米内穂豊画伯に図案
作成の依頼が持ち込まれた。
画伯は悩み抜いた末、結論に至る。
「軍艦旗は黄金分割による形状、日章の大きさ、位置光線
の配合など実に素晴らしいもので、これ以上の図案は考え
ようがない。それで、軍艦旗そのままの寸法で1枚書き上
げた。お気に召さなければご辞退致します。画家としての
良心が許しませんので」
“画伯の作品”は「創設する海自への影響」「国民感情」
などを焦点に庁議にかけられたが、保安庁長官は裁可した。
詰まる所、旗の持つ動かしがたいきらびやかさ、雄雄しさ、
芸術性は、敗戦で自信を失った関係者の心を揺さぶり、引
いてはならぬ一線=誇りの存在を気付かせたのではないか。
海軍魂の象徴・軍艦旗の消滅を惜しんだ海軍OBや芸術家、
官僚らが期せずして心を一にし、阿吽(あうん)の呼吸の
結果、軍艦旗を自衛艦旗として蘇生(そせい)させたので
はないか。
自衛艦旗を最終的に承認した吉田茂首相も「呼吸」を共
にした一人に違いない。説明を聞いた首相は、こう語って
いる。
「世界中でこの旗を知らぬ国はない。どこの海に在っても
日本の艦だと一目瞭然(りょうぜん)で誠に結構だ。海軍
の良い伝統を受け継ぎ、海国日本の守りをしっかりやって
もらいたい」[1]
こうして日本海軍の旭日旗は、そのまま海上自衛隊の自衛艦
旗として引き継がれた。吉田首相の「海軍の良い伝統を受け継
ぎ、海国日本の守りをしっかりやってもらいたい」とは、多く
の国民が共有する願いでもあろう。
上下反対の国旗
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