秋葉原は、移り変わりの激しい街だ。戦後の米軍払い下げ電機部品に始まり、ラジオ、アマチュア無線、オーディオ、パーソナルコンピュータ、そしてアニメ/フィギュアと、街の看板は掛け替えられ続けてきた。筆者が初めて秋葉原を訪れたのは、'70年代の前半で、アマチュア無線の街からオーディオの街へと変貌しようとしていた時期だった。当時、まだ地方に住んでいたので、首都圏在住の親戚に連れられて秋葉原に行った。田舎では見たことのない輸入物の真空管、ラックスや山水のトランスを、天賞堂の鉄道模型でも見るかのように、見つめた記憶がある。それはもう、見るだけでスゴイ経験だった。 数年後、大学入学と同時に上京した頃は、秋葉原は完全にオーディオの街に変貌していた。中央通り沿いの量販店は、すべてオーディオ専用フロアを設けていたし、年に1度のオーディオショウは、晴海の見本市会場(東京ビッグサイトの前身)すべてを使い切る規模で開かれていた。 だが、この頃、すでに次のパーソナルコンピュータの街への萌芽が現れている。NECのショウルーム兼サービスセンターである「Bit-INN」がラジオ会館に開設されたのは'76年のこと。PC-9801シリーズがベストセラーとなる10年近く前のできごとである。Bit-INNと同じラジオ会館の7階にあった富士音響が、フロッピーディスクのバラ売りをしていて、お世話になったのは'80年代の前半だっただろうか(もちろんフロッピーディスクが高価だったため1箱単位ではなかなか買えなかったからである)。 '80年代後半、PC-9801シリーズが圧倒的なシェアを築き、秋葉原もパソコンの街になっていく。ラジオ会館の4F以上(エスカレーターが届かないフロア、元は事務所が多かった)がほぼPC関連ショップで占められ、中央通りの量販店がこぞってPC-9801シリーズを販売した。 パソコンの街としての秋葉原が第2フェーズに突入したのはDOS/Vがリリースされ、PC-9801シリーズ一辺倒だった市場に変化が現れたときだ。PC/AT互換アーキテクチャのソフトウェアによる日本語化で、外資系のPCベンダの参入が促進され、さまざまな周辺機器が利用可能になった。ベンダ数、アイテム数とも激増し、小回りの利く小規模店にもビジネスチャンスが生まれた。その結果、中央通り沿いの量販店から、ビルの一角に構える専門店まで、多くの販売店が秋葉原に誕生することになる。 もちろん、こうした「ブーム」がいつまでも続くわけではない。商品の行き渡り、あるいは過当競争による利幅の極端な減少など、さまざまな理由で、徐々に下火になっていく。過去と同様、秋葉原の主役はPCからマンガ/アニメ/フィギュアに移行している。それを象徴するのが2001年のBit-INN閉鎖であった。おそらく今でも、PC関連販売店が全国で最も集中しているのは秋葉原だろうが、街の看板ではなくなっているように思われる。 かつてPCショップで占められていたラジオ会館も、今ではマンガ/アニメ/フィギュアの殿堂と化している。ラジオ会館は、オーディオ会館になり、PC-9801会館になり、PC会館を経て、アニメ会館になったわけだ。中央通り沿いに大型店舗を構えるアニメショップが増えているのに対し、かつての主役であった家電量販店には店を閉めてしまったところが少なくない。サトームセンの本店やLAOXザ・コンピュータ館は、今も空きビルとして骸をさらしている。
PCの街としての秋葉原がピークに達したのは、おそらく'95年〜'98年にかけてではなかったかと思われる。この頃はPC雑誌に「今月のグラフィックスチップ」あるいは「今月のチップセット」という企画が成立しそうなほど、新製品ラッシュが続いていた。しかし、この頃すでにPCゲームに関連した動きとして、同人誌や同人ゲームを扱う販売店が現れていたと記憶する。 多くの場合、こうした「次の波」は、賃料の安いビルの一角でスタートする。Bit-INNがエスカレーターの届かないラジオ会館の7Fでスタートしたように、同人誌等の販売も裏通りの小さなビルの2階や3階からスタートした。その時々のブームを反映し、移ろいゆく街「アキバ」を支えているのは、おそらくこうした賃料の安い、小規模な販売スペースの存在だ。これがアキバの「次の波」を生む孵卵器となっている。 ●高層オフィスビルによる地価/賃料の高騰 かつての主役であったPC関連の買い物を目的とする人にとって、今の秋葉原はあまり居心地の良い場所ではないかもしれない。だが、街の看板が掛け換えられるのは、秋葉原の宿命でもある。マンガ/アニメ/フィギュアはそれまでの電気製品ではない点で異質ではあるものの、裏通りからスタートし、中央通りへ進出を果たし、街の主役になったという点では、従来のアキバDNAを継承している。少なくとも、アキバを壊してしまう存在ではないと思う。現在の秋葉原で最も危険な存在は、UDXやダイビルといった、新築の高層オフィスビルだろう。 もともと秋葉原は東京駅から2駅と都心に近く、山手線、京浜東北線、総武線が利用可能なほか、地下鉄が利用できる利便性の高い街だ(現在はつくばエクスプレスも利用できる)。にもかかわらず、秋葉原は'80年代後半の土地バブルの際にも、地上げによる再開発がほとんど行なわれなかった。おそらく古くからの家電量販店のいくつかが秋葉原の大地主で、簡単に動かなかったからではないかと筆者は想像しているが、正確なことは知らない。とにかくバブル期においても、秋葉原の小さくて古いビルは維持されたのである。 土地の価格というのは、近所で売買が行なわれなければ、本当の意味での実勢価格は分からない。売買が成立して初めて、そのエリアの相場がハッキリする。バブル期に地上げをまのがれたことで、秋葉原の地価は高騰せず、固定資産税も低い水準に据え置かれていたのではないだろうか。これが賃料の安い物件を生かしてきた。 UDXやダイビルのあるあたりは、もともとは東京都の青果市場があった場所だった。青果市場が大田区へ移転して、その跡地が再開発の対象となったわけだ。再開発地区に建てられた高層ビルは、いずれも近代的なオフィスビルで、フロッピーディスクを1枚売りするようなショップは逆立ちしても入れそうにない。 問題は、こうした再開発が行なわれることで、秋葉原の地価が急騰することだ。地価が上昇すると、その地価に見合った商売をしなければならなくなる。かつてのように、裏通りのビルの一角からスタートし、というシナリオが成立できなってしまう。秋葉原の立地条件を考えると、オフィスビルというのは相当に有力なビジネスに違いない。 すでに旧日通ビル(日通と三菱銀行が入っていたビル)の跡地は、オフィスビルになることが決まっている。サトームセンの本店は、単独ではオフィスビルとしては手狭なように思うが、ザ・コンピュータ館の広さがあれば、オフィスビルに転用することも可能だろう。中央通り沿いやその周辺にオフィスビルが並ぶようになってしまえば、アキバのエコシステムは失われかねない。果たして3年後、5年後も秋葉原は「アキバ」であり続けていられるのだろうか。それともオフィスビル街への変身も、また秋葉原の避けられない変貌なのだろうか。
□関連記事 (2008年8月12日) [Reported by 元麻布春男]
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