2008.08.11

《新装版》ファイト! 闘う君の唄を闘わないヤツらが笑うだろう…

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力なき正義は無能なり…大山倍達が教えてくれた。





ファイト! 闘う君の唄を闘わない奴らが笑うだろう…


ファイト! 闘う君の唄を闘わない奴らが笑うだろう
ファイト! 冷たい水のなかを震えながら昇ってゆけ

暗い水の流れに打たれながら魚たち昇ってゆく
光っているのは傷ついて剥がれかけた鱗が揺れるから
いっそ水の流れに身を任せ流れ落ちてしまえば楽なのにね
痩せこけてそんなに痩せこけて魚たち昇ってゆく
勝つか負けるかそれは分からない
それでもとにかく闘いの出場通知を抱きしめてアイツは海になりました

ファイト! 闘う君の唄を闘わない奴らが笑うだろう
ファイト! 冷たい水のなかを震えながら昇ってゆけ

あの魚たちの群れキラキラと海のなかの国境を越えていく
諦めという名の鎖を身を捩って解いていく…



中島みゆきと吉田拓郎の合作、「ファイト!」という唄の歌詞である。
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この唄を聴いて私は幾度、涙を流したか分からない。実際の歌詞はもっと長い。悔しい、辛い、悲しい少年や少女の思いが、それぞれのシチュエーションで綴られている。私も歌詞に出てくる彼らのなかの1人だった…。
悔しいから反抗した。
辛いから泣いた。
悲しいから闘った。
闘うということがどういう意味か?私は自らの体験から学んだのだ。本来なら、そんなもの学ぶ必要はない。否、学びたくもないことだ。しかし、生き抜くためには闘うしかなかった。
そんな私を過去、多くの人間たちが嘲笑ってきた。
「ヤクザの息子が、チョーセンに何が出来るよ! 悔しかったら一人前に学校出て人並み以上に稼いでみな。どうせチンピラになるのがせいぜいだよ」
「チビが、かかってこいよ、ほーらチビの癖に生意気に! 柔道だろうがプロレスだろうがやってこいよ。いつでもフクロにしてやるわ」
「口だけ達者でとうとう逃げ出した。アイツはそうやっていつも調子いいこといって都合が悪くなると逃げ出すんだよ」
「ペンは暴力にもなる。けどオマエのペンなんか簡単に折ってやる。ペンでさえ握れないようにしてやるよ。生意気いうのは100年早いんだよ」


いまでも私を嘲笑うヤツらは絶えない。
だが、昔と違っているのは、誰も直接私の前で笑わないし、愚弄もしないということだ。笑うヤツらはいつも姿を隠し、必死になって見えないところから引きつったように笑うだけである。
そういうのを世間では「弱犬の遠吠え」と呼ぶ。
私は逃げも隠れもしない。
東京豊島区池袋のMugenが私の本陣だ。私を笑いたければ、悪口叩きたいならば、ケンカを売りたいならばMugenにくればいい。

「ファイト!」は真実を歌っている。
闘う人間の姿を、闘えない弱虫が笑うのだ。心のなかは歪んだ劣等感に溢れている。捻れたプライドにしがみつくことしか出来ない人間が、自身の惨めさを隠 そうと無我夢中に、闘う人間を笑うのだ。それも想像を絶するほど陰湿に、そして陰険に…。
しかし、闘う人間にとってはそんなもの痛くも痒くもない。なにせ弱犬の遠吠えだ。逆に、弱犬は闘う者から嘲笑を浴びることを知っているから、自らの卑屈 さを知っているから、尚更ヤツらはムキになって闘う者を笑う。
私は差別と偏見と蔑視の視線を大人たちから浴びながら、今日まで闘い続けてきた。それだけは胸を張って断言出来る。


不良、少年犯罪者というレッテルを貼られた私は、T県トップの進学校に進み早稲田大学に入った。誰か悔しかったら早稲田大学に入ってみたらええ! 死ぬ気で受験勉強してみいや。ただのう、三瓶啓二や東孝が通った「夜学」は早稲田とはいわんよ。夜学は早稲田の盲腸じゃけえ、近々廃学が決定しとるんよ、念のため。
柔道も中途半端、極真空手は末席の末席のまた片隅を汚しただけの男に過ぎません。でも、私を弱者呼ばわりしてバカにするならば、とりあえず極真会館(松井派か極真館)の黒帯を取ってから吠えろや! いつでも待ってますけえ。
編集者だ、物書きといってもまだまだ出版界では「ハキダメのような格闘技界の業界人」としか見なされていない半端者です。物書きとしてさえ認められていない未熟者です。けど、そんな私を笑うならば1冊でもいいから本を出版してからいえや。それも山田英司や家高康彦のように初版3000部なんちゅうのはメディア、マスコミとはいわんけえ。それはミニコミというんじゃ。小島は1回の増刷だけでもそれ以上を刷りますけん。
Mugen、Mugenといってもちっちゃなカスのような会社です。スタッフもせいぜい10人程度に過ぎません。デカい会社が本気になって潰そうと思えば簡単に跡形もなく消えてしまいそうな編集制作会社です。でも、誰もそれは出来ません。私たちは絶対に「筋」だけは通します。道理を無視して筋を違える相手には、刺し違えても引きません。
私の家は昔から貧乏でした。親父は博徒ですから、銭の出入りは大きかったですが、家には殆ど残らなかったです。何もかも母親が汗水流して働いて、世間から貧乏人と笑われながら昼も夜も働いて私を食べさせ、学校にいかせてくれました。
でも、いまの私を、私の親を貧乏と笑う人間はいないはずです。私は精一杯働いています。私を揶揄するならば年収2000万円取ってからいってくれんさい。
貧乏人に貧乏と笑われるいわれはありませんけえ。


私が最も嫌う、そして軽蔑する人間は、偽善者、口先だけの綺麗事を並べ立てるヤツ、そして「悪」に対して正面から闘えない臆病者、こういうヤツらだ。
芦原英幸は私にいった。しつこいように繰り返した。福昌堂を辞めて独立する際のことだ。
「ヤクザと呼ばれてもいいけん、絶対他人にナメなれたらいけん」
「他人に笑われるならば怖がられる方がずっとマシや。嫌われてもいいけん、笑われたりナメられたら許しちゃいけん。徹底的に再起不能になるまで潰すん
や。徹底的にや!」
男なら闘わなくてはいけん!


たとえるならば盧山初雄も真の闘いを知っている「漢」だった。
1995年4月。極真会館は分裂し、三瓶啓二を筆頭に緑健児、増田章、三好一男、柳渡聖人ら10名を優に超える極真空手の猛者連中が総本部のロックアウトを企てた。しかし盧山はたった1人で彼らの前に立ちふさがった。
「やるなら全員かかってこい。その代わり命の保障はしない。俺の首を取るつもりでかかってこい。空手じゃない、ケンカだ!」
盧山の烈火の瞳の前に三瓶は女々しく俯き、全員足をブルブルと震わせながら黙して去った。
これは実話である。

松井章圭は…。
この14年間、ある意味で独りで闘い続けてきた。クーデターの際は過半数どころか40名を超える支部長が松井を否定した。しかし松井は一歩も退くことな
く正々堂々と闘い続けてきた。
私は断言する。
たとえ敵が100人並び、銃やダンビラを構えていても、つまり自分が死ぬことが分かっていても松井章圭ならば絶対、闘いに挑むに違いない。1人でも2人でも確実に道連れにして闘いながら死ぬことを選ぶだろう。
何故なら、松井もまた自らの尊厳のために、闘うことの大切さを知り、実際に闘い続けてきた人間だからだ。


ファイト! 闘う君の唄を闘わない奴らが笑うだろう
ファイト! 冷たい水のなかを震えながら昇ってゆけ



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某会(一撃会)の稽古会は参加自由です。



(了)

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