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【萬物相】金剛組1400年

 日本大阪では11月3日、「四天王寺ワッソ」という祭りが開かれる。

 日本の古代国家の基礎を築き上げた聖徳太子は先進文明をたずさえて渡来した百済の使節を迎えている。その様子を再現したのが仮装行列であるこの祭り。

 およそ4000人の参加者が大阪市内を練り歩く。四天王寺に至るまでの道路沿いには40万人あまりの人波が押し寄せ、皆が口々に「ワッショイ!ワッショイ!」と叫ぶ。「ワッショイ」はハングルの「ワッソ(来た)」から来た言葉だという。

 祭りのメイン舞台となる四天王寺は、聖徳太子が593年、百済の技術者、柳重光(ユ・ジュングァン)を招いて建てた日本最古の寺院。

 寺院が完工された後、「今後、あなたの家系は子孫代々にわたって四天王寺を補修し、管理する役目を担いなさい」という聖徳太子の命を受け、柳重光は故郷に帰らず、その子孫らは寺の建築を家業として引き継ぐようになる。

 1400年で40代を継いできた大阪の建築会社「金剛組」はこのようにして誕生した。

 日本には100年以上の歴史を誇る店や企業が1万5000個あまりになる。石川県の法師旅館や京菓子を代表する「虎屋黒川」は1300年、京都の平井常榮堂薬房は1000年の歴史を誇る。このような老鋪の中でも断然古いのが金剛組だ。

 ヨーロッパ最古の企業とされるフランスのワインメーカー「Chateau de Goulaine」よりも400年古い。韓国では、京城(キョンソン)紡織、三養(サムヤン)、柳韓洋行(ユヘンヤンヘン)などがわずか80年の歴史を有しているに過ぎない。

 金剛組を1400年間、支えてきたのは「基本に充実に」という言葉。1995年、阪神・淡路大震災の時、金剛組が建てた寺院「戒光院」も被害を被った。

 垣根が30メートルにわたって崩れたほか、寺の裏手の墓地の石塔もすべて倒れたが、大雄殿だけは無事だった。垂木の一部に被害が生じたものの、それも1年で元の姿に復元された。

 金剛組は建築の際、天井や床下といった見えない所に投資する。そんなことから、日本では「金剛組が揺れれば、日本列島が揺れる」という言葉まである程だ。

 金剛組が来年1月、倒産するという。1980年代のバブル経済時に買い付けた土地の値段が暴落し、借金に耐えられなくなったためだ。

 金剛組は、1930年代の日中戦争当時もすべての工事がストップしたため、倒産の危機に追い込まれている。これに、37代金剛治一社長は先祖に顔向けできないとし、切腹している。

 哀れに思った四天王寺の住職は、室町台風で崩れた五重の塔の復元工事を依頼、再び息を吹き返した。古代の韓日交流を象徴する金剛組も、今回だけは厳しそうだ。

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
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