「硬派」総合月刊誌『論座』が休刊する。「インターネットに押された」と編集部からお断りが届いた。ウェブジャーナリズムの隆昌に反比例して印刷媒体は部数を減らしている。部数が減れば広告収入も落ちる。コスト切り下げで商品品質も…と悪循環に陥るのだろう。筆者も幾度かルポを寄稿し、原稿料を頂戴していたが、惜しい。
「9月1日発売号をもって『論座』を休刊します」。同誌編集長名の手紙が拙宅に届いた。『論座』とは朝日新聞社が発行する月刊誌だ。政治・経済から思想、世相まで幅広くカバーしていた“硬め”の総合誌だった。国際情勢分析で定評のある米外交問題評議会の『Foreign Affairs』の翻訳版を掲載していることもセールスポイントだった。
月刊誌は週刊誌と違って読み応えのある情報を提供してくれるのだが……
『論座』編集部は休刊の理由を「インターネットの普及に押されるなか、従来の総合誌は一定の役割を終えた」としている。
教養派で鳴る有力書店が同様の硬めの月刊誌を発行しているが、編集者が学者さんのようなことを言ってくるので、筆者のような現場主義の人間には肌が合わなかった。だが『論座』の編集者はベテランの新聞記者で、現場を数多く踏んでいる。問い合わせに対してもライターの側は「ツボ」を答えるだけで事足りた。筆者も幾度か気持ち良くルポを寄稿し、原稿料を頂戴した。
日本雑誌協会のまとめによると、『論座』の発行部数は2万部あまり。総合誌の王者『文藝春秋』(80万部)の20分の1だ。朝日新聞の天敵とも言える産経新聞の『正論』でさえ4倍の8万部である。読売の軍門に降った『中央公論』も倍の4万部を発行している。
『論座』に限らずインターネットの普及で印刷媒体は、発行部数を大きく減らしている。週刊誌の落ち込みはさらにひどい。全盛時代の半分にまで減らしている有名週刊誌も珍しくない。
売れなくなれば広告収入が減る→コストを減らさざるを得なくなる→ジャーナリスト(ライター)の原稿料、取材費を削る→代わりに学者や評論家の講釈で埋める→面白くないから売れない→広告収入はさらに減る……。負の法則である。
ある有名月刊誌の編集者は「ルポがないから売れない。売れないからコストのかかるルポが減る。さらに売れなくなる。悪循環だ」と言い切っていた。情報性の少ない評論や堅苦しい学者の論文に金を払う消費者(読者)は少ない、ということだ。
少なくとも1990年代中頃までは、日本国内だけでなく海外取材の現地ルポが週刊誌や月刊誌の誌面を飾っていたのを思い出す。お気に入りの雑誌の発売日が待ち遠しくてたまらなかった。
インターネットがオフィスや家庭にほぼ定着したのが90年代後半だった。印刷媒体がインターネットに押されて衰退したという分析は時系列上では正しい。
インターネットの普及で情報の回転速度は速くなっている。「居酒屋タクシー」はメディア上で見かけなくなった。「大分県の教員採用汚職」も秋風が吹く頃には忘れられてしまうだろう。
「人の噂も75日」と昔から言われてきたが、今では「15日」持てばマシな方だ。月刊誌の編集は、1ヵ月先を見越して記事のラインアップを決めるのだが、今後ますます難しい作業となるだろう。時宜を得られなくなるのだから。月刊誌の将来を悲観するのは筆者だけだろうか。