『闇の子供たち』 阪本順治監督インタビュー
- 『闇の子供たち』監督
阪本順治
- 8月2日から公開される『闇の子供たち』。タイのアンダーグラウンドで起きている幼児売買春、人身売買…子供たちを脅かす、目を背けたくなるような現状を、江口洋介演じるタイ在住の新聞記者が追っていく―。「血と骨」などで知られる梁石日の原作をもとに、この映画を手がけた阪本順治監督にお話をお伺いした。
こうした題材を劇映画で描いたのは?
―衝撃的な題材ですが、物語に引き込まれて、最後まで一気に観られる。こういった題材を、こういう形にするには、いろいろと葛藤があったのでは?
「掲げるテーマや映画を作る志がいくら高くても、劇映画として2時間18分見せ切れる力がないと、テーマだけで終わってしまう。衝撃だけで、何ものこらない作品になってしまうと思うんです。こういった題材が劇映画の形になることで、観る人を少し冷静にさせる部分があるんじゃないかと思うし、そうしないと逆に、題材のもつ重たさが、自分とはまったく無関係のことのように受け止められてしまうんじゃないかという危惧があったんですね」
―劇映画の形にされることについては?
「映画は作品であって商品でもある。その縛りから抜けることはできないと思っています。ある種の商品性をもって売っていかないと、もともと問題意識を持っている人しか観にこないですからね。作品と商品のバランスをとる時は、できれば危ういバランスの方がいいんです、作品としても商品としても両方が掛け算になるような。それを念頭におきながら、事実をある衝撃として見せつつ、劇映画としてのクオリティも求められるわけですよね」
主人公・南部に寄せる思い
―江口洋介さん演じる主人公・南部のラストシーン、衝撃的ですね。あんな風に終わると思いませんでした。
「主人公の結末は、原作とは違うんですね。物語を組み立てていく際に、まず最初に、あの結末を見つけたんです。あそこに向かって主人公を描いていくというプロセスになりました。主人公のあり方って、どの映画もそうなんですけれど、監督本人に跳ね返ってきて問われるわけですね。自分を半身、投影していたり。そういう意味では、僕は彼とは違う人間ですけれども、それは一生自分に問い続けなければいけないことだと思うんです。映画で描かれている問題に対して、無知・無力であったにも関わらず、この映画を監督として責任もって作るというのは、自分を安全な場所においたままでは作れないということ。だから、この映画はタイを舞台に描いていますが、日本人に返ってくる、自分に返ってくるようなラストを作らなければいけないということが先にありました」。
―かなり、あやうい人物像ですよね。
「その辺が一番、原作と変えさせてもらったところですね。映画にもありますが、南部が最後の方でこの問題に対してどう行動するのか、それを原作で読んだ時、それまでジャーナリストとして臓器売買を追いかけきた新聞記者が、最後にこの台詞かって思ったんです。逃げ口上、日和見主義じゃないですか。それを突き詰めたんですけれどもね」
―ひとりの男性として、南部への思い入れは?
「タイのこうした問題について調べて、日本人がたくさん買っていたりするのを知ると、自虐的にならざるを得なかったですね。こんな日本人も買いに行っているっていう状況だけではなくて、ああいうラストにすることで、それは物語を断ち切ることになるかもしれないけれど、そのショックがないと、日本人の映画クルーがタイに行って作るって意味もないと思ったんですよね」
いまの日本を撮るということ
―ところで、妻夫木さんが演じている与田は、“目を見て人と話せない”っていう人ですよね。あの人物像は、いまの日本を反映しているんでしょうか?
「与田は、あまり世の中と関わらないまま生きている、若い子たちの代表選手です。理想は高いんだけど、何もアクションは起こさない。そういうところの代表というか」
―阪本監督のこれまでの作品を見ると、『クラブ進駐軍』や『KT』、『亡国のイージス』、そして今回の作品もそうですが、日本のことを正面から描いていなくても、そのカウンターとして日本のことをすごく考えさせられますよね。
「映画は人を描くもの。でも、舞台を海外、あるいは絡む人が外国人になった時に、人を描くというよりも、日本人を描くっていうことになってくるじゃないですか。日本人のものの考え方と外国の人のものの考え方がぶつかったり、調和したり。そこを描かないと意味がない。そういうことを描くことを1回経験すると、また描いてみたいなって思うんですよ。かといって、個人の人間を丁寧に描くことを視野の狭いことだと思ってやっているわけではないんですよ。『魂萌え!』も、やってみたいことでしたし。あれはあれで僕にとって闇ですよ。59歳の主婦なんてわからない(笑)。僕がまったく知ろうとしなかった人たちの話だから。たまにそういうテーマの話が来たり、自分で思いついたりして、自分って何だろうって思った時に、日本人って何だろうっていうことにつながって考えることもありますからね、世の中を見ているとね。風呂敷を広げたくなることもあるんです。その時に風呂敷を広げている自分が問われるわけですよね」
―いまの日本でっことですよね?
「うん。日本っていうより、いまかもしれないですよね。いま何が起こっているかっていう。秋葉原の事件にしても、ひとりの人間が起こしたことでもあるけれど、日本でいまなぜああいう事件が起きたかということまで考えると、いつか映画で撮らなければいけないことなのかなと思うんですよね。自分がやるかどうかは別としてね。それは、今なんですよ。2008年に作りましたっていうのは、とっても大事なことなんだと思うんです。その時代で、日々のものの考え方は、根っこにある生理は変わらなくても、何か自分は多分、ブレているはずだから、何かを見聞きするたびに。そういう自分がその瞬間に作ったものというのは、とても大事だと思うんですよね。映画が時代を背負っているとまでは言わないけれど、その時代にその映画が生まれた意味っていうのは何かあるんだろうなと。10年、20年と年月が経って20年前の作品として観られた時に、今よりはもっと自由に見られると思うんですよ。でも、いま作ったものをいま提供する、今ということがとても大事で、今でしか撮れないことはあると思うんです」
映画にして見せること
―そういうことを映画にしてみせることで、多くの人と共有できる、改めて考えることができるってことなんでしょうか?
「うーん、あんまり他人と共有したいっていう思いは…先にはないんですよ。僕自身が放っておけば、すぐに閉じていく人間なので。人とコミュニケーションとりたいなんて思わないですからね。淋しいですねえ(笑)。人に勇気と元気を伝えたいってきもちは、まったくないです。俺が勇気と元気がほしい(笑)」
―(笑)阪本監督の作品から感じるのは、まったく逆の熱さですけれど。がっちり人にぶつかっていくような。
「たぶん、思春期から変わっていないんですよね。阪本が選んだのは、映画監督っていう職業なんですけど、阪本くんは何も変わっていない(笑)。10代の、当時の友だちを拒絶していた頃と。『顔』で藤山直美が演じた役は僕ですから。「友だちっておらなあかんの?」って言うでしょう(笑)」
―(笑)あれは監督の分身なんだろうなぁって思って見ていました。
「いや、分身じゃなくて、全身ですよ(笑)。反対に、『どついたるねん』の赤井英和にやってもらったキャラクターは、僕の理想ですよね。唯我独尊、人を巻き込んでも愛される、みたいな」
―そうなんですか!では、今回の南部は?ジャーナリストとしても、ひとりの人間としても、彼はすごく迷いを抱えた人に見えます。
「南部が他人と関わっている時には、本来の姿も出ているんだろうけれど、ひとりでいる時に彼が何を考えているのか、何に悶々としているのか、鏡の中に何を見ているか、ということにおいては、非常に自分と似ているというか…俺、たまに鏡みて「大丈夫」って声に出して言いますから(笑)」
―(笑)自分のことって、自分が一番わからないところがありませんか?
「いや、わからないと、もの作っちゃいけないんですよ。ひどい自分を見つけないと、ものは作れないです」
―日々、向かい合っている?
「いや、向かい合うと、疲れるから、酒を飲むんです。酒飲んで、「オレって結構ええヤツかもしれないな〜」って思うんだけど、醒めるとひどい(笑)。いま俺、部屋の壁には「楽しく生きよ」って書いて貼ってあります(笑)」
―(笑)阪本監督のこれまでの作品を見ると、誰かが描かなければいけないのかもしれないですけれど、『KT』や『亡国のイージス』、そして今回の作品もそうですが、わりときわどい題材が多いですよね?たまたまなのかもしれないですけれど。
「あんまり自分を好きになれないからでしょうねえ。自分を安全な場所に置けないっていうか。そういうものをやっていかなきゃいけないと思っているのかもしれないですよ。自分を安全な場所において、ものづくりをするっていうのは、やっちゃいけないと思っているんですかね。続けることは、きついですけれどもね。そうやった時に、作業としてはしんどいんだけど、なんか立ち直れる感じがするんですよ。何かしら危ういものに触った時にね。こなそうとしている自分にホっとするというか」
―そういのって、10代の頃の苛立ちを持ち続けているような感覚ですか?
「あの頃は苛立っても人のせいにしている時間の方が長かったと思いますよね。世間のせいにするとか。それを解消できたのは、映画という仕事を見つけられたからだと思う。初めて映画界に入って助手をやった時、周りのスタッフを見て、「オレみたいな人ばっかりやん」と思いましたから。閉じてるというか。そこに自分の居場所を見つけたっていう」
今後のこと
―幼い頃、ご実家のそばに映画館があったそうですね。
「ああ、もう家からすぐのところに。50メーター圏内に4件ありましたからね。そもそも、ものを作るのは好きだったんですよ。家に大工道具や木材があったので、子供の頃から彫刻したり、オブジェを作ったりしていて、その延長上の仕事ができればって思っていて。映画づくりは不可解なことがいっぱいあったんですよ。エンドロールにいっぱい人が出てくるじゃないですか。よってたかって何やってるんだって(笑)。ただ、それは興味をもつきっかけで、たぶん簡単にはなれないだろうなと思っていたんですよ。そこがよかったんですよね。簡単になれないから、なれなくても挫折は小さい。挫折しないためには、なかなかなれないものを目指した方がいいんじゃないかなと思います。映画観にいっても、物語以前に、「これ、どうやって撮ったんだろう」って、そういう目で見ている子供でした」
―『魂萌え!』では女性を撮ったし、今回、この映画があって、どんどん未知の分野に進まれていますが、今後は?
「59歳主婦はなんとなくわかってきたけれど、20代女はわからないかもしれないね。今後はそこを描く?いやぁ〜、どうでしょう。まだわからないですねえ(笑)」
(撮影・取材・文:多賀谷浩子)
『闇の子供たち』
8月2日(土)より シネマライズ ほか全国順次ロードショー!