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ヒストリーカテゴリより
japanese_zero様投稿
インドネシア独立史
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12世紀前半、東ジャワのクディリ王国に、王国の最盛期を導いたジョヨボヨという王がいた。 彼はある予言を出した。 第3の時代……国内に混乱が生じる。 第4の時代……外部から侵入した異民族が長期にわたり支配する。 第5の時代……北方から黄色い人間の軍隊が来攻、異民族支配を追い払い、代わって統治するが、それはすぐに終わる 16世紀、ジョヨボヨ王の通り移民族が進入してきた。 オランダ人の彼らは銃を持っており、槍と矢で勝てるはずも無く、彼らに支配された。 彼らは余暇に、インドネシア人のハンティングを楽しみ、数を競い合った。 インドネシアが徐々に開拓されてくると、オランダは東インド会社(VOC)を設立。 現地民を奴隷化し、食料も与えず働かせたので、人口は激減した。 1904年、日露戦争、勃発。 当初、インドネシアの人々は勝てるとは思っていなかった。 しかし、黄色人が白人に勝ったことに驚いた。 このころから、ジョヨボヨ王の伝説がインドネシア全土に広がることになる。 1942年、予言通り黄色い人間が異民族を追い出すときがきた。 インドネシアの各地で紅白旗(インドネシア国旗)と国歌「インドネシア・ラヤ」の大合唱で迎えられた。 現地民の協力もあり、日本軍は僅か8日で、オランダ兵を全面降伏させた。 350年間の統治が僅か8日で終わったことに彼らは驚いた。 オランダ人は自分たちがインドネシア人を閉じ込めていた強制施設に収容されました。 彼らは「自分たちが入ることになるならこんなに不潔にはしておかなかった」 と言っています。 ジャワを占領した日本陸軍第16軍はさっそく独立推進派のスカルノやハッタらを解放し、独立を約束するとともに、現地民の協力を取り付けました。 「オランダ領東インド」は待望の「インドネシア」に、「バタヴィア」は「ジャカルタ」に改称されました。 この間、食料の調達や、石油資源の確保、金属の回収を行いましたが、彼らはインドネシア独立のためと大変協力的でした。 一方、オランダ人の手下となって、商売をした華僑は自分の職が奪われたことを悔しがります。 1943年後半、戦局が厳しさを増すと、「郷土防衛義勇軍(PETA)」を結成。 独立義勇軍を募るとすぐに数万人に膨れ上がります。 そして、連合軍の侵攻を待ちますが、彼らは現れず、日本が先に敗北します。 その時、オランダから電報が届きます。 「日本軍は 連合軍が進駐し、交代を命ずるまで、現状を維持し、治安を確保すべし。そのために必要なる武器は保持してもよろしいから、暴動は必ず鎮圧すべし」 「原住民の集会禁止、武器の携帯、民族旗の掲揚を取り締まるべし。これがためには、兵器の使用も許可する。」 この電報に激怒した郷土防衛義勇軍の日本兵とマレー人は話し合いの末、独立戦争をすることを決意します。 8月17日、インドネシアは独立宣言をします。 これに反発し、イギリスとオランダが、インドネシアに宣戦布告。 インドネシア独立戦争が勃発します。 初期の日本兵はオランダに協力するように見せかけた。 武器の運送を命じられると、その武器をインドネシア人に横流しした。 手口がばれると、PATA側に協力して全面戦争に参加します。 度重なるゲリラ戦の結果、4年5ヶ月の戦争で80万人が死亡し、2000人の日本軍のうち、1000人が戦死した。 各国の非難がオランダに集中し、植民地をあきらめ、独立を承認した。 1000人の日本兵は、インドネシアの国営英雄墓地 に埋葬され、6人の日本人が独立名誉勲章(ナラリア勲章) を受賞した。 このような背景もあり、インドネシアの独立記念日には男女2人に日本軍の格好をした3人で国旗を掲揚します。 また、賠償の交渉に当たったアルジ=カルタウイナタ氏 「独立のお祝いというつもりで賠償金をください。日本が悪いことをしたから賠償しろというのではありません。」 と発言をしました。 2001年、この話は映画になり、インドネシアのラピフィルムと日本の東宝映画が共同で作品を作ります。(インドネシア軍全面協力) http://www.toho.co.jp/movienews/0104/04mrdk_kh.html http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD195/ 映画の題名、ムルデカは独立と言う意味である。 インドネシアタイムスのジャマル・アリ会長 「我々には、日本を批判するだけの韓国や中国と違って歴史とプライドがある。 「お金を出せ」などとは、360年間、わが国を支配した、オランダにさえ要求しない。」 なお、オランダは日本に謝罪を求める一方。 インドネシア独立の際に、60億ドルを請求し。 1995年、オランダ女王がインドネシアを訪問した際 「植民地支配はお互いに恵みを与えた」 とスピーチしてインドネシア人を激怒させました。 |