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赤塚不二夫さん死去:「人生はギャグ」なのだ

赤塚不二夫氏=1997年11月撮影
赤塚不二夫氏=1997年11月撮影

 「人生はギャグ」を信条に生き、酒を愛した自由人でもある漫画家の赤塚不二夫さんが2日、その天真らんまんな生涯を閉じた。97年末に食道がんとわかっても、「ストレス解消の薬だから」と酒もたばこもやめなかった。がんを公表した時も、焼酎のお湯割りを飲みながら、「シェー」のポーズをするなど、ギャグに生きギャグに死んだ人生だった。

 デビュー作は少女漫画。徐々にギャグの本領を発揮し出し、62年「少年サンデー」に連載を始めた「おそ松くん」が大ヒット。イヤミというフランスかぶれの変な人物が言う「シェー」がブームに。他にも「ケムンパス」「バカボンのパパ」などユニークなキャラクターを生み、「ニャロメ」は70年前後の反体制のシンボルとなった。作品は次々とテレビアニメ化され、「ニャロメ」「レレレのレ」などの流行語を生んだ。

 65年にブレーンを務める長谷邦夫さんら仲間と「フジオ・プロ」を設立。長谷さんや編集者らとギャグを徹底的に練る「アイデア会議」で作品を作り込む作業を続けた。アシスタントから古谷三敏さん、北見けんいちさんらを輩出した。

 人気漫画家になってからの遊びっぷりは破天荒だった。東京・新宿を足場に大いに飲み歩き、ジャズの山下洋輔さん、作家の筒井康隆さん、映画監督の山本晋也さんなど幅広い交友関係を持った。そんな中からタレント、タモリさんを見いだした話は有名だ。ジャズ・フェスティバルのプロデュースやテレビ番組の司会、ミュージカル・コメディーの演出など多方面に才能を見せ、前夫人公認のもとで再婚するなど話題にも事欠かなかった。

 98年10月、紫綬褒章が決まった時の会見では、電話で連絡がきた際に「何でオレみたいなバカにくれるの?」と聞いたという。「だって酔っぱらって警察のお世話になったこともあるしさあ」などと説明した後、「これでいいのだ!」とバカボンのパパのセリフを言って笑わせた。ギャグ談議はとぎれることなく続き、「とにかくみんなを笑わせたいということから始まって、チャプリンやキートン、ダニー・ケイなどから学んだものを消化して作品に取り入れただけ」と自作を語っていた。【内藤麻里子】

毎日新聞 2008年8月2日 22時16分(最終更新 8月2日 22時47分)

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