自己紹介

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☆現在の主な活動および所属学会・研究会、活動分野と役割 (2008年4月改訂)

子どもと教科書全国ネット21事務局長
立正大学心理学部非常勤講師(教職特別講座・テーマ「日本の教科書―その歴史と制度」)
出版労連(日本出版労働組合連合会)教科書対策部・副部長
日本教育法学会会員
歴史教育者協議会会員
全国民主主義教育研究会会員
日本ジャーナリスト会議(JCJ)会員
日・中・韓共通歴史副教材(『未来をひらく歴史』)編集委員会委員・共同代表
「九条の会」講師団メンバー
「マスコミ九条の会」・呼びかけ人
「九条の会・ちばけん」・呼びかけ人
教育と文化を世界に開く会・呼びかけ人
東京・教育の自由裁判をすすめる会・共同代表
「子どもたちを大切に…いまこそ生かそう教育基本法」全国ネットワーク世話人
共謀罪の新設に反対する市民と表現者の会・呼びかけ人
市民社会の自由を奪う共謀罪に“Say No!”「共謀罪」に反対するNGO・NPO共同アピール・呼びかけ人
「歴史認識と東アジアの平和フォーラム」日本委員会事務局長
「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク(VAWW−NET Japan)会員
女たちの戦争と平和資料館(WAM・アクティブミュージアム)・維持会員
日本の戦争責任資料センター・維持会員
歴史教育アジアネットワーク・共同代表
南京への道・史実を守る会・共同代表
中国人の戦争被害者の要求を支える会・運営委員
戦争被害調査会法を実現する市民会議・運営委員
「南京事件」調査研究会会員
南京事件70周年国際シンポジウム呼びかけ人・共同代表
大江・岩波沖縄戦裁判を支援し沖縄の真実を広める首都圏の会(沖縄戦首都圏の会)呼びかけ人
労働者教育協会・理事
勤労者通信大学講師(経済学教科委員)
侵華日本軍南京大賭殺史研究会・日本歴史教科書問題研究分会・特別研究員
教育・教科書問題を中心に各地で講演活動

☆主な著書(定価は本体価格)

・『非核・平和教育を国民のものに』(平和文化、共著/1990.1.20初版/1500円)
・『新学習指導要領で教育はどうなる』(新日本婦人の会、共著/1990.11初版/500円)
・『小学校教科書をよむ』(岩波書店、共著/1992.1.20初版、92.3.11第2刷/340円)
・『若者を戦場に送るな』(労働旬報社、共著/1993.3.5初版/777円)
・『子どもたちがねらわれているー教科書はどう変えられたか』
 (学習の友社/1992.1.25初版、92.3.5第2刷/800円)
・『中学教科書はどう変えられたかー続・子どもたちがねらわれている』
 (学習の友社、共著/1992.11.5初版、93.1.20第2刷/900円)
・『検証・15年戦争と中・高歴史教科書』(学習の友社/1994.8.10初版/1800円)
・『高校教科書検定と今日の教科書問題の焦点』
(学習の友社、共著/1995.8.5初版/2200円)
・『教科書から消せない戦争の真実―歴史を歪める藤岡信勝氏らへの批判』
 (青木書店・共著/1996.11.15初版/800円)
・『ドキュメント・「慰安婦」問題と教科書攻撃』
 (高文研/1997.6.20初版、97.8.20第2刷/2500円)
・『教科書攻撃の深層―「慰安婦」問題と「自由主義史観」の詐術』
 (学習の友社/1997.7.26初版/1600円)
・『21世紀のマスコミ・04 出版 出版文化の崩壊はくい止められるか』
 (大月書店、共著/1997.10.23初版/2200円)
・『検定に違法あり! 家永教科書裁判最高裁判決』
(青木書店、共著/1997.11.15初版/1000円)
・『いまなぜ戦争責任を問題にするのか』
(教育史料出版会、共著/1998.7.10初版/1800円)
・『南京事件をどうみるかー日・中・米研究者による検証』
 (青木書店、共著/1998.7.25初版/2200円)
・『家永教科書裁判運動のすべて』(民衆社、共著/1998.8.10初版/2800円)
・『これからどうなる21―予測・主張・夢―』(岩波書店、共著/2000.1.20初版/1900円)
・『教科書攻撃のウソを斬るー「新しい歴史教科書をつくる会がねらうものー」
 (青木書店、共著/2000.2.08初版/1000円)
・『徹底批判 国民の歴史』(大月書店、共著/2000.5.19初版/2000円)
・『徹底検証 あぶない教科書―「戦争ができる国」をめざす「つくる会」の実態』
(学習の友社/2001.2.27初版/1600円)
・『こんな教科書 子どもにわたせますかー「つくる会」歴史・公民教科書批判』
(大月書店、共著/2001.6.15初版/1200円)
・『歴史教科書 何が問題かー徹底検証Q&A』(岩波書店、共著/2001.6.25初版/1600円)
・『別冊歴史読本 テーマ別検証 歴史教科書大論争』
(新人物往来社、共著/2001.10.25初版/1800円)
・『別冊・世界 歴史教科書問題 未来への回答―東アジア共通の歴史観は可能か』
(岩波書店、共著/2001.12.1初版/1000円)
・『あぶない教科書・高校版 徹底批判「最新日本史」』
(学習の友社、共著/2002.6.7初版/1000円)
・『ちょっと待ったぁ〜!教育基本法「改正」〜「愛国心教育」「たくましい日本人」「心のノート」のねらいを斬る』(学習の友社、共著/2003.5.1初版/1300円)
・『家永三郎が残したもの 引き継ぐもの』(日本評論社、共著/2003.12.10初版/2500円)
・『あぶない教科書NO!―もう21世紀に戦争を起させないために』
 (花伝社/2005.3.25初版/800円)
・『教科書から消される「戦争」』(週刊金曜日、共著/2004.10.7初版/840円)
・『とめよう!戦争への教育―教育基本法「改正」と教科書問題』
(学習の友社、共著/2005.4.11初版/1000円)
・『ここが問題「つくる会」教科書ー新版歴史・公民教科書批判』
(大月書店、共著/2005.5.25初版/1200円)
・『日本・中国・韓国=共同編集 未来をひらく歴史ー東アジア3国の近現代史』
(高文研、共著/2005.5.26初版/1600円)
・『教育基本法「改正」のここが問題』(週刊金曜日、共著/2006.6.20初版/6000円)
・『安倍晋三の本性』(週刊金曜日、共著/2006.10.30初版/1000円)
・『日本はどうなる2007―暴走する国家にあがなうための論点』
(週刊金曜日、共著/2006.12.8初版/1600円)
・『「改正」基本法で教育は「再生」できるか』
(学習の友社、共著/2007.4.25初版/1000円)
・『〈つくる会〉分裂と歴史偽造の深層―正念場の歴史教科書問題』
 (花伝社/2008.2.5初版/1000円)

その他、『週刊金曜日』『論座』『世界』『総合ジャーナリズム研究』『創』『法学セミナー』『歴史地理教育』『教育』『未来をひらく教育』『現代と教育』『社会科教育』『平和教育』『理科教室』『新英語研究』『高校のひろば』『早稲田教育評論』『労働運動』『学習の友』『まなぶ』『季刊・中帰連』『季刊・社会評論』『季刊・戦争責任研究』『週刊二十世紀』『季刊・女たちの21世紀』『教科書レポート』『すおぺい』『Let's』『前衛』『子どもと生きる』『子どものしあわせ』『月刊・国際労働運動』『日本と朝鮮』『作文と教育』『ジャーナリスト』『日中友好新聞』『しんぶん赤旗』『学生新聞』『歴史教育月報』『文京の教育』『市民会議通信』『全国ネット21 NWES』『作文と教育』『家庭科研究』『歴史評論』『クレスコ』『民主文学』『議会と自治体』『労農のなかま』『部落』『部落解放ひろしま』『国際労働運動』『法と民主主義』『民青新聞』『学生新聞』『全商工新聞』『婦人民主クラブ』『女性&労働』『年度版子ども白書』『婦人通信』『子ども白書』(年度版)『新日本歌人』『議会と自治体』『ぐんまの教育』『女性のひろば』『民医連医療』『月刊クーヨン』『生活者通信』『自然と人間』『サンデー毎日』『婦人通信』『女性運動』『週刊新社会』『くらしと教育をつなぐ we』『民団新聞』『聖書教育』『根と枠』『季刊・ピープルズ・プラン』『国語の授業』『あごら』『子どもと法・21』『ふぇみん』『月刊イオ』などに論文・評論・エッセイなどを掲載。
※1997年8月、『ドキュメント・「慰安婦」問題と教科書攻撃』が、日本ジャーナリスト会議(JCJ)が選定する97年度JCJ賞・奨励賞を授与される。2005年8月、『未来をひらく歴史』が2005年度JCJ賞・奨励賞を授与される。

☆主な経歴と活動

1941年 福岡県生まれ。1960年 福岡県立鞍手高校・定時制を卒業。
1960年 中央大学法学部法律学科入学。
1964年 同大学法学部法律学科を卒業。
1964年 新興出版社啓林館に入社。
1965年 家永三郎さんが提訴した教科書裁判の支援会員になり、1998年まで裁判を支える。
1988年 この年まで、職場の労働組合の執行委員・副委員長を延べ13期努める。また、この間、教科書会社の労働組合でつくる教科書共闘会議の副議長を連続9期努める。93年にも出版労連教科書対策部事務局長との兼任で単組副委員長・教科書共闘副議長を努める。
1988年9月 イギリス・スペインの出版関連労働組合との交流、出版事情の調査のために出版労連視察団の1員として初めて海外に旅行する。
1988年 日本出版労働組合連合会(出版労連)書記次長・出版労連教科書対策部長(91年まで)。教科書検定訴訟を支援する全国連絡会常任委員になる(98年の全国連解散まで)。
1989年 日本マスコミ文化情報労組会議(MIC)幹事(91年まで)。同時期に、民主教育をすすめる国民連合常任幹事、子どもと教育・文化を守る国民会議常任幹事を歴任。
1991年 出版労連教科書対策部事務局長(98年まで)。98年から出版労連教科書対策部副部長。
1993年5月22日 家永教科書裁判第1次訴訟最高裁の不当な可部判決に抗議し、教科書裁判の勝利をめざして、「教育にさわやかな風を お会いしませんか5・22」「許せますか 教科書裁判最高裁判決」「見つめよう考えよう 憲法・教科書みんなどつどい」を日比谷公会堂で開催し1700名が参加。大田堯実行委員長と共に実行委員会事務局長として集会の成功に努力する。
1993年9月 出版労連視察団の副幹事長としてはじめて韓国を訪問。韓国のマスコミ関係の労働組合や全教組と交流。教科書問題について報告。ソウル、慶州、プサンを訪問。
1994年9月 出版労連教科書共闘会議のメンバーによって韓国(ソウルとプサン)を訪問。
1995年6月2日 「風よおこれ!未来へはこべ! 6・2教科書裁判勝利をめざすみんなのつどい」を千代田公会堂で開催し700名が参加。大田堯実行委員長と共に実行委員会事務局長として集会の成功に努力する。
1996年 高嶋(横浜)教科書裁判の証人として横浜地裁で証言。
1997年6月 韓国の出版労働組合との日韓出版シンポジウム(ソウル)に参加し、教科書問題について報告。
1997年8月15日 拙著『ドキュメント・「慰安婦」問題と教科書攻撃』(高文研)が日本ジャーナリスト会議(JCJ)が選定する97年JCJ奨励賞を受賞し、授賞式を兼ねたジャーナリストと市民の集いに参加。
1998年6月13日 家永教科書裁判32年の成果と運動を引き継ぐ新組織、子どもと教科書全国ネット21の結成に参加。事務局長に就任。
1999年 8月13日〜17日 招待されて中国・南京をはじめて訪問、14日に開催された「侵華日軍大屠殺最新研究成果交流会」(日中南京大虐殺事件シンポジウム)に報告者として参加。16日、「侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館」(「南京事件」紀念館)の朱成山館長の依頼で、館長以下同館幹部に、日本の教科書問題と歴史改ざん派の動向について、約3時間レクチャーを行う。

【2000年】
3月 子どもと教科書全国ネット21事務局長の任務に専念するため、新興出版社啓林館を定年前に退社。同時に、4月から、和光大学人間関係学部(講座名「現代の人間論」)と立正大学文学部・教職課程で、「教科書問題」をテーマにした講義を担当(非常勤講師)。和光大学は1年で終了。立正大学は04年から心理学部所属となり、現在も講師を続けている。また、出版労連の個人加盟の労働組合「出版ネッツ」の組合員になり、従来どおり教科書対策部副部長の活動を続ける。
6月18日〜23日 アメリカ・モンタナ州立大学マンスフィールドセンターが主催した「日本・アメリカダイアローグ(対論会)―アジア太平洋戦争をめぐってー」に招待されて参加し、報告。
9月以降、全国各地で新しい歴史教科書をつくる会(「つくる会」)教科書問題で講演活動。
10月6日〜10日 韓国の韓日関係史学会が主催したシンポジウムに招かれて報告(7日)。9日にソウル市立大学、国立韓国精神文化研究院、挺身隊問題対策協議会で講演。
10月16日〜17日 中国・北京で開催された第4回日中共同シンポジウム(主催:日本側=中国人戦争被害賠償請求弁護団などに3団体、中国側=中国抗日戦争史学会など3団体)に参加して報告。

【2001年】
1月〜8月 「つくる会」の「あぶない教科書」を子どもに渡さないための活動で全国をまわって講演などを行なう。
3月24日〜27日 韓国ソウルを訪問、元「慰安婦」のハルモニたちも参加したタブコル公園前での集会とデモに参加して報告。市民組織「日本の教科書を正す運動本部」(約90団体が参加)のメンバーとミーティングを行なう。「運動本部」はその後、名称を「アジアの平和と歴史教育連帯」(教科書運動本部)と変え、教科書問題、歴史認識と東アジアの平和フォーラム、共通歴史副教材作成、青少年歴史体験キャンプなどで連帯・共同のとりくみをすすめている。
4月3日 「つくる会」教科書の検定合格について、子どもと教科書全国ネット21など12団体で共同記者会見を行い、国民に向けた共同アピール「憲法否定・国際孤立の道へ踏み込む教科書を子どもたちに渡してはならない」を発表。
4月13日 日本外国人特派員協会で「つくる会」教科書批判の記者会見。
5月29日 「つくる会」教科書の採択阻止のために、太田堯・姜尚中・暉峻淑子・松井やより・山住正己氏が呼びかけた「子どもに渡せますか?!あぶない教科書」全国ネットワークを結成し、記者会見で発表。子どもと教科書全国ネット21とフォーラム平和・人権・環境が事務局を担当。
6月9日 前記4月3日の共同アピール12団体を含む19団体の主催で、「子どもに渡しちゃだめ!こんなあぶない教科書6・9集会」を開催し500名が参加。集会実行委員会の事務局長を務める。
6月10日〜11日 子どもと教科書全国ネット21・「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク・平和を実現するキリスト者ネットが呼びかけて、「歴史歪曲を許さない!アジア連帯緊急会議」を開催。韓国・中国・台湾・フィリピン・マレーシァ・インドネシアからの40名を含む200名が参加。
7月9日〜11日 中国・北京で中国社会科学院日本研究所が開催したシンポジウム「近代日本の内外政策」に招かれて参加し報告。これに参加した荒井信一氏(歴史学者)と私が、シンポジウムに参加した中国・韓国・「北朝鮮」の研究者に歴史認識についての継続的な討論を提案、賛同を得て翌2002年から日・中・韓各国持ち回りで続けられているのが「歴史認識と東アジアの平和」フォーラムである。
8月15日、「つくる会」教科書の採択率0.039%が判明し、12団体で共同記者会見。
8月29日〜9月1日 韓国国会議員グループに招待されて訪韓。国会議長、国会外交通商委員長、教育人的資源部次官、国会の日本歴史教科書特別対策委員会などと会談、国会議員連盟の総括集会で報告。国会議員連盟の「開かれた政治フォーラム」「民族の精気の会」から感謝状を授与。「日本の教科書を正す運動本部」とミーティング。KBSの11時のニュース番組に出演。「東亜日報」の「人物紹介」(1ページ)に取り上げられる。
9月18日 歴史教育アジアネットワークJAPANの結成に参加。共同代表に就任。
10月28日〜11月1日 日中共同シンポジウム「歴史認識と戦後補償」(北京)に招かれて参加し報告。
10月23日 韓国サム・トゥッ・ソリ東京公演の実行委員長を務める。
11月22〜25日 韓国現代日本学会学術会議(シンポジウム)「転換期の東北アジア秩序と韓日関係」(済州島)に招かれて参加し報告。帰路ソウルで「日本の教科書を正す運動本部」メンバーとミーティング。
12月13日〜17日 ピースボートに水先案内人(船内で連続講座を行う)として乗船するためミクロネシア・ポナペイへ。嵐のため乗船できず。
 *2001年1年間の講演回数180回。

【2002年】
1月18日〜20日 第1回歴史認識と東アジアの平和フォーラム準備会議(ソウル)に日本側代表として参加。
3月27日〜31日 日・中・韓の「歴史認識と東アジアの平和フォーラム〜日本の歴史教科書問題」・南京会議(南京)に日本代表団事務局長として参加し報告。このフォーラムで日・中・韓3国共通歴史副教材の作成作成について合意。
5月2日〜6日 日本の過去の清算を求めるアジア地域シンポジウム(ピョンヤン)に参加し報告。日本・韓国・「北朝鮮」・中国・台湾・フイリピィン・インドネシア・アメリカなどから参加。
8月18日〜22日 第1回日韓青少年歴史体験キャンプ(ソウル)に引率責任者として参加。
8月23日〜24日、第1回日・中・韓共通歴史副教材作成国際会議(ソウル)に参加。
9月5日〜9日 中国社会科学院日本研究所シンポジウム「日中友好・共同発展」(北京)に招かれて参加し報告。
10月15日〜16日 第2回日・中・韓の「歴史認識と東アジアの平和フォーラム」東京会議(東京フォーラム)についての三国準備会議(ソウル)に参加。17日〜22日、「東アジアの平和・人権シンポジウム」(韓国・麗水)に参加。
12月21日〜22日 第2回日・中・韓共通歴史副教材作成国際会議(東京)に参加。
 *2002年1年間の講演回数78回。

【2003年】
2月27日〜3月1日 第2回日・中・韓の「歴史認識と東アジアの平和フォーラム」東京会議(東京フォーラム)開催。実行委員会事務局長を努める。同時期に開催した第3回日・中・韓共通歴史副教材作成国際会議(東京)に参加。
3月12日 「『日の丸』『君が代』の強制に反対する市民アピール」の発表に呼びかけ人(事務局)として参加。このアピールは02年12月に、池辺晋一郎・太田堯・小森陽一・齊藤貴男・高橋哲哉・西原博史・森村誠一氏など17名がよびかけ100名を超える賛同を得る。東京都教育委員会の異常な強制の新事態をふまえて2004年2月にも再度新アピールを発表。
3月18日 小泉純一郎首相・石原慎太郎東京都知事の靖国神社参拝違憲訴訟の原告として、東京地方裁判所で意見陳述。
6月21日〜22日、日韓歴史学関係学会シンポジウム(ソウル)に参加。22日、日・中・韓共通歴史副教材作成のための日韓準備会議に参加。
7月18日 教育基本法改悪に反対する「教育と文化を世界に開く会」発足の記者会見に呼びかけ人として参加。
8月23日〜9月3日 メキシコ・アカプルコからカナダ・バンクーバーまでピースボートの水先案内人として乗船。教育・教科書問題で4回の連続講座など講演。1日にはバンクバーで日系カナダ人協会、同人権協会の幹部と懇談。
9月5日〜7日、中国社会科学院日本研究所シンポジウム「日本の軍国主義研究」(北京)に招かれて参加し報告。8〜10日、第4回日・中・韓共通歴史副教材作成国際会議(北京)に参加。
9月27日 歴史教育アジアネットワークが主催して、アジアの平和と歴史教育連帯の梁美康常任運営委員長を招いてシンポジウムを開催しパネリストを務める。
11月21〜24 学術シンポジウム「東アジア歴史共同体―韓中日3国の歴史認識の共有のために」及び第5回日・中・韓共通歴史副教材作成国際会議(ソウル)に参加。24日に中韓の代表と大統領官邸(青瓦台)を訪問し、李延雨大統領政策室長、柳寅泰大統領政務主席秘書官と面談。
12月18日 中央教育審議会の中間報告を受けて「教育と文化を世界に開く会」の記者会見に呼びかけ人として参加。
12月23日 「教育基本法改悪反対!2・23全国集会」(日比谷公会堂)の実行委員として、企画を担当。集会は4000名(終了後のデモ・レードには5000名)が参加して大成功。
  *2003年1年間の講演回数79回。

【2004年】
2月17日〜20日 コント集団「ザ・ニュースペーパー」と共同で、4日連続の教育基本法連続講座(対談)を企画・開催。対談相手は、17日高橋哲哉氏、18日斎藤貴男氏、19日石坂啓氏、20日小森陽一氏。
2月20日 新しく「『日の丸』『君が代』の強制に反対する市民アピール」(03年3月12日参照)を発表。
4月20日 東京都教育委員会が「10・23通達」による「日の丸・君が代」強制は、「君が代」斉唱時の不起立やピアノ伴奏拒否などに対して、教員を大量に処分するという異常な事態になった。これに対して、成島隆(新潟大学)・西原博史(早稲田大学)・俵がコーディネートし、29名の教育・教育法・憲法学者などが呼びかけた「東京都教育委員会の『日の丸・君が代』強制に抗議する《現代版・踏み絵》に異議ありー法律・教育学関係者緊急アピール」を発表し、記者会見。
4月24日 12・3集会実行委員会を継承した、教育基本法改悪をとめよう!全国連絡会の発足に参加。事務局メンバーとして活動。
5月28日〜30日 第6回日・中・韓共通歴史副教材作成国際会議(東京)に参加。発刊について28日に国会議員会館で3国共同記者会見を行う。
8月8日〜13日 第3回歴史認識と東アジアの平和フォーラム・ソウル会議に、「ソウルフォーラムに連帯する日本委員会」の事務局長として参加。フォーラムに平行して、第7回日・中・韓共通歴史副教材作成国際会議、第3回日中韓青少年歴史体験キャンプを開催。また、2005年の「つくる会」教科書の採択問題に向けて3国の戦略会議を開催。
9月17日〜22日 中国・抗日戦争記念館主催の国際シンポジウム「戦争遺留問題と中日関係の展望」(北京)に招かれて参加し報告。21日、第8回日・中・韓共通歴史副教材作成代表者会議に参加。
10月1日 東京都教育委員会は「10・23通達」につづいて、生徒が起立して歌うよう教員に指導させる職務命令を出すよう校長に指示し、生徒を人質にして教員に新たな強制を行ってきた。これに対して、勝野正章(東京大学)・小森陽一(東京大学)・斎藤貴男(ジャーナリスト)・俵・成島隆(新潟大学)・西原博史(早稲田大学)の6名が「生徒の『内心の自由』を押しつぶしてはならない!〜東京都教育委員会の新たな『日の丸・君が代』強制への反対を呼びかけるアピール」を発表。
10月18日〜21日 第9回日・中・韓共通歴史副教材作成国際会議(中国・馬鞍山)に参加。
11月6日 教育基本法の改悪をとめよう!全国連絡会の全国集会(日比谷野外音楽堂)を企画担当(当日は舞台責任者)として取り組む。5500名の参加で大きく成功する。
11月18日〜21日 「韓日連帯,21」が主催する過去の清算に関するシンポジウム(ソウル)に招かれて参加し報告。21日、韓国国会議員と懇談。
12月9日 前記10月1日の「アピール」への800名を超える賛同者一覧を付して、6名が都教委に対して「日の丸・君が代」強制を教員に義務づける職務命令を出すよう求めた指示の撤回などを申し入れ、記者会見。
  *2004年1年間の講演回数63回。

【2005年】
1月28日〜30日 第10回日・中・韓共通歴史副教材作成国際会議(東京)に参加。
2月16日 卒業式を前にして、都教委の「日の丸・君が代」強制問題について、前記の6名(2004年10月1日参照)で都教委に緊急要請を行い記者会見。
4月5日 「つくる会」教科書の検定合格を受けて、子どもと教科書全国ネット21など16団体で共同アピール「歴史歪曲・戦争賛美・憲法『改正』・『戦争をする国』をめざし、国際社会での孤立化の道に踏み出す『あぶない教科書』を子どもたちに渡してはならない」を出し、共同で記者会見。
5月7日 教育基本法改悪をとめよう!全国連絡会が代々木公園で全国集会を開催。5500名が参加して大きく成功。企画担当(当日は舞台担当)として取り組む。
5月13日 「つくる会」教科書問題について、日本外国人特派員協会で記者会見。
5月25日〜27日 韓国・アジアの平和と歴史教育連帯が主催した『未来をひらく歴史』発刊について韓日中共同記者会見とレセプション(ソウル)に日本の委員会代表として参加し報告と挨拶。
5月27日 『未来をひらく歴史』発刊について、日中韓3国共通歴史教材委員会の記者会見に参加。
5月29日 歴史教育アジアネットワーク主催、日中韓3国共通歴史教材委員会の協賛で、『未来をひらく歴史』発刊記念シンポジウムを開催、パネリスト兼コーディネーターを務める。
6月8〜9日 アジアの平和と歴史教育連帯が主催した日中韓3国による「つくる会」教科書採択阻止にむけたシンポジウムと戦略会議に参加し報告。韓国の教科書問題担当の国会議員とも懇談。
7月6日 日本外国人特派員協会の主催で「つくる会」元理事(現行公民教科書代表著者)の西部邁氏ら「つくる会」支持者との討論会に発言者として参加。
7月13日 栃木県大田原市の「つくる会」歴史・公民教科書(扶桑社版)の採択について、子どもと教科書全国ネット21として抗議声明を発表。文部科学省記者クラブにおいて記者会見。
7月19日 「つくる会」・扶桑社の資金疑惑について文部科学省に申し入れ。同問題について記者会見。この問題については、同日発売の『サンデー毎日』に特別寄稿。
8月12日 杉並区教育委員会の「つくる会」歴史教科書(扶桑社版)採択に対して、子どもと教科書全国ネット21として抗議声明を発表。
8月26日 愛媛県教育委員会が県立中高一貫校などに「つくる会」歴史教科書を採択したことに対して、事務局長談話を出して抗議。
8月31日 滋賀県教育委員会が県立中高一貫校1校(河瀬中学校)に「つくる会」歴史教科書を採択したことに対して、事務局長談話を出して抗議
9月1日 「つくる会」教科書の採択結果(歴史0.39%、公民1.19%)について、15団体で共同記者会見を行い、共同声明「『つくる会』教科書は再び国民に支持されなかった これは市民の良識と民主主義の勝利です」を発表。
9月17日 話し合うことが罪になる共謀罪新設に反対する市民団体共同アピール呼びかけ団体に子どもと教科書全国ネット21として参加。
10月23日〜27日 台湾の市民組織に招かれ、台湾光復60周年シンポジウムに参加し報告。
10月13日 日本の日中韓3国共通歴史教材委員会主催の『未来をひらく歴史』発刊記念3国シンポジウム(東京)でコーディネーターを務める。
10月14日 日中韓3国共通歴史教材代表者会議(東京)に参加。
11月3日〜7日 アジアの平和と歴史教育連帯が主催する2005年教科書採択についての日韓市民団体の評価(総括)会議(ソウル)に参加して報告。
12月7日〜9日 日中韓3国共通歴史教材代表者会議(ソウル)に参加。
12月10 「高嶋教科書裁判最高裁の不当判決に抗議する」声明を子どもと教科書全国ネット21として発表。
  *2005年1年間の講演回数122回。

【2006年】
1月6日〜9日 第4回歴史認識と東アジアの平和フォーラム・北京会議に、「北京フォーラムに連帯する日本委員会」の事務局長として参加。7日にフォーラム、6日〜7日は日・韓の2国で共通歴史副教材会議、8日に日・中・韓3国の共通歴史副教材国際会議。
1月27日 東京都教育委員会の中村正彦教育長が05年12月8日の都議会本会議で「日の丸・君が代」を生徒にも強制する通達を出すと答弁したことに対して、6氏(04年10月1日参照)が「生徒への『日の丸・君が代』強制を一層強化する『通達』に反対し、教育長答弁の撤回を求めることを呼びかける」アピールを発表。
3月16日 都教委が3月13日に「日の丸・君が代」を生徒に強制する通達を出したことに対して、6氏が「生徒の『内心の自由』を押しつぶすことは誰にもできない!新たな『日の丸・君が代』強制の『通達』の撤回を求めるアピール」を発表。
3月22日 3月16日の6氏アピールについて、保護者と共同で都庁記者クラブにおいて記者会見を行う。
3月28日 子どもと教科書全国ネット21常任運営委員会が「公正取引委員会の『教科書特殊指定』廃止に反対する」アピールを発表。
3月29日 文部科学省の2005年度高校教科書検定公開についての見解を事務局長談話として発表。
3月31日 教育基本法改悪をとめよう!全国連絡会が日比谷野外音楽堂で全国集会を開催。4000名が参加して成功。企画担当(当日は舞台責任者)として取り組む。
4月8日 子どもと教科書全国ネット21が緊急シンポジウム「公正取引委員会の『教科書特殊指定』廃止は何が問題か」を開催。パネリストを務める。
4月14日 教育と文化を世界に開く会有志が教育基本法改悪に反対する学者・文化人アピール「与党が密室で協議した教育基本法『改正』案の上程に反対する」発表した記者会見に参加。
4月15日 与党が教育基本法改悪案で合意したことに対して、「与党・教育基本法に関する協議会の最終報告及び新教育基本法法案の国会上程に反対する」事務局長談話を発表。
4月19日 「市民社会の自由を奪う共謀罪に“Say No!”『共謀罪』に反対するNGO・NPO共同アピール」の呼びかけ人に参加。
4月28日 「政府の教育基本法改悪法案の国会上程に抗議する」事務局長談話を発表。
5月〜6月 教育基本法案を審議する特別委員会に傍聴体制をとって傍聴者を手配。
5月25日 子どもと教科書全国ネット21常任運営委員会として「会員の皆さんへ 教育基本法改悪阻止のために再度訴えます!」を発表。
6月2日 教育基本法改悪をとめよう!全国連絡会が日比谷野外音楽堂で全国集会と国会デモを開催。3000名が参加して成功。企画担当(当日は舞台責任者)として取り組む。
6月9日 学者・文化人・市民に呼びかけ「政府の教育基本法案については、市民論議、国民的な論議がなされ、21世紀の教育についての国民的コンセンサスが得られるように、慎重で徹底した審議を求めます」というアピールを発表し、国会内で記者会見を行う。
6月10日 子どもと教科書全国ネット21第9回総会において、「教科書制度改善に向けた提言(案)」を発表。
8月2日〜8日 第5回日中韓青少年歴史体験キャンプを沖縄で開催。主催の日本側実行委員会の共同代表として参加。日本から中高生43人を含む96人、韓国44人、中国18人の計186人が参加して成功。
9月21日〜23日 日韓市民運動交流シンポジウム(ソウル)に参加し、日本の市民運動について報告。
9月24日〜27日 南京平和フォーラム(中国・南京市)に参加し、安倍晋三氏の歴史認識と安倍政権の性格について報告。
10月〜12月 教育基本法案を審議する特別委員会に傍聴体制をとって傍聴者を手配。教育基本法改悪を阻止する様々な活動に取り組む。
10月7日 第9回教科書を考えるシンポジウムで、どのように教科書採択制度を改善するかについて講演。
10月10日 東京都教育委員会の「日の丸・君が代」強制を違憲・違法する「予防訴訟」の東京地方裁判所難波判決を受けて、他の研究者など14名と連名で「東京地裁判決(9月21日)を踏まえた緊急の要請書」を都教委に提出。
11月2日〜5日 京都・立命館大学において日中韓3国の第5回「歴史認識と東アジアの平和」フォーラムを開催。実行委員会事務局長を務める。日本から100人、韓国25人、中国13人が参加し成功。
11月8日 教育基本法改悪に反対する広範な市民などによる国会行動=ヒューマンチェーンを開催。呼びかけ人・事務局として取り組む。2300人が参加。
11月12日 教育基本法改悪をとめよう!全国連絡会が日比谷野外音楽堂で全国集会を開催。3000人が参加して成功。当日は舞台責任者として取り組む。
11月15日 「与党による政府・教育基本法案の単独採決強行に怒りを込めて抗議する」事務局長談話を発表。
11月16日 教育基本法改悪に反対する広範な市民などによる国会行動=第2波ヒューマンチェーンを開催。呼びかけ人・事務局として取り組む。5000人が参加。
12月6日 教育基本法改悪に反対する広範な市民などによる国会行動=第3波ヒューマンチェーンを開催。呼びかけ人・事務局として取り組む。3500人が参加。
12月12日 教育基本法特別委員会の参考人・公聴会の公述人20名がアピール「公述人・参考人として教育基本法案の徹底審議を求めます」を国会内で記者会見をして発表。アピールの事務局として関わる。
12月14日 教育基本法改悪に反対する広範な市民などによる国会行動=第4波ヒューマンチェーンを開催。呼びかけ人・事務局として取り組む。冷たい雨の中4000人が参加。
12月14日 「政府・与党の参議院特別委員会での教育基本法案の強行採決に抗議する」事務局長談話を発表。
12月15日 子どもと教科書全国ネット21常任運営委員会として「与党の政府・教育基本法の『可決』に抗議する」声明を発表。
12月30日 杉並区教育委員会は2005年の教科書採択において、教員の教科書調査報告書の中の「つくる会」教科書の批判的な記述を書き換えさせた。この事実を記者会見で公表した教員に処分を前提にした「事情聴取」が行われた。これについて、「杉並区教委の不当な『事情聴取』に抗議する」事務局長談話を発表。
  *2006年1年間の講演回数65回。

【2007年】
1月22日 前記6氏(04年10月1日参照)によるアピール「違憲・違法の都教委『通達』による『日の丸・君が代』の強制は認められませんー都教委は予防訴訟・東京地裁判決を真摯に受けとめ、『10.23通達』を撤回し、処分の取り消しを行い、『日の丸・君が代』強制をやめるべきである」を発表し、賛同を呼びかける。
2月22日 前記6氏のアピールについて、都教委に要請。
3月12日 改憲手続き法案・教育関連三法改悪・共謀罪新設・少年法改悪反対などを掲げた国会行動=第1波国会へ行こうアクション!ヒューマンチェーンを開催。呼びかけ人・事務局(現場責任者の一人)として取り組む。非常に厳しい寒さの中600人が参加。
3月26日 改憲手続き法案・教育関連三法改悪・共謀罪新設・少年法改悪反対などを掲げた国会行動=第2波国会へ行こうアクション!ヒューマンチェーンを開催。呼びかけ人・事務局(現場責任者の一人)として取り組む。600人が参加。
3月27日 今年は南京虐殺事件(南京事件)70周年の年であり、南京事件70周年国際シンポジウムが企画されている。まず3月30日にアメリカのワシントンで開催される。このシンポジウムの呼びかけ人・実行委員として準備に携わり、弁護士会館で記者会見を行い、企画の趣旨と内容、ワシントン・シンポについて説明がされた。この記者会見に呼びかけ人の一人として参加。
3月29日 少年法の改悪に反対する院内連続学習会(子どもと教科書全国ネット21も呼びかけ団体)第2回で、教育基本法改悪と少年法改悪のねらいについて報告。
3月30日 文部科学省の2006年度高校教科書の検定結果について「事務局長談話」を発表して、沖縄戦強制集団死(「集団自決」)記述から「日本軍の強制」を削除した問題などを批判。
4月17日 改憲手続き法案・教育関連三法改悪・共謀罪新設・少年法改悪反対などを掲げた国会行動=第3波国会へ行こうアクション!ヒューマンチェーンを開催。呼びかけ人・事務局(現場責任者の一人)として取り組む。700人が参加。
4月26日 改憲手続き法案・教育関連三法改悪・共謀罪新設・少年法改悪反対などを掲げた国会行動=第4波国会へ行こうアクション!ヒューマンチェーンを開催。呼びかけ人・事務局(現場責任者の一人)として取り組む。800人が参加。
5月8日 改憲手続き法案・教育関連三法改悪・共謀罪新設・少年法改悪反対などを掲げた国会行動=第5波国会へ行こうアクション!ヒューマンチェーンを開催。呼びかけ人・事務局(現場責任者の一人)として取り組む。700人が参加。
5月13日〜20日 アメリカ・シカゴ大学の「Japan Committee of the Center for East Asian Studies, the Human Rights Program and the Center for International Studies」の企画「The Japan at Chicago Lecture Series」に招かれ、15日と17日にNorma Field教授の授業で講義、15日の夜のワークショップで「Japanese Education and Society IN CRISIS」のテーマで講演。
5月18日 与党(自民・公明)が衆議院教育再生に関する特別委員会で教育関連3法案(「学校教育法等の一部を改正する法律案」「教育職員免許法及び教育公務員特例法一部を改正する法律案」「地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案」)を強行採決したことに抗議する「事務局長談話」を発表。
6月6日 沖縄戦「集団自決」の軍命令はなかったとして大江健三郎・岩波書店を被告とする名誉毀損裁判が2005年に右派から大阪地裁に提訴されている。この裁判と沖縄戦「集団自決」について、日本軍の命令・指示・関与を高校日本史教科書から削除させた文部科学省の検定の撤回を求める「大江・岩波沖縄戦裁判を支援し沖縄の真実を広める首都圏の会」(略称:「沖縄戦首都圏の会」)の結成総会に呼びかけ人として参加し挨拶。
6月16日 子どもと教科書全国ネット21第10回総会を開催。
6月18日 教育関連3法案改悪に反対する国会前集会に現場責任者として取り組む。230人が参加。
6月19日 与党(自民・公明)が参議院文教科学委員会で教育関連3法案の採決を強行したことに抗議する「事務局長談話」を発表。
6月19日 与党(自民・公明)が参議院本会議で教育関連3法案の採決を強行・成立させたことに抗議する子どもと教科書全国ネット21常任運営委員会「声明」を発表。
7月20日〜23日 日中韓3国共同編集『未来をひらく歴史』の新著についての3国代表者会議のために中国・北京を訪問。
8月7日〜12日 第6回日中韓青少年歴史体験キャンプを韓国・済州島で開催。日本側実行委員会の共同代表として参加。日本から中高生26人、大学(院)生5を含む51人が参加。
9月9日〜11日 大江・岩波沖縄縁裁判の出張法廷が那覇地裁で開廷され、金城重明沖縄キリスト教短期大学名誉教授(強制集団死=「集団自決」体験者)が証言(10日)。支援のために那覇を訪問。9日に「沖縄タイムス」のインタビューを受け、記事が11日に掲載される(記事はHPに掲載)。
9月14日〜18日 日中韓3国の第6回「歴史認識と東アジアの平和」フォーラムを韓国・ソウルにおいて開催。日本側実行委員会事務局長として参加し報告。日本から30人が参加。同時に『未来をひらく歴史』の新著の3国会議も開催。
10月15日〜16日 沖縄から検定意見撤回を求める9.29県民大会実行委員会の代表団約200名が上京して、政府・文科省・各政党・教科書会社などの要請行動。15日夜には大江・岩波沖縄戦裁判を支援し沖縄の真実を広める首都圏の会と東京沖縄県人会共催の集会を開催。「沖縄戦首都圏の会」呼びかけ人として挨拶。600人を超える参加。
10月21日 日本の戦争責任資料センターと南京事件70年国際シンポジウム実行委員会共催の「南京事件70年国際シンポジウム」プレ企画シンポジウム・「南京事件と現代日本社会」にパネリストの一人として参加。「政治家・メディアと南京事件」のテーマで報告。
11月7日 社会科教科書執筆者懇談会が訂正申請についての声明を文科省記者クラブの会見で発表。この会見に同席して「教科書調査官とは何か」を報告。同様の会見を当日に国会の議員会館でも行う。
11月9日 大江・岩波沖縄戦裁判の本人尋問が大阪地裁で行われ、大江健三郎氏も出廷して証言する。この法廷を傍聴。
12月3日 「沖縄戦首都圏の会」と東京沖縄県人会共催による「検定意見撤回を求める12.3全国集会」を開催し、報告者の一人を務める。約1000人が参加。
12月12日〜13日 中国・抗日戦争史学会などが主催した国際シンポジウムが中国・南京で開催され、招かれて参加。13日午前中は南京大虐殺紀念館で追悼式と新館オープン式典に参加。午後からのシンポジウムでは、歩平・中国社会科学院近代史研究所所長、孫宅巍・南京大虐殺史研究会副会長と共に基調報告を行う。
12月21日 大江・岩波沖縄戦裁判が大阪地裁で結審。この法廷を傍聴。
  *2006年1年間の講演回数48回。

【2008年】
1月25日 日中韓で共同して開催している「歴史認識と東アジアの平和」フォーラムと青少年歴史体験キャンプについての3国代表者会議を東京で開催。基調提案を行う。
1月26日〜27日 『未来をひらく歴史』の新著に関する3国代表者会議を東京で開催。
2月16日 第14回教科書を考えるシンポジウムで教科書検定制度の問題点について報告。
2月17日 子どもと教科書全国ネット21の2007年度運営委員会を開催。発表されたばかりの新学習指導要領について学習。
3月18日 大江・岩波沖縄戦裁判を支援し沖縄の真実を広める首都圏の会(「沖縄戦首都圏の会」)の連続講座・第5回で「教科書検定問題の何が問題か」を報告。
3月25日 文科省が2007年度高校教科書検定の一部を公開。この年の検定の問題点を批判する「事務局長談話」を発表。
3月28日 大阪地裁民事第9部(深見敏正裁判長)が大江・岩波沖縄戦裁判について、被告(大江・岩波側)全面勝訴の判決を言い渡す。判決は、沖縄戦強制集団死(「集団自決」)体験者の証言を「具体性、迫真性を有する」として採用する一方、原告の梅澤裕・元座間味島戦隊長の陳述書や法廷での供述は「信用性に疑問がある」とし、さらに原告側が提出した曽野綾子氏や櫻井よし子氏が書いたものは「信用性に疑問がある」と退けた。判決は、強制集団死(「集団自決」)は日本軍が「深く関わった」として、日本軍の強制によっておこったことを認定した。同日の午後に大阪で行われた判決報告集会に参加し、「沖縄戦首都圏の会」を代表して挨拶。
3月28日 文科省が改訂学習指導要領を官報に告示。全ての教科で「道徳心」愛国心を強制する内容などについて批判し、撤回を求める子どもと教科書全国ネット21の「声明」を発表(4月4日)。
4月9日 大江・岩波沖縄戦裁判の勝訴判決報告集会を東京で開催。主催者として開会挨拶を行う。

☆生い立ち

1941年1月、福岡県で11人兄弟の末っ子として生まれる。当時は侵略戦争のための富国強兵策を支えるために、「産めや増やせや」で子沢山が奨励されていたので、兄弟が多かったが、私が生まれた時には、上の10人の兄・姉の内5人は育ちきらずに亡くなっていた。母は40代半ばの高齢出産だった。私がやっと歩き出す少し前に、日本はアジア太平洋戦争を開始した。したがって、一応、私は「戦中派」であり、空襲など戦争の記憶はわずかだがある。
戦時中のできごと以上に、戦後の「食糧不足」の方が強烈に記憶に残っている。家は農家だったが、米のほとんどは供出でとられ、食べるものはサツマイモや野草はまだ良い方で、とても食べられないような代用食などだった。子どもの頃は、毎日、空腹を抱えていた。
中学3年生の時、父が農薬の害で他界し、中卒と同時に働きながら定時制高校で学んだ。ここで、学んだことや得た友人は、私の貴重な財産になっている。私が生まれ育ったのは、筑豊の直方市で、五木寛之『青春の門』の主人公・信介が少年時代を過ごした町の隣である。私は信介とはほぼ同世代であり、自分の少年時代に重なる情景を思い描きながら『青春の門』を読んだことを覚えている。
定時制高校で学ぶうちに、大学に進学したいという思いが次第に強くなり、家からは一切金銭的な援助はできない、という母親の条件を承知で、単身上京し、働きながら学校に通った。東京なら夜の仕事もあるだろうと考え、大学は昼間部を選んだ。
大学に入学したのが、日本中で大衆的な運動が展開された60年安保の年であり、その激動のなかで自分の生き方や将来の展望を考えるようになる。安保闘争、そして、その中での多くの人々との出会いが、その後の私の人生にとって決定的な影響を与えといえる。大学時代は中央大学社会科学研究会に席をおいて、社会科学を学んだ。経済学に興味をもち、法学部に在籍しながら、多少ともまともに勉強した法律は労働法だけで、経済学や初期マルクス、国家論の研究をしていた。
就職してからは、労働組合活動をつづけてきた。卒業後の労働組合での活動は、私にとっての第二の学校だった。働きはじめてまもなく、故・堀江正規(経済学者)さんと出会い、堀江さんが主宰する「寺子屋」で経済学(特に資本論)を学んだ。堀江さんに教わったことは今でも私の大きな財産になっている。60年代後半から、働く青年を対象にした学習運動に参加し、文京学習協会長・文京労働学校校長・労働学校講師などを務めた。
88年出版労連の中央執行委員(書記次長)になり、教科書対策部の活動や家永教科書裁判の運動に本格的に取り組むようになる。この後、教科書問題に深く関わって活動するようになり、執筆・講演活動にも取り組み、今日に至っている。

☆趣味など

中学・高校生までは柔道をやっていた。高校生の時に山登りの魅力を知り、軽登山を中心に80年代まではよく山歩きをしていた。現在は、冬のスキーが一番の趣味で、職場のある地域のスキーサークル「文京ルート3」の副会長をしながら、1シーズンに20日前後滑っている。しかし、2001年以降は教科書問題で多忙になり、1シーズンに2〜3回しか滑れないのが残念である。
学生時代は、映画が好きで、映画評論などを書くほど病みつきになって、食事費用を削ってまでして映画を見ていた。最近は多忙でなかなか映画を観る機会がないが、98年は、珍しく、「プライドー運命の瞬間」「南京1937」「学校・」を観る機会があった。

☆家族
妻・息子・娘・妻の母・愛犬(アメリカン・コッ カ・スパニエルは2005年9月に死亡、同年11月からフレンチドック)。
☆家族
妻・息子・娘・妻の母・愛犬(2005年11月からフレンチブルドッグ 合歓 「ねむ」)。
    2005年9月死亡


 
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