2005-8-15
特集/メディアの堕落示す北村毎日社長・池田大作会談
「創価学会のご用機関紙」に堕ち、荒廃の度深めゆく毎日新聞
溝口 敦 ジャーナリスト
経済的な関係を「活字文化」で糊塗する
毎日新聞の北村正任社長は7月11日、東京・信濃町の聖教新聞社を訪ね、創価学会名誉会長・池田大作氏と会談した。会談の模様は「聖教新聞」7月14日号が2面の左側と3面のほぼ全面を使って、報じている。
〈新聞が活字文化の黄金柱に!〉
〈北村社長 新聞は「社会の本当が見える」「最も信頼できる」窓口 多様な「論争と共感の広場」に〉
〈名誉会長 「福沢諭吉」議論をしない人民は専制政府に都合がよい 民衆を賢明に! それが新聞の使命〉
何本もの大見出しから窺えるのは、両者の大物風の持ち上げ合いと、高邁を装う警世的な言の数々である。が、裏に透けて見えるのは、経営苦の毎日新聞社長が大スポンサーである創価学会・池田大作氏の膝にすがり付き、倍旧の援助と応援をお願いした姿である。
ちょうどお中元の時期でもあり、池田氏とすれば、挨拶に伺候した北村氏に「うい奴、近う参れ」といいたくなったにちがいない。「聖教」紙は「当初は10分程度の予定だったが、話が新聞論に及び、約1時間半にわたって意見交換した」と記している。その「意見交換」を紙面化したのは、依然、池田氏にとって全国紙の社長は利用価値があるということだろう。
今さら毎日新聞と創価学会の密接な関係について、ジャーナリズムにあってはならないことと嘆いても始まらない。恥ずかし気もなく創価学会のご用機関紙に堕ちた毎日新聞は読まなければいいだけの話である。読者離れを加速し、さらに毎日新聞を貧窮化させないことには分かるまい。
毎日新聞と創価学会の経済的なつながりについては「週刊ダイヤモンド」04年8月9日号が要領よくまとめている。
〈聖教新聞を最も多く受託印刷しているのは、毎日新聞グループの東日印刷と見られる(公明党が2002年に支払った公明新聞の印刷費は、22社中で最大の約3億円)。さらに、同じ毎日系で東北地方をカバーしている東日オフセット、毎日新聞北海道センター、縮刷版を印刷しているエスティ・トーニチのぶんも加わる。
東日印刷が聖教新聞に出稿する広告のコピーは「聖教新聞とともに半世紀。」である。(略)その東日印刷(略)などの経営者6人に対して「創価大学最高栄誉賞」が贈られた。受賞理由は「活字文化への貢献」である〉
新聞が活字(正確には文字)で印刷されるのは間違いないとしても、新聞の第一義は報道にあるはず。活字文化で括れば、雑誌も単行本も含まれる。新聞は必ずしも「活字文化」の代表選手ではないが、あえてそう言わなければならないのは、さすがに「正確で偏らない報道」とはいえない疚しさを感じているせいかもしれない。
今回の北村社長会談でも、言うに事欠いて「活字文化」を称揚している。
「創価学会に身を寄せる」ことを意思表明
〈若い世代を中心に「新聞離れ」「活字離れ」が言われて久しい。ラジオ、テレビ、そしてインターネット。メディアが発達し、多様化するなかで、新聞の未来はどうなっていくのか。新聞は何を変え、何を守っていくべきなのか――日本の3大紙の一つである毎日新聞のトップリーダーと、本社の名誉社主である名誉会長が語り合った〉(今回の記事のリード部分)
〈名誉会長は(略)「新聞は『活字文化の黄金柱』として勝ち栄えていかねばならない」と応じた。そして年来の主張である「活字文化」を守り、発展させることの重要性を強調。「(略)昨今の青少年の心の荒廃も、活字文化の衰退と深い部分で関係しているのではないか」と憂慮した〉(同前)
新聞記者が記事を書いたとして、読者から「すごい、活字文化に貢献しましたね」と褒められたら、「野郎、俺を舐めやがって」と怒り出すだろう。おまけに池田氏は学会べったり、学会に物申せない毎日新聞をさらに学会側に引き寄せようとするかのような言を吐いている。
〈イギリスの歴史家・トインビー博士は、鋭い社会批評でも知られるが、名誉会長との対話の中で、こう言っている。
・マスメディアは中立的に用いられるべきです。しかし、一個人や一社会の判断で善悪・正邪が明白な問題に関して、中立を保つことは、不可能であるし、たとえ可能だとしても、それは正しくありません。
自分が正とみなすことと、邪とみなすこととの中間で、中立の立場をとろうとするのは、結局、邪とみなすことの側に与することなのです
名誉会長がこの言葉に触れると、北村社長は「たとえば左の立場と右の立場があったときに、双方をつきまぜて、どこからも批判されないようなものにして、こと足れりとするのは、本当のジャーナリズムとは言えないのではないか」との考えを述べた〉
筆者は創価学会は社会的、政治的に害を流している、邪の存在であると考えている。そうした筆者の考えは「一個人、一社会の判断で善悪・正邪が明白な問題」とした上での結論だし、「明白な問題」という基準に照らしても正しいと考える。
他方、池田氏や多数の創価学会員は創価学会を正と考えるが、それは「一社会の判断」に照らせば、正しくない。なぜなのかは創価学会、公明党に関する各種の世論調査で明らかだろう。たとえば選挙情報専門サイトの第41回オンライン世論調査によれば「あなたが政権を持ってほしくない政党は?」という設問で第1位に挙げられたのが公明党52・4%である。依然として日本国民の多くが創価学会・公明党を信用していないし、警戒し、嫌っている。
ところが毎日新聞・北村社長は「双方をつきまぜて、こと足れり」とはしないと明言している。明言の相手が池田氏である以上、より創価学会に身を寄せることの意思表明と理解できる。困ったものである。家貧しくして孝子あらわるとばかり、毎日新聞には優れた記者が何人かいる。そういう記者たちがいじけ、ひがまないよう願うばかりである。
自社紙面でも「ご用聞き」に徹する
北村社長は01年の9・11時には毎日新聞主筆だった。彼は事件直後、岩見隆夫特別顧問と池田氏に会い、ご意見拝聴している(毎日新聞01年9月25日付)。北村氏は当時から池田氏に対し、両手もみもみ、ご用聞きに徹していた。
〈北村 7月の参院選は大変な小泉フィーバーで、その後も内閣支持率はあまり下がらない。高いときには90%近くです。危ないという人もいますが。
池田氏 私も同感です。日本人の、はっきりしないものに対する何となくという人気。強い哲学性も政治観もなくして、付和雷同する。その表れの一つだと思います。90%の支持率は明らかに異常です。(略)人気があるといって、何もまだ仕事はしていない〉
〈北村 創価学会は70年を超えました。今、創価学会はどういう段階にあるのでしょうか。長年、指導者の立場にある点をどうお考えですか。
池田氏 ほぼ日本の1割に(会員数が)なりました。基盤ができ上がったと見ています。当然指導者がいなければ、組織は正しい方向に動きません。(略)独裁などあり得ないし、時代遅れです。(略)会議も私があまり出ると皆が遠慮してはいけないと思い、原則として出ないように心がけています〉
〈北村 名誉会長、最近までずっとマスコミに登場しなかったのですが、最近、朝日新聞への寄稿から始まり、登場が続いています。何か思うところがあってですか。
池田氏 創価学会というと、すぐに公明党と見られがちです。その公明は自民と一緒になってます。一般の方々は学会も同じように、つながってしまっていると思われかねません。そのように思われることは学会にとっては非常に迷惑なことです(略)〉
池田氏においしい話題を振って、言わせっぱなしにする。突っ込みもしないし、反問もしない。ジャーナリズムを云々する資格はないと知るべきだろう。しかもこうしたおべんちゃら会見がどれほど毎日新聞の信頼を損ない、紙面を安っぽくして、読者大衆から軽侮を買うか、分かろうとしない。
新聞としては自殺行為だが、もともと毎日新聞の前身だった東京日々新聞は福地源一郎が主筆だった時代、政府のご用新聞だった歴史もあるし、長州藩閥の機関紙と化した時代もあった。三井、三菱に買われていた時代もあったし、スネは傷だらけ、今さら天声は聞きたくないということかもしれない。
しかもどの時代にもおべんちゃら読者はいるもので、聖教紙が池田・北村会談を大きく伝えた10日後、聖教紙の「声」欄は〈毎日新聞社長との「対談」に感銘、新聞のあるべき姿を示唆〉とする薬剤師、60歳と名乗る女性の投書を掲げている。
〈池田先生の「活字を読まず、映像文化だけで育つことになれば、人間の『骨格』の部分から変わってしまいかねない。昨今の青少年の心の荒廃も、活字文化の衰退と深い部分で関係しているのではないか」との指摘に、深い感銘を受けました〉
新聞は活字で印刷されている(活字の内容は問わない)、新聞が活字で埋まっている以上、新聞に目をさらしているかぎり青少年の心は荒廃しないわけ。結構毛だらけの話だが、こうして読者ならぬ新聞本体は荒廃の度を深めていく。
溝口 敦(みぞぐち・あつし)1942年生まれ。早稲田大学政経学部卒。出版社勤務を経てフリージャーナリスト。宗教関係をはじめ幅広く社会問題を扱う。著書に『堕ちた庶民の神』『池田大作創価王国の野望』『オウム事件をどう読むか』『宗教の火遊び』『チャイナマフィア』『あぶない食品群』『食肉の帝王』など多数。
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