「 米国の力を借りて『竹島』を自国の領土としたい韓国の昔も今も変わらないその手法 」
『週刊ダイヤモンド』 2005年4月9日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 587
3月20日にソウルを訪れた米国務長官、コンドリーザ・ライス氏に、盧武鉉(ノムヒョン)・韓国大統領は予定の時間を過ぎても熱心に、竹島[独島(トクト)]の領有権問題を語った。歴史的、地勢的にそれは韓国の領土であり、日本の主張がいかに間違っているかを説明し、米国が韓国の側に立つようにと事実上、要請したのである。ライス氏は、特にコメントをせずに聞いたと報じられた。
つい、私は1951年に米韓間で交わされたある会話を思い出した。当時、日本はまだ米国に占領されていた。翌年にはサンフランシスコ講和条約が発効され、日本はようやく占領統治から抜け出そうとしていた時期のことだ。米国はサンフランシスコ講和条約の草案を作成し、関係諸国に照会した。韓国は日本と戦ったわけではないので戦勝国ではなかったが、米国は韓国にも草案を見せた。韓国に関する部分には、日本が朝鮮(当時)の独立を承認することに加えて、日本が放棄する領土として「済州(チェジュ)島、巨文(コムン)島および鬱陵(ウルルン)島」が挙げられていた。
韓国の駐米大使であった梁佑燦(ヤンユチャン)氏は、51年7月19日、ジョン・F・ダレス国務長官顧問を訪問し、日本が放棄すべき領土に「独島」を加えてほしいと要請した。ダレス顧問は、「その島は日本が朝鮮を併合する前から朝鮮のものであったか」と尋ねた。梁大使は「そうだ」と答え、ダレス顧問は、もしそうであるなら、独島を加えるのには問題はないと述べた。
米国はその後調査を行ない、梁大使の説明が事実とは異なることを突き止めた。同年8月10日付の書簡で、米国は韓国の要請に正式な回答を出した。「われわれの情報によれば(独島は)朝鮮の一部として扱われたことが一度もなく、1905年頃から日本の島根県隠岐支庁の管轄下にあります。この島は、かつて朝鮮によって領土主張がなされたとは思われません」というものだった。以上の内容は、国立国会図書館参事の塚本孝氏が「中央公論」2004年10月号に報じた。
米国の力を借りて竹島を韓国領土としたい意図は、昔も今も変わらないのである。
かつての韓国は、米国の支持を得られないことが判明した段階で、武力をもって竹島を奪う方針を決定した。52年4月28日のサンフランシスコ講和条約発効直前に、国際法違反を承知で公海上に李承晩(リショウバン)ラインを設け、実力行使で竹島を奪ったのだ。以来、竹島は韓国領とされ、日本の船は漁船も含めて容易に近づくことはできない。
韓国は、日本による韓国併合も国際法上不法であると主張する。2001年11月末に、ソウルで国際学術会議が開かれた。ハーバード大学アジア・センターの主催で、韓国政府傘下の国際交流財団が財政的に支援し、会議は韓国の学者が主導して準備されたという。
最大の争点は歴史問題、とりわけ1910年の日韓併合条約は合法か否かだった。韓国の主導で開かれた会議であるにもかかわらず、同会議では、日韓併合条約は「不法ではなかった」との意見が相次いだ。韓国側からは「条約に国王の署名がない」ことなどを理由に不法だとの意見が出されたが、英国の学者らから、国王の署名や批准がないことが必ずしも国際法上問われるわけではないとの反論が出された。
国際社会に日本統治や日本の主張の是非を問い、国際社会の糾弾をテコに日本を批判したいとの韓国の思惑がはずれ続けてきたのだ。裏を返せば、日本は自らの立場をそれだけ国際社会で支持されているのである。最近の盧政権の理不尽な歴史問題の蒸し返しには、韓国の良識派も眉をひそめる。日本は批判にただ黙って耐えるより、理詰めできちんと反論することが、日韓両国の将来のためになる。
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