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鬱陵島から余りに遠く離れて晴れた日でも遠すぎてまともに見る事が出来ないのが竹島!

テーマ:ブログ
2008-07-23 20:37:41
韓国人は世宗実録等にある于山国=竹島と主張している訳ですが、その内容は
「二島はそれほど遠くないので晴れた日に見ることが出来る」と書いてあるから
だと言います。
しかし、鬱陵島と竹島は遠く離れており、普段は肉眼では見えないと言います。
中央日報が実際に調べたら「独島が姿を現わす日が1年に数日もなく、それさえももちょっと見えては消えてしまう」と自爆している訳ですがwwwww

世宗実録 地理志 江原道襄陽縣
 (世宗莊憲大王實 五十七冊 卷第一百五十三)
 http://kyujanggak.snu.ac.kr/IMAGE/kyu03210.PDF (24ページ参照)

于山、武陵二島、在県正東海中、二島相去不遠、風日清明、則可望見、新羅時、称于山国、一云鬱陵島、地方百里、恃険不服、智證王十二年、異斯夫為何琵羅州軍主、謂于山人愚悍、難以威来、可以計服、及多以木造猛獣、分載戦船、抵其国、誑之曰、汝若不服、則即放此獣、国人懼来降、高麗太祖十三年、其島人、使白吉、土豆、献方物、毅宗十三年、審察使金柔立等、回来告、島中有泰山、従山頂向東行至海、一万余歩、向西行、一万三千余歩、向南行、一万五千余歩、向北行、八千余歩、有村落基址七所、或有石仏像、鉄鐘、石塔、多生紫胡蒿本・石南草、我太祖時、聞流民迯人其島者甚多、再命三陟人金麟雨、為安撫使、刷出空其地、麟雨言、土地沃饒、竹大如柱、鼠大如猫、桃核大於升、風物称是

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世宗実録 地理志 の一句

于山、武陵二島、在県正東海中、二島相去不遠、風日清明、則可望見、
(二島相去ること遠からず、風日清明なれば則ち望み見るべし)

「于山、武陵の二島は東海(日本海)にあり、二島はそれほど遠くないので晴れた日に見ることが出来る」

韓国側の解釈では、
この文章には”主語”が無いから、韓国は勝手に「二島はお互いに晴れた日に見える」と解釈している。
しかし、上記漢文の主語は「江原道襄陽縣」の条に書かれている。
つまり、江原道襄陽縣が主語となるから韓国説は当たらない。


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次に、地理誌での規式において、海島に関しては、陸地からの距離を記すことになっている。
それに則ると、この文の解釈は、

「二島相去不遠」からは、于山島と鬱陵島の間が、それほど離れていないことが解る。
そして、「風日清明、則可望見」は、陸地からの距離を示す部分になる。

この場合、実際の里数は表現されていないが、鬱陵島(武陵)は陸地から離れており、「水路幾里」に代えて、鬱陵島を所管する蔚珍県から見た鬱陵島を、「風日清明なれば」という気象条件の時に「望み見ることが出来る」としたのである


正しい翻訳は以下のようになる。

「于山、武陵の二島は東海(日本海)にあり、
二島は”江原道襄陽縣”からそれほど遠くないので
晴れた日に見ることが出来る」

事実、晴れた日に江原道にある高い山に登って日本海を見渡すと、微(かす)かに鬱陵島が見える。

また、于山島が竹島(独島)だと仮定すると、現実に鬱陵島と竹島(独島)は92キロメートルも離れている。「遠くない」とする表現は不自然である!

「于山、武陵の二島は東海(日本海)にあり、二島はそれほど遠くないので晴れた日に見ることが出来る」

以下、中央日報の記事
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=102694&servcode=400§code=410
1454年編纂された 『世宗実録地理志』と 『高麗史地理志』 『新東国輿地勝覧』 などの昔の文献には「天気のいい日、鬱陵島から独島(トクト、日本名竹島)が見える」という記録が登場する。日本はこのような記録を否定してきた。その代表的なことが日本学界から今まで独島研究の 'バイブル'で通じるが、川上健三著書 『竹島の歴史地理学的研究』(1966年)だ。当時、日本外務省参事官だった川上氏はこの本で「鬱陵島から独島が見える」という世宗実録の記述を否定するのに4ページを割いた。

川上さんは地球が丸いという点に着眼し、人の目が触れることができる示逹距離を計算する公式まで動員して高さ174メートルである独島を見られる距離は59キロ以内と主張した。日本の学者たちはたびたびこのような事実を掲げて世宗実録地理志を含めた韓国文献の信憑性を疑問視した。これに対して『韓国の領土』という著書を残した国際法学者李漢基(イ・ハンギ)博士は海軍本部に諮問して科学的に高度160メートル以上上がれば鬱陵島からも独島が見えることを立証する論文を発表した。

独島研究者たちはこうした論争に終止符を打とうとずいぶん前から鬱陵島で独島写真撮影を試みてきた。しかし、独島と鬱陵島の間には常に海霧がかかり、成功した事例がほとんどなかった。チェ院長は「専門カメラマンが昨年4回にわたり数十日ずつ現地に泊まって撮影を試みたが、独島が姿を現わす日が1年に数日もなく、それさえももちょっと見えては消えてしまうことが多く、撮影に成功したのは3日しかなかった」と話した。 【中央日報】



于山、武陵の二島は東海(日本海)にあり、二島はそれほど遠くないので
晴れた日に見ることが出来る」
はあ?? 1年に数日しか姿を表わさず、ちょっと見えては消えてしまう??
それは「見えない」って言うんだ!
于山島は竹島じゃないのは明らかだ!


鬱陵島から遠く離れて晴れた日でも遠すぎてまともに
見る事が出来ない竹島!

これが真実です!!于山国は竹島では無い!!


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繰り返し竹島は日本領土だと1954年までアメリカが韓国へ指摘している件

テーマ:ブログ
2008-07-23 09:20:52
元在日朝鮮人、山木氏がアメリカ大使が書いた根拠の無い報告書をあたかもアメリカ政府が正式に述べた
などと歪曲してエントリーを出しているのでまたまた指摘します。
http://d.hatena.ne.jp/yamaki622/20080722/p1


↓原文
The history of these rocks has been reviewed more than once by the Department,
and does not need extensive recounting here .The rocks, which are fertile seal
breeding grounds, were at one time part of the Kingdom of Korea.
(正しい訳:これらの島の歴史は局によって何回も調べられて来た。ここでその膨大な内容について詳しく述べる必要は無い。生殖力の有るオットセイの繁殖場所としてよく利用されるこの島は、かつては韓国王国の一部だった。)

という内容をデタラメな歪曲ぶりを披露しています。

↓山木氏のデタラメな解釈
1952(昭和27)年10月3日付で日本駐在アメリカ大使館が国務省に送った書簡には、国務省で竹島(=独島)について何度も検討した結果、「朝鮮王朝の一部であった」という見解に至ったことを明らかにしています。以下に日本語訳の一部を引用します。

何度も検討した結果、そういう見解に至った」などとは全く書いてありません。
歪曲です。何をどう検討したという基本的な箇所が抜けている、只の感想じゃないですか。
文書は、東京発の報告書であり、アメリカ政府が正式に受け入れた物ではありません。
それが証拠に1953年以降も繰り返しラスク書簡を受け入れて竹島が日本領土であると認めろと
韓国側に通達されているじゃないか。元々アメリカ政府より韓国政府への見解として公式に出されているラスク書簡とは比べ物にならない位レベルの只の報告書です。

「何度も検討した結果、国際法上に基づいて、1905年に竹島は正式に日本の領土として成立した。
 日韓併合が1910年であり、日本の朝鮮統治とは全く関係性が無い」
 これが正解です。

「アメリカ大使館の秘密書簡」が発見され、上記のアメリカの見解が変更されていたことが明らかになっています。
 →上記は「朝鮮王朝の一部であった」という東京に居た一大使の間違った認識であり、アメリカの正式な見解ではありません。


ここでもまた日本政府の情報隠しです。
 → はあ?どこが???本当におかしいんじゃねえの??


Mark S.Lovmo氏が1952年10月3日付で根拠の無いデタラメを述べた後も米国政府は繰り返しラスク書簡で“竹島は日本領である”との見解を述べています。L.バーマスター、ヴァン・フリートの両名に至っては、米国政府公式見解として竹島は日本領であると名言しています

■1953年7月22日国務省北東アジア課バーマスター(L.Burmaster)による覚書
 日韓間リアンクール岩紛争のあり得べき解決策 

ディーン・ラスク国務次官補の1951年8月10日づけ通牒において述べられています。」
これは竹島を爆撃して抗議をしてきた韓国へ対し、米国政府の公式見解として、ラスク書簡の見解は
サンフランシスコ条約締結以降も有効であり、韓国はこの見解、すなわち竹島は日本領で有ると言う事を
受け入れるべき
だと述べている。

■1953年11月30日駐日米国大使館公使参事官ウイリマム・T・ターナー(William T.Turner)による調書
 「リアンクール岩(竹島)論争に関する覚書」

韓国に対し、我々の以前の見解表明(ラスク書簡)を想起させる。日本との間で解決に至るべき
強い希望を表明する。合衆国はこの問題にどのような形にせよ介入することを避けるよう努めるが
衝突が続けばラスク書簡を公表しそこで表明された見解を反復せざるを得なくなるかもしれないと
述べる。もし韓国がラスク書簡で表明された見解を受け入れられないなら仲裁裁判か国際司法裁判
所への付託に向けた措置を取るべきだと示唆する

ウイリマム・T・ターナー

■1954年8月15日 機密文書ヴァン・フリート特命報告書を作成サンフランシスコ講和条約後の
同条約に対する米国政府公式見解として上記の外交文書を踏まえた以下の点が確認される
・一方的な領海宣言(李承晩ライン)は違法である
米国政府はサンフランシスコ講和条約において竹島は日本領土であると結論している
・この領土問題は国際司法裁判所を通じて解決されることが望まれる

繰り返し竹島は日本領と結論付けられて、ラスク書簡を受け入れろと要求されているじゃないですか。

機密文書ヴァン・フリート特命報告書では一方的な領海宣言(李承晩ライン)は違法であると述べられています。


>1952(昭和27)年10月3日付で日本駐在アメリカ大使館が国務省に送った書簡には、国務省で竹島(=独島)
>について何度も検討した結果、「朝鮮王朝の一部であった」という見解に至ったことを明らかにしています。


などというのは全くの妄想でしかありませんでしたね。米国の公式見解はその後もずっと竹島は日本領です

しかし、一体何を根拠に、「朝鮮王朝の一部であった」などと言うのでしょうか?
干山島で騙されたのでしょうか?干山島は竹島じゃないのは小学生でも分かる事ですが。



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