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北海道洞爺湖サミット:特集その1 7日開幕 火山と湖、一望の地

 ◇地球規模の課題が山積、問われる日本の指導力

 北海道洞爺湖サミット(主要国首脳会議)は、7日から9日まで開かれる。日本での開催は5回目で、東京以外では00年の沖縄に次ぎ2回目。主要テーマと、出席する主要8カ国(G8)首脳の横顔、さらに開催地・北海道洞爺湖町を紹介する。

 ◇火山と湖、一望の地--洞爺湖町

 サミットが開催される洞爺湖町は、札幌市の南西約100キロに位置し、06年3月に虻田(あぶた)町と洞爺村が合併して誕生した。総面積181平方キロの約3割が、自然公園法に基づく「支笏(しこつ)洞爺国立公園」の区域内。雄大な自然と湖畔にわく温泉を求め、年間300万人以上の観光客が、人口1万712人(5月末現在)の町を訪れる。

 洞爺湖は火山活動でできたカルデラ湖で、「湖と丘(岸)」を意味するアイヌ語の「トーヤ」が名前の由来。外周約40キロあるドーナツ形の湖は、北西側半分が洞爺湖町、南東側半分が壮瞥(そうべつ)町になる。

 南側では有珠山と昭和新山が噴煙を上げ、北方には「蝦夷(えぞ)富士」の異名を持つ羊蹄山が一望できる。サミット会場の「ザ・ウィンザーホテル洞爺」は、西側の通称ポロモイ山(標高625メートル)山頂に建ち、眼下に洞爺湖と内浦湾(噴火湾)を見下ろすロケーションが観光客に人気だ。

 有珠山が00年に噴火した際には、旧虻田町のほぼ全町民が避難。現在17軒のホテルが建ち並ぶ洞爺湖温泉街は、約100日間にわたって、立ち入りが禁止された。

 有珠山は今も噴煙を上げ、土石流の直撃を受けた公営住宅跡などが当時のまま保存されている。1943年の噴火後に誕生した昭和新山とともに、地球の息づかいを感じさせる観光スポットになっている。【高山純二】

 ◇“隠れ家”探すように--前首相の意向色濃く反映

 サミットの開催地に洞爺湖町が決まったのは、昨年4月23日。財政難に苦しむ北海道は当初、サミット開催に伴う財政負担を嫌って乗り気ではなかったが、警備のしやすさと雄大な自然環境に目を付けた安倍晋三首相(当時)の主導で、選ばれた格好だった。

 ◇北海道は消極的

 外務省がサミット開催地への立候補期限とした06年11月までに手を挙げたのは▽関西(京都、大阪、兵庫の3府県)▽開港都市(横浜、新潟両市と新潟県)▽瀬戸内(岡山、香川両県)--の3地域。京都迎賓館が05年に完成したばかりで、関西は最有力とみられていた。

 しかし、安倍首相は「リトリート(隠れ家)性のあるところを探すように」と指示。これを受けて06年暮れ、にわかに浮上したのが洞爺湖だ。

 最大の理由は警備面だったとされる。

 G8の間に苦い記憶として残るのが、01年7月の伊ジェノバ・サミットだ。デモ隊と警官隊の衝突で75年のサミット開始以来初めて死者を出した。その年の秋には米ニューヨークで9・11テロが起き、その後はデモ隊などが近づけない保養地などがサミット会場に選ばれるようになった。

 05年7月の英グレンイーグルズ・サミット時には、会場から離れた首都ロンドンでテロが発生。サミット開催国にとって、近年は警備の重要性が増してきていた。

 ◇警備面を重要視

 今回、首脳会議が開かれる「ザ・ウィンザーホテル洞爺」は、洞爺湖畔の山頂にあり、湖畔の国道からホテルに通じる道は1本だけ。周辺に民家もなく、立候補したほかの3地域と比べ警備のしやすさは際立っていた。地球環境がサミットの主要議題になることから、洞爺湖の雄大な自然環境も売り物の一つとなった。

 しかし、北海道の高橋はるみ知事は、財政難を理由にぎりぎりまで立候補を渋った。00年の九州・沖縄サミットで沖縄県が支出した経費は約110億円。北海道はこのころ、夕張市の財政破綻(はたん)問題も抱えており、高橋知事は「苦しんでいる夕張を横目に、100億円も投入することは道民の理解を得られないと悩んだ」と振り返る。

 知事の説得に動いたのは、安倍首相の周辺だ。北海道選出で自民党の中川昭一政調会長(当時)らも積極的な動きを見せた。北海道がようやくサミット開催地に名乗りを上げたのは、決定直前の昨年3月のことだった。

 極力、公費をかけない「コンパクトサミット」を打ち出した。実際、北海道の支出は約22億円と、沖縄の5分の1に抑えられる見込みとなっている。政府・与党のおぜん立てした露骨な「後出しじゃんけん」に、ほかの立候補地はなすすべもなかった。

 ◇本人出席できず

 安倍首相は開催地決定の際、「北海道をはじめ地方を重視していく意思も表明したいと考えた」と述べた。参院選を3カ月後に控え、地方票が勝敗のカギを握るとみられていた時期だった。しかし、「地方重視」の姿勢は有権者に伝わらず、自民党は参院選で大敗。安倍氏は昨年9月に退陣に追い込まれた。

 00年の沖縄開催も、小渕恵三首相(当時)の強い意向で決まった。時の権力者の思惑が色濃く反映された決定劇。小渕氏も開催直前に病で倒れており、議長を務めるつもりで開催地を決めた本人がサミットに出席できない歴史も繰り返された。【横田愛】

2008年7月4日

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