2008年07月18日

雷句さんの訴訟に関連して(2)

 先日のコメント欄で、週刊文春の記事についての意見を尋ねられました。

 『”他にも作家を抱えていた担当者は『お前と打ち合わせしてる時間はねーんだよ。この通り描いとけ』と毎週ストーリーをファックスしてきた。
  展開がおかしくなったので一度『嫌です』と反発したら、このセリフ(=『死ね、三流漫画家』)です。
  結局、収拾がつかなくなって、連載は不本意な形で終了しました」”』

 私は文春を読んでいませんから、コメント欄から抜粋しておきます。
 陳述書と合わせれば誰だか容易にわかりますが、やはり「若手漫画家さん」としておきましょう。
 作品は週刊少年サンデー2004年38号 - 2005年22・23合併号まで連載されたもののようですね。

 当時は私はもうサンデーを離れていましたので、橋口さんの所のアシスタントさんからの伝聞でしか冠さんの様子は把握していません。
 
 まず最初にはっきりさせておきたいのですが、この一件も冠さんも、雷句さんの原稿紛失には何の関係もありません。
 陳述書の中で「良い噂を聞かない」と表現している通り、雷句さんは冠さんと面識もおそらく無いのではないでしょうか?

 その上での私の意見ですが、こちらはあくまで一般の人にも理解してもらえるように書いておきます。

 ○当時「若手漫画家さん」が冠さんにどんな態度で接していたのか。
 ○どんな風に仕事を進めていたのか。
 ○FAXというのはどんな内容が書かれていたのか。
 ○件の発言はどんな会話の流れで出て来たものなのか。

 これがわからないとなんとも言えません。

 図式が漫画家対編集者・編集部の構図になってしまっているため、どうしても漫画家が一方的に被害者という構図で見られがちです。
 この質問をしてくれたかたは優しい人のようですしね。
 
 しかし私は98〜99年のネット上の自分の日記でサンデーの編集さんを悪し様に罵っていた作家(現在廃業)、この人がアシスタントに恒常的に殴る蹴るの暴力を振るっていたのを知っています。
 一方的に作家の味方をするつもりにはなれません。
 ちなみにこの編集さんとも顔見知りです。

 2004年当時のサンデーでは「ファンタジー厳禁」の風潮がありました。
 そこで新人の「若手漫画家さん」がこの作品を始められたのは、おそらく「ワイルドライフ」「ジャぱん」の実績がある冠さんが編集部サイドに強力にプッシュしたからでしょう。
 「絶対にうまく行く」と話していたそうです。
 私が話せるのはここまでですね。

 ここからはおそらく理解してはもらえないでしょうが、プロとしての意見です。
 
 プロは結果が全てです。
 自分で立ち上げた企画だろうと、原作つきだろうと、編集部の押し付けた作品だろうと、ひとたび仕事を引き受けたら間違いなく締めきりに原稿を上げ、アンケートできっちり結果を出さないといけません。
 「担当さんが非協力的だった」
 「ストーリーを押し付けられた」
 「ひどい言葉で罵られた」
 「体調が優れない」
 いずれも何の言い訳にもなりません。

 言いなりに描くのが嫌なら、自分で好きなように描いてきちんと結果を出せばいい。
 自分の描く物に「面白い」という確信があれば簡単です。
 アンケートで1位・2位とれば誰も文句は言いません。 

 橋口さんと冠さんが立ち上げた「焼きたて!!ジャぱん」がなぜ最初に五週だけ連載されたのか、知ってる方はおられるでしょうか?
 私の知っている作家さん達は、皆そんな世界で闘っていました。
 「若手漫画家さん」だけが特別ではありません。

 プロの立場から意見させてもらえば、「若手漫画家さん」の連載が不本意な形で終了したのは100%本人の責任です。

 自分の所のスタッフが独り立ちするのは本当に嬉しいんです。
 去年やっと一人送り出せた私にもよくわかります。
 飛んで行って仕事を手伝ってあげたいくらい可愛い。

 連載が短期で終わってまえば、どうやって慰めていんだろうと思います。
 「自分の教えかたが悪かったのか」とさえ思います。

 しかし私は「次、頑張りなさい」としか言っていません。
 自分の力不足を他の何かのせいにするようになったら、その子はもう本当に終わってしまうからです。
 どんなに可愛くても、ここを間違えてはいけません。

 私の親父は癌で亡くなりましたが、親父が最期に会っておきたいと言う時に合ってやれませんでした。
 原稿を描いていたからです。
 コンシェルジュの17話でした。

 仕事を終えてやっと駆けつけた時、親父はもう意識が無かったです。
 睡眠時間を削り、栃木と千葉を往復しながら描いた一本でしたが、締切にも間に合わせ、アンケートでもきちんと結果を出しました。
 
 原先生、北条先生、バンチ編集部は親父の葬式に大きな花輪を送ってくれました。
 私は自分が特別なことをしているとは思いません。
 原先生が失明を覚悟して原稿に向かっているのを知っているからです。

 「(担当編集者のせいで)結局、収拾がつかなくなって、連載は不本意な形で終了しました」

 誰が言ったか知りませんが、こんな情けない言い訳を聞いたのは初めてです。
posted by 元首 at 17:30| Comment(24) | TrackBack(0) | 日記