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両脚失った林さん 事故乗り越え「全力で生きる」6日同志社大でシンポ 初めて体験語るリハビリ 復学 来春就職2005年4月のJR福知山線脱線事故で重傷を負い、両脚を失った同志社大4年、林浩輝さん(22)(京都市上京区)が6日、同大学で開かれるシンポジウムで初めて、自身の体験を語る。失意に沈んだ日々から7か月に及んだリハビリ、復学、そして来春から始まる社会人生活。「生かされた命を全力で生きたい。何があっても負けない」。そんな思いと、「事故を忘れないで」という願いを伝えるつもりだ。 「事故と向き合うことで強くなれた」と話す林さん(京都市の同志社大今出川キャンパスで)
実家のある兵庫県伊丹市のJR伊丹駅から通学で乗った電車の1両目が、マンションに突っ込んだ。〈最後の生存者〉として22時間後に救出されたが、挫滅症候群(クラッシュ・シンドローム)のため両脚を切断。入院中、家族が泣く姿を見るのがつらくて絶望を心に押しとどめたが、医師らに「脚を失うぐらいなら死んだ方がましです」と泣いて訴えた時もあった。 前向きな気持ちが芽生えたのは、本格的にリハビリを始めた同年秋ごろ。筋力トレーニング、義足を装着した歩行。ハードルを一つずつ越える喜びがあった。手の操作だけで運転可能な車も使えるようになった。昨年4月、大学近くで一人暮らしを始め、1年ぶりにキャンパスに戻った。 何も言わず見守ってくれる両親。落ち込んだ時、「どうなろうと、林は林だから」と声をかけてくれる親友。何気ない日常が、とても大切に感じられた。「事故で失ったものは大きいが、得たものもある」と語れるようになった。 毎夜、失った両足のつま先がしびれる「幻肢痛」に襲われる。睡眠薬が手放せないが、就職活動にも取り組み、希望していた広告会社に内定した。「人の何倍も努力して自立できることを証明し、限界に挑みたい」と思う。 だが、学生28人が死傷した同志社大でも事故の記憶は薄れつつある。復学後に知り合った級友は「林君と会うまで事故には無関心だった」と言った。自分が語ることで風化を防げるのではないか、と考え始めた。 6日午後、大学主催のシンポジウムで壇上に立つ。「死のふちから目覚めた時、体を起こすことさえかなうとは思わなかった。語ることは生き残った僕の使命。あんな事故を繰り返してほしくない。生涯かけて、そう訴えていきたい」 (2007年10月05日 読売新聞)
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