今月から、とある義理で新聞を取ることになった。新聞をとるのは数年前振りだ。
新聞と言えば自宅まで来ての勧誘。ここ数年は断り続けていたのだが、断る常套手段として読売新聞さんには「ジャイアンツ、キライですから」という荒業も使うこともあったが、大半は「インターネットがありますから」ということが多い。 私はポータルサイトを中心に日々の情報を得ている。知りたい情報も検索すれば一発だ。 これだけ便利で無料のインターネットがあるので、新聞にお金を払ってまで読もうと思わなかった。そういった考えの人が多いのか、ここ数年の新聞の売れ行きは芳しくないらしい。新聞の広告費は年々減少している。 そんな中で新聞を取ってみたわけだが、改めて読んでみると新聞という媒体も悪くないことに気づいた。 まずはレイアウト。ポータルサイトではピックアップしている記事のタイトルが羅列されているだけだが、新聞の場合はタイトルのある箇所と文章が一緒になっている。その大きさなどから情報の重要さがわかってくる。 記事自体のレイアウトもインターネットではどの記事の同じレイアウトだが、新聞は記事ごとにレイアウトが違う。そのためビジュアル的に記憶を残すことが出来る。 それに付随して掲載されているページ。1面は当然だがそれぞれの項目で重要な項目が瞬間してわかる。まとめれば情報が整理されて入ってくるのである。 もちろんインターネットでも同様のことは可能だが、読み手の判断による情報の整理が求められる。 インターネットのメリットとして常に細心な情報が更新されていくという面があるが、古い情報はすぐにアクセスできない場所に移動してしまうため、大事な情報でも重要性が落ちて見える。 そうなれば情報は偏ってしまうのは仕方がないことで、一般常識的な面では確実性が落ちる。 少し話が逸れるが私自身書籍もよく読むが、今考えてみると同じような理由で買っていたように思う。 インターネットでも同じ情報を拾えるが、読んだ瞬間よりもあのページにこんなことが載っていたな、と思い出すことが重要だし、1人の人が深く書いているため、それを基準に自分なりの意見をまとめることができるのだ。紙媒体も悪くない。 紙媒体が中心の時代より情報が早くなり、今ではそれが定着したような感じとなったが、情報というのは早さだけが重要ではない。 色んな情報を組み合わせることで、その精度はあがっていく。どちらが良いというわけでない。それぞれうまく活用することに意味がある。そんなことに遅ればせながら気がついた。これが真の情報化社会というものではないだろうか? 【編集部注】一部表記を修正しました。(2008/7/14 15:37)
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