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縁。いろんな結びつき。

07/13

Sun

2008

ルッスーリアに。

な、なんか甘いものかお好み焼きが食べたいです。

ええい、連載どれかばかばかあげたいなぁなんて思うのに、なーんだーか進むに進まないのは何故・・・・・・。あのねー、本当に「恋愛要素」の勉強がしたいです(笑)。恋ってホント分からなくて、じゃあそのままでいっかとも思うんだけど、それじゃ何か進歩がない感じがするのよ。

続きやたら長い。
鬱でもないけど好みの分かれそうな話です。いや、自己分析です。ただの(笑)。

いろいろ考えて楽しい部分もあるけど、ほんっとまじ切実に勉強したいです。最近、どんな本も読めなくなっているような気がして、ひやりとなる。頭にすらすら入ってくるのは・・・司馬遼太郎くらいかもしれない(笑)。KMペイトンは・・・あれは掛川さんがうまいんだろうな、訳が。読むときに、・・・ぶれる?高速で、一文二三回くらいがががって繰り返し読みしちゃうというか。言葉が一回読んだとき五回くらいざざざっと頭に入ってくるというか・・・・・・(笑)。まぁ、いろいろありましたからね。でも、本当に考えたいことに頭を使いたい。一般的に見て、立派なことで、とかでなく。そうですね、授業を取りすぎて、少しでも時間短縮しようって急いちゃうのはありますね、四月から、本を読むたびに。「文字を読め」は、現代文の先生の受け売りで、あれ以来むだに「テキスト読み」をするようになったんだが、それもまたちっとも頭に入ってこないのね。

昔はどんな風に本を読んでいたっけ。最近、本にのめりこむこともめっきし減ってしまったような気がする・・・とりあえずイタリア物読んだとき一回は泣いてるような気がしますが(笑)。それは、何がどうよりわたしの感性がにぶっている証拠だと思う。一概に物書きになりたいとき感受性は必要ないけど、ある種の感性は常に鋭くしていないと・・・センス・オブ・ワンダー。・・・人工物に埋もれると、人は少なからず病むんだって。生まれたときから、そういや人工物に囲まれて生きてきたな。でも、生まれたときからそうだったら、やっぱり人工物が落ち着いてしまうの(笑)。それを否定したくない。

落ち着いて、本を読むために読みたいなぁ。しかし何をやっても心にぽっかりあいたままの風穴は、思考することで一時的に埋めることでしか保てない。うん、でもわたし本が好きです。今なら、言えそう。本が面白いと思って読めそう。私なりのひねくれた脱出点でもぶつけ場所でも道のりでも。見付かるのならば。
時々思う。結局わたしはやる気無くて、何やるのも中途半端で、勉強も、部活も、仕事も、遊びも、恋愛も、なんだか一歩引いてる。いや、なまけものだから、一歩引いてるんですけど。なんというか、気後れしちゃうんですね。やる気がわかないというか。嫌な人間だ。

でも、自分の「本質」はそうでも、「人間としての義務」、みたいなやつにはやけにこだわっちゃうところがあるので、極めはしなくても、ある程度・・・それこそ学校のお勉強のように、機械的にこなさなくてはならない、みたいな部分もあります。これは多分自分自身じゃなくて、周りの影響です。最低限人として生きてけてるのは、環境に感謝しなくちゃいけないのかもしれないですね、わたしの場合は。あと、その派生なのか何なのか、「友達」と「家族」というのは割と理屈抜きで「大事にする」ものだと思ってます。ともかく、優先すべきものです。

ただ上の五つは・・・頑張ると・・・わからん、本当にわたしの勝手な感覚なんだけど、「押しつけがましい」ような気がしてしまう。

何か押しつけがましい目的のためにやっているような気がしてきたりする。変な逃げ根性みたいにみえますね、こう書くと(笑)。でもこう思うの。人に干渉するのは、怖い。するなら理由が欲しい。「根拠」が欲しい。大事にしてもあつかましくないと言えるような、干渉しても相手の迷惑にならないような理由が欲しい。・・・我が儘な(笑)。

自分を押し出すのが怖い。人に拒まれるのは悔しいことで、多分自分ではかなり動揺すると思うけど、実際、不躾に人の中に自分の存在が入り込むほうが、実はよっぽど怖い。あまり、人の中にいたくない。だから自分に反感を持ってる人は、なるべく自分のことを「どうでもいい」と思ってくれるようになってほしいと思います。あつかましいの極みですよね、自分のことが嫌いなひとの中に、自分がいるなんて、そりゃもういたたまれない気分。「こんな奴はとっとと忘れちゃって下さい」と、言ってしまいたくなる。人の視界から消えたくなるときは、そういうときかも。それでも、何処かでは生きていたいんだけど。

忘れられるのはたしかに寂しいことだけど、どうしても忘れて欲しくない人に、もしかしたら出会えていないかも。相手が忘れたら、また会ったとき、「レベッカですよ」って説明し直せばいっか、ぐらいの気持ち。何度でも、こっちが働きかければいい。それは怖くないけど、「残って」しまうことの方が怖い。だってあつかましくないですか?自分なんかが人の中に残ってしまったら。というか、かなり痛ましいことな気がします。でも、何か残したいの。生きている理由は欲しいの。自分は人からすればどうでもいいもので良いんだけど、私にとってどうでもいいものであるのは、人として無責任だと思うんですよ。
何かしら、誰かの中に残ったとしても、それは私ではなく、私が残した別の物であって、そしてそれが私の存在の匂いを残さないようなものがいいと、時々ものすごく切実に感じることがある。

・・・奇妙な話で、物語を紡ぐのが大好きだし、論理を組み立てるのが大好きなんだけど、そしてそれは「残したい」と願うんだけど、「自分自身」が誰かの心に残ってしまうのは怖い。私は、思いの丈を主張するんだけど、なんだろ・・・案外自分が残って欲しいわけじゃないというか。とりあえず、自分は言うことで世界の何かが動くところのものを言う、その・・・そうですね、「媒体」ですかね。一種の。わたしはいろいろ考えるし、いろんな欲望があるわけなんだけど、それはあくまで「自分だけのもの」であって、それは「独占欲」とも「卑屈」とも違う、なんていうか人としてのその・・・持つべき?部分、というか。

多分、だからいろんなことが「言えちゃう」んですね。結構、あざ笑われても弄ばれても、それがそこまで恐怖じゃない、のかもしれないですね。重要なのは「私じゃない」というか。・・・かといって、わたしの場合相手でもないのかもしれないですね。「人間」が重要なんだと思います。
・・・比較的、日常の中で後ろ向きな言葉とか否定の言葉を言われる率が高い、というのはあると思いますが、励ましてくれる声も素敵な言葉も知ってます。ただ、「一番下」を抑えておきたいという無意識の注意が強いのかもしれない。「上」は果てしなく想像力で紡いでいける気がします。夢って、本当に果てしなくて大きくて、広くて。人知を超えて。

でも、「下」はどこまでも現実的な気がします。そして、最近は人を超えないかもしれない。地獄は死後だけじゃなくて、生きてる世界にもあるかもしれないと、よく思うように。だからネガティブな言葉の方が自分の中を占めやすいです。喜びよりも。「確かな」感じがするんですね、寂しいことに。
でも、喜びの感動も、美しさの驚異も、やっぱりすごいと思う。だから、それこそ割れ物を扱うように大事にしたいです。うつくしいもの、きれいなもの、かがやいているもの、素敵なものは。


ただ面倒くさいのは、自分がどうとかは案外どうでもいいんですが、「人間としてこういうことはあるべきだ、あってはならない」ー、みたいな面倒くさいことは考えちゃうんだなこれが。で、なまじっか厄介なのは、そっちは多分人一倍強いと思います。「自分」じゃないから、よっぽど強い信念を持ってしまうというとてもとても厄介な部分です。人間なんてあてにならないけど、でも誰かはそういうこといっとかないといけないんだろうなぁと思ったりもすると、勝手に自分はその役割をになっといた方がいいんじゃないかと思っちゃうんですよね、頼まれてもないのに。でも、だれか一人でも意識してやらなかったら行けない気がしてしまうというのは、多分クーラーを使う回数を減らす、とかそういう意識とおんなじなんだと思います。私にとって。

多分、なんでも言える人って、おおらかとか勇気があるんじゃなくて、無関心というか無神経というか、結構心の冷めたひとなんだと思います。時には「おせっかい」も平気で焼けます。そしてそれはもしかしたら相手のためじゃないかも。偽おせっかい?

変だな・・・なんだろうね、こういう心境になるときないですか・・・?すいません、なかったら(笑)。一種のマゾヒズムかな・・・だとしたら、気持ち悪いですね自分。自虐的になりたいわけではないんですけど・・・精神性の問題かな・・・最近真剣に、「結婚できない」っていうことについて考えはじめてます。割と義務みたいな感じで私の頭の中にはある問題なんですけど、実際どうなるんだろう、不安でしょうがないというか、結局あれだと思います。思いやりのない人間なんだと思います。でも、ただ思いやりがない、だけが目的なのではなく、それによって目指すものがあるゆえの思いやりのなさ、みたいな感じかな・・・・・・こんなん無理ですよね、理解しろと言う方が無理ですね(笑)。

でも、相手の中に残るのが、「私」じゃなかったら、頑張れるような気がする。私が作りだした何か、だったら、人に選んでもらえる気がする。それは、相手も取捨選択自由だから、あまりあつかましくないような気がする。

多分諦めたくないことは決して綺麗事ばかりではありようがないだろうな。これがきっと私の「欲望」の部分なんだと思う。だから諦めたくない。これしかない。たった一つ、自分が前面に突きだしても罪悪感を覚えないもの。


人はこういうこと考えたりするんだろうか、と思うことが、よくあります。やっぱり「間違ってる」んでしょうかね(笑)。いや、でも世界は広いとわたしは信じてる。
それは、とても嬉しいことのような気がする。

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