2007年10月26日

41でも嬉しいもんです

先日、また1000キロ旅して荷物が届きました。詳しく教えてもらってなかったので、あけてみてビックリ!





ちと早めの誕生日プレゼントでした☆
27日に41歳になるオヤジ飛鳥ですが、こうしてまだ誕生日を祝ってもらえるというのは、幸せですね。


し%%%台小学校時代の「サプライズ誕生会」は、記事にしてありますね。アレは特別ですが、飛鳥は教師時代、大なり小なり毎年子供たちに誕生日を祝ってもらえました。年によっては、子供らに自分の誕生日など話していないこともあったのですが、どこから情報とってくるのか、なぜか知ってるんですよね。


 誕生日ばかりでなく、旅行や合宿、遠征などから帰った教え子が、みやげもって教室にやってくることも多く、これまでもらった小物も全て大事にとってあります。さすがに、食べ物は完食してますけどね。



 今回は、クッキーやTシャツが届きました。ホントありがとう!
 それと、「葉っぱ」は、パソコンにくっつけてます。少しは飛鳥に運が向いてくるといいんですがね。

 次回本編は、飛鳥の新たなる戦いの幕開けを予感させる「大事件」が起こります。少々まとめに時間がかかるかもしれませんので、今夜のアップは難しいかもしれませんが。

 第4章「懲戒免職」も、あとわずかで終幕です。第5章では、人事委員会への不服申し立てを軸に、ニコルや花火大会、愛犬の死などこれまた「1年間でこんなにイベントが!?」という飛鳥のバカ人生を描きます。まったく……不服申し立てや、「プチ再就職」だけでも普通いっぱいいっぱいだろうに……。なんでこうなんでしょうね、飛鳥エイジ。  

Posted by 飛鳥エイジ at 15:42Comments(0)

2007年10月25日

記事にて返信☆

あれ?通りすがり様、返信してましたっけ……?
すいません、実は、今日ようやく2週間ぶりの休日なんですよ。そういう状況で本館本編メチャクチャに書きまくったので、死ぬかと思いました。
飛鳥の語りに虚偽は無し。何時も言っていることですが、この2週間の二つのブログの状況や、コメント返信、3桁になろうとするメールへの返信、ミクシイの管理等、「この仕事」をしながらそれをすることは、常識的には不可能だと突っ込まれそうです。

しかし、出来てしまったのですね。それが、今の飛鳥の「覚悟」です。
命を賭けるというセリフにも、嘘偽り無いということです。

通りすがり様は、どうしてもあの「セクハラ」について明らかにしてほしいようですが、それはもう本編に書いたことがすべてなんですね。
アイナとともに我が家に宿泊した子は、事件とは全く無関係ですし、あの夜も別の寝室で寝ていました。アイナが一人、「どうしてもロフトに寝たい!」と騒いだので、許可したわけです。なんだか、新聞記事をみると、読みようによっては「二人にセクハラ」と読めてしまうような書き方になっていることには激しい憤りを感じます。その「もう一人の子」は、飛鳥の処分や事件さえ知らないかも知れないほど無関係なのにです。
それと、親の立場は理解できないわけではないのですが、それでは、自分たちの軽率な言動が、一人の人間の人生を破壊してしまった行為の「罪」はどうするのだ?と。
手紙の件もそうですね。内容は過激かどうかわかりませんが、事実を伝えたものです。その事実を受けて、それを信じるか信じないかは自由ですが、飛鳥に対する反論の中で、ありもしない誤解や中傷を文として残すことがどんな結果を生むかを考えないのは、あまりにも思慮が足りないと言わざるをえないでしょう。

さらに、「セクハラ」の件をきっぱり否定しなかったことについては、手紙の中でそんなことを書いても、子供を盲信する親は、ますます怒り狂うだけです。「親」という生き物の難しさは、教師以外の人間にはなかなか理解できないでしょうが、飛鳥は紛れもなくその「親」の我が儘の被害者なのです。

飛鳥は、親の誤解で殺されかけた。その事実は、どんな言葉を重ねようと変わらないものですし、飛鳥の怒りも、「加害者」どもがきちんと納得のいく謝罪を行わない限り、晴れることはありません。

意見は自由ですが、飛鳥は微塵も揺るぎません。
最後に勝つ
という言葉は非常に危険な意味を含んでいますが、それほどに飛鳥の怒りと決意は、熱く固いということなんです。
奴らが飛鳥を止めるには、殺す以外に手段無し。これも、もう決定していることです。あとは、飛鳥が何らかのアクシデントで急死することを祈るしかないでしょうね。

すでに広く支援者の皆さんにはお願いしています。飛鳥が殺されたり、拘置所や刑務所で変死、自殺した場合、「殺された」と認識して下さい、と。飛鳥は、この猛烈な怒りを、生きている間に何とかしたいので、この先も「勝利」するまで自殺することは絶対にありません。

その辺、飛鳥の尋常ならざる決意と覚悟は、理解して頂きたく。


それと、すずらんさま、なんだか嫌な思いをさせてしまったようで申し訳ありません。「親」という怪物に実際に触れた人間でなければ、あの恐ろしさ、自己中さはなかなか理解できないものなのでしょう。
「我が子を信じる」という美名のもとであれば、何をしてもイイと勘違いする最悪の怪物。現に、飛鳥の件で問題になった親は、ひと一人の人生をぶち壊してもなお、「自分らは被害者」という姿勢です。
許せませんね。

dendenさんのコメにある、
「理解してくれなかったから、モンスターペアレンツ扱いされたんですよね。」
という言葉ですが、飛鳥は「理解されない」事については一言も不満、批判などしていません。

問題なのは、飛鳥からの「事実」を伝える手紙に対する返信が、あの「9月30日」の内容になっていることが納得いかないし、それは誹謗中傷を超えた「犯罪」だと言っているのです。現にそれが元で飛鳥は懲戒免職です。
親は、その口が生む重大な結果についてもっと認識しなくてはならないでしょうね。
そのために飛鳥は闘うし、いつか必ず「認識」させますよ。殺されない限りね。

それと、飛鳥に必要なものは…………なんでしょうね?自分でも、よく分からないのです。
積み上げたものを根こそぎぶち壊された事への激烈極まる憤怒が、飛鳥の生きる力です。それがどんなにネガティブだ後ろ向きだと非難されようと、その「原因」となった者達への「相応の裁き」が無い限り、飛鳥の行動は止まりません。
願わくば、平穏に暮らしたいという希望が無いわけではありません。しかし、こうして日々きちんと社会人していても、ふとした瞬間に激しい殺意を覚えます。これは、今飛鳥に生じている「不公平」が解消されない限り、死ぬまで続きます。

必要なもの…………
人間らしく生活するためには、奴らへの「裁き」が必要なのでしょうね。
誰がなんと言おうと、奴らが残した言葉は全くの誤解であり、それがもとで飛鳥に実害があったことは動かし難い事実なのですから。

ま、もう一つの解決策として、飛鳥がこれまでの「理不尽」に対する怒りを忘れてしまうくらいの幸福をえることもありますが、それは奴らに直接裁きを下す以上に困難で難しい道ですので、あり得ませんね。

それと
実は何人か、重大関係者の連絡先を掴んでいます。数人連絡を入れましたが、「関係者」は無視を決め込んでいます。己にやましいところがあるから、飛鳥と直接語るのが怖いのでしょう。

気楽なもんだな。無視していれば楽にやり過ごせるとでも思っているのか?
飛鳥は、「罪」に対してあまりにも巨大な「裁き」を受けた。
それと同じだけの「正当な裁き」を、いずれ受けてもらわなくては、この国に正義などあり得ない。

そんなわけで、ひたすら「忘れたい」と逃げ回る方々に伝えます。
飛鳥は、絶対に止まらない。飛鳥は、絶対に忘れない!!そういうことです。

ふう、疲れました。
いや、疲れるなら書くなよ!ってことなんでしょうが、さすがに自分のとこでの議論なんで、管理者としてあんまり放置できませんからね。
今日は久々に洗濯して温泉入ってきますわ。




こんな飛鳥の生活も、全てはT田N津川、あの親ども、それにマチテル!奴らの悪意のもたらしたもの。
誰にも、その事実は変えられない。事実が変わらないなら、「現状」を変えて納得できるものにしなくてはならない。
事実が変わらないように、飛鳥の決意も覚悟も変わらない。

それだけは、理解して下さいね。
  

Posted by 飛鳥エイジ at 21:33Comments(0)

2007年10月24日

宮城県沖地震外伝 怒号小学生屹立!!

 もう30年近くも前の話になるが、宮城県沖地震というものを覚えている方も多いと思う。飛鳥エイジは、当時仙台市の外れの小学校に通う6年生だった。最近、震度5クラスの揺れを何度か経験したが、その体感と比較して、あの宮城県沖地震の震度は、優に6はあったと思っている。
 今日の戯れ言は、その地震の際、俺のとった行動についてぐだぐだと語ろうと思う。これは、災害から身を守るためには何一つ役に立たない記事なので、その辺は期待しないように。ただ、地震の際にみっともなくあわてふためく愚か者どもを目の当たりにして怒りを感じた人間には、楽しく読める記事だろう。


今までの記事の中に、「これまでの人生でもそうだったのだが、俺は死が予感されるような状況にあっても、常に冷静でいられる。」と書いたが、これはハッタリでもなんでもない事実である。海で砂堀穴にはまってしまったときも、「あ、これ死ぬか?」と思いながら底まで沈んで、海底を蹴って何事もなく海面に浮上したのが小学校5年生の時。


 なぜ飛鳥エイジは、こんなにも「緊急事態」に強いのか?そのわけは至極単純で、俺の父と祖父は、そろって消防士だったからだ。物心ついたときから、救急救命の現場の話や、人命救助の体験談、火事場で死にかけた(現にその時同僚が死んでいる)話などを、食事のツマのように聞かされていたわけだ。そんな毎日から飛鳥は、自然と「人は死ぬ。だが救える。」という思考がすり込まれていった。故に、どんな緊急時にも、もっとも適切な対処を瞬時にして判断し、冷静に実行する「癖」がついてしまったのだ。ま、因果なものよ。


 そして、それが最も顕著に表れてしまった……というか、やらざるを得なかったのが、あの宮城県沖地震だったのだ。

 その日、俺は弟と家の裏の空き地でキャッチボールをしていた。いつもの放課後。俺は、これから起きることなど無論知る由もなく、弟の投げる球を、キャッチャーの体勢で受け止めていた。
 体は小さいが、俺に比べて運動神経がはるかに優れていた弟は、少年野球でもレギュラーとして活躍していた。後に無敗のストリートファイターとなる男だが、当時は学年で前から2番目に立つ小柄な少年だった。
 その弟が、大きく振りかぶって投げた球を、キャッチにいったその瞬間だった。
 体が「ゴン」と鈍く揺さぶられ、俺はバランスを崩して片膝をついた。「めまい?」と思うほどに体が言うことを聞かず、うまく立ち上がれない。コンマ数秒のうちに、激しく揺れる地面を認識し、頭が働く。
「チッ!地震!!」
 俺は弟を広場の真ん中に引っ張り出し、倒壊物が無いことを確認して伏せさせた。そのまま、膝を立てていつでも飛び退ける体勢を維持したまま、俺は道路に立つ電柱と、電線に目をやった。広場の真ん中とはいえ、電線が切れてここに届く可能性は無いとは言えない。その電線の背景となっていた隣家の瓦が、ガラガラとやかましく崩れていく。
 が、そんな状況の中でも、俺はごく冷静だった。まあ、ここなら電線にさえ注意していれば死にはしない。弟も、ここで伏せさせていればまず安全だ。

 それでも、揺れはあまりに激しかった。もちろん、俺も11年ほどの人生のなかでこれほどの揺れがこんなにも続くのは初めてのことだった。

 1分以上は大きな揺れが続いただろう。やがて揺れがおさまったとき、道には瓦やコンクリート片が散乱し、あちこちで人の悲鳴やらなにやらが聞こえ始める。

 俺は、弟を連れて家に戻った。当時家には母と祖母がいたが、どちらも腰を抜かして茫然としていた。
「おふくろ、まず火の確認をしてくれ。それと、今夜食うものの確保を。あと、2000円くれ。」
 行動は迅速に、だ。2000円というのは、ろうそくと懐中電灯や電池を買う金だ。
「俺は買い出しに行ってくる。家の中は頼むぞ。重いものは俺が帰ってきてからでいい。」

 いやいや、我ながら小学6年生のセリフじゃねえ。だが、これが飛鳥エイジというクソガキの真実だ。俺は、普通の小学生でいるわけにはいかなかった。なぜなら、男親二人が消防士だったから、だ。
 消防という仕事は、緊急時こそ仕事に命を賭けなくてはならない。そう、自分の家族以上に、だ。
 普通、一家を支える者は普段仕事に賭け、緊急時には家族のもとに駆けつけるものだ。だが、消防士は緊急時こそ、誰かのために駆けなくてはならない。自分の家族は、自分以外の「消防士」が救ってくれると信じて!
 実際、その日すぐに父から電話が一度だけ入った。
「俺は2,3日は帰れない。家のことは頼むぞ。」
という、1分にもならない短いメッセージだった。S台消防でも「凶悪凶暴な親分」で通っていたジジイは連絡さえよこさない。ったく……。完全な現場主義だった二人だ。もうあちこちかけずり回っているのは確実だ。
 飛鳥エイジは、全国を騒がせた大災害の中、男として一家の長になってしまったわけだ。小学校6年生にして。


 まず俺は、近所の雑貨屋でろうそくを購入した。続いて、やや離れた電器屋で電池を購入しようとしたとき、それは起こった。

 俺は、気が短いが、必要とあれば命ギリギリまで「待つ」のも苦痛にならない。
 だが、世間にはホンの些細なことで無様なほどに取り乱し、我を忘れる愚か者が多すぎる。
 その田舎の電器屋は、地域に一軒しかなかったため、電池や懐中電灯を買い求める者が押しかけていた。俺も、電池を手にレジ順番を待とうと思ったのだが、なんとうことだろうか……店にやってきた大人たちは、電池を手に我先にレジに殺到する。列もへったくれもあったものではない。俺は、自分より先に店にいた人物が、先に会計を済ませるべきと言う、人間として当たり前の判断の下、おとなしくレジを距離をとっていたが、そんな俺の前に次々とオヤジどもが割り込んでいく。

 あまりにも見苦しい!
 俺の中に、いよいよ悪い虫がごそごそと這い出してくる。俺はこのようなみっともねえ連中が、最も許せない存在なのだ。
 そして、小学6年生飛鳥エイジは、やってしまった。

「てめえらいい加減にしやがれえぇえっ!!」

 ビクッと、空気が凍り付く。俺は、当時から声がでかかった。身長はまだ165程しかなかったからそれほど大きいわけではなかったが、筋力は既に成人男性の平均などゆうに超えていた。その俺が、(ガキのはずなのに)鬼の形相で、レジに群がるオヤジどもを見据える。
「このアホどもが!!いい歳こいてみっともねぇと思わねえのかっ!!」

 怒号小学生、屹立。仕事でもこんなふうに怒鳴られたことは無いであろうその場の「大人」たち。唖然として俺を見つめるオヤジの群れに、俺は怒鳴り続けた。

「小学生がこうして順番待ってんだ!みっともなくパニくりやがって、それでも大人かっ!!一列にならべぇっ!!!!」

 はいっという返事があがり、オヤジどもはようやく我に返って、レジの前に一列に並んでいく。

「ちっ、最初からそうしやがれ!」

 その列の脇を、悠然と歩き、俺はレジに電池をドンと置いて会計を済ませた。

…………え?

     おい、飛鳥エイジ、順番は……?

 いいんだよ。俺はずいぶんと順番とばされたし、このアホどもの目を覚まさせたやった、いわばこれは「教授料」だ!

 ああ、いいことをした後は気分がいい。(ヲイ!)

 宮城県沖地震の当日。被災地の片隅で起こった小さな出来事だ。今ももしかしたら、地震の被害にあった土地では、似たようなことが起きているかも知れない。もっとも、怒鳴る男が小学生であることはけっこうレアだと思うが。

 小学生当時から飛鳥エイジはこうだった。T田やN津川ごとき矮小なカスどもでは、真っ向からケンカできないのも至極当然。R町教育長O沢よ、貴様もだ。


なんかね、ここ読んでる人間の中にも、この時の「被害者」がいるかも知れないね。 

  

Posted by 飛鳥エイジ at 17:51Comments(6)

2007年10月24日

免職くらった次の日の写真を

今夜アップ予定の本館記事に、飛鳥懲戒免職の翌日の様子を「画像」で紹介していきます。

まあ、以前から予定していたことなんですが、この日は飛鳥宅に「し%%%台小学校」時代の教え子たちが集まることになってまして。

本当なら、遠方に転勤が決まっているかも知れないから歓送会を、という集まりになるはずだったのですが、まさかこんなことになろうとは、飛鳥も教え子たちも予想してませんでしたね。

飛鳥宅玄関前の一枚です。



キョウコとミヒロを中心としたこの日の集まり。

そして、この後H小学校時代の教え子、飯田たちも来訪することになるのですが……

さて、そこで何が起こるかは、またその時に。
  

Posted by 飛鳥エイジ at 12:52Comments(0)

2007年10月23日

これが免職報道かい!?

というとんでもない事実を、本館にアップしました。
この国で、こんなことが本当に起こったのです。

M県教育委員会が、飛鳥の懲戒免職という事実をどう扱ったのか?
通常、教師の懲戒免職については原則公開です。では、M県教育委員会は飛鳥の処分を公表したのでしょうか?

その信じられない隠蔽工作を、一人でも多くの方に知って頂きたいと思います。
是非、一読下さい。

こればかりは、飛鳥の落ち度が云々関係なく、純粋にM県教育委員会の薄汚い策謀による悪事です。  

Posted by 飛鳥エイジ at 22:31Comments(1)