2007年11月13日

小さな幸せを感じてほしい

と、大切な人に言われた

こんな前科者がマックで昼休み

これも幸せなのかもなぁ……


生活は不本意極まるものだけど、人並みの暮らしをしているのは間違いない

先行きの不安はあるが、来月食えなくなるほど悲惨でもない


で、毎日ちょっとでも笑えれば、人間は幸せ、か

でもなぁ

俺には「一番の安息」が無いからなぁ

それさえあれば、小さな幸せも、十分な幸せになるのかもね


少し前まで、そう思える瞬間があったしね


少し
寂しい
転落教師飛鳥です  

Posted by 飛鳥エイジ at 13:27Comments(0)

2007年11月13日

対アメリカ海兵隊!?

昨日、とある方に、飛鳥がかつて、アメリカ海兵隊20人程に囲まれた話をしました。

いや、さすがに屈強の兵士数十人ぶっ倒すのは俺でもかなり骨折れます。

いやいや、戦ったんじゃないんですよ

現場は、宮城県仙台市の駅前ゲーセン

いいやつらでしたよ海兵隊!日本人はあんなノリありませんな!

詳しく話していいですか?

さて、今日は火曜日

海兵隊相手より大変だわ
  

Posted by 飛鳥エイジ at 09:53Comments(2)

2007年11月13日

しかしアレですね

アレとかコレとか使いすぎるとボケが始まってるみたいでみっともないのですが。

いえ、真館メンバーの皆さん、コメありがとうございます。
あのような「資料」の存在を見ると、あの当時一体何が起こっていたのかますますわからないなると思います。

実は、アイナとマリカも、同じテーマで文集を書いています。本当なら、全員の文を見たいただきたくらいですね。
20人ほどは、流星群をテーマに書いてますから。何もあの3人が特別というわけでもなく、もちろん飛鳥がそれを書くようにし向けたということもありません。

時期と事実の決定的矛盾。

親の意見(というか言いがかりですが)は、その点を全くクリアすることができません。
それがなぜ「真実」とされてしまうのか?

問題はそこなのです。

通りすがり様と市子さまのコメントも読ませて頂きました。
まあ、そういう考え方もできるなとは思います。
しかし、ある点であまりにも片手落ちななのですが、わかりますか?

それは今までも何度も言ってきたことです。
飛鳥のやり方も心境も、指摘は自由です。しかし、「親」どもが、人一人の人生を破壊しておきながら、今もなお「自分は微塵も悪くない!被害者なんだ!」という姿勢を貫き、飛鳥一人が不当極まる裁きを受け、親どもはじめ関係者らは、今なお安穏と生活しているという現状になぜ気づけないのでしょうね?

飛鳥の立場の理解について言われていますが、

簡単な例えです

宮崎勤や宅間守が、あのように反省の態度を全く見せずにいたら、あなたはやっぱり「なぜ被害者の苦しみを理解できないんだ!」と頭に来るでしょう?

あの親たちがしでかしたことは、まあ猟奇殺人とかではありませんが、一人の男の人生を破壊するという立派な「犯罪」なのです。それは「理解」もへったくれもないんですね。この国の法に照らせば、償わなくてはならない暴挙なのです。

あまりにも親よりの意見で、その「犯罪行為」に一切言及しないまま飛鳥の行動を批判していると、やはり「関係者」ではないかと疑われても仕方ないかと思います。私だけではなく、やはりそれを読んだ多くの方がそう感じ始めていますし。それが、普通でしょうね。

飛鳥は、親どもへのキツイ表現をあらためるつもりはありません。奴等がこれからもなお開き直りや「我関せず」を貫こうとするなら、いずれ無視できない状況に追い込んでやりますよ。
犯罪者と同じなのですから。

本来なら警察に何とかしてほしいところですが、なんせ敵が警察関係者ですから。
飛鳥の裁判は、検事と裁判官と被害者3人を相手に、両手両足を縛って戦うようなものでした。それで、「争点にするのかい?まだまだ戦いが長引くよ?」と言われて、「よっしゃやってやる!」という馬鹿がどこにいます?
裁判官がド阿呆で、既に被害者よりであるなか、飛鳥が戦い続けることは、自分のクビを絞めるだけのむなしい行為であったわけです。

宅間や宮崎を弁護する人間を、どう思います?仕事とはいえ、全面的に「やれやれ!!」という人間は少ないでしょうね。
「一面被害者」であるのをいいことに、「全面被害者」ヅラを貫く親ども。そしてそれを利用した関係者、機関。
そいつらの非常識は、なんらお咎めを受けずに済むモノだと?

そういうことです。

真館の「作文」を見た方は、ますますわからなくなると思います。
アレが、真実なのです。

さて、コレは本館などにも上げておきます。
ちょっと時間かかっちゃいました。仕事行きます!では、また☆  

Posted by 飛鳥エイジ at 05:26Comments(14)

2007年11月12日

R町立S台小学校

飛鳥の怨念こもる忌まわしいあの小学校

真館に、関連記事を上げました。

卒業文集という証拠も、つけてあります。

公にできない証拠が、まだまだあります。

どう考えても、親の言い分はタイミング的にあり得ないのです。「10月に%%だった」という親の言い分と決定的に矛盾する事実の数々。それを客観的に示す具体的証拠。これらを並べて示したとき、多くの良識ある人間はどんな判断をくだすでしょうね。

でも、裁判官ただ一人が馬鹿者だったり異常者だったりすると、真実も崩壊します。

裁判など、クソ食らえです。

何が「争点にするんですか?」だ!!
きさまが保釈出すんなら、なんぼでも証拠出して戦ってやったわ!!自殺防止房なんぞに押し込んで、怪しげなクスリで頭壊してくれてな!!それでどうやって「争点」なんぞにできるか!!

同じ思いを、してもらわなくては。力によって理不尽に踏みにじられる苦しみが、てめえにわかるか……。

なんてね。ホント、頭来るよ。裁判なんぞ飛鳥は絶対にアテにしない。弁護士もアホが多いが、裁判官はさらに世間知らずの異常者だらけだから。特にS台地裁は。薬害肝炎裁判みれば、わかるっしょ?

さて……。

メンバーのみなさん。
真館、ご覧ください。

できれば、コメントはこちらや本館などにもいただきたく。

よろしくお願いします。  

Posted by 飛鳥エイジ at 21:39Comments(5)

2007年11月12日

本編3-7 死の淵へ~転落教師の自殺を救ったのは

 
 平成14年6月のある日、S小学校のO田校長がやってきた。
 なんと、俺がアイナたちの家に手紙で連絡を取ったことが念書違反だと問題になっているというのだ。
 本当に、どこまでT田は用意周到だったのだろう。そこまで悪知恵が働くなら、なぜその脳みそをS台小学校の子どもたちのために使ってやれなかったのか。先に述べたとおり、俺は不服申し立てという権利行使のために3人に連絡を取る必要があった。その必要最低限の行動さえ咎められるのでは、俺には不服を訴え出る機会さえないということではないか。

 T田特製「念書」は、俺の動きを封じ込め、さらなる処分の口実を作るためだけに利用された。俺に対しては不服申し立てという正当な権利を奪い取り、アイナたち3人から平穏な中学生活を奪った念書。

一体、この「念書」は、何のために存在したのだ?

 また、このころからある問題が、更に俺を苦しめることになっていた。

 Sヶ浜町教育委員会やS小学校からの電話と、N津川やO田校長の突然の自宅訪問である。
 事前に何一つアポなく、N津川がやってきて俺に告げた。
「S小学校のPTAが騒ぎ出してるんですよ。あんな問題を起こした教師に復帰してもらっては困るってね。先日のPTA会議でも、会長から先生のことを詳しく聞かれましてね。なんとかなりませんかね。」

 この「なんとかなりませんかね」を翻訳すると、「辞めてくれませんか」ということになる。

 冗談ではない!それでなくても俺はT田にまんまと嵌められて、こんな目に遭っているのだ!これ以上理不尽きわまる責めを負うつもりはない!!
 俺は、何が何でも復帰するつもりだった。

 それとだ、S小学校の親たちよ。
 あんた方は、俺の何を知っているというのだ?俺がS小学校で見せた一ヶ月半の姿以外に、何を知っていると?しかも、その一ヶ月半の中で、俺の指導は多くの保護者から絶讃された。そのおなじ口が、今度は俺に教師を辞めろと言うわけか。なんという無責任な口だろうか。

 感動的な物語にさめざめと涙を流しても、「悪人」のレッテルを貼られた俺の痛みなど微塵も理解できないわけか!?有りもしない絵空事よりも、よほど俺の物語の方が想像するに易いはずではないか。

 厄介者は一刻も早く切り捨てたい教育委員会と、想像力の乏しいPTAの容赦ない圧力により、俺の精神は拉がれていった。

(が、この時想像力欠如のため俺を容赦なく追い込んだクソ親どもの一人に、数年後、「理不尽な苦しみ」が襲いかかる。少しは解ったか?俺の怒りや悔しさが。体験してから理解するのでは遅いがな。)


 そして、6月末のある日。
 M県議会で俺の件が一般質問された。S台市I区選出の議員が、「こんなわいせつ教師が停職6ヶ月とはどういうことか?免職にすべきだったのではないか?」と。またどっから持ってきたのかいろいろな資料を手に県教育長を責めたというのだ。
 本当に、自分に関係ない人間になら、ヒトはどこまでも無神経になれるらしい。「わいせつ教師」など、攻撃目標としてはうってつけだ。核をぶち込んでも許されるかもしれんな。それと一つ突っ込んでおくが、俺は公式には「わいせつ」と言われる筋合いはない。地元新聞社K新報が勝手に見出しにしたのであって、アレは最悪、名誉毀損だろ?くされブン屋が、てめえらもいずれ「彼」のように俺の痛みを理解することになるかもしれんぞ。

 田舎のPTAでふんぞり返るアホ親や、財政再建団体落ち寸前のボロ県から税金吸い取るクソ議員など、俺や俺の家族の苦しみなど理解しようともしないだろう。それがT田という悪魔によって仕組まれたものであると知らない無思慮な者達に、俺はいいように叩かれた。

 つくづく、人の痛みを知らぬ人間が多すぎると思うわ。

 そして、俺はその質問を報じる記事の中に、その一文を見た。

「教師(俺のことだ)の勤務していた小学校の校長から提出された報告書には、『免職が相当』と明言されている。」







 神 よ、 どうかこの先、私とT田が邂逅することのないよう、祈ります。

 きっと、素手で八つ裂きにしてしまうことでしょう。


 新聞はよく嘘を平気で載せるが、この件はどうだろうか?信じていいのかな?だとすると、あの謝罪の席の翌日、R町教育委員会に提出されたT田の報告書は、「飛鳥をクビにしてくれ」という内容だったということになる。

 その数日後には、涼しい顔をして「この念書があんたを守るんだから。」



 殺してイイですよね?こんな人間が、「校長」ですよ?こんなクズ野郎が、何千万もの退職金を受け取ることは何の問題もないと?なあ、マスコミ諸君よ。

 さ、新聞記事を鵜呑みにしまくる世の凡俗どもよ。
 このT田の報告書に関する記事も信じるか?

 ならば、T田という男の狂気と悪意を感じてほしいものだ。
 俺はこの時ほど「人間を殺したい」と本気で思ったことはない。


 しかし、それがどんなに容易いことであっても、人を殺すというのは大罪だ。もちろん、T田はこの世に存在してはならない程のクズ野郎だが、それでもなぜか殺してしまえば「殺人罪」だ。不思議だ。そんなものせいぜい「器物損壊」程度のはずなのだが……。どう考えても奴が人間とは思えない。

 俺は、抑えがたい殺意の中、息子の不安そうな目に見つめられ、発狂寸前の日々を送っていた。

 そして、当然のように一つの選択肢に思い当たっていた。

 自殺しようか、と。

 死をもって己の訴えを世にぶつけ、出来る限り派手に逝こうかと考え始めていた。

 なあに、一年間に3万人もいる中の一人だ、珍しいことでもない。T田を道連れにすることも本気で考えた。だが、同時に俺は、救われたくもあった。

 あの停職の日以来、俺は本当に地獄を味わった。決して大げさな話ではない。一日の睡眠時間は1,2時間となり、時たまパニック症のように激しい動悸がする。何十時間も水以外口に出来ない状態が繰り返しやってくる。電話や呼び鈴で目の前が暗くなり、意識を失いかける。部屋に一人でいると、ぼろぼろと涙が溢れてとまらなくなる。

 生きていることが奇跡であった。殺さないことも、また。

 S台小学校時代85キロあった体重が、70を切っている。この数字だけは、誰にも否定できない事実である。いよいよ俺の死がそこまで迫ったとき、なぜだろう、俺はマチに連絡をとっていた。

 あの穏やかな交流の日からずっと、マチは俺を元気づけてくれていた。

 小学6年生の頃、2ヶ月ほど不登校になっていたマチは、毎週水曜日のクラブの時は、ちゃんと俺の教室にきていた。不登校状態だと聞いていた俺は、「なんだ、マチ来てるじゃないか。」と安心していたものだ。

 マチがその時のことを語った。
「ね、先生。なんでマチが水曜日だけは学校来てたかわかりますか?白状しちゃうと、先生のイラストクラブだけは休みたくなかったんです。担任の先生はウマが合わないけど、飛鳥先生には会いたかったから。」

 教師時代の俺が、知らないうちにマチに元気を与えていたのか?
 マチとのこんなやり取りは、死の淵にある俺をギリギリのところで支えてくれていた。


 7月
 俺はついに、マチへのメールで「死にたい」と伝えてしまった。もちろん、ハンパなものではない。耐えに耐えて、とうとう俺は自分が壊れきっていることに気付いた。このままでは、俺はT田はもちろん、怒りの対象を片端から殺してまわり、全てを巻き込んで終わりにしてしまう。
 もう、己自身の命を絶つ以外、平穏な幕引きはあり得なかった。

 しかし

 その直後、マチからコールが入った。メールではなく、電話だ。あまりの反応の早さに驚きながら電話に出ると、マチの声が俺に突き刺さった。

「先生!死なないで!!」

 電話の向こうで、マチは泣き叫んでいた。こんな無価値な俺のために、なぜそんなに泣いているんだ……?

「先生がいなくなっちゃうなんて考えられないよ。お願いだから、死ぬなんて言わないでください……。」

 マチの声は、涙でうわずっている。時々声を詰まらせながら、彼女は必死で俺に訴えかけてきた。
 すまん、マチ。俺はお前を苦しめるつもりはなかったのに。

「マチ……もう泣くな。俺が悪かった。そうだよな、まだ、死ぬには早いよな。」
「そうですよ……。停職になってまだ一ヶ月じゃないですか。11月には教師に戻れるかもしれないんですよ……。だから、まだがんばらなきゃ。」

 ようやくマチも落ち着いてきたようだ。マチは、続けた。
「飛鳥先生が死んだら、マチの相談相手がいなくなっちゃいますよ。だから、ちゃんとそこにいて下さいよ。まだまだ聞いてもらいたいこと、たくさんあるんです。」
「……わかった、マチ。俺ぁ毎日ギリギリだけど、がんばってみるわ。」
「本当ですね!約束ですよ!」
「ああ、けど、俺がまたへし折れそうになったら……。」
「マチが支えます!!だから、がんばってください。」
「ありがとう、マチ……。」


 いつか、泣いているのは俺の方になっていた。
 この日、マチの声がなかったら、俺は死んでいた。俺をこの世に引き留めたのは、まだ14才の少女の涙だった。

 近く、俺たちは必ず再会することを誓って電話を切った。


 本当なら、俺はこの時死ぬべきだったのかもしれない。
 全て終わった後に振り返ると、心底そう思う。
 だが、この時の俺は、マチに賭けてみたかった。俺がこの先も生き続けてよいのかを確かめたかった。

 俺の中のマチは、この日を境にあまりにも大きな存在となった。
 陳腐な例えだが

 女神

 であったと言える。

「マチ」の字は、幸運や吉兆を表す。俺にとってのマチは、まさに天女のごとく、俺を癒やし支えてくれるヒトとなっていた。


本編3-8 遍路との出会い~四国八十八ヵ所巡礼の旅と、「天女」マチ に続く


補足しておく。「マチ」の字が表すものについてだが、これは「マチ」の本名をもとにしたものになっている。未成年者は仮名での登場なので、実際の文字が表すものについてはつじつまが合わなくなることも出てくるので、その点ご了解頂きたい。これは他の教え子たちについても何度か起こることなので、その都度忘れなければ注釈入れるようにしたい。

 さて、いよいよ次回は、四国遍路について飛鳥が知るエピソードになります。その後の飛鳥、マチ、キョウコ、テルの運命を大きく変えることになる「四国八十八ヵ所同行二人」。そして、マチの暗部が少しずつ明らかになる平成14年の夏。

 夏の終わりに俺たちを待っていた運命は……。

 あの「9月1日」に向けて、俺とマチの長い長い夏が始まったのです。

 それでは、また……
  

Posted by 飛鳥エイジ at 17:56Comments(4)転落教師本編」