西日本新聞

秋葉原事件8日1ヵ月 「なぜ殺されなければ…」 遺族 募る憤り

2008年7月7日 00:12 カテゴリー:社会

 7人が亡くなった6月8日の東京・秋葉原無差別殺傷事件から間もなく1カ月。かけがえのない息子を失った2遺族が、悲しみや憤りに苦しむ胸の内を語った。

 「なぜ殺されなければならなかったんだろう」。東京情報大(千葉市)の2年だった川口隆裕さん(19)の父の会社員健さん(53)=千葉県流山市=は、息子の死の意味を問い続ける日々を送っている。

 事件から8日後の6月16日。健さんは初めて現場を訪れ、献花台で手を合わせた。たくさんの人が道を行き交う。街は日常を取り戻しつつあった。「ここで隆裕がトラックにはねられたんだ」。そう思いながら、持参したカメラで交差点や周辺を撮り続けた。

 事件を報じる新聞やテレビ番組をつらくても見てしまう。「隆裕に何が起きたのかを知りたい。あと10秒、現場を通るのが早かったら、あるいは遅かったら、亡くならずに済んだのではないか」

 遺骨となった隆裕さんに毎日、心の中で「おはよう」「おやすみ」と声を掛ける。「なんでこんな姿になってしまったんだ」と考えると、夜もよく眠れず、職場復帰できたのは今月1日だった。

 遺骨は、九州にある健さんの父親が眠る寺に安置される予定。健さんは「隆裕のおじいちゃんがいますから。静かに眠らせてやりたいと思っています」と話している。

 埼玉県蕨市の会社員宮本直樹さん(31)はダガーナイフで刺され亡くなった。父惇彦さん(60)は6月29日、妻(58)と次男(29)とともに現場を訪れ、献花台に手を合わせた。

 惇彦さんは「息子は刺されてから何メートルかは逃げたようだ。苦しかったと思う。頑張ったけど…」と言葉を詰まらせた。妻は涙を流し続けた。

 宮本さんはカードゲームの世界で知られた存在で、秋葉原には頻繁に通っていた。惇彦さんはそんな姿をほとんど知らなかった。「温和で、親には迷惑を掛けることのない子だった。独立心が旺盛で、当時も新しい事業を起こそうと頑張っていた」とつぶやいた。

 数十年ぶりに秋葉原を訪問した惇彦さんは「息子にとっては心を癒やす場所だったのだろう。事件が起こる街とは思えない。現場に立ってみると『何をやってくれたのか』と犯人への憎しみと憤りがさらに増した」と声を震わせた。

=2008/07/07付 西日本新聞朝刊=

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