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自灯明 法灯明 [空手]
5月4日(日)の芦原会館 関西地区合同稽古 当日は目も回る忙しさで、各支部幹部への対応に神経を使いましたが、なんとか事故もなく成功裡に幕を閉じました。
これで分を過ぎる大役も無事終え、また日常の変わりない生活がはじまり、疲れ果てた心身を整えようとしはじめたゴールデンウィーク明けの5月7日(水)、加古川支部 使用施設の加古川中学校より電話があり、至急おいで下さいとの事で赴くと、校長・教頭両先生のご説明のあと、一本の録音テープを聞かされました。
内容は以下の通りです。
「○○という同和団体の者だが、おたく(加古川中学校)が施設を貸している、空手の「芦原会館」の支部長をしている平山何某なる者が、教え子の少年少女に猥褻行為をしている、それを拒むと自分のブログ・掲示板にその子たちの誹謗中傷を書いているとうちの同和団体の幹部から聞いた。そのような者に施設を貸していいのか!即刻追い出せ!追い出さなければ街宣車をまわして大きな声で糾弾するぞ!」
その団体の連絡先、所在地は明かせない、電話も非通知でかけているが理由がある、とその電話の主は言っていましたが、明らかに聞き覚えのある声、話し方です。
録音テープを聞かされている間、それは私にとっては屈辱の数十分でした。
白血病・骨髄移植から生還し、退院した翌月から道場復帰し、専門知識のある方なら理解できると思いますが自殺行為で常識ではあり得ない「空手の指導」をその後二年間続けてきました。
それは私の帰りを心待ちにしている生徒たち、特に少年少女の純粋な期待に応えたいという一心が私を強く突き動かしたからであり、そんな私が少年少女に猥褻云々というのは屈辱以外の何者でもありません。
中学校側と協議し、所轄の兵庫県警 加古川警察署に中学校としての立場上「相談」に赴かれるのに同行しました。
先生から事情説明され、担当官は右翼・同和関係の確認をされましたが実在しない団体を電話の主は語っていました。
後日 加古川市教育委員会の方々を交え、少年部父兄の方に事実確認をされましたが、「私の子供は平山先生に長年預けていますが、子供にもそういった話しは聞いた事がありませんし、噂も聞いた事はありません」とはっきり話して下さいました。
もうひとつの使用施設である「コナミスポーツクラブ加古川店」にも同様の電話をしてきていましたが、コナミも加古川中学校の先生方も日頃の私の活動を理解して下さっており、「事実無根の事なんですから毅然と対応します」とおっしゃっていただけたのが唯一の救いです。
・・・ただこの間の「心の孤独」は決して誰にも理解できないでしょう・・・
英典館長、岸師範から、「わかってくれる人はわかってくれるんだから」と言われ、また中学校より「相手方を刺激しないで下さい」と依頼されており、私も中学校に迷惑をかけている立場である以上、事実を公にできませんでした。
白血病に罹って以来、常に「死」は覚悟しており、今日明日突然死ぬことにもいささかも恐れはありません。
しかし、仮にも空手という「武道」を指導している立場でその名誉・品位を貶められたまま平気な顔をして過ごせる程、私は「できた」人間ではなく、それは「死」よりも私にとって惨い仕打ちです。
ここに私の意志を表明します。
このような人の道に悖る「非道」な行ないを繰り返す者には、いずれ「天罰」が下ることでしょう。
またこのような事実無根の誹謗中傷を受けようとも、私は私の信じた「空手道」を歩んでゆくのみです。
これで分を過ぎる大役も無事終え、また日常の変わりない生活がはじまり、疲れ果てた心身を整えようとしはじめたゴールデンウィーク明けの5月7日(水)、加古川支部 使用施設の加古川中学校より電話があり、至急おいで下さいとの事で赴くと、校長・教頭両先生のご説明のあと、一本の録音テープを聞かされました。
内容は以下の通りです。
「○○という同和団体の者だが、おたく(加古川中学校)が施設を貸している、空手の「芦原会館」の支部長をしている平山何某なる者が、教え子の少年少女に猥褻行為をしている、それを拒むと自分のブログ・掲示板にその子たちの誹謗中傷を書いているとうちの同和団体の幹部から聞いた。そのような者に施設を貸していいのか!即刻追い出せ!追い出さなければ街宣車をまわして大きな声で糾弾するぞ!」
その団体の連絡先、所在地は明かせない、電話も非通知でかけているが理由がある、とその電話の主は言っていましたが、明らかに聞き覚えのある声、話し方です。
録音テープを聞かされている間、それは私にとっては屈辱の数十分でした。
白血病・骨髄移植から生還し、退院した翌月から道場復帰し、専門知識のある方なら理解できると思いますが自殺行為で常識ではあり得ない「空手の指導」をその後二年間続けてきました。
それは私の帰りを心待ちにしている生徒たち、特に少年少女の純粋な期待に応えたいという一心が私を強く突き動かしたからであり、そんな私が少年少女に猥褻云々というのは屈辱以外の何者でもありません。
中学校側と協議し、所轄の兵庫県警 加古川警察署に中学校としての立場上「相談」に赴かれるのに同行しました。
先生から事情説明され、担当官は右翼・同和関係の確認をされましたが実在しない団体を電話の主は語っていました。
後日 加古川市教育委員会の方々を交え、少年部父兄の方に事実確認をされましたが、「私の子供は平山先生に長年預けていますが、子供にもそういった話しは聞いた事がありませんし、噂も聞いた事はありません」とはっきり話して下さいました。
もうひとつの使用施設である「コナミスポーツクラブ加古川店」にも同様の電話をしてきていましたが、コナミも加古川中学校の先生方も日頃の私の活動を理解して下さっており、「事実無根の事なんですから毅然と対応します」とおっしゃっていただけたのが唯一の救いです。
・・・ただこの間の「心の孤独」は決して誰にも理解できないでしょう・・・
英典館長、岸師範から、「わかってくれる人はわかってくれるんだから」と言われ、また中学校より「相手方を刺激しないで下さい」と依頼されており、私も中学校に迷惑をかけている立場である以上、事実を公にできませんでした。
白血病に罹って以来、常に「死」は覚悟しており、今日明日突然死ぬことにもいささかも恐れはありません。
しかし、仮にも空手という「武道」を指導している立場でその名誉・品位を貶められたまま平気な顔をして過ごせる程、私は「できた」人間ではなく、それは「死」よりも私にとって惨い仕打ちです。
ここに私の意志を表明します。
このような人の道に悖る「非道」な行ないを繰り返す者には、いずれ「天罰」が下ることでしょう。
またこのような事実無根の誹謗中傷を受けようとも、私は私の信じた「空手道」を歩んでゆくのみです。
指導について [空手]
ある事情から、ここ最近緑帯以上の一般部に少年部・一般部それぞれを指導してもらっていました。
当然私も道場に行き稽古していましたが、嬉しい発見が二つありました。
一つは今日(6月14日)見学しておられたご父兄にも言いましたが、I原H翔とK内Y太が格段に上手になっていた事です。
どちらも入門当初は何度も間違いを指摘し、本当に手間がかかると思っていたものですが、H翔は最近本人にも言っていた通り、後ろ回し蹴り、肘打ちのキレが見違えるように上達しています。
Y太は突き、蹴りすべての動作での「バランス」と「技の開放」が数ヶ月前と比べてやはり格段にうまくなっています。
少年部は特に幼稚園くらいからはじめると、まず「右」と「左」の判断ができない子が多く、基本稽古でも少し複雑な技になるとしっかり覚えられずクセのついたまま帯と年数だけ経過してゆく、という指導する立場からすると大変もどかしい思いを幾度もしました。
しかし投げ出さず粘り強く指導し続けていると、あるタイミングから急に「できる」ようになるものだと、今日改めて発見しました。
他の子たちも、ずっと注意していた事がある時期から突然こなせるようになったり、女の子で初めは中段を蹴るのも大変そうだったのが、今では上段をしっかりヒザ先を抱えて蹴られるようになっています。
一般部ではY中さんが、青帯ですが回し蹴り、後ろまわし蹴りのヒザ先を抱える角度がしっかり高角度でできており、加古川支部の女性は皆身体が柔らかいですが、Y中さんは今日稽古した巻き込み投げの手前の回し崩しが完璧にできており、恐らく今いる加古川支部の女性の中で一番上手だと思います。
K谷君は黒帯のH2さんと二人で同じ内容の注意を何度もしてきましたが、黙々と稽古に励んできて茶帯一歩手前の今、サバキのレベルも一年前と比べてやはり格段に上達しています。
幼年だから、女性だから、その他色々な理由で進歩がずっと見られず歯がゆい思いを生徒に対して感じてきましたが、前述の子(人)たちのように、突然目を見張る上達を見せ付けられる事がしばしばあり、それは同じ空手の指導者の方なら一度は経験した事があるのではないでしょうか?
大切なのは、あきらめず投げ出さず、辛抱強く指導し続ける事だと今日改めて学びました。
教える方、教わる方、ある意味「我慢比べ」なのではないかと思います。
どちらか片方でもねを上げたらそれでおしまいではないでしょうか?
本人たちも、ずっと注意されできなかった事ができるようになり誉められたら、その嬉しさと自信がこれからの人生に大きな財産となると信じています。
もう一つの嬉しかった事は、前述のように一般部緑帯以上の人たちに指導を任せていましたが、少年部の「型」が予想以上に上手に仕上がっていた事でした。
中でも白帯の兄弟が素早く正確に「初心の型1」をこなしているのを見て、指導したK谷君の「教える能力」が高かった事にようやく気付きました。
ずっと以前から、元姫路支部長のK笠先輩に、「平山、お前指導を一人で抱えこまんと黒帯を育てて割り振らなあかんぞ!」と言われていましたし、現姫路支部長のM田さんにも、「平山さんが手(口)出したなるんもわかるけど、手分けして指導せなあかんわ」と何度も言われてきました。
お二人の言われる事は重々わかっていましたが、諸事情からそれが実現できませんでした。
白血病治療、そして骨髄移植より退院してからも、たった一人で約2年間指導し続けてきました。
しかし今日一般部の稽古後、ミーティングを行ない緑帯以上の指導体制を設立する事で決まりました。
皆の指導能力を信じ協力してもらう事によって、加古川支部の指導層が厚くなるばかりでなく、私の精神的負担もかなり軽くなり、いち黒帯として同じ空間で稽古する事によって自分のトレーニングにもより一層力を入れられ、それが精神的な余裕を生み、加古川支部にとっては結果としておおいにプラスに働くことが予想できます。
とりあえず私は、「打撃力」を一層増すことに、ここ当面専念します!^^
一般部の皆さんもどんどん黒帯になってもらいますので気を抜かず稽古に励んで下さいね!^^
当然私も道場に行き稽古していましたが、嬉しい発見が二つありました。
一つは今日(6月14日)見学しておられたご父兄にも言いましたが、I原H翔とK内Y太が格段に上手になっていた事です。
どちらも入門当初は何度も間違いを指摘し、本当に手間がかかると思っていたものですが、H翔は最近本人にも言っていた通り、後ろ回し蹴り、肘打ちのキレが見違えるように上達しています。
Y太は突き、蹴りすべての動作での「バランス」と「技の開放」が数ヶ月前と比べてやはり格段にうまくなっています。
少年部は特に幼稚園くらいからはじめると、まず「右」と「左」の判断ができない子が多く、基本稽古でも少し複雑な技になるとしっかり覚えられずクセのついたまま帯と年数だけ経過してゆく、という指導する立場からすると大変もどかしい思いを幾度もしました。
しかし投げ出さず粘り強く指導し続けていると、あるタイミングから急に「できる」ようになるものだと、今日改めて発見しました。
他の子たちも、ずっと注意していた事がある時期から突然こなせるようになったり、女の子で初めは中段を蹴るのも大変そうだったのが、今では上段をしっかりヒザ先を抱えて蹴られるようになっています。
一般部ではY中さんが、青帯ですが回し蹴り、後ろまわし蹴りのヒザ先を抱える角度がしっかり高角度でできており、加古川支部の女性は皆身体が柔らかいですが、Y中さんは今日稽古した巻き込み投げの手前の回し崩しが完璧にできており、恐らく今いる加古川支部の女性の中で一番上手だと思います。
K谷君は黒帯のH2さんと二人で同じ内容の注意を何度もしてきましたが、黙々と稽古に励んできて茶帯一歩手前の今、サバキのレベルも一年前と比べてやはり格段に上達しています。
幼年だから、女性だから、その他色々な理由で進歩がずっと見られず歯がゆい思いを生徒に対して感じてきましたが、前述の子(人)たちのように、突然目を見張る上達を見せ付けられる事がしばしばあり、それは同じ空手の指導者の方なら一度は経験した事があるのではないでしょうか?
大切なのは、あきらめず投げ出さず、辛抱強く指導し続ける事だと今日改めて学びました。
教える方、教わる方、ある意味「我慢比べ」なのではないかと思います。
どちらか片方でもねを上げたらそれでおしまいではないでしょうか?
本人たちも、ずっと注意されできなかった事ができるようになり誉められたら、その嬉しさと自信がこれからの人生に大きな財産となると信じています。
もう一つの嬉しかった事は、前述のように一般部緑帯以上の人たちに指導を任せていましたが、少年部の「型」が予想以上に上手に仕上がっていた事でした。
中でも白帯の兄弟が素早く正確に「初心の型1」をこなしているのを見て、指導したK谷君の「教える能力」が高かった事にようやく気付きました。
ずっと以前から、元姫路支部長のK笠先輩に、「平山、お前指導を一人で抱えこまんと黒帯を育てて割り振らなあかんぞ!」と言われていましたし、現姫路支部長のM田さんにも、「平山さんが手(口)出したなるんもわかるけど、手分けして指導せなあかんわ」と何度も言われてきました。
お二人の言われる事は重々わかっていましたが、諸事情からそれが実現できませんでした。
白血病治療、そして骨髄移植より退院してからも、たった一人で約2年間指導し続けてきました。
しかし今日一般部の稽古後、ミーティングを行ない緑帯以上の指導体制を設立する事で決まりました。
皆の指導能力を信じ協力してもらう事によって、加古川支部の指導層が厚くなるばかりでなく、私の精神的負担もかなり軽くなり、いち黒帯として同じ空間で稽古する事によって自分のトレーニングにもより一層力を入れられ、それが精神的な余裕を生み、加古川支部にとっては結果としておおいにプラスに働くことが予想できます。
とりあえず私は、「打撃力」を一層増すことに、ここ当面専念します!^^
一般部の皆さんもどんどん黒帯になってもらいますので気を抜かず稽古に励んで下さいね!^^
6月度 昇級・昇段審査会 [空手]
6月度 審査会の申し込み受け付けは、昨日(6月7日)で終了しました。
20数年空手を練習・指導してきましたが、稽古で流した汗は決して嘘をつきません。
審査会に関係なく、各自が当座の目標としてきたものをクリアできるよう、日々の稽古に集中して励んで下さい。
押忍
20数年空手を練習・指導してきましたが、稽古で流した汗は決して嘘をつきません。
審査会に関係なく、各自が当座の目標としてきたものをクリアできるよう、日々の稽古に集中して励んで下さい。
押忍
関西地区 合同稽古 4日前! [空手]
芦原会館 関西地区 合同稽古が今週末(5月4日)に迫ってまいりました
主催を命じられてから今日まで、仕事、空手の指導の合間を縫って様々な手配を電話や現場に赴いて調整し、支部長方には話しましたが休む暇もなく、目がまわりそうなくらい慌しい毎日を過ごしてきました
現時点で合同稽古 参加申し込み者の総数は110人ちょっとで、まだまだ増えそうな状況です
ゴールデンウィークで近畿では西の端っこという事を考慮すれば、充分な人数かな、と思います
ちなみに一般部黒帯が30人前後で、10人以上が二段以上の方という構成です
まだまだ受け入れる余地がありますので、各支部におかれましては追加募集を募っていただきますよう、宜しくお願いしますm(_ _)m
尚、稽古当日(5月4日)は、姫路市において「姫路菓子博2008」が期間イベントのピークの最中ですので、ご家族で来られ、稽古と菓子博を楽しまれるのもいい思い出になるのでは、と思いますよ
姫路菓子博2008
http://www.kasihaku2008.jp/
当日までまだまだ準備・調整におわれて息つく暇もありませんが、参加した皆さんが、「来てよかった!」と思えるよう、より最善を尽して開催する所存です。
参加される皆さん
会場にてお待ちしております
押忍
主催を命じられてから今日まで、仕事、空手の指導の合間を縫って様々な手配を電話や現場に赴いて調整し、支部長方には話しましたが休む暇もなく、目がまわりそうなくらい慌しい毎日を過ごしてきました
現時点で合同稽古 参加申し込み者の総数は110人ちょっとで、まだまだ増えそうな状況です
ゴールデンウィークで近畿では西の端っこという事を考慮すれば、充分な人数かな、と思います
ちなみに一般部黒帯が30人前後で、10人以上が二段以上の方という構成です
まだまだ受け入れる余地がありますので、各支部におかれましては追加募集を募っていただきますよう、宜しくお願いしますm(_ _)m
尚、稽古当日(5月4日)は、姫路市において「姫路菓子博2008」が期間イベントのピークの最中ですので、ご家族で来られ、稽古と菓子博を楽しまれるのもいい思い出になるのでは、と思いますよ
姫路菓子博2008
http://www.kasihaku2008.jp/
当日までまだまだ準備・調整におわれて息つく暇もありませんが、参加した皆さんが、「来てよかった!」と思えるよう、より最善を尽して開催する所存です。
参加される皆さん
会場にてお待ちしております
押忍
剣道部 同期会! [その他]
明日(4月26日)は、高校時代の剣道部で同期だったメンバーで飲み会を行ないます
本来なら芦原会館 加古川支部の練習日で指導に赴かないといけない日ですが、どうしても剣道部 同期会に出席したく、指導を上級者の皆にお願いしました。
高校時代の剣道部のメンバーは、成人しそれぞれが就職しても、お盆と年末には欠かさず集まり思い出と現在の生活を、楽しく語り合ってきました。
また偶然今年(平成20年)加古川支部に入門してこられたK田さんは、私と同じ高校の3年先輩であり、しかも剣道部の先輩でもありました!^^;
3年先輩なので剣道場でご一緒した事はありませんが、あいだの学年の方々の話しで盛り上がり、また進学された高知大では芦原空手部で現神戸支部長の西山先輩がキャプテンの際に入門されご面識があり、世間は狭いなぁーと感じると同時に、悪い事はできないなぁー^^;と痛感した次第です(笑)
剣道部 同期の皆は、就職と同時に半分ほどが関東や他の地方に移りましたが、帰郷に合わせてずっと集まり、バカ話しに花を咲かせてきました
平成17年、私が白血病に罹り入院してから、その集まりも自粛していたようで、本当に申し訳なく思っています・・・。
皆は私が闘病中も心配して見舞いに来てくれ、励ましの言葉をたくさんもらい、本当に私にはもったいない仲間だと感じています。
特に主将だったMは、平成18年私が家族と険悪になり家を飛び出した時も、「平山!家に戻ったらなあかんぞ!子供さんらは両親おってこそ幸せに生活できるんやから!」と真剣に諌めてくれ、彼の言葉が今の幸せな家庭生活を築く大きな起点となったのは言うまでもありません。
大切な仲間たちに何も恩返しできるものはありませんが、明日(4月26日)私が元気な姿を見せる事が、今の私にできる精一杯の恩返しになるかな、と浅はかかもしれませんが考えています・・・。
という訳で、明日(4月26日)は道場の指導をサボって飲み会にうつつをぬかしてきますが、K谷君少年部からの指導お願いしますねっ
上級者、黒帯の皆さん、K谷君を助けて充実した稽古をお願いしますm(__)m
本来なら芦原会館 加古川支部の練習日で指導に赴かないといけない日ですが、どうしても剣道部 同期会に出席したく、指導を上級者の皆にお願いしました。
高校時代の剣道部のメンバーは、成人しそれぞれが就職しても、お盆と年末には欠かさず集まり思い出と現在の生活を、楽しく語り合ってきました。
また偶然今年(平成20年)加古川支部に入門してこられたK田さんは、私と同じ高校の3年先輩であり、しかも剣道部の先輩でもありました!^^;
3年先輩なので剣道場でご一緒した事はありませんが、あいだの学年の方々の話しで盛り上がり、また進学された高知大では芦原空手部で現神戸支部長の西山先輩がキャプテンの際に入門されご面識があり、世間は狭いなぁーと感じると同時に、悪い事はできないなぁー^^;と痛感した次第です(笑)
剣道部 同期の皆は、就職と同時に半分ほどが関東や他の地方に移りましたが、帰郷に合わせてずっと集まり、バカ話しに花を咲かせてきました
平成17年、私が白血病に罹り入院してから、その集まりも自粛していたようで、本当に申し訳なく思っています・・・。
皆は私が闘病中も心配して見舞いに来てくれ、励ましの言葉をたくさんもらい、本当に私にはもったいない仲間だと感じています。
特に主将だったMは、平成18年私が家族と険悪になり家を飛び出した時も、「平山!家に戻ったらなあかんぞ!子供さんらは両親おってこそ幸せに生活できるんやから!」と真剣に諌めてくれ、彼の言葉が今の幸せな家庭生活を築く大きな起点となったのは言うまでもありません。
大切な仲間たちに何も恩返しできるものはありませんが、明日(4月26日)私が元気な姿を見せる事が、今の私にできる精一杯の恩返しになるかな、と浅はかかもしれませんが考えています・・・。
という訳で、明日(4月26日)は道場の指導をサボって飲み会にうつつをぬかしてきますが、K谷君少年部からの指導お願いしますねっ
上級者、黒帯の皆さん、K谷君を助けて充実した稽古をお願いしますm(__)m
芦原会館 関西地区 合同稽古開催経緯 [空手]
今回行なわれる「芦原会館 関西地区 合同稽古」(5月4日)は、今まで公表していませんでしたが、ある経緯から、私が主催する事になってしまいました。
詳しい事情は関西地区の支部長方にはお話ししましたが、「芦原会館 関西地区」には私より古参の先輩もおられ、また大阪には岸師範もいらっしゃり、私などのようないち支部長が主催するのは大変おこがましい事だと今でも重々感じています。
また一連の問題もある中、私が主催する事で会員の皆様にも混乱、動揺が広がる可能性も懸念され、丁重にお断りし続けてきました。
しかし断りきれない状況に至り、腹を括って主催を引き受けました。
また、私の生活の主体は「空手」ではなく、「仕事」であり、「家庭」であります。
今日(4月13日)、「家庭」の中で非常にやりきれない問題が起こり、妻には、「俺が病気になる前の健康な身体やったら、気持ちの余裕も普通にあったやろうから収め方もまた違ごたと思う・・・。けど白血病を乗り越えた言うても、この爪ひとつとってもひどいのがわかるやろ?(GVHDですべて剥がれ落ちています) 見えるとこだけでこんな状態や、見えんとこでどれだけひどいか・・・」と言っている途中で、妻は差し出している私の手を握り締めました。
「だから身体も気持ちもギリギリの状態で、それでも仕事に行って、精神的な余裕なんかない状態や・・・。俺これでも堪えて頑張ってるつもりやで・・・。」と言うと、妻は「わかってる。お父さんが頑張ってくれてるのはよくわかる・・・。」と答え、励まし労わりの言葉を返してくれました。
妻とは結婚以来、色々な事で喧嘩し、特に白血病に罹ってからは、お互い離婚を考えた程険悪になっていました。
しかしあきらめず徹底して言いたい事を言い合い、その結果、はじめてお互いに「向き合え」ました。
妻にはたくさん苦労をかけてきましたが、付いてきて、私が闘病中も家庭を守ってくれ、本当に感謝しています。
妻とは、「今は二人とも、仕事と家庭の事で本当に大変やけど、子供たちが巣立って爺ちゃん婆ちゃんになったら、毎日二人でお茶に行ったり温泉に行ったり、楽しくゆったり過ごそうな。あの頃は大変やったけど、こんな人生もよかったかな、って言い合いたいな。」と話しています・・・。
妻も、「結婚して17年目になるけど、今が一番幸せ」と言ってくれます。
ですから家庭の事でも仕事の事でも、勿論空手の事でも、弱音を吐いてはおれません。
「芦原会館 関西地区 合同稽古」については、準備の面で様々な軋轢があり、「仕事」「家庭」「空手の指導」以外の時間も対応に苦慮しておりますが、引き受けた以上、必ず成功裡に終わらせてみせます。
また京都支部長の鈴木先輩にも先日電話で話している時「この問題も全部乗り越えや!」と励ましの言葉をいただきました。
私を支え、応援してくださる皆さん、そして妻の「晴美」のためにも、常に前を向いて歩いていきます。
詳しい事情は関西地区の支部長方にはお話ししましたが、「芦原会館 関西地区」には私より古参の先輩もおられ、また大阪には岸師範もいらっしゃり、私などのようないち支部長が主催するのは大変おこがましい事だと今でも重々感じています。
また一連の問題もある中、私が主催する事で会員の皆様にも混乱、動揺が広がる可能性も懸念され、丁重にお断りし続けてきました。
しかし断りきれない状況に至り、腹を括って主催を引き受けました。
また、私の生活の主体は「空手」ではなく、「仕事」であり、「家庭」であります。
今日(4月13日)、「家庭」の中で非常にやりきれない問題が起こり、妻には、「俺が病気になる前の健康な身体やったら、気持ちの余裕も普通にあったやろうから収め方もまた違ごたと思う・・・。けど白血病を乗り越えた言うても、この爪ひとつとってもひどいのがわかるやろ?(GVHDですべて剥がれ落ちています) 見えるとこだけでこんな状態や、見えんとこでどれだけひどいか・・・」と言っている途中で、妻は差し出している私の手を握り締めました。
「だから身体も気持ちもギリギリの状態で、それでも仕事に行って、精神的な余裕なんかない状態や・・・。俺これでも堪えて頑張ってるつもりやで・・・。」と言うと、妻は「わかってる。お父さんが頑張ってくれてるのはよくわかる・・・。」と答え、励まし労わりの言葉を返してくれました。
妻とは結婚以来、色々な事で喧嘩し、特に白血病に罹ってからは、お互い離婚を考えた程険悪になっていました。
しかしあきらめず徹底して言いたい事を言い合い、その結果、はじめてお互いに「向き合え」ました。
妻にはたくさん苦労をかけてきましたが、付いてきて、私が闘病中も家庭を守ってくれ、本当に感謝しています。
妻とは、「今は二人とも、仕事と家庭の事で本当に大変やけど、子供たちが巣立って爺ちゃん婆ちゃんになったら、毎日二人でお茶に行ったり温泉に行ったり、楽しくゆったり過ごそうな。あの頃は大変やったけど、こんな人生もよかったかな、って言い合いたいな。」と話しています・・・。
妻も、「結婚して17年目になるけど、今が一番幸せ」と言ってくれます。
ですから家庭の事でも仕事の事でも、勿論空手の事でも、弱音を吐いてはおれません。
「芦原会館 関西地区 合同稽古」については、準備の面で様々な軋轢があり、「仕事」「家庭」「空手の指導」以外の時間も対応に苦慮しておりますが、引き受けた以上、必ず成功裡に終わらせてみせます。
また京都支部長の鈴木先輩にも先日電話で話している時「この問題も全部乗り越えや!」と励ましの言葉をいただきました。
私を支え、応援してくださる皆さん、そして妻の「晴美」のためにも、常に前を向いて歩いていきます。
人事異動 [仕事]
私事ですが、今日(3月31日)をもって、人事異動により別の部署に異動になります。
旧ブログから書いてきましたが、去年(平成19年)の4月に今の部署になり、初めて就く部署で右も左もわからず、ましてや私のような病気を患って復帰した者には、心身ともにつらい事の連続でした。
中でも人間関係で険悪になり、「皆変わっちゃったな・・・」と思っていましたが、本当に変わってしまったのは他ならぬ「私自身」である事に気付いたのは半年ほど経ってからです。
大病を患い、再発予防のため免疫抑制剤を退院から半年ですべて切り、そのためあらゆるGVHD(骨髄移植の副作用)が身体中を襲い、苦痛に昼夜を問わず堪えてきた上で仕事、そして空手にも復帰し、心身ともにフラフラで気力のみで立っている毎日でした。
自分しか見えていない、そういう状況でした。
去年(平成19年)の9月に疲労から肝機能障害になり、絶対安静を余儀なくされ入院している間、様々な悔しさが頭をよぎる中で、「私自身の人に対する接し方が間違っていた」事がはっきりと理解でき、情けなさに何度も涙を流しました。
ほとんどの人が助からないデータが出ている、急性骨髄性白血病のM0をどうにか乗り越え職場復帰し、乗り越えてきたという気負いとともに「驕り」があったのだと思います。
ようやく最近になって、身体の余裕とともに心の余裕も生まれてきて、まわりが見えてくるにつれ、自分のしてきた事の恥ずかしさを改めて噛み締めています・・・。
その間、職場の皆は表でも見えないところでも助けてくれ、感謝の気持ちをどう言葉に表していいかわかりません。
思えば、白血病になった時から、医師、看護師、家族、友人、職場の皆、そして何より「新しい命」を下さったドナーさん、そういうたくさんの人々に助けられて私の現在があると感じます。
人間は誰でも助け合い、補い合って生きている、誰も一人では生きられない、人の間で生きているから「人間」なのだと41歳になってはっきり理解できました。
明日(4月1日)から新しい部署に赴きます。
私の勝手やわがままにも耐えて力添えをして下さった職場の皆の為にも、新しい部署では絶えず襟を正して業務に専念するつもりでいます。
みんな、本当にありがとうな!!
旧ブログから書いてきましたが、去年(平成19年)の4月に今の部署になり、初めて就く部署で右も左もわからず、ましてや私のような病気を患って復帰した者には、心身ともにつらい事の連続でした。
中でも人間関係で険悪になり、「皆変わっちゃったな・・・」と思っていましたが、本当に変わってしまったのは他ならぬ「私自身」である事に気付いたのは半年ほど経ってからです。
大病を患い、再発予防のため免疫抑制剤を退院から半年ですべて切り、そのためあらゆるGVHD(骨髄移植の副作用)が身体中を襲い、苦痛に昼夜を問わず堪えてきた上で仕事、そして空手にも復帰し、心身ともにフラフラで気力のみで立っている毎日でした。
自分しか見えていない、そういう状況でした。
去年(平成19年)の9月に疲労から肝機能障害になり、絶対安静を余儀なくされ入院している間、様々な悔しさが頭をよぎる中で、「私自身の人に対する接し方が間違っていた」事がはっきりと理解でき、情けなさに何度も涙を流しました。
ほとんどの人が助からないデータが出ている、急性骨髄性白血病のM0をどうにか乗り越え職場復帰し、乗り越えてきたという気負いとともに「驕り」があったのだと思います。
ようやく最近になって、身体の余裕とともに心の余裕も生まれてきて、まわりが見えてくるにつれ、自分のしてきた事の恥ずかしさを改めて噛み締めています・・・。
その間、職場の皆は表でも見えないところでも助けてくれ、感謝の気持ちをどう言葉に表していいかわかりません。
思えば、白血病になった時から、医師、看護師、家族、友人、職場の皆、そして何より「新しい命」を下さったドナーさん、そういうたくさんの人々に助けられて私の現在があると感じます。
人間は誰でも助け合い、補い合って生きている、誰も一人では生きられない、人の間で生きているから「人間」なのだと41歳になってはっきり理解できました。
明日(4月1日)から新しい部署に赴きます。
私の勝手やわがままにも耐えて力添えをして下さった職場の皆の為にも、新しい部署では絶えず襟を正して業務に専念するつもりでいます。
みんな、本当にありがとうな!!
2008年度 関西地区 合同稽古 [空手]
芦原会館 関西地区 合同稽古が次のスケジュールにて執り行われます。
私が知る限り、芦原会館 関西地区としては初の合同稽古であり、他支部の黒帯の先輩に指導してもらえ、また黒帯としては、普段交流のない他支部の黒帯と一緒に稽古できる、誰にとってもメリットがありまた関西地区の各道場が活性化するまたとない機会ではないか、と考えています。
現時点(3月20日)で多数の支部が参加されるとの事で、我が加古川支部も参加させていただきます。
芦原会館 会員の皆様には、一人でも多く参加していただき、「合同稽古」という範疇を超えたものをたくさん得ていただきたいと思います。
押忍
日時:5月4日(日)
場所:姫路市立総合スポーツ会館 柔道場
(兵庫県姫路市中地453番地)
※ 稽古内容については、昨年行なった「兵庫県下 合同稽古」のスケジュールに準じます。(当ブログの兵庫県下 合同稽古を参照して下さい)
私が知る限り、芦原会館 関西地区としては初の合同稽古であり、他支部の黒帯の先輩に指導してもらえ、また黒帯としては、普段交流のない他支部の黒帯と一緒に稽古できる、誰にとってもメリットがありまた関西地区の各道場が活性化するまたとない機会ではないか、と考えています。
現時点(3月20日)で多数の支部が参加されるとの事で、我が加古川支部も参加させていただきます。
芦原会館 会員の皆様には、一人でも多く参加していただき、「合同稽古」という範疇を超えたものをたくさん得ていただきたいと思います。
押忍
日時:5月4日(日)
場所:姫路市立総合スポーツ会館 柔道場
(兵庫県姫路市中地453番地)
※ 稽古内容については、昨年行なった「兵庫県下 合同稽古」のスケジュールに準じます。(当ブログの兵庫県下 合同稽古を参照して下さい)
小島氏について [空手]
今回の小島氏の件について、私自身真偽を含めて少なからず述べたい事がありますが、ブログという媒体で活字によって説明する事は、逆に事実の機微を誤解される恐れもあり、以下に留めます。
「いい加減にしてくれ」この一言に尽きます。
そもそも私が小島氏に連絡をとったきっかけは、旧ブログでも述べている通り、平成17年に急性骨髄性白血病を発症し、悪性でしたので骨髄移植をし、平成18年に退院して約半年後に再発の可能性が発見されました。
当疾病に関して詳しい方ならご存知だと思いますが、白血病で骨髄移植をしたあと再発した場合、如何なる治療をしても生き残る可能性は限りなくゼロに近いデータが出ています。
私は金銭的な事も含めて、あとに残される家族の事を考え、もし再発が確定した場合、治療拒否・延命拒否を選択し、揚々と死の床につく覚悟でいました。
ただ思い残す事も数多く、その一つに「芦原英幸先生」が、高弟方を含む全会員に最後まで決して話されなかった「極真会館離脱の真相」「芦原会館設立後の事件の真実」「離脱された方々の状況」等について、事の真相を知らぬまま逝くというのが「空手」という分野で非常に心残りでした。
そこであえて小島氏に連絡をとりました。
彼が晩年 芦原英幸先生から相手にされなかった真実は承知の上で、また悪い噂がある事も承知の上で、それでも何か一つでも自分が納得できる話しが聞ければ、「空手という分野」においては後悔なく逝ける、甚だ短慮・軽率だと捉えられるかもしれませんが、当時の私はそう切実に思いました。
実際に小島氏にも最初に連絡した際、その事を説明し、交流した結果、いわれもない疑惑をかけられ、私の個人情報を一方的に公開され、そしてある内容の脅迫も受けました。
私は元々死を覚悟していた人間ですから、何をされても問題がありません。
しかし、全く別の方々に迷惑がかかるのだけは、どうしても避けたかったのです。
ですから耐え難きを耐え、謝罪文を書き、以後彼とは一切交流を絶ちました。
今回の件で私には言いたい事が山ほどありますが、再び耐え難きを耐える所存です。
また彼とは今後、私個人及び加古川支部として交流する事は一切あり得ない事をここに明記しておきます。
もし万が一英典館長より退会してくれと下達があれば、躊躇なく退会致します。
もしもそのような判断をする組織であれば、私にとって何の未練も残りません。
常日頃、道場生には、「嫌なこと、つらいことから逃げるな!正面から立ち向かい乗り越えろ!」と指導してきましたし、私が何故小島氏と関わりあったか、これだけは芦原会館 関係者、そしてここをご覧の皆様に説明しておく義務があると感じ、あえて公表させていただきました。
今、私の心には、一点の曇りもありません。
「いい加減にしてくれ」この一言に尽きます。
そもそも私が小島氏に連絡をとったきっかけは、旧ブログでも述べている通り、平成17年に急性骨髄性白血病を発症し、悪性でしたので骨髄移植をし、平成18年に退院して約半年後に再発の可能性が発見されました。
当疾病に関して詳しい方ならご存知だと思いますが、白血病で骨髄移植をしたあと再発した場合、如何なる治療をしても生き残る可能性は限りなくゼロに近いデータが出ています。
私は金銭的な事も含めて、あとに残される家族の事を考え、もし再発が確定した場合、治療拒否・延命拒否を選択し、揚々と死の床につく覚悟でいました。
ただ思い残す事も数多く、その一つに「芦原英幸先生」が、高弟方を含む全会員に最後まで決して話されなかった「極真会館離脱の真相」「芦原会館設立後の事件の真実」「離脱された方々の状況」等について、事の真相を知らぬまま逝くというのが「空手」という分野で非常に心残りでした。
そこであえて小島氏に連絡をとりました。
彼が晩年 芦原英幸先生から相手にされなかった真実は承知の上で、また悪い噂がある事も承知の上で、それでも何か一つでも自分が納得できる話しが聞ければ、「空手という分野」においては後悔なく逝ける、甚だ短慮・軽率だと捉えられるかもしれませんが、当時の私はそう切実に思いました。
実際に小島氏にも最初に連絡した際、その事を説明し、交流した結果、いわれもない疑惑をかけられ、私の個人情報を一方的に公開され、そしてある内容の脅迫も受けました。
私は元々死を覚悟していた人間ですから、何をされても問題がありません。
しかし、全く別の方々に迷惑がかかるのだけは、どうしても避けたかったのです。
ですから耐え難きを耐え、謝罪文を書き、以後彼とは一切交流を絶ちました。
今回の件で私には言いたい事が山ほどありますが、再び耐え難きを耐える所存です。
また彼とは今後、私個人及び加古川支部として交流する事は一切あり得ない事をここに明記しておきます。
もし万が一英典館長より退会してくれと下達があれば、躊躇なく退会致します。
もしもそのような判断をする組織であれば、私にとって何の未練も残りません。
常日頃、道場生には、「嫌なこと、つらいことから逃げるな!正面から立ち向かい乗り越えろ!」と指導してきましたし、私が何故小島氏と関わりあったか、これだけは芦原会館 関係者、そしてここをご覧の皆様に説明しておく義務があると感じ、あえて公表させていただきました。
今、私の心には、一点の曇りもありません。
ボクシング 内藤大助選手 [その他]
先日行なわれた、ボクシング「内藤大助VSポンサクレック」戦は、稽古指導のため見れませんでしたが、直後の報道を数回見て、さすがは世界タイトルマッチにふさわしいレベルの高い試合だなあと、私自身気分のいいものを見れて嬉しかったです。
一般視聴者は、KOシーンもなく退屈だったかと思いますが、一瞬も目が離せないハイテクニックの応酬で、如何にも玄人好みの「宝石箱」のような試合でした
内藤選手は自身も言っているように、決してアウトボクサーとしても器用なタイプじゃないと思います。
ですが彼なりのスタイルを磨き上げて、逆に不器用なスタイルが彼独自にしかできないアウトボクシングのテクニックを築き、マニュアルでは対応できないスタンスで挑まれて対戦する相手はかなり苦労するだろうと思います(^_^;)
それに試合前後のコメントも実に謙虚で身の程をわきまえており、同じ格闘家のはしくれとして尊敬できる人物です。
我が芦原会館 加古川支部の一般部にも色んなタイプの生徒がおり、24歳・25歳で空手は未経験ですが熱心に稽古に励んでいる者たちもおり、まだまだ新しく入門してくる人たちがいるでしょうが、彼らの持ち味を潰すことなく、クセがあってもそれを内藤選手のようにいい方向に育ててあげたいな、と思っています。^^
指導者として責任とやりがいを一層痛感し、奮起させられた一戦でした
一般視聴者は、KOシーンもなく退屈だったかと思いますが、一瞬も目が離せないハイテクニックの応酬で、如何にも玄人好みの「宝石箱」のような試合でした
内藤選手は自身も言っているように、決してアウトボクサーとしても器用なタイプじゃないと思います。
ですが彼なりのスタイルを磨き上げて、逆に不器用なスタイルが彼独自にしかできないアウトボクシングのテクニックを築き、マニュアルでは対応できないスタンスで挑まれて対戦する相手はかなり苦労するだろうと思います(^_^;)
それに試合前後のコメントも実に謙虚で身の程をわきまえており、同じ格闘家のはしくれとして尊敬できる人物です。
我が芦原会館 加古川支部の一般部にも色んなタイプの生徒がおり、24歳・25歳で空手は未経験ですが熱心に稽古に励んでいる者たちもおり、まだまだ新しく入門してくる人たちがいるでしょうが、彼らの持ち味を潰すことなく、クセがあってもそれを内藤選手のようにいい方向に育ててあげたいな、と思っています。^^
指導者として責任とやりがいを一層痛感し、奮起させられた一戦でした
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