2006/05/17

出会いが人生の宝!

619もの犯罪について相談することが罪になる「共謀罪」。日本の刑法を根本から変えてしまう共謀罪法案の危険性をより多くの人に知らせ、なんとか廃案にしたくて、1週間東京に出てきています。いつもは幼稚園に通い、終了後は私が留守なら父親が見てくれている子どもたちも、今回は父親が海外出張中なので、私と一緒です。

東京の滞在場所を提供してくれたのは、まだ一度しか会っていない私を応援しようと直感的に決めた女性。彼女はマンションを1週間自由に使ってね、と鍵を預けてくれたのです。そしてベビーシッター役は佐々木パパ。本当のおじいちゃんがいないうちの子どもたちにとって、おじいちゃん代わりの人です。

彼らのお陰で、この間国会に行ったり、平和省プロジェクトや東京平和映画祭や平和への結集に力を貸してくれそうな財界人や、異分野の方々に毎日お会いできています。昨日はライターの石塚ともさんが子どもたちを美味しいお店に連れていってくれて、感謝、感謝。

17日は早朝東京で読書会をやっている「素心・師友会」に出席し、『世界がさばく東京裁判』(佐藤和男著)についてキッコーマン副会長の茂木賢三郎さんのお話を聞きました。「私は極右でも国粋主義者でもない」と最初におっしゃったのですが、話しを聞いたあとの率直な感想は、「彼から見たら私は左翼にされてしまうかも・・・」。

私は左利きではありますが、左翼ではありません。もちろん右翼でもないし、「仲良く」がいいです(これはいつも沖縄の喜納昌吉さんも言っている)。いろいろな人と、考え方が違っても、仲良くやっていきたいです。

茂木さんの話しの端々に「左翼ジャーナリスト」という言葉が批判的に使われ、「偏った考えの教師たち」とか「昔の社会党は靖国神社に合祀されない戦犯のことを嘆いていて、立派だった(が今はひどい)」とか、あるいは「日本軍は末端の部隊がひどいことをしたことはあったかもしれないが、国家の直接の命令で罪のない一般人を殺したことはない」という考えを次々とご披露。私は「重慶の絨毯爆撃は?」と疑問がわきましたが、聞けずじまい。今度お会いできるチャンスがあったら、聞いてみよう。

歴史というのは過去のことだから、本当に何が起きたかはそこにいた人しかわからないし(殺されてしまえば、死人に口無し)、また実際そこにいても、立場が違えば、全く違う経験が存在します。爆弾を落とした側と落とされた側、戦争に負けた側と勝った側でも違います。

一般に広く認知されているのは、勝った側、爆弾を落とした側の歴史。だからこそ、負けた側、爆弾を落とされた側の視点は努力して知ろうとしないと、知ることはできません。「歴史の事実」を複眼的に見ることが改めて大事だと思いました。

その会場には日本企業に勤める中国人女性もいたのですが、終わったあと「財界のトップの人があのような話しを公言するとは信じられない」と漏らしておりました。私も日本を代表する企業のトップの方の考えを直接聞いて、少々ショックでした。

憲法や教育基本法が変えられようとしているのは、彼のような考えの日本人が増えてきているからなのでしょうか。日本が「戦争のできる国」になってしまうのは時間の問題なのでしょうか。

そういえば「普通の国(軍隊があって、戦争ができる国があたりまえ)」と繰り返していたのは民主党の小沢さんでした。自民党政権でも民主党政権でも、憲法は変えられてしまうのかしら。平和省プロジェクトでは日本の平和憲法を世界の憲法にしたいのですが、前途多難だなあ。

でもこの読書会に出たお陰で、小松電機の小松昭夫社長にお会いできたことは、大きな収穫でした。彼は平和省に共感し、平和省プロジェクトを応援してくれるというのです。そして東京平和映画祭も協賛してくることに(やったー!)。

島根に本社があるのですが、「日本と韓国と北挑戦が和解をすることができたら、世界の紛争解決のモデルになれる」とのビジョンをお持ちで、理想が高く、スケールが大きく、しかも本業では無借金経営で、実業家としても大成功をされている方です。

島根には出雲大社があり、そこには「和譲」という、戦わずして和を為してきた歴史があります。日本列島の根っこである島根で平和が根を張れば、きっと大きな平和(大和)が実る、と直感しました。来月には早速島根を訪ねてみることにしました。

18日は山元学校があり、ここでも平和省プロジェクトのお話をさせてもらいました。山元学校は意欲のある学生たち、NPOやNGOの代表、起業家、アーティスト、各国外交官、経営者、政治家など、多種多様な人が限られた時間(3分から長くて10分)でプレゼンテーションをし、情報を交換し、切磋琢磨しながら、ネットワークをする社会人と学生のための学校です。

3千円という参加費(学生は千円)を払えば、誰もが発表でき、時間さえ守れば内容はまったく自由。ここで発表したことで、良き出会いと支援が得られ、夢を実現した人が大勢います。

月一度のこの学校を主宰している山元雅信さん(学長)がユニークな人で、31歳までは失語症だったのが信じられない鮮やかな司会ぶりで、テレビのトークショーの司会者も顔負けです。彼の人脈は縦横無尽で幅広く、軽く1万人を越えるネットワークを持っているそうです。

今回の山元学校には元劇団四季のソプラノ歌手の村田恵里子さんも来ていて、彼女の「メモリー」と「オペラ座の怪人」を聴けました。ラッキー!世界的に著名なデザイナーの一色宏さん(大ヒットした「山田養蜂場」のメッセージ広告の発案者)や新党日本の荒井広幸参議院議員もお話しをしました。

思えば、このマンションを無償で貸してくださっている女性との最初の出会いも、山元学校でした。ここには平和のイベントや共謀罪反対の集会では決して出会えない人たちにたくさん出会います。自分と同じ意見の人といることは心地良くはありますが、いつもそれだけでは「そう、そう」とうなずくばかりで、あまり成長はありません。

自分と違う考えや意見の人との出会いは刺激やショックが大きく、そのときは不愉快だったりもしますが、かえって学ぶべきものが多かったことに後で気づきます。陰と陽が引きあい(男女もそう!)全く新しいものや新しいいのちが生まれるのですから、これからもこういう場を大切にしていきたいな。

そして、まったく違う考えの人たちの前でも、素直に臆することなく自分の考えを述べられる自分でいたいです。今日の山元学校での私のプレゼンは、まあまあだったと思いますが、まだ改善の余地があります。配布資料は用意する時間がなく、新聞記事に手書きをしたもののコピー。他の方の美しく印刷された資料と比べて、だいぶ見劣りがしました。

それでも終了後に「感動した」と握手を求めてくる人や、「名刺をください」と言う人や、「あの映画(『911ボーイングを捜せ』のこと)の入手方法を教えてください」、と聞いてくれる人がかなりいたので、よかったです。

19日は共謀罪が強行採決されるかもしれない重要な日。ここではネットができないので、なるべく早くネットができる場所に移動して、このブログをアップしたり、サイバーアクションを続けようと思っています。おやすみなさい(もう19日の午前2時でーす)。

2 コメント:

電気猫 さんのコメント...

私から見れば、キッコーマン副会長は立派な極右で国粋主義者ですが、こればかりは相対的なもので、それぞれの立場次第ですね。歴史も真実は一つでも立場が変われば百人百様の見方がある。
南京事件だって、原爆もガス室もない日本軍に30万人は殺せないが、数千~数万単位の虐殺は可能だったと思います。相手を人間と見なさない侵略者の軍隊にとっては、わざわざ虐殺を命令することなど不要だったはず。殺すのが当たり前だったのですから・・。

確かに自分と対極にいる人達はある意味貴重ですね。ダライ・ラマの「敵は最高の教師だ。敵のお陰で忍耐と慈悲の心が強くなる。」と言う言葉を思い出しました。
そして侵略された者がいとも簡単に侵略する側に変わる、人間の業の深さも感じます。

匿名 さんのコメント...

もしアメリカに平和省とか言うのができて力をつけて、米軍を日本から全撤退させたらさ、
中国は日本を侵略しにかかると思いませんか?
既に中国は日本を狙ってるのに、抑止力となってる米軍を撤退させたら・・・日本終わりですね