The Edge of the Cloud

「雲のはて」。空の色の石。命がけの旅。海峡。「君を愛している」
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今日マイリボドリルネサンス。
突き付けるなら、ただ一人自分にめいじたい事項。もはや下の文章を書いたわたしはある意味物書きの夢は隅っこ。ファンとして同人書きとして、強く感じたことだけ、書いた。下で批判したからといって、今あるものは何一つ否定しません。すべては自由です。特定の誰にも、何も言いません。たいてい『一人』とかってありえないし。

ただ、それでもなお思うことを書いた。そして目指したいところのものを確認した。たいして面白いものじゃないです。








リボーンファンは(一応自分も込みで)モラルが低いかもしれない、というのはジャンフェスのときから思ってたことです。



私は、割と盛り上がりとか興奮に乗っかりたいだけなひとが結構多いからじゃないかなと思います。





よくわからないが既存の文学作品とか風潮にやたらこだわってリボーンドリームにそれを重ねるのがはじまったのはいつからですかね。なんでこんな文豪とか現代作家とか携帯小説のを反射して投影したかのような話が多いんだ、と思われる話が『主流』な気がします。そうじゃないのもいっぱいあるけど。なんかリボーンよりそっちの要素のほうが強い感じのを見るにつけ、その書き手と読み手とサイト全体が織り成す『興奮』に辟易します。完璧その『興奮』にのっかって書きそして読んでる的な・・・リボーンの持っている斬新さのほうが、既存作家の風潮の方に掻き消された上での盛り上がりというか・・・こう・・・むかっとくる・・・、独特の不条理さ。





別に、本好きじゃなくてもリボーンでドリームしたいからこそ書くのがリボーンドリームだと思うんですけど、なんかそのリボーン以外の既存作家の作品で世界を作ってそこにあてっこしてる話をみるにつけ、ドリームの中での『原作』の『純度』の低さに憮然となります。そりゃドリーム書くからには皆原作ファンではあるだろうけれども、夢小説内での、原作のないがしろにされ方には少しむっとします。原作の台詞をそれを言ったキャラ自身が反古っていうのを見た瞬間、あまりの原作軽視に愕然となりました。



同人で一番大事にされる原作要素は、わたしはキャラの『心』だと思ってます。ただリボーンドリーム、日常編に比べるとそういうのを大事にしてる風潮が消滅して来た気がする。ノリとかネタとか最優先的な・・・そろそろ大波来ないかなぁ、なんて思ってるんですが。





リボーン夢界、キャラへの掘り下げと原作への追求に対していまいち意欲が低いというか世界の一体感みたいなものが足りない業界な気がします。みんなで無理矢理つるんで仲良くしろとは言わないけど、既存の作風を借りて安易に書いちゃって、肝心な原作への探求を怠ってる気がする。ここの『風潮』が。わたしの思い込みかもしれないけど日常編の時読んだドリームの方が強いと思った、リボーン世界へ入りたい熱意。それはウ゛ァリアー編からリボーンドリームをサイトで扱い始めた私が強く確認しなければと感じること。



方向性だけが見えなかった。今日で最後にすると言いながらいつまでたってもやまない疑問達に答える方法。



上は全部わたしが目指す風潮の話です。だから、『そーいうのもあるんかな』という感じで流してほしいなと思います。これはあくまでリボーン同人としての立場だけど。これはレベッキニティ(笑)?レベッキスム(笑)?うん、自分の名前をつけるのはやめよう。名称は検討。
語っちゃってます | 16:09 | author | comments(0) | trackbacks(0)
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