The Edge of the Cloud

「雲のはて」。空の色の石。命がけの旅。海峡。「君を愛している」
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何かが時間の浪費な気がする。
高一のとき、校門の前で配ってたバイリンガルの新約聖書が手元にあります。

信仰って『理解』するものなのかよく分からないのですが、相手のことを知らないで衝突するよりは、出来るだけ多くのことを知っておいたほうがいいと思います。



私が世界史や倫理のときに習ったことが元になってる今日のオール連載の下りですけど、違うっていうのがあったら、ご意見頂けると嬉しいです。



こんなん書いてどうなる、とかつまらない、とか、特に最近の下りはそうかもしれませんね・・・すみません、もうちょっと面白いものを書けないんですかって感じですね。ただ、最近ほんとに思います。「面白いって、何だ」。





今日、韓国語の授業のメンバーで学校の傍の韓国料理屋にお昼食べにいったんですけど、教えて下さってるネイティブの先生が文学の研究をしていらっしゃる方で、思い切って「物書きになりたいんですけど、最近の日本の現代小説つまらないんです。若気の至りかもしれませんけど」と言ったら吹き出された。「私も全然読みません」と言う、なまりひとつないネイティブの先生。

「なんつか、恋愛してりゃいい的な感じなんですよね・・・わたし社会派が好きなんですけど、社会派の小説も、最近はあんまり見かけない気がするし」と言ったら、「確かにね」



その授業の前に割と親しくしてる男の子が「風の歌を聴け」(村上春樹)を読んでた。彼は、二冊春樹の本を持ってきてた。「私どっちかつとアンチ」ということをカミングアウトしなければ、もっといろいろ聞き出せたかもなぁ春樹についてとか思うと、ちょっと後悔。「でも、この比喩とか言い回しがとても好きだな」と彼は言った。

人と本の話をするとき、特に自分と違う本が好きな人と話すとき、それが好きなの。けなされたときに逆切れするんじゃなくて、いいところを教えてくれるところが好きなの。



バイトの後輩の子が乙一について語ってくれたときも、十六夜や縞が西尾維新について語ってくれたときも、サークルの奴や今日の彼が春樹について語ってくれる時も。語ってくれるのが好きなの。好きなところ。だって、わたしに分かるはずがないことでしょ、けなしてる私には。

人が本を求めるとき、何を求めるのか。さっぱり分からないから。誰をとっても同じだったことはない。さんざん人にあつかましくも訊いてきて、皆が皆、違う世界を答えた。同じ本が出てきても。同じ作家が出てきても。

結局なんにもわかんないんだわ。相変わらず文壇は仲良し倶楽部にしか見えませんし。だけど、少しずつ、私の考えが切り替わりつつある。わたしが見るべきは、売場市場ではなく、数多の作家達ではなく、むしろ読み手であることと、世の中であること。あと、私自身であること。そう、わたしのことが、一番大事なの。私が書くときは。それを、まったく理解してなかった。いや、ナルシストとか自己中になれってことではないよ。ただ、自分が大事じゃないはず、ないってことも、よく分かっていなかった。何と向き合うべきなのかも、分かってた気でいたけど、よく分かってなかった。



わたしが苛立っているのはむしろ現象のほうなのかもしれない。「何でもいいじゃん」「どうでもいいじゃん」「売れてれば、何となく」だから編集叱咤したいわけよ。出版社にいろいろ思うわけよ。



まぁ、かといって言いたいことが全部なくなることはないけどね(笑)。不毛なことでは、あると思います。それでも、私は、私なりの未熟な視野かもしれなくても、自分なりの考えを持って、文学についていつでも考えたいと思っているし、それを諦めたくない。それは、誰かに頼まれてそうしているわけではないんです。

例えどんなに面白いものが書けたとしても、そういうことを考えたことのない物書きの話は、少なくとも『文学』とは呼びがたいんじゃないかと思う。二十歳レベッカの薄っぺらな価値観において、文学ってそういうものだと思っています。



文学はこういうもんです、っていうの知ってる方はぜひ教えて欲しいです。



続き、メルフォのお返事です。えっと、一応直接メールでお返ししたほうがよいかなぁと思った人は、お返事していません。
えまちゃん



ありがとう・・・でも逆になんか変なところあったら何でも言ってね。えまちゃんの方が詳しいので・・・。骸はむずいけど、ああいう部分はやっぱり考えたいなと・・・ディグレとかもそうなんだけど、「神」・・・?キリスト教要素って、あまりにも安易に取り入れられるから。漫画の世界。あのオール連載のモットーは「露骨」なんで、自分でもいろいろ追求していきたいです。

またチャットで語ろうね!!えまちゃんもいろいろ頑張ってください!!さいきんじめじめするけど体には気をつけてね・・・剣道もがんばれ。辛い時期だけど。






いつも小説について色々いってらっしゃいますが、ならあなたは誰にでも書けな

いものをかけるのですか? 〜の方



ありがとうございます。

いきなり「おおっ!」なお言葉で、指ががくがくしてます(笑)。へたれチキンでごめんなさいね。

ええっとですね、わたしは、どんなひとも、とりあえずコピーアンドペーストでなければ誰にでも書けない物を書いてると思います。だってその人が書いてるんだから、どんなに似たり寄ったりでもその人しか書けないものだと思うんですよ。これが、日記と言ってること違う、ともし思われるようだったら、それは私の表現力が足りなかったんだと思います。すみません。でも、私は物書きさん用のバトンでも、似たようなことは答えてます。



誰にでも書けるもの、というのは、内容ではなく手段のつもりでした。つまり、たとえばパソコンの前に座って書くだけだったらだれにでも出来ることだと思うんですよ。すごく極端に言ってしまうと、それで、今はそれがかなり主流になってる気がする、って話です。みんな人それぞれ、「誰にも書けないもの」自体は書いてると思います。人はみんな違うから。ただ・・・書く、ということは文字通り、書くだけではありえません。「純文学」であってもそうです。「私小説」であっても。少なくとも、私はそう考えます。私は、ですよ。

社会派が減っている、といいました。例えば取材をしてそれを徹底的に追い求めて話を練る作家が少なくなってる。取材したとしたって、結局は「作家一人の好みや個人感情」で書いてしまっている。それでいいと思っている、物書き。文章の洗練なんて求めてない。「社会問題」を取り上げようと、小説の中で提起してみる。けれど、全然『意識』自体が足りない。思考が足りない。論理も足りない。情報を得る。けれど、既存の知識が乏しい。でも、『それでいい』。何となく社会問題が提起されていればいい。

普通そうじゃないのか。究極的にいえば、そうかもしれません。でも、それならばそれこそ、「誰にでも書ける」ことです。自分の想いを綴るなら、やろうと思えば文字を扱えるひとには出来ると思います。でも、正直「作家」というものは、それでいいのか。という、私の考えです。わたしは、そうではないと思います。誰でも書けるようにものを書いてその内容で認められる。それはへたすりゃあれですね。文壇の『好み』や勝手な『人格判断』で小説家になれるかなれないかが決まると言われているようなもので、実際売れてる物はよく考えずに飛びつく風潮が流行というものなので、『誰が』小説家になってもいいのだろうけれども、わたしはそれはいやだと思うと書いた訳なんです。

サブカルチャーとエンターテイメントだけになっている。文学が。それが全部駄目とはいいませんが、純文学が貧弱なのと、エンターテイメント化しているということは、強く感じることです。「書けばとりあえずいい。それで売れればいい」みたいな。何かを考えさせてくれないのは、書く人が何も考えていないから・・・考えさせてもらえないからではないかと思ってしまいます。だって『利益』が最優先ですから。そして、『面白い』だけを価値として求めれば、本は似たり寄ったりになってしまうと思います。それは、例えちょっとやそっとどこかを変えてみても同じことです。もちろん面白さは求められるべきだとはおもうけれど、ただそれだけを求めるのでは少し足りないのではないかと。そもそも『面白さ』って何だ、と。『面白さ』自体が、一様化しているのかもしれません。それはそれで良いとすれば、それでもいいのかもしれませんが、それは私の意見ではありません。

そして、私はやっぱりそれが大事なのではないかと、思って書いています。出来ているかは別として。おとといの日記は、作家の書く物と能力についての批判ではありません。作家の書く手段と意識についての批判です。



ちょっと気になったことがあります。「ならあなたには書けるのですか」という言葉なんですが、すごく極端なことを言ってしまうと、私は、私が「誰にも書けないもの」を書けなかったとしても、自由な感想を持って、それを発信することは構わないことだと思います。むしろ、必要なことだと思います。「一流の作家さんならともかく」、とおっしゃられたかと思うのですが、ある小説に対して一流の作家以外の人が、多少辛辣な感想を持っても何ら支障はないような気がします。



わたしは、たとえば顔を見ただけで「くたばれ」とは言いません。「こういう部分とこういう部分はおかしいと思う」とか、「こういう部分はもっとここを考えるべきだ」とか、そういう風に思ってるわけで、それを、「一流の作家」・・・つまり、一種の権威以外の人が言ってはいけない、とは思いません。

出来ない奴は何も口出しすることの許されない世界、というのはあるのかもしれません。それは、嘘ではないと思います。

でも、私は、自分が書き手のときも思うのですが、こと小説に関しては、その法則はまかり通って欲しくないです。書く力も書く気も全くない一読者であっても想いをぶつけておおいに構わないと思います。意見でも。作家が、自分の小説を全部読んでくれた読者に向かって、たとえどんなに酷評だったとしても「お前書けもしないくせに偉そうなことを言うな」と言うとは、わたしは思いません。そういう作家さんもいるかもしれませんが。



私は物書きになりたいと思っています。だからこそ厳しくありたいと思ってます。自分が本を読む目も肥やしたいと思っています。「優秀な選手は優秀な審判」、はあらゆる分野での鉄則です。それこそ「一流の作家」じゃないくせに、と思われてしまうかもしれませんが、妥協はしたくないと思っています。だから、いろんな観点からものは言います。思ったことは言います。でも、思ったことを書きつづって読む人を潰したいというよりは、もしそれで、読む人が何か考えてくれるならってむしろそっちです。あつかましいかもしれないけれど、何のことを言うときでも、よりよくなるなら文句は言いません。考えて、それでも取り入れられるべきではない意見だった、というなら、そこではじめてその意見を引っ込めるべきだと私は思います。

そして、中傷でもなんでもなく、意見、考え、感想なので、日記に書いているわけなんです。

自分の中で哲学して、論理を追求して、いろんなけなし文句も批判も連ねて、それで見えてくる自分の本心もあります。だからかなり正直に書きます。



長くなってすみません(汗)。腑に落ちないことがあったら、またぜひおっしゃってください。季節の変わり目ですのでお体にはお気をつけ下さいね。



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