夜中のとあるビルの屋上。一人の少年が眠っていた。  彼は寝息一つ立てずに、ヘリポートの中央で大の字になっている。  突然、眼前の景色が暗闇からオープンになり、少年は眼を覚ました。 「やれやれ。もう、こんな時間ですか」  彼は鼻に掛かっているサングラスを中指でツイと上げ、体のバネを利用して、飛び起きる。 「待機命令はつまらないですね。スリープ状態にするしか暇潰しの手段がない」  外見は十代半ばに見える少年はそうつぶやいた。口ぶりからして大人のようだが、外見はまだ大人と言うほどには成熟しきってはいない。彼は、ゴールドのロングヘアーを掻き揚げて、後ろで結おうとする。 今まで雨が降っていたので、寝ている時の癖が残っていて、ひどく結いつらそうに自慢の髪を扱う。  袖なしの黒い服。裾なしの黒い短パン。彼はそんな出で立ちで、そこに待機していた。それも、命令があったからである。この高層ビル、XEー777から見える景色は他のビル全てを圧倒している。言ってしまえば都市全てが見渡せるくらいの高さだった。 「セヴン。待機は終わりだ。今回も時間通りだな」  少年、セヴンの脳内から音声が直接響いた。彼の視界の下には、読めるくらいの大きさで、文字が表示されている。 「ああ、そりゃ。私は機械ですからね。タイマーセットしとけば、自動的に立ち上がりますよ」  セヴンはつまらなそうに、息を吐いた。彼は先ほど自身が言った通り機械である。メンテナンスさえ怠らなければ、何も問題がない。あの機械だ。 「さて、今回の任務内容は分かっているな?」 「ええ。対象の時間内抹殺でしょう。そのために私はここにいる」 「ああ。今から任務を始めてもらう。ミッションは十分以内に遂行しろ。護衛の理機がいるかもしれないが、それはお前の力があれば十分だろう?」 「まぁ、理機の力量にもよりますがね……」  理機とは、セヴンのような人間に作られた知能を持った機械のことだ。度々、こういう暗殺任務や、護衛に使われる。 「さて、では行きますか」  <索敵>と彼が唱えると、周囲一キロの範囲から様々な要因で対象を絞り込む。  匂い、色、動き、鼓動、音、様々だ。全部のパラメータを細かく言うとで千百八十にも及ぶので、割愛させて頂くが、それだけの要素があれば、対象を絞り込める。  しかし、勿論、街の中にはノイズが多数混じっている。ここでいうノイズとは、対象以外が持つ要因のことだ。だから、彼はこの高層ビル、XEー777にいる。ここでは地表よりより多くのパラメータを解析し、正確なデータを得ることが出来る。 「さて、Y軸に500。X軸に326の地点を移動中です……か。まぁ、悪くないでしょう」  <索敵終了>と彼は唱えて、そこから飛び降りた。数秒で地面に着地する。勿論、機械にも強度というものがあるが、理機は様々なタイプがあり、戦闘に特化したタイプは、人間では到底不可能という運動を可能としている。 セヴンも当然、戦闘用の理機であり、その例に漏れない。 彼は、右足を前にダッと音を立てて踏みしめると、そのまま力を込めた。 その瞬間、彼の姿は忽然とその場から姿を消す。 どこへ行ったか――既にビルの前から百メートルは移動していた。周りのビルの壁を蹴りながら、トントン拍子で二百メートル……三百メートル……四百……あっという間に五百メートルまで進んだ。この間、五秒も経っていないかもしれない。スタと地面に着地すると、一斉に銃口を向けられる。 「おや? これはおかしい。データ上ではあなた方の存在は確認出来ませんでしたが」  冷静な口調でいうセヴン。 「はは! あなたの存在は既に認知済みでしてよ」  十台半ばの少女が兵隊達の間に立っていて、そう言った。彼女はショートカットの茶髪で、膝まである白いドレスを着ている。ショートカットの茶髪が実に似合わない。 「全く美しくない。私の流儀とはずれますね。金髪ロールが私的にはお勧めですよ」  彼、セヴンは呆れるように呟く。 「うるさいわね。これが私のお気に入りなのよ。あなたもファッションの欠片もないのじゃないかしら?」  セヴンは自分の身体を見回して、 「どこがですか?」  と素っ頓狂なことをいった。 「その黒ばっかりの服装のことよ。私みたいに清楚なドレスの方がその金髪には似合うわね」 「残念ですが。服が黒いからこそ、この金髪が映えるのですよ」 「あなたとは分かり合えそうにないわね」 「そうですね」 「では」 「始めますか」  その時から勝負は始まっていた。セヴンが少女の懐に拳を打ち付けると、少女の身体がが『グワン』と歪んだ。少女の姿と、その周辺の兵隊全てが消失した。 「私は五感を狂わせる。例え、理機相手でも同じよ」  セヴンの脳内に声が響き、彼の視界には、少女が何重にも重なって映りはじめる。 「さぁ、どうする?」 「そうですね」  そういってから、セヴンは拳を地面に叩き付けた。 「こうすると、どうでしょうね?」 「……!?」  ドレスを着た周りの少女達が一斉に地面に出来た大穴に落ちる。  その穴を開けた張本人はといえば、涼しい顔で淵に立っていた。  向かい側には少女が苦い顔をして立っている。 「どうやら、範囲が決まっているようですね? ここまで離れてしまえば、その力も使えないわけだ」 「ふん」  少女はコツコツと赤い靴を鳴らし、苛立たしげにぶつぶつと何か呟いている。 「で?」 「……はい?」 「また私に近づけば、同じ現象が起こるだけよ。そう何回もこんな大穴は作れないでしょう? ただ、地面を削るだけよ」  そうですね。とセヴンは言い。 「こうすれば、近づかずに貴方の抹殺指令をこなすことが出来ます」 「……?」  彼は少女に向かって掌を向け、 「Good bye」  といった。その瞬間、少女の身体が粉々に砕け散る。機械の破片とオイルが周囲に飛び散った。いくつかはセヴンが作った穴に落ちていったが。 「私の基礎能力は空間湾曲なんですよ。来世で会うことがあれば覚えておいてください」  あの高速移動も、空間がブレたのも、地面に大穴を開けることも……全ては空間を湾曲させることによる作用だった。 高速移動……空間を捻って、短縮させる。例えば、一枚の帯を用意したとしよう。それ一本の端と端までは距離が長い、しかし、端と端を繋げれば、一瞬で端から端まで移動出来る。そういう作用だ。 空間がブレたのは、言葉のまま。能力を行使して、拳をその場に打ち込んだだけだ。 地面に大穴を開けるのを可能にしたのも同等の理由だ。 「さて、任務終了ですか」  彼はそういうと、ホームに戻る。彼の組織は暗殺組織。一部を除いて誰も、その組織の正体は知らない。 「ザ・ネクストの連中が動き出したのね」  少女の一人が呟いた。清楚な感じの少女である。彼女も理機であったが、今はそれは大した問題ではない。 「あ、困ったことっすね。ところで、ファイブは何処へ行ったんすか?」  三人いるうちの一人が最初の少女に質問を投げる。 「隣にいましてよ」  そこには、白いドレスを着た少女、ファイブがいた。先日、セヴンと戦闘を交わした彼女。だが、何故生きているのだろうか。勿論、それには理由がある。五感を狂わす、それが彼女の力だが、実は効果範囲というのは視界に映る対象全てであり、セヴンの予想は外れていたのだ。この三賢者と呼ばれる者達。 最初に口を開いたのが、肌が褐色で黒い長髪。そしてこの時代では珍しい和服姿の『レン』。十八歳の容姿。 次に口を開いたのが、特に特徴のない服装に細い目をした『ネオン』だった。十六歳の容姿。  レンはやや困った表情で、「セヴンくん、元気だった?」とファイブに聞く。 「ええ、とにもかくにも記憶は完全に抹消されてましたけど」  ファイブは苦い口調で返す。それを受けて、更に表情を曇らせるレン。 「元は我ら同胞だったというのに、ザ・ネクストに捕縛されてから記憶を書き換えられてしまったのね」 「ええ。そうですね。ザ・ネクストは暗殺集団。我ら三賢者を殺す依頼をセヴンは受けていたようでした」 「へー」  ここでネオンが細い目を片方だけ薄っすらと開けてファイブを見る。 「で、ファイブちゃん。なんでここに連れてこなかったすか?」  白いドレスそのまま、まるで戦闘をしたとは思わせない服装のままのファイブはこう答える。 「彼女の実力がそのままかどうか確かめたかった」 「……彼女……ね」  レンとネオン二人の表情が曇り、重い空気が流れた。 「今は彼女……彼か。は、空間湾曲って能力だっけ?」 「ええ、自分で言ってました」  そう……と頷くレン。 「禁忌はまだ犯してはいないようね」 「禁忌三静式ですか? 空間湾曲は応用に思えますが」  禁忌という力が賢者クラスになると使用可能になる。三静式とは三つあるうちの禁忌の一つだ。 「まぁ、三轟式、三速式ほど応用狭くないからね」 「はぁ……」  三静式、その名の通り、静かな能力。空間湾曲という能力ほど、音を発生しない能力もない。高速移動時にも攻撃時にも防御時にも『静』がつきまとう。それは暗殺に関してはとても便利な能力だ。ファイブの『五感を狂わす』という能力も、『静』にカテゴライズされるが、禁忌の域には至っていない。クラスとしては、かなり低い応用をしていると言えた。 禁忌三静式とは最静の力であるが故に、音を発しない能力は大体、これに該当する。最も、その本質を見た相手は間違いなく、この世に存在出来ないだろうが。 「さて、そろそろ次の考え方をした方がいいかもね」 「……?」「……?」  二人がレンの言葉に沈黙する。 「次の考え……とは?」 「禁忌を使ってやるのよ。三静式まで使わせれば、こっちの勝ちでしょう?」 「しかし、それではレンさんの肉体が持つかどうか……」 「大丈夫。私は三速式のレン。そう簡単にやられはしない」 「ハァッ……ハァッ……!?」  足音は聞こえるのに、全く気配がない。正確には足音かどうかも定かではない。こつんこつんと石の音が反響して、セヴンに近づいてくる。ここは真昼のビル街。雨が降っていて、人通りはまばらだ。薄暗い空模様がセヴンを更に憂鬱にさせる。 「何なんでしょうか。全く……」  袖なしの黒い服。裾なしの黒い短パン。まだ結っていないゴールドの長髪。傘はさしていない。理機は濡れても風邪をひくことはない。 「ザ・ネクストの本部まであと少し……ハァッ」  何かに追われている。それだけの事実がセヴンを追い詰めていた。こんな所で、<索敵>を行っても意味がない。しかも、今回は雨が降っているのだ。土砂降り……である。ぴちゃぴちゃと水溜りを蹴りながら、彼は走る。走る。走る。  おかしい。空間の湾曲で飛ばしてるはずなのに、全く気配がない。いや、あると言った方が正しいのかもしれない。このままでは、本部がばれてしまうと考え、セヴンは飛ばしていた足を止めた。 「誰ですか? 私を追うのは? 潔く出てきなさい」  返事はない。ビルに反響して遠くまで声が響く。 「三静式の使い手とあろう者が大声を出してみっともないですね」  褐色の肌の和服姿の少女。レンはそういって、ビルの陰から姿を晒した。 「三静式? そもそもあなたは誰なんです? 私の高速移動について来るなんてのは異常としてしか自分には認識出来ない」 「そうね……」  レンは少し口ごもり、そして話す。 「セヴン。あなたには帰って来て欲しいと思っているわ」 「帰る? どこへ? 私はとある暗殺組織に作られし理機ですよ?」 「……」  少しの沈黙。 「完全に記憶を抹消されてるのかしら? 残念なことだわ」  ふうと息を吐いてレンは呟いた。 「それなら、思い出させてあげましょう。私達の目的含めて」 『禁忌×三速式』  彼女がそう言った瞬間、レンの姿は消失する。 「どこへ行ったんですか?」 「ここだわ!」  レンはいつの間にか、セヴンの頭上に移動していた。セヴンはそれに応じて、掌を彼女に向ける。 「遅い!」  その瞬間には、レンはセヴンの背中を取っていて……。 「い、いつの間に!?」 「あなたなんか止まって見えるのですよ」  そのまま足払いを食らって、セヴンは受身を取って、横にごろごろと転がり回避行動を取る。次の攻撃に備えるためだ。 立ち上がろうと、飛び起きようしたその瞬間、  がん! と眼前の地面に拳が打ち付けられていた。もう少し、起き上がるのが早ければ、頭が砕かれていたかもしれない。 「やれやれ……ですね」  飛び起きるのは諦めて、普通に起き上がる。 「その禁忌って何なんですか?」 「答える義理はありません」  今度はもろに顔面に拳を受けてしまった。だが、速度に対して威力はそれほど強くなかった。数回なら耐えられるレベル。だが、何回も食らうとヤバイのは確かだ。 とりあえず、セヴンは逃げることにした。正体不明の禁忌とやらに付き合って、身を滅ぼしては適わない。  セヴンが右足を踏みしめた、その瞬間。 百メートル進むはずが、なぜか地面に押し倒されていた。 「だから、止まって見えると言ったはずでしょう?」  身体のバネを利用して、レンを跳ね除ける。そして、再び右足を踏み出そうと試みるが、また同じ手で、押し倒されている。どういう仕掛けか全く分からない。相手は理機であることは確かだろうが、その手法が全く以って不明だった。 なぜだか、相手は手加減している。それはセヴンにも理解出来た。あれだけの速力があれば、すぐにでも自分は瞬殺されているはずだ。 再び彼が立ち上がって、反撃に転じようとした時だった。思い切り腹部に数回の打撃が加えられた。威力は強力ではないものの、『同時箇所に』『超高速で』加えられる打撃は相当なダメージを追う。そのままセヴンは倒れる。  ――自分には何か大事な役目があったのではないか……? 要人の暗殺? 違う。なら何だ。 薄れ行く意識の中、彼が聞いたのは……。  ……禁忌×三静式……禁忌×三静式……禁忌×三静式。という言葉だった。 セヴンはそのまま、ゆっくりと立ち上がり静かにそれを口に出す。 「……禁忌×三静式」 「……!?」  ――そろそろ潮時ね。 レンは頭の中で覚悟を決めると決死の千回連続の打撃を放った。  当たらない当たらない当たらない。 全て避けられる。受け止められる。そのまま顔面を掴まれ、レンは破壊された。例の『空間の湾曲』である。 もっとも、最速に適うだけの禁忌が大いに役立っていたが。  なぜか、セヴンの瞳から涙が零れ落ちる。 「何なんでしょう? この感情は? 襲ってきた理機を倒しただけなのに? なぜか……異常に悲しい」 「それは君が、平和を世界にもたらす元三賢者だったからす」  戦いを見ていたネオンが顔を出して言った。 「ネ……ネオン……」 「どうやら記憶を取り戻したみたいすね」 「私は……操られていたのですか?」 「そうみたいすね。それをレンは身を呈して記憶を取り戻させた」 「なぜそこまでして……」 「ネクサスの連中に、セヴンが利用されるのが嫌だったからに決まっているじゃないすか。親友なんだから。そもそもあたしらの主目的は暗殺組織の壊滅だったすよ?」 「……」 「これからどうするすか?」 「ザ・ネクサスをぶっ潰す」  意を込めた口調で言って、セヴンは拳を握り締めた。   その後、とある暗殺組織が壊滅したとの報が全世界に伝えられる。それをやったのは……あえていうまでもあるまい。