- R25
- 空は、今日も、青いか?
- 今25歳でいること
石田衣良氏が隔週連載でおくるR25読者へのメッセージ・エッセイ。
空は、今日も、青いか?
石田衣良=文
text IRA ISHIDA
中村 隆=イラスト
illustration TAKASHI NAKAMURA
Profile
いしだ・いら
1960年東京生まれ。成蹊大学卒業。著作に『池袋ウエストゲートパーク』(文藝春秋、オール讀物推理小説新人賞受賞)『4TEEN─フォーティーン』(新潮社、第129回直木賞受賞)『空は、今日も、青いか?』(日本経済新聞社)など。
第八十一回
今25歳でいること
秋葉原で7人が死亡する無差別殺傷事件が発生した。容疑者のKは25歳で、技術系の短大を卒業してから、派遣社員として全国各地の製造現場を転々としたという。
Kは事件の数カ月まえから、携帯サイトの掲示板に多数の書きこみをしていた。多いときは一日に200通も投稿したのである。ぼくはそれを読んでみた。
「勝ち組はみな死んでしまえ」
「友達ほしい でもできない なんでかな 不細工だから 終了」
「別の派遣でどっかの工場に行ったって 半年もすればまたこうなるのは明らか」
「彼女がいない それが全ての元凶」
こうしたやり切れない言葉が延々と続いている。内容は自分の孤独のつらさや容姿のコンプレックス、派遣仕事の先行き不安、恋人がいないといった、誰もが思いあたることばかりである。
現在24歳以下の労働者の半数は非正規雇用で不安定な仕事を続けている。Kのように未来に不安を抱いたり、友人がいない、恋人がいないと嘆く人も数多いことだろう。若いうちは誰だって、容姿のコンプレックスのひとつやふたつはあるものだ。
ぼく自身も25歳のときは、フリーターで職を転々としていた。大学時代の友はみな正社員として企業に就職していたので、友人の数はすくなかった。恋人もいなかった。将来への不安は抱えきれないほどだった。ひとりで本を読んで耐えるだけの暗黒の時期だったのである。
だが、23年まえのぼくも、今を生きる多くの25歳も、決してKのようにはならなかった。単に無差別殺傷事件を起こさなかったといいたいのではない。自分の未来や可能性をKのように簡単には投げ捨てなかったといいたいのだ。安易な絶望に逃げこむこともなかったし、厳しい状況に耐えながら、いつか自分の身に起きるかもしれない変化を粘り強く信じていたのだ。
ぼくはKは時の流れというものをなめていたと思う。いつまでも自分が同じままでとどまる、もう変わることはない。愚かにも、そう単純に信じてしまった。けれど、時の力からは誰も逃げられないのだ。四面楚歌だと思われる状況だって、いつか絶対に変わっていくのである。どれほど厳しくつらい状況も永遠に続くことはありえないからだ。
あの日借りだしたトラックで秋葉原にいかなければ、Kはいつか正社員として希望する仕事に就けたかもしれない。Kのことを愛してくれる恋人を見つけられたかもしれない。家族をつくり、自分の子を抱きあげ、笑いかける日がきたかもしれない。
日本の刑法では殺人の最高刑は死刑である。7人も犠牲者をだしたのでは、極刑以外の選択を裁判所がくだすのは困難だろう。Kは自分の未来を、秋葉原の路上に空き缶でもポイ捨てするように、簡単に投げだしてしまったのだ。
Kと同じような境遇で暮らしている25歳は全国に数十万人単位で存在することだろう。若かったころのぼくに似た、その多くの25歳にいっておきたい。今、きみがおかれている状況は、必ず変わるだろう。変化の芽はなかなか見えず、ときに心が絶望にかたむくことがあるかもしれない。
けれど、ぼくはあなたがKのように自分(かけがえのないひとりの人間)の未来と可能性を投げ捨てることを禁じます。その場で耐え、自分の力をすこしずつ磨き、いつかやってくる変化の時を待ってください。待てる人は変われる。嵐の空もいつかは晴れる。時は誰にでも平等に流れるのだ。あなたが今日を耐える力をもてますように。
※「空は、今日も、青いか?」は隔週連載です。
空は、今日も、青いか?
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