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「皇国史観」という問題 [著]長谷川亮一/近代日本の国体論 [著]昆野伸幸

[掲載]2008年3月2日

  • [評者]赤澤史朗(立命館大学教授・日本近現代史)

■歴史認識の枠組みを再考させる迫力

 若手の歴史家による「皇国史観」についての本が、相次いで2冊刊行された。このことは「皇国史観」が、今日の学界で注目を集めるテーマであることを示している。

 天皇統治の正統性を説明する近代日本の国体論や、その戦時期版の歴史観といえる「皇国史観」は、どこか内容がハッキリしない概念である。しかし長谷川亮一の『「皇国史観」という問題』は、これらの用語を広い視野から分かりやすく説明している。「皇国史観」とは、教育・思想統制を担った文部省教学局が、1940年代に『国史概説』など国家公認の歴史書を編纂(へんさん)する中で作られ、ジャーナリズムを通して広められた言葉であったという。

 長谷川によれば「皇国史観」は、時の政府や戦争を正当化するのに都合のよい政治的性格を持つものであった。国家による歴史の編纂には第一線の歴史家が数多く動員され、新たな実証研究の成果も部分的に取り入れられていた。だが「皇国史観」に取り込まれた実証研究者にはその構築に加担したことへの自覚は戦後にも見られなかった。

 これに対し昆野伸幸の『近代日本の国体論』は、長谷川と大きく叙述のスタイルが違っている。それは平泉澄と大川周明を中心に、大正・昭和期の国体論者の歴史観をめぐる激しいイデオロギー闘争史を描いたものだ。そこではこの時代に登場した国体論者たちの歴史観が、新しい歴史学や宗教学・人類学の出現を意識したものであったこと、そして日本の現状に対する政治的な危機感を鋭く反映していることが指摘されている。伝統的な国体論から変化したそれらは、おおむね天皇を支える国民の主体性を重視するものであったという。

 いま、「日本人」の自覚を促すようなナショナルな歴史認識や教育の問題は、大きな社会的争点となっている。過去の「皇国史観」が、それとけっして無関係でないことが、両書を読むと痛感させられる。「皇国史観」の多面性を実証的に発掘することを通じて、現在の歴史認識の枠組みを再考させる迫力を持つ本といえよう。

表紙画像

近代日本の国体論―〈皇国史観〉再考

著者:昆野 伸幸

出版社:ぺりかん社   価格:¥ 5,460

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