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2階建てが急きょ3階に 耐震性無視 四川の倒壊小学校

2008年6月17日15時1分

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 【綿竹(中国四川省)=西村大輔】中国・四川大地震で校舎が倒壊し児童ら126人が死亡した四川省綿竹市の富新第二小学校が、2階建て校舎の完成直後に3階を建て増すなど、ずさんな工事で建てられていたことが関係者の証言でわかった。

 校舎建設の技術責任者だった建設会社元幹部(57)が朝日新聞の取材に応じ、「当時の、今より甘い建築基準さえも満たしておらず、地震に耐えられない構造だった」と認めた。四川大地震では約6900棟の校舎が倒壊し、6千人以上の児童らが死亡したとみられているが、その背景の一端が明らかになった。

 校舎は89年6月に完工。元幹部によると、地元の教育委員会が設計費を節約するため、別の中学校の設計図のコピーを持ち込んできた。図面は3階建てだったが、2階建てにするよう指示された。

 ところが校舎が完成した1カ月後に、教委から3階建てに変更するよう求められた。2階建てであることを前提に、1階の壁の厚さは図面上の37センチから24センチに薄くしていたため、3階部分を建て増したことで耐震強度は低下。さらに、屋根の完成後に3階を増築したため、2階と3階の間の床が設計より10センチ以上も厚くなり、下層階に重量がかかる構造になったという。

 耐震性を考慮していれば、鉄筋を入れたコンクリート製の柱を少なくとも校舎の四隅に設ける必要があったが、実際には鉄筋が1本も入っておらず、れんがを積み上げただけの柱だった。当時の建築基準では、建築面積1平方メートルあたり鉄筋などの鋼材を17〜18キロ使わなければいけなかったが、実際には8〜9キロしか使わなかった。これも経費削減のためだった。

 元幹部は「私たちは地元政府の言ったとおりに建設しただけ。すべては地元政府に金がなかったことが原因だ」と、自らの責任については否定。綿竹市教育局は「局舎が危険な状態で資料のある部屋に入れない状態。質問には答えられない」としている。

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