寒い冬には着物がない。
エキサイトブログのログインページを開くと Africa Mission 2008 への誘いが見られるようになって一か月以上が過ぎたと思います。時をほぼ同じくして、5月28日から30日まで、第4回アフリカ開発会議(TICAD IV)が横浜で開催されたこともありますし、来月7月7日から9日まで北海道は洞爺湖でG8サミットが開かれることなど、これらの各行事が互いに強め合って、大きな実行力と化す働きをしているかと拝察します。

フランスでも近年のG8サミットが環境問題を主テーマにしているという前提で、サミット数か月前になると大統領閣下のおんお口から環境問題に関わる発言が増えることもヲッチャーから指摘されていたりもします。
G8サミットまで一か月となり、この6月3日からローマでFAO(食糧サミット)が開幕したためか、6月に入った今週、フランス国内の地上波各局のニュウス番組で「食料危機 Crise Alimentaire」についての特集を流すようになりました。
TF1 : La faim, un fléau qui touche 860 millions de personnes
France 2 : Sommet de la FAO à Rome
このFrance 2 の特集記事の右サブメニュウのVIDEO欄の上から3つめのビデオ『La crise alimentaire en Egypte エジプトにおける食糧危機』ですが、数度、テレビ画面でも拝見しましたが、脳ツルの一凡女は矛盾を感じてなりません。ウルトラ大金持の一家が登場しますが、はっきりと「食糧問題は大したことではないし、それを考えるのは政府であって、自分は責任者ではない」と断言していたりします。施し月にしか施せないイスラームが増えたことは、イスラーム学者の著書でもかなり前に拝読しました。ラマダーンが施し月でそれが信者の義務だからラマダーン中にしか哀れみを持たないという思想の表れがこのエジプトのビリオネアーの発言だとするなら、なんと
ε= (´∞` ) Bof
でありましょう。期間限定なんぞしないで、今の私たちにできることは何なのか?できないことを無理にしなくとも、できることなら他人に失笑されようが「小さな善行」として捧げられるものではないでしょうか。例えば、シラク前大統領夫人が創設された Pièces Jaunes ピエス・ヂョオヌ という活動はピエス・ヂョオヌという愛称があるサンチーム(=1ユーロ以下の金額コイン)コインの寄付によって高齢者や児童病棟の援助を行う活動です。度々、灰色告発が世間を賑わしますが、それでも続いている慈善事業だったりします。
ヒトとして何かできる、何かする。
さて、自分は何をする?
そんなことを考えさせられるここ数日を過ごしていたりしますが、ブログ散歩中に或る言葉を見つけて、ぶったまげました。こんな言葉です。
典礼がなし崩し的に陳腐化される状況に憂慮しています
いまどき言うか!「寒い冬には着物がない♪」って
私はしばらく前から改めてグリゴリオ聖歌とラテン語に
立ち帰ることにしています

cf. おつるの秘密日記 酒と薔薇と愛の日々「荘厳な 教皇様のミサ
http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/article/407/
今時、言う と思いますよ。この広い世界なら。日没後の砂漠がどれほど冷えるか、日本國より北にある北朝鮮も寒いでしょう。日本國よりはるか南でも高山地帯なら寒いし、空気も薄い。どれほど身体に負担がかかるでしょうか。

この「寒い冬には着物がない」という一文、読むなり「ちいさなひとびとの」という新しい聖歌の歌詞だとわかりました。黒革聖歌集で育った私には「新しい聖歌」という感覚です。確かに子供の頃、この聖歌を初めて朝礼時に習った時、私の心にも違和感がありました。世間知らずだったからです。成人して海外に出ることができ、市井を眺めたら、寒い冬でなくても路上で大変な思いをしている人をたくさん見ました。この歌詞の言葉とおり受け止めて、他の現実(それこそ飢餓)を指しているのではないという反論があるかもしれませんが、日本語の聖歌だから、この詞を失笑して、ラテン語聖歌を賛美できるというのも矛盾しているかと思います。神戸や新潟の震災、自宅に戻れず、硬い床の上で寒さと空腹と自然災害の恐怖でどれほどつらい思いをされた方がいるでしょう。いえ、「された」という過去形ではなく、現在もそのトラウマでご自分と向き合って闘っている方だっているのです。

フランス共和国の守護聖人のひとりにSaint Martin サン・マルタン、日本語とラテン語で表現すれば聖マルチノがいます。西暦317年、ハンガリーに生まれた彼が軍人となってフランス駐留になったのが338年、酷寒のアミアンで馬上のマルチノは寒さに震える乞食を見つけてしまった。が、何も持ち合わせていないマルチノは咄嗟の思いつきで自分のマントを刀で真っ二つに裂き、半分を乞食に与え、その場を去りました。その夜、同じ半分のマントを羽織ったキリストがマルチノの夢枕に立った・・・この精神を賛美するフランス人はたくさんいるというか、仏蘭西共和国内で Martin という町名が一番多いこと、Martin という苗字が常に上位にいることで、いかに仏蘭西びとにとっての「目標、誇り」であるかは言わずと知れたことだったりします。

聖マルチノは乞食の空腹を満たせなかったけれど、寒さを少しでも凌げるように自分のできることをしただけです。聖マルチノが実行したことは「寒い冬には着物がない」から「自分ができることをした」のです。その善行は日本語の聖歌で唄って失笑されるものですか?ラテン語聖歌やらラテン語のみのミサを決めたエラい方々だって聖マルチノの精神を常に胸に置いていたでしょう。

そもそも教会博士である聖ヒラリオ Saint Hilaire がアリウス派を否定したことで東方に長く滞在し、そこで聖歌の素晴らしさを知って、仏蘭西はポワチエに持ち帰ったのですよ(ニケア・コンスタンチノープル信条を持ち帰ったのもヒラリオだにゃ)。その後、ヒラリオはマルチノと出会い、マルチノにポワチエ郊外のリギュヂェという土地で修道生活なるものを始めるよう持ちかけたのです。西暦4世紀の西欧でのキリスト教礼拝はユダヤ教礼拝に近い形、もしくは円陣集会であり、典礼言語は必ずしもラテン語ではござらん。キリスト教なるものに2000年の歴史があり、その間に典礼所作やら典礼内に用いられる所作の改革はいくらでもありました。聖歌が用いられたのだって聖ヒラリオが東方に行かなかったら現代のカトリックで唄われていたかどうかだってOnly God knows だったりします。が、聖マルチノの善行が嘘か真か夢枕であれキリストに喜ばれたという事実は今もいつも世々に至るまで、キリスト教世界では目標とされる逸話でしょう。例えば、かの有名なマザー・テレサもその実践者であり、エマウスの創始者ラベ・ピエールもそう。ですが、名前が公表されなくても、賛美されなくても、実践するのは私たちひとりひとりではありませんか。

この歌詞「寒い冬には着物がない」が聖歌であることとカトリック典礼の問題点はリンクづけできます?TB先のブログ主さんご本人のご意見ではなく更にその先のご意見なので確かめようがございませんが、拝察するにグレゴリオ聖歌の曲調に、ラテン語に訳して「寒い冬には着物がない」と乗せたら差し支えありませんか?くりかえさせていただきます。
いまどき言うか!「寒い冬には着物がない♪」って
いまどき、言いますよ。これからも言います。この地図(↓)に食糧危機国がひとつもなくなるまで、誰かが世界のどこかで言い続けますよ。たとえあなた方が言わなくても。
こういうことをおっしゃる方、B16が繰り返される「カリタス」の精神はどこにあるのでしょう?

それとも、ご自分が好まれるごミサ「だけ」でこういう歌詞内容を唄ってくれなければいい、ということでしょうか?宗教の枠組みを越えて、貧富の差に関係なく、カリタスの精神は心に宿っているものです。日本國内のカトリックだけが「今時言うか!」と国境を越えた他のカトリック諸国にさえ「我、関せず」を表明するなら、日本のカトリックなるものはそういう傲慢な、他者を思わない、自分の希望ばかりを主張するエゴイストな宗派なのでしょう。

....私が知るカトリックと違う。残念です。
マリアさま、できることは何でもします、よろこんで。

le 5 juin 2008, Igor

by ma_cocotte | 2008-06-05 18:51 | 『?』なたわ言 | Trackback(1) | Comments(204)
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Tracked from 鰤端末鉄野菜 at 2008-06-12 23:47
タイトル : [web][charitable] 寒い冬には着物がない..
我々は楽しい初夏の陽気を愉しんでいるわけだが、南半球は冬なのである。まあ赤道直下には冬はないよなあとも思うが、冬だから着物がなくてもよい、ということにもならないのであろう。ということがいいたいのではなくて、ma_cocotte さんのブログエントリ「寒い冬には着物...more
Commented by ma_cocotte at 2008-06-05 20:53
☆ おつるさま、はじめまして。
聖歌は個人の好き嫌いで選択されていませんよね。
嫌いなら、その場で席を離れたらいかがですか?

  >今時、着物って

・・・・この聖歌が唄われるようになったのは1970年代だと記憶していますが、
当時は「着物」という言葉で「洋服」も指していたと思います。
作詞者が語呂を合わせるために選択した単語かもしれません。
それより以前の黒革の聖歌集の方が「今時○×って」をつけてクリティック
するのは簡単でしょう?

  >こんな歌 歌ったからといって 世界の食糧事情が改善される
  >わけでも なんでもありません。

聖歌は祈りです。
「こんな祈り 祈ったからといって世界の食糧事情が改善されるわけでも
なんでもありません」ということですね。
だったら、祈るの止めなさい、とはっきり教皇さまにおっしゃったらどうですか?

Commented by ma_cocotte at 2008-06-05 21:01
☆ 続きます。
カリタスについてですが、トップとはどなたを指しているのです?
この方(↓)ですか?
http://malicieuse.exblog.jp/8309564/

それともカリタス・ジャパンの菊池司教さまですか?
不信なら寄付しないのも個人の自由ですよね。
次に、

 >私たちは カトリックが 共産主義に陥ってることを憂いているのであって

ですけれど、それと典礼や聖歌の歌詞と何か関係がありますか?
貴エントリーを拝読した限り、歌詞を貶して、なぜか荘厳ミサに関連付け
されていますが、でしたら、ラテン語に訳して、貴方方が好まれる音律
に乗せたら唄ってもよろしいのではありません?
「着物」もラテン語に訳せば「今時」なにもあったもんぢゃございません。
Commented by ma_cocotte at 2008-06-05 21:15
☆ で、もいっちょ。

  >バチカンに背いたり 

具体的に教えてくださいませんか。
日本のカトリックがバチカンの「何」に叛いているのですか?

  >「寒い冬には着物がない♪」

そりゃ、日本語で唄っているのは日本だけでしょうね。

  >他のカトリック諸国は まともなミサをしているでしょう。

なにが「まとも」でなにが「まともでない」のか教えてください。
教皇さまが司式なさるフォークミサなら「まとも」ってことでよろしいですね?
当然ですけれど。(^_^)
Commented by マルグリット・マリー at 2008-06-05 23:08 x
大阪教区報のからし種欄にこんな記事が。
『典礼聖歌』に『小さなひとびとの』という歌が載っています。この歌の歌詞について、どこかで誰かが『見守ろう』というだけで何もしないのはけしからん、と怒っていました。私が悲しいなと思うのは、このおぼえやすいメロディーにのせて『貧しい人が飢えている」『国を出た人に家がなく』『寒い冬には着物がない』と歌う神経です。貧しい人、難民になった人がこれを聖堂でこれを聴いたら、私が子どもの頃に『貧乏人がボロ着てる』とはやされたときと同じような屈辱感を味わうのではないかと思います。私は、はやされただけでなく、その相手から助けてもらわねばならない悲しさも体験しました。教会の人たちは、無邪気にはやすだけでなく、結構『愛の実践』もしてくれます。しかし、それが相手に二重の屈辱感を与えているとは思いつきもしません。歌詞は『一人ひとりの中にキリストはいる』と続きます。極端な言い方をすれば、見守るにしても助けるにしても、相手ではなく、キリストなのです。『小さな人々』だけでしかなかったら、見守られることもないのでしょう。これも悲しいことです」
Commented by マルグリット・マリー at 2008-06-05 23:30 x
教区時報編集部の方が書かれたのでしょうが。
これを読んだ時、暗ーい気分になりました。
こんなことばかり言ってたら、何にも歌えないし、話せなくなる。
一番いけないことは、無関心なのに。
目をつむっていろと言わんばかりーー
『捨葉乃』というペンネームですが、いつも ひねくれているのです。

皆さん、結構この歌、好きです。
老いも若きも。
私たちが知らないところで 苦しむいろんな人がいるんだと改めて思い、無関心ではいけない!と思うのです。
メロディーは、いかにも日本の作曲家が作ったって感じですが。

「子どもとともにささげるミサ」は本来、子どもとその関係者とのミサです。小教区全体のミサには、荘厳さ・神聖さを望まれる方が多く、あまり好まれていません。
大阪教区においては、ミサ総則から大きく脱線して行われることが多くあり、反感を増幅させているのです。
いろんな人が集まるのですから、好みもいろいろですから、歌も多様性があってしかるべきなのに、グレゴリアンを禁止するから、このような意見が出るのです。
イタリアでもずっと以前からフォーク・ミサが行われてきましたし、その共同体で選曲すればいい話なのですが・・・
Commented by ma_cocotte at 2008-06-05 23:51
☆ おつるさま、
教皇さまが若者とのごミサではエンマニュエルなどの聖歌で司式されること
ご存知ありません?荘厳ミサしかあげない教皇さまではございませんよ。

で、紹介してくださったビデオですがKTOと言ってフランスの放送局
です。
http://www.ktotv.com/


私がフォークミサが好きかどうか過去ログでもご覧あそばせ。

http://malicieuse.exblog.jp/i25/

つい最近1962ミサを見たことも、黒革の聖歌集についてもエントリー
しています。「ちいさなひとびとの」を気分良く唄った記憶は一度たりとも
ありません。ですがね、典礼の様式美と聖歌の詞の内容となんの関連が
ありますか?何度も繰り返し書きますが、あなた方の主張ならば
詞をラテン語に訳して、グレゴリオ聖歌の曲調に乗せれば問題ない
ということになります?凍死する浮浪者(SDFと呼ばれます)が多々
いるフランスでは「今時言うか?」と問われれば「今時言いますよ」と
返答します。カリタスも赤十字もスクールポピュレール(共産党系)も
それぞれが援助しています。荘厳ミサと何の関係がありますか?
Commented by おつる at 2008-06-06 00:01 x
『捨葉乃』さんの ご意見に 感動しました。
素敵な お考えです。

>一番いけないことは、無関心なのに。
目をつむっていろと言わんばかりーー

そうですね
カリタス代表に チベットのことを 質問しても
目をつむっていろと言わんばかりーー
無関心でした。

チベットのひとが 寒い冬に着物がなくても
家がなくても 餓えていても 
拷問されても 100万人虐殺されても 無関心ですね
共産主義・中国が好きだから
チベット人には 隠れキリシタンもいるけれど。

>いろんな人が集まるのですから、好みもいろいろですから

だからこそ 司教が いろいろな考え方の信徒に 偏った左翼思想を
押しつけるのは おかしいのです
Commented by ma_cocotte at 2008-06-06 00:02
☆マルグリット・マリーさま、
実は私ごとになりますが、私はこの聖歌「ちいさなひとびとの」が教会で
唄われるようになったと同時に学校(ミッションスクール)で学びました。
記憶が定かではありませんが、同時期に教えていただいたのが「私たちは
さかなのよう」と「ごらんよ、空の鳥」・・・いや、ゴラトリは数年後だったかも
しれません。兎に角、それ以前は黒革の聖歌集しか唄わなかったのに
印刷した楽譜とファイルを渡されて自分で「典礼聖歌集」なる本を作る
形でした。
で、子供ながらにこの歌の第一印象は「暗い」です。マルグリット・マリー
さんが挙げられた箇所で一緒にのめっちゃうのですよ。女子だし、多感だし、
心がどよーんとしてしまったのは事実です。「ひとりひとりの中にキリスト
がいる」という部分もタイムリーというか、その直後にマザー・テレサなる
人物が知られるようになったことで、像がはっきりしたかもしれません。
もちろん北原怜子さんの伝記映画など繰り返し校内映画会で鑑賞した
けれど、子供の頭だとどうしても「過去」です。その点、マザーの登場は
リアルな先導者でした。
Commented by ma_cocotte at 2008-06-06 00:07
☆ 続きます。
「子供のミサ」ですけれど、私は主日に聖堂であげるのは反対派です。
ミッションスクールの林間学校や教会学校の夏のキャンプであげるのは
「まー、しょーがないかなー」ですね。学生時代、教会学校のリーダーで
当時は輪転機なんてもんを使って、夏キャンプ用の子供のミサ式次第を
作ったりしましたけれど、我が母校では幼稚園や小学校でも子供に
照準を合わせた行事は行っておりませんでした。その環境から出て、
子供のミサにはおったまげましたけれど。「できることはよろこんで」には
「受け入れられるなら我慢して」も含まれるかと勝手に解釈しております(爆笑。

大阪の場合は天王寺閉鎖がギャッフンでしたね。お察し申し上げます。
Commented by おつる at 2008-06-06 00:13 x
ごめんなさい。

いろいろな ご意見があって 語り合うのは
とても 素晴らしいと思って

貴重なご意見だと 思いますが・・・・

でも よく考えたら この 
「典礼がなし崩し的に陳腐化される状況に憂慮しています
いまどき言うか!「寒い冬には着物がない♪」って
私はしばらく前から改めてグリゴリオ聖歌とラテン語に
立ち帰ることにしています」という 文面は 私が 書いたものではなく
大切な友人が 私に個人的に下さった メールを
勝手に 転載したものなので
私の 書いたものに対する ご意見やご批判なら
いくらでも 結構なんですが
やはり 大切な友人を 傷つけたくはありませんし 
勝手にメールをのせた 私は 責任をとりたいとおもいました。

なので 申し訳ありませんが 
トラックバックを 削除させてくださいね
もし また ご意見など あれば コメント欄のほうに
頂ければと 思います。
よろしく お願いいたします
Commented by ma_cocotte at 2008-06-06 00:22
☆おつるさま、
実は中國事情についてお詳しくありませんよね?
なぜ教皇さまが中國政府が推挙した上海大司教を枢機卿にせず、
香港司教(「大」が付かない)を枢機卿に選ばれたのか。その報復で
中國政府はヴァチカンに何をしましたか?
この件、上海大司教、香港司教のBGも念入りに調べて、ご自分で
答えを見出されたらどうでしょう?余談ですけれど、ゼン枢機卿は
3月に香港で1962ミサを司式されていますよ。

チベットのカトリック、隠ればかりではないと思います。
こちら(↓)、パリーミッションのHPですが、2006年付けでチベット地区の
新しい教会の建築資金についての報告が掲載されています。
http://eglasie.mepasie.org/l-unique-paroisse-catholique-du-tibet-est-en-quete-d-argent-pour-achever-de-financer-la-construction-de-sa-nouvelle-eglise.fr-fr.75.8406.eda_article.htm
Commented by ma_cocotte at 2008-06-06 00:44
☆ おつるさま、
ゼン枢機卿とカリタス代表のマラディアガ師について調べられること、
お勧めします。ゼン師が中國政府にべったりはありえないと拝察しますが。
Commented by ma_cocotte at 2008-06-06 00:51
☆ 能古島@ さま、はじめまして。
「ちいさなひとびとの」の何が駄作ですか?
私も今までに一度もこの聖歌を良いと思ったことはありませんが、駄作とは
仮にも私の立場では口にしません。
メールという二者の空間でのご発言でしょうから、それが公に掲載された
ことはお察し申し上げます。
でも「寒い冬に着物がない」ヒトは能古島@さんのまわりにはいらっしゃら
ないかもしれませんが、過去を顧みても、現実にも世界中にはまだ
たくさんいます。そもそも荘厳ミサを語るにあたり、引き合いに出す
必要もないかと存じますが。

>霊魂(アニマ)の救かりこそ重要
能古島@さまはもしかして修道者ですか?
Commented by 123 at 2008-06-06 00:54 x
 流れてまいりました、 ma_cocotte さん。

 不思議なご縁です。私の手持ちの黒表紙の聖歌集も昭和43年7月の第4版なんですよ。ただし、私のは皮表紙ではなく、布クロース装です。350円也。表紙の裏はブルーに百合のリースではなく、薄黄緑の布モドキの紙です。「守護の天使」(p.257)は、490です。

 フランス語がおできになって、仏在住って、いいですね。私もカトリック校で中2からフランス語の授業を受けましたが、使い物になりません!

 もしかしたら、日本のカトリック教会の典礼には長い間ふれていらっしゃらないのかもしれませんね。また、日本のカトリック教会のいろいろな問題も・・・。フランスはフランスで色々な問題があるようですが、日本も色々です。

 みなそれぞれの立場で、何ができるか考え祈っています。

 どうぞ、日本のカトリック教会の為に祈ってくださいね!
Commented by ma_cocotte at 2008-06-06 01:03
☆ おつるさま、遡ってのコメントに返事が遅れてしまいました。お赦しを。

聖歌についてはTPOがあるのではありませんか?
教皇さまのごミサでもいつも同じ聖歌ではありませんし、ウヰーンのごミサ
なんて誰も唄えませんでしたよ。モーツァルトでしたっけ。
でも野外ミサでは黒革の聖歌集とほぼ同じメロディの聖歌がいくつか
流れましたね。言語違えど一緒に唄えました。

1970年代に日本の教会における試作のひとつが「ちいさなひとびとの」
だったのではないでしょうか。黒革の聖歌集育ちの私は違和感ありましたね。
「ちいさなひとびとの」も「私たちはさかなのよう」も。

武者小路氏については所属教会もろもろ存じ上げておりますが、
チュチェ思想は信仰箇条でもございませんので、もしごミサで
同席したとしておつるさんなら平和の挨拶をなさいますでしょ?

続きます。
Commented by ma_cocotte at 2008-06-06 01:11
☆ おつるさまへ。

 >あなたは バチカンに反して 日本の世俗化した典礼・聖歌が
 >すばらしいと思っているようですね

爆笑!
少しは過去ログをご覧いただけるとうれしいですけれど。
拙ブログの黒革の聖歌集ネタくらいご覧になってますよね?
http://malicieuse.exblog.jp/8368460/

 >また 両形態の聖体拝領の中で 信者が 自ら ホスティアを
 >カリスにつけて ぼとぼと 御血をこぼすことも 禁じられて
 >いますが それを推進したりしています

ヴァチカンは一度たりとも禁じていませんよ。
ヴァチカンの認可(Permission→Autholization)が必要なのです。
どこにも絶対禁止(forbidden)なんて書いてありませんが、なぜ「絶対禁止」と解釈なさる?

続きます。
Commented by ma_cocotte at 2008-06-06 01:14
☆ おつるさま
>ラテン語聖歌禁止、 跪きの聖体拝領禁止という 聖職者がいます
>これらは すべて バチカンに 反しています

それはお察し申し上げますが、
こちら(↓)の第二章全文翻訳してその司祭にさしあげたらどーですか?
http://www.vatican.va/holy_father/benedict_xvi/apost_exhortations/documents/hf_ben-xvi_exh_20070222_sacramentum-caritatis_fr.html

日本は遅れてますね。というか、こうしてヴァチカン公式HPで英文で
公表されていることを読まずに、どこからかの情報で惑わされているって。
第二章には聖歌の条件、ラテン語使用についても項目があります。
どうぞご一読ください。
この本が一般公開されたこともあり一年以上前から欧州では式次第で
ラテン語を部分的に復活させている教会が多々あります。もちろん
従わない聖職者も教区民もいます。
Commented by ma_cocotte at 2008-06-06 01:21
☆ 123 さま、
薄黄緑色の内装は私の聖歌集の一年後の印刷物かもしれませんが、
私が知っているのはその内装でも黒革の外装の聖歌集です。
日本のカトリック教会の典礼は今年3月に麹町、関口、某校で拝見いたしましたよ。
友人たちの好意で、信者でない母のためにごミサの中で祈っていただきも
しました。一昔前なら考えもつかなかったことですが、式後に司式の
神父さまにお礼を申し上げましたら慰めの言葉まで頂戴し恐縮しています。

フランスのKTOは問題あるのでしょうかねぇ。教皇様のご意向には
パッパカ動かれていると思いますけれど。
バルバラン枢機卿が出演されたトーク番組、いかが?

http://the-ou-cafe.france2.fr/index-fr.php?page=emission&id_rubrique=98

おもしろいですよ。
Commented by ma_cocotte at 2008-06-06 02:33
☆ 能古島@ さま、
奉献生活銀祝、金祝を迎えられても心の不足を語られて、観想修道者や
教え子に祈りの補助を求める方もいらっしゃれば、能古島@さんのように
お曽祖父さまの業績を挙げられて、

  >カトリックを立派に現していると思います

とご自身を語られる方もいらっしゃる。
勉強になります。___φ( ̄^ ̄ )


で、信濃町の上皇の話題を持ち出したところで、私にはε= (´∞` )bofです。

  ほっとけばー? (^_^)


>なにかあなたはできますか?

上にも書きました。「マリアさま、できることは何でもします。よろこんで」
「何でも」するのです、自分にできることは。I do でしょー。
Commented by ma_cocotte at 2008-06-06 04:21
☆ tontonさま、はじめまして。
思うに、どなたも主体思想家とご存知で信者の武者小路氏を司教さま方の
研修会にお招きしたのではありませんか?双方隠していないと思います。

「あがないの秘跡」関連ですが、両形態は禁止されていませんよ。
日本語に訳すと禁止されているかの表現しかできないだけです。
「認可を求め、認可を出す」という行動が必要なだけです。ヴァチカンHP
に掲載されている複数言語で比較されるとよろしいかも。

歌謡曲の件はお察し申し上げます。
教皇さまが何を言おうが従わなくて良いというのはその教区では叙階式
で従順を宣誓していない?
ですが、教皇さまは両形態については認可してもらいたくば手続を申請
なさい、とおっさってますね。
「絶対禁止なのに逆らっている」と思った方が都合の良い方々も日本には
いらっさるのでしょう。
欧米では2004年4月24日から一般が拝読できた「あがないの秘跡」の
文章が日本では2007年夏に日本語版、ところがそれより前、2007年
2月22日に欧米では続編に値する「Sacramentum Caritatis」が一般
販売ですから、日本の方々と話がズレても仕方がありませんね。
Commented by ma_cocotte at 2008-06-06 04:26
☆ tontonさま、更に。
列福での腹いせですか。存じませんでした。
上海大司教を枢機卿と推挙した中國政府の意向をB16が受け入れなかった
からだと漏れ伺っておりましたが。
Commented at 2008-06-06 06:22
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2008-06-06 11:30 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by ma_cocotte at 2008-06-06 15:10
☆ tonton さま

  >信徒は全然知りません。

これは語弊があります。
信徒でなくても、ご存知の方はご存知なほど知られた話ですよ。
「貴方(がた)がご存知なかった」のであって、それをまるで信徒「全員」
のごとき表現はよろしくない。
武者小路先生は上智大学にも長くいらして、当時からその研究テーマの
一部でこのキーワードは公表されておりましたよ。

  >日本ではカトリックの学校もつぶれていくと思います。
  >高い学費を払って、左翼っぽい教育を受けさせたくないでしょうから。

これ、どなたの考えですか?
私は3月に複数のカトリック校の校長職や関係者と会いましたが、
カトリック校の危機はそういうことではありません。
それに、私の母校(カトリック系)は日の丸を掲揚しております。
今年も掲揚しています。

tontonさん、事実確認していますか?
確認しないまま、「~に違いない」がいつのまにか「事実」と化して
こういう形でネットに流れるのは、事実でないことを吹聴された側にとって
どう思われるか。

続きます。


Commented by ma_cocotte at 2008-06-06 15:17
☆ tontonさま、
お近くに他の教会がなく、その洗礼を授けないだの教皇批判を公でお話に
なる神父さまに関わり続けなければならないのですね。そうでなく、ご自分の
心に良心の呵責を感じながらも関わり続けているのであれば、tontonさん
ご自身が動かねばならないでしょ?

で、ひとつ。
例えば左傾思想を持つ世俗に聖体を与える司祭が「サヨク司祭」と認定は
できない。これはご理解いただけますね。tontonさんご自身も隣席に
貴方の嫌いな政治思想の方がいらしても平和の挨拶をしますよね?

続きます。
Commented by ma_cocotte at 2008-06-06 15:25
☆ で、中央協議会の話ですけれど、ヴァチカンの公式HPで公文書は
ラテン、イタリア、英語、仏語、スペイン語、ドイツ語、ポルトガル語で
読めます。http://www.vatican.va/
Sacramentum Caritatis も全文、英語で読めますよ。
お仲間内でプリントアウトして研究会でも持たれたらどうでしょう?
第一章は神学で聖域向けですが、第二章は世俗向けのテーマです。
そんなに難しい文章ではないので、辞書を片手に読み勧められるかと
思いますが。

中国の件も私と話がかみ合っていないようで、tontonさんは

   >司教叙階の承認が間に合わなかった

とおっしゃるけれど、私が漏れ聞いたのはその前の枢機卿の選出に
ついてです。最近も(失念しましたが)一般紙でこの件が掲載されていました。
ヴェトナムは三自宣言をヴァチカンに押し付けていません。そこでしょ、
大きな違いは。
Commented by ma_cocotte at 2008-06-06 15:29
☆ 鍵06H22@06062008 さま
もしや貴女さまも麹町ぬぃ~~~~~!!!!!?????
うらめしや、うらめしや。道向こうで皿を割っている婆を見かけたら
あてくしの魂でございます(爆笑。
ご覧くださいましたこと、忝のうございまする。
Commented by ma_cocotte at 2008-06-06 15:45
☆ 鍵11H30@06062008さま、
いやはや、私がこの聖歌を教えてもらったのは小学校時代の朝礼時でした。
子供の聖歌なのかもよくわからないまま、章節を無視して一音でダダダダーっと
言葉を並べる新しい世界に馴染めないまま現在に至っておりまして。
(とはいえ、仏蘭西にも同じ形の楽譜はあります)
ただ、歌謡曲が唄える現在はともかく、1970年代にこの聖歌が教会で
認められたのは、作曲者作詞家が祈りつつ書いたという大前提があると
拝察します。おっしゃるとおりマテオ25章の「このもっとも小さなものの
ひとりにしてくれたことは私にしてくれたことなのである」が原文ですし。
一人一人のタレントも感性も違うので、私のように内心で「くっら~」と
思ったり、この聖歌を唄う日には気が重くなったりも正直します。でも、
それと荘厳ミサに何の関連がありますかね?
昔と違って、聖歌だって教会によっては典礼当番が選べたりしますから、
選ばなければいいだけです。詞がダサい、曲調などはその方がマテオの
同じ箇所を読んで、祈りつつ、生み出されたらよろし。

続きます。
Commented by ma_cocotte at 2008-06-06 15:48
☆ いずれにせよ、私には作詞作曲の才能もセンスもないので、
私の立場では祈りつつ作られた方々の労力と信仰に感謝するのが
せいいっぱいですわ。「好きぢゃない」と思いつつも唄えるなら I do
ですか。

...って、信者であろうがなかろうが、ミッション校に通うお子たちはそう思い、
詞の意味を教えてもらって、唄っております。
聖歌がダメなら、共同祈願ならいいのでしょうか?詞がダサいのは
作詞家だけではなくマテオさんのせいってことになる。いや、そうおっしゃった
イエズスさまご本人ですね。はっはっは。
Commented by マルグリット・マリー at 2008-06-06 17:18 x
これは余談ですが、「ちいさなひとびとの」は楽譜通りに歌うと暗くなります。
子供たちと一緒に歌うときは、テンポをあげて歌うと、少し明るく歌えます。笑 (不謹慎かしら?)

でも、シスター様の伴奏は重々しくテンポを落としますので、息も絶え絶え、酸欠になりかけるわ、暗闇に沈むわ~と大変なことになります。
オルガン奉仕には感謝しているのですが・・・

TPOにあわせて歌いたいものです。
Commented by ma_cocotte at 2008-06-06 17:18
☆ tontonさま、
武者小路さんは上智で奉職なさる前から、そちらの信条については
有名でしたよ。ネットなんかある前から。

こちらの話で恐縮ですけれど、司祭に邪魔者扱いされた方はご自分から
そこを去っています。不思議なもので司祭の言動でどこの教会も列席者
数の変動が目に見えてわかるものですが、tontonさんのまわりもそう
なさって、無言のうちに司祭側に反省を促す方法もあるかと思いますけれどね。
教会を選択できるほどの都市に限ってしまうかもしれませんが。

  >司教様方に従順なシスター方

これまた、「シスター方」全員ですか?
各修道会の会憲でも根こそぎチェックされたらどうでしょう?
司教従順が必ずしも掲げられていないと存じますが。

  >修道女連盟会長

ああ、個人ですね。該当修道女会のシスターとも前回の帰国時にお話
する機会がございました。ぜひtontonさんもなさってください。

続きます。


Commented by ma_cocotte at 2008-06-06 17:28
☆  >聖心・雙葉・白百合-シスター方はお困りでは?

さあ、どうでしょ?この三校のシスター方とも私はお話したことありますけれど、
困ってませんよ。オバヤシにでも訪ねて尋ねられたらいかがですか?

本田師についても大阪教区内にいらっしゃる修道司祭と話し合ったことが
ありますけれど、どこであってもご本人の長上次第ですよね。

京都の友人とは?????

で、フランスについてですが、共和国軍教区がパリにあります。
今年9月の教皇司式ミサは軍教区前の大広場での野外ミサです。
詳細はこちら(↓)
http://malicieuse.exblog.jp/8554753/

フランスのどこが、近隣の何が安定しているのですか?
欧州一の陸軍国家ですけれど。ジブチ沖合いだったか母艦派遣しっぱなしです。
百歩譲ってtontonさんがおっしゃるフランス事情が事実だとして、日本國
よりはるかに平和的に安定しているだろうフランスの防衛力は日本の
数千倍強固です。海に囲まれている日本がうらめしいと思っているのは
フランスだと思いますが。
この商談(↓)、日本は受け入れましたか?
http://malicieuse.exblog.jp/8373341
Commented by ma_cocotte at 2008-06-06 17:36
☆ マルグリット・マリーさま
カト校の朝礼終礼時の聖歌斉唱は必ずしも伴奏つきでなかったりします。
シスターの指揮や児童や生徒側のリズムの取り方にもよりますね。
私が高校生の時だったか天使祝詞を仏教のお経のような息継ぎで
みんなで唱えたら、シスターがご立腹されたことがありました。

「おおなみのように」などは歌が上手な子に唄わせて、私のような音痴は
「ぶんちゃっちゃ、ぶんちゃっちゃ」と小声で伴奏を唄ったりもしたり、
教会学校の集会では「イエスさまが一番」でサビに入る前に「せーのっ!」
なんて音頭を入れたりしていました。

ほんと、TPOですが、脳みそが一度固ゆでになると半熟には戻りません。
半熟を固ゆでにしようと火に油をそそぐ外野も多々おります。
私は半熟卵が好きです。固ゆではマヨネーズと一緒に砕くと美味しい。

おあとよろしいようで。
Commented at 2008-06-07 19:33 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by ma_cocotte at 2008-06-07 21:28
☆ 鍵19H33@07062008 さま、おひさしぶりでございます。
正直、「なんだかね。なんだかよ。」です。
ご自分達に都合が悪いことは見ない、知らないを通すのはどっちに
巻こうが同じだとよくわかりました。
「典礼の陳腐化」にご不満で荘厳ミサをお願いしあげていただくことに
典礼聖歌の曲調や詞について「個人の不満」を絡める必要はありません。
そのこぢつけの理由が知りたいところですね。
「寒い冬には着物がない」から「マントを二つに裂いて乞食に渡した」
その結論は同じでも聖マルチノが馬上からマントを弱者に投げつけたのか、
馬から降りて肩にかけたのか・・・そこでしょ、カトリックなる宗教で大切な
ことは。
Commented by ma_cocotte at 2008-06-08 00:31
☆ おつる さま、どうも。
話がどうもつながりませんが、パリーミッションは北朝鮮にも中國にも
チベットにも入っています。上に貼ったURLですが、チベット自治区内唯一の
教区が新しい聖堂建設のために寄付を募っていることが書かれています。
北朝鮮に入国したパリーミッションと慈善団体が撮った記録フィルムも
フランスでは一般のルポルタージュ番組で流れていますが。

ゼン枢機卿もマラディアガ枢機卿についても興味がないのだったら、
貴女がカトリックの名を出して中國やチベット問題を関連付けて語れるのは
なぜですか?このお二人を抜きにして中國問題もカリタスインターナショナル
の問題も語れませんよ。この方々がこれらの問題の最長上として
教皇さまにご進言申し上げるのですからして。
最初にも書きましたが、なぜB16が中國政府が推挙した上海大司教を
枢機卿に選ばず、香港司教を選んだのか、ヴァチカンと中國問題を
眺める上で重要ポイントのひとつです。そしてこのお二人が教区司祭
出身ではなく修道司祭であること、その学んだ基礎にどういう思想が
あるか、その修道会の会憲は?

続きます。
Commented by ma_cocotte at 2008-06-08 00:37
☆ それらを知らずに貴女が語ったところでカトリックの中では空論になり
かねません。

私が何もしていないとなぜお目にかかったこともない貴女が断言できる
のですか?一緒に煤払いしますか?
「ちいさなひとびとの」はマテオ福音からの引用です。駄作だとマテオに
おっしゃったらどうですか?その言葉をおっしゃったのはイエズスさま
ご本人です。作曲作詞のセンスは神さまがそれぞれに与えたタレントが
ありますから、万民に褒め称えられることはありません。All Mighty は
神のみです。

武者小路先生と平和の挨拶ができない・・・これは、これは。
おつるさんの洗礼準備をなさった神父さまにお話してみたらどうでしょ?

続きます。
Commented by ma_cocotte at 2008-06-08 00:50
☆ おつるさま、

  >認可されていないことを するのは 禁止といいます。

いいえ、違います。
絶対禁止だったら、英訳なら動詞のforbidを使います。
Not permitted は「not」を省いたらpermit です。カトリック教会だけ
でなく、一般常識ですよ。

  >そんなあなたごときに 学校の校長や 関係者が カトリック校の
  >内部の秘密事項を お話するわけがないでしょう

と、卒業生でもなければ同窓生でもない部外者の貴女が断言できません。
お話する「わけ」があったらどーします?
貴女が面識まったくない私を「あなたごとき」と見下せる発言ができるのは
なぜですか?まあ、見下されても当然なんですけれどね(笑。
逆にtontonさんが先に「高額な月謝と左傾思想でつぶれる」と断言できるのは
私と違うカト校内でお見上げ申し上げられるご身分と拝察してよろしいですか?

Commented at 2008-06-08 01:19 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by ma_cocotte at 2008-06-08 01:27
☆ おつるさま、さらに。

>私は 私立学校の教師ですので 内部事情はわかっています。

カトリック私学の内部事情ですか?
でも、おつるさんがここで述べられているカトリック校の事情は事実では
ありません。従順についてもご自論に過ぎず、カトリックにおける従順と
違いますね。
ま、いいです。次回帰国の際に、私が自分で調べます。


>「高い学費を払って、左翼っぽい教育を受けさせたくない」

それが、日本國内のカトリック系全校に当てはまりますか?
そうは聞いていませんが。安い学費のカト校もあるし、国旗掲揚も
国歌斉唱も続けているカト校もありますよ。校章に日の丸をあしらっている
カト校もございます。採用する教師もカト系各校の方針に奉献できる方
が大前提です。というか、カト校は私学なんで学校方針に親御さんが
不満なら自主退学することを宣誓させているカト校が多いですよね。
それに、そこまで生き残ろうと必死のカト校もなかったりなんかして。
カト校の意義は婚姻の秘跡につながるのであって、世間の流れは二の次
ですし。
Commented by あんとに庵 at 2008-06-08 01:28 x
お?なんか大丈夫?話が激しく枝葉に飛んで元ネタがなにか判らんす。

わたくしはなんというか典礼聖歌集のあの歌嫌いですよ。ああいう単調なメロディは脳裏にこびりついて離れず家帰ってからも回るんで嫌。歌詞もまぁ美的に好きじゃないし。だから皆さんの気持ち判ります。耳塞ぎたくなりますもん。

ただ、ま・ここっとさんの言う通り、イマドキでも寒い日の着物がない人いますよ。日本だってホームレスとか、大変な思いしてるでしょ。日本は今迄日米安全保障の中でぬくぬくやって来たけどこれからどうなるか判らんよ。歌が好き嫌いとか以前の認識でそういう想像力は持った方がいいとは思う。
それと「着物」って言い方します。うちのばあちゃん世代とか。教会はお年よりも多いから違和感ないでしょ。なので私はそういう物言いに違和感ないんですが、これは単なる世代差かな?
Commented by ma_cocotte at 2008-06-08 01:32
☆  >左翼教育の過激な公立でも同じです。

カトリック私学は公立と違います。カト校全校が左翼教育をしていると
なぜ貴女が断言できますか。

おつるさん、京都のどこぞのカト校が陸軍施設をそのまま校舎と使って
いると書かれましたが、数年前にこの学院は正平協大会で使用
されましたけれど、その事実をご存知ないまま、おつるさんは賛美されました。
そしてカトリック各校に国旗国歌西暦使用についてご自論を促されたのは
京都教区長です。カトリック学校連盟ではありません。
おつるさん、大阪より京都がよろしいのでしょう?

公で語られる前に根拠を調べる責任は成人である貴女にあります。
カト校によっても創立者の意向がありますから、各校それぞれの教育
方針があります。十把一絡げにはできません。公立ではないのですから。
Commented by あんとに庵 at 2008-06-08 01:36 x
おつるさま>
わたくしはそこに列挙されとるカトリック校の出身者だが、母校も聖職者の数が減ってしまって以前のようではないとは、そこの霊的指導担当してる司祭から話は聞いておりますが、それでも精神は守っていこうみたいなのはまだあるようです。だからその危機感ってのの状態は判んないですが、具体的にどんなことがあったか教えてもらえるといいなぁ。

あと、左翼を敵視するあまりに極論にいってしまうのはよくないですよ。もちょっと落ち着いた方がいいと思うのだな。困った左翼同様困った右翼になってしまっちゃ、まずいっしょ。

あと、付け加えるなら、ま・ここっとさんはもともと左翼政治系聖職者は嫌いですよ。原則から外れたことをしてれば右も左もどっちの陣営も良くないでしょという感じ。
Commented by ma_cocotte at 2008-06-08 01:40
☆ 鍵01H19@08062008 さま、
荘厳ミサをあげていただく理由付けに典礼聖歌の批判は必要ないと
私は思います。荘厳ミサ実施に某Y教区の内情暴露や批判も私には
関係ない。荘厳ミサが好きなら、「好き~」と言えば良いのだよ。
SJ総長になられたニコラス師なんて解放神学派だけど毎日跪いて
祈ってから会議に入っていたけれど。右だろうが左だろうが典礼重視派は
いるのであって、左傾全員典礼軽視とは言えない。右も同じく。それと
これは別次元ですね。

まあ、論客さんご本人が中國問題やカリタスについて批判を書くにしても
ゼン師もマラディアガ師もまったく知るつもりがなく、なぜかそこに世俗の
武者小路氏を出してカトリックを語るという荒業に出るとおっしゃっている。
教皇さまにつながらないカトリックになるかな。
Commented by ma_cocotte at 2008-06-08 01:52
☆ あんとに庵さま、おひさでございます。
私も「ちいさなひとびとの」も「わたしたちはさかなのよう」も苦手ですよ。
てか、あの一音でリズムなしに文章を平坦に読みつついきなり音が下がるアレ。
そのものをいまだに納得していないのね。(第二ヴァチカン公会議以前の
遺物と呼ばれかねないにゃ(爆笑
聖歌だってヒトが作ったものだから万民に賛美されることはないでしょ。
ダサい、自分には合わないって言ったら、あてくしたちの場合、ツェッペリン
の天国の階段で入祭ってどうよ?となる。結構いいよね。抹香が触れない
リズムでもない。私なんて聖歌も教会建築も壁画も教会人事でも世俗の
私物化だの不満を言ったら止まらんです。
聖歌選びひとつにしても自分の思い通りになることの方が稀ですよね。
教皇さまだって思い通りになっていることの方が少ないでしょう。>中國(爆笑
Commented by ma_cocotte at 2008-06-08 02:09
☆ あんとに庵さま、横からごめんくださいませ。
庵主殿のご母校って左傾教育なさってます?
私の母校はまったくしていないし、学費も安く、寄付も施設拡充費も
まったく求めていません。姉妹校は最近、新しい校章を作って、日の丸
をあしらってたりします。

それに別に修道女連盟のカイチョさんの言うことに従順していませんよね。
十把一絡げにされちゃうとそれはそれで全体主義扱いされていると
思えちゃいます。カト校それぞれ個性がある(そもそも制服だって違う)
けど、イヴェントで皆ひとつに祈れる、「あめのきさき」を唄えるってぇのが
ビンゴだ。それで十分だよね。WYDの目的とさして変わらん。(^_^)
Commented by あんとに庵 at 2008-06-08 02:10 x
ま・ここっとさま>
あの歌は。。まぁ回り見渡しても人気ないっすよね。他にもやなのは色々あるんだけど、でも一応聖歌のジャンルではあるよね。あとはあれを選択する聖歌隊のセンス次第ですね。嫌いなんで歌わないし、ダサいとは明言はする。という按配です。あたくし。
ただ、スマップの曲なんか始めたらやめろ馬鹿とかいうけど、一応聖歌だからなぁ・・・しくしくしく。

ただ教会音楽というのは最上の賛美としてなくてはならないので美的に万民に感じられるものでなくてはならない。ゆえにもちょっとナニがミサにふさわしいか考えろよとはラッツィのお言葉。音楽の世俗化を憂えておられるのは確か。ここは音楽に耳のいい専門家に任せるしかないですねぃ。

中国は複雑怪奇に難しいところですね。カリタスだってあれこれとかなり苦慮しとるようだが、一方的な視点だとああ見えてしまうんだなぁ。
Commented by あんとに庵 at 2008-06-08 02:19 x
ん〜?左翼教育してたら姉妹校担当してるうちの右翼司祭が激しく怒り出すとは思うけど・・ただ、以前正平協関係の人を講演に招いただかいうことがあって物議を醸し出していた覚えが。
あと、確かに母校の活動会のシスター達の傾向が若い人はあのま・ここっとさんも警戒しておられた世俗化したシスターに近い印象はあるんで、リベラル傾向はあるかもしれない。それに前の校長と今の校長は恩師なんだけど、年代的にあの年代的な固有性(ノンポリでも今の左翼に位置してしまう)があるかも。私のいた頃はシスターが校長だったし、先生方が、共産主義嫌いで、革命という言葉すらぞぞ毛を立てていたけど。笑)

まぁ、マジ、教育が左翼化したら卒業生と父兄が許さんでしょう。同窓会は強い。なので本当に問題があったなら、神父に文句垂れてやりたいと思うんで、聞きたいのだ。
Commented by ma_cocotte at 2008-06-08 03:03
☆ あんとに庵さま、
「ちいさなひとびとの」を朝礼で唄っちゃうと、その後、誰かがおちゃらけ
てくれないと一日のスタートが重い。けど、忘れちゃならんし、なんてったって
この詞の元はマテオ25章のイエズスさまおん自ら述べられた言葉に
あるとなるとね。イスラエルの砂漠の夜は強烈に寒いそうだよ。てか、
馬小屋を思い出すよね。

阪神大震災の被災者である論客さんがこんな聖歌を唄ったからって
世界の食糧事情は変わらない、教会オルガニストだからわかる!
カト校はサヨク教育をしている私立校教員だから卒業生よりわかる!
らしいから、ま、私たちの知るカトリックの精神とは違うということでしょう。

ラッツィはわけーもん相手のごミサではエンマニュエルの聖歌を好まれて
いると思いますよ。入祭は必ずといっていいほど「エールサレーム」だもん。
ちょっと演歌っぽい短調の曲なんだけど・・・私は好きよ。(^_^)
Commented by ma_cocotte at 2008-06-08 03:14
☆ あんとに庵さまのご母校は正平協大会で会場貸与した時にモメモメ
した記憶がございますよ。もうひとつはO船の男子校の司祭との関係。
・・・って、この司祭は現在SJ総長ぢゃないかと思うンですが。
裏の坂道下のパリーミッションの男子校の司祭方も赤ワイン臭いものね(爆笑
おフランス系の学校の聖職者修道者が「革命」と聞いて首を押さえるのは
当然だわな。スペイン系だとこれまたフランコ反応ですもんね。その点、
イタリアは「ムッソ」で眉毛がぴっくーんでしょうか。

カトリックにおける平等観が左傾に捉えられても浅けりゃ浅いほど
ありえるだろうけれど、うっかり解放神学をかぢって社会活動に出て
しまうと軸が狂うので要注意、と解放神学研究の司祭(SJ総長ニコさまの
直弟子)に注意された私です。釜の本田さんを出されたら自分は右だと
はっきり言えるって爆笑していました。
Commented at 2008-06-08 07:51 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by anbai at 2008-06-08 08:31 x
 右や左のだんなさま…っていうのか?ここでは。そんなブログでは無かったような気がいたしますですが、聖歌の歌詞そのものについては思うところはあるんでエントリしてみました。でも正直、ごミサの云々とか政治活動云々はそれに絡めることとは私も思わんです。音楽は音楽で論じたらいいんでないかな、と思うんで。詳しそうな方々とお見受けしましたし。
 あと、TBてのは一応、反論TBでも蔭口よりはマシだと思うし、たまたま検索とかアクセス解析とかでそういうのを見つけた時の方が不快感はでかいもんですよ。その方がじんわり、嫌な気分が胸に広がる。
 だったら、反論があるんだ、こういう意見もあるんだ、ということを意思表示してくれることのほうが有難い、と個人的に思うんですが。それなんで、一応こっちにはお知らせしておきますね。
 もう一方の当事者のブログさんはTBしても受けて下さるか心配になってきたので。
Commented by あんとに庵 at 2008-06-08 11:56 x
歌の好みからいったらあてくしも駄目駄目だけど、批判者は歌の美的ななにかに対する批判というよりは、小さな人々見守ろう>小さき人々の神学>解放の神学>マルクス主義 ってな感じで駄目なのかな?だからそういうイデオロギー的な言葉に連なっていくんだろうね。でも、それぞれのことの本質をよく判って駄目っていってるとも思えんのだ。

わたくしはま・ここっとさんもご存知の通り、どっちかというと右翼である。かくては極右だな〜と思っているほどだった。70年安保馬鹿嫌いとか、けんぽーくじょ〜とか言ってるのには今でも当然批判的。スタンスは変わってない。
で、ま・ここっとさんも似たようなスタンスですよね。中共むかつくとか、シスターがベールをかぶらなくなって久しいのはなんか嘆かわしいとか、色々話をした覚えが。それがいきなりおつるさんに左翼扱い受けてて笑ったというか。
他者を短絡的に分別するのはよくないと思う。

Commented by あんとに庵 at 2008-06-08 12:05 x
で、解放の神学とか、本田神父とか、私もその危うさ的に批判的だが、なんせうちの会の神父だからな。一応色々知る機会はある。当然批判されて仕方ない言論をいうし、言論上はボコラれてもしょうがないと思うんだけど、「あなたはなにかやってますか?」ということ尋ねていた方がいたが、少なくとも彼はそれについてはなにかを率先してやっているわけだな。

解放の神学のレオナルドボフの著作を読んだが、やはりまぁ危ういなというか・・、しかし理論としてのそれというのは、バチカンに中央集権化していった近代批判でもあるのだとは思うし、その問題は判らなくもない。宗教改革前の中世的な修道会精神なわたくしとしては反宗教改革以降の近代は息苦しい。
ただ、階級闘争的な視点というのはすべてがフラットで水平であると考えるフランシスカンなフラテルニタスなわたくし的には上下設定するマルクス主義は受け付けないからなぁ。

Commented by あんとに庵 at 2008-06-08 12:11 x
南米は・・・ま・ここっとさんはご存知なので説明するまでもないが、アメリカに色々ふんずけられて来たとか、ガルシア・マルケス読んでても泥沼化してるなみたいなそんなトコだし、その文脈ではそれなりの要望はあったのかもしれないが、日本じゃ教会は権力者の一部どころかよわっちくんだしな・・・。解放の神学言われても外部批判へと向かうだけになるんでよろしくないなという印象。

教会関連は以上。。。。長くなってごめんね。

楯の会に勧誘された体験を持つ霊的補佐な神父に指導されとるわたくしでも昨今の教会内右方向の方の主張にはついていけないものがある。なんというか精密ではなくデジタルすぎる。アメリカの宗教右派的なそんな印象というか。政治方面でも同じ。

70年代安保の困った左翼も似たようなもんだったけど。政府=悪 日本=悪 資本主義=悪・・・みたいなデジタル感覚でやるもんで私などはそういうの見てて右に行ったんだけどね。はぁ。
Commented by あんとに庵 at 2008-06-08 12:25 x
ま・ここっとさま>

ガッコについてだけど、あの時はナニやってんだ??と驚いたし、同窓生からも苦情入ったんではないかなぁ。その後、どうなったのかな?

問題があるならほのめかしではなく具体的な事例を挙げて欲しいよね。左翼化を恐れているなら、その例を以てちゃんと文句垂れしなきゃあかんからね。だから聞きたいんだな。わたくしもそれなりに訴えるからさ。

SJはうちの会と歴史的に仲悪いが、なんというかゲティエレス(ドメニコ会)もそうだけど、中世の霊性んとこはどうしてまぁ解放方向に行くのかな?

革命に関しては当時べるばらが流行っていたんで、学園祭に革命を起こそうみたいなスローガンを生徒が立てたら、先生達に激しく却下されたんだよ。マルクスとか念頭になくて、我々は単にオスカル萌えなだけだったんだな。笑)
今思えば先生達が受け入れなかったのは良くわかる。

Commented by ma_cocotte at 2008-06-08 16:54
☆ 鍵07H51@08062008 さま、このお題で内省する時間が与えられた
と向き合っていますが、ふと思い出したことは気に入らなければ瞬時に
塩柱に変えることさえできる神でありながら、イエズスさまは荒れ野の
40日でぢっくり悪魔と向き合い、悪魔の囁きを聞き、誠意をもって返答し、
悪魔を去らせる、という繰り返しを行いました。もしイエズスさまがこの
40日間、次々とやってくる悪魔を目の当たりにするだけでボコボコしていた
のなら現存するキリスト教がなかったかも?と。

私が生まれて初めて「君が代」を唄ったのは小学校4年の時でした。
小学校の卒業式に小4以上が参加するので憶えました。例の前世紀末の
お達しは、私のような新教学校にも通った経験があるものには新教校の
習慣を旧教校にも波及するのかな?くらいにしか思いませんでした。
旧教校においては例えば「カトリック校音楽会」で集ったら、一緒に同じ
お祈りを唱え、「あめのきさき」を舞台上も観客も関係なく唄えることでは
ないでしょうか。各校のハモリなど素晴らしいですよね。

続きます。
Commented by ma_cocotte at 2008-06-08 16:57
☆ 私、ヴァチカンから使命を受けて中國本土に長年入られた神父さまを
存じてますよ。パリーミッションの公式HPも各国からの司祭からの報告書
や動向が掲載されておりますので、一見の価値があります。その報告書が
「左傾だから嘘」と判断するのは個人の勝手ですね。
こちら、MEPのアジア宣教区向け公式HPです。
http://www.mepasie.org/

聖域には聖域の動きがあり、それを聖域以外にいる者が必ずしも知る
必要はない、と子供の頃から教えられているので、首を突っ込むことは
時に野暮になるし、場合によっては苦しみになると思います。

お目汚しさせてしまいました。おゆるしくださいませ。
Commented by ma_cocotte at 2008-06-08 17:04
☆ anbai さま、
聖歌の好き嫌いと典礼様式は合致しないと私は思います。「ちいさな
ひとびとの」はマテオ福音のイエズスさまの言葉からの引用です。
この聖歌を作る使命を与えられたお二人のタレントがこういう聖歌となって
表れたのですもんね。批評されている方々は音楽に精通されてらっしゃる
からこそ優劣つけられるのでしょうが、参列するパンピーは「なに、これ?」
と思ったところで口パクするしかありません。

むしろ、きょうび現場の司祭の不満ってぇのは典礼係の世俗が選べる
聖歌が必ずしも典礼文に忠実でなかったりしてブー垂れている時が
あります。もちろんそのイメージ典礼文も祈祷文も聖歌として現代は
認められちゃっているのだからしょーがない。フランスにだって「グロリア
全文唄う?途中で飽きるよね」という世俗さん、たんまりいますよ、
拙宅の近所に(大爆笑。

でもこの典礼様式がミギやヒダリに関係するの?関係しないね。
関連付けて路上でしゃべっている方に問題があるかも。
Commented by ma_cocotte at 2008-06-08 17:12
☆ あんとに庵さま、あの「ちいさなひとびとの」の作詞家がヒダリだという
記録でもあるのかしら?当時、子供の私には「わたしたちはさかなのよう」
と指して変わらなかった。そもそもミサなるものに出席しないのに、憶え
させられている一般学童の立場だと、音楽の先生が教えてくれたリズムが
ない、変な作曲だ、とも思ったね。そんなことは今になってウンマを見て
五線譜に書いてくれなきゃわかんないべ、のレベルの私には、この典礼
聖歌を批評される方々とは相席も適わないでありましょう。

シスターがベールをかぶれない、政府サマに遠慮している状況は憂え
ますね。が、こういう時はおフランスでも男子だね。万年ローマンや
スータンの若き神学生と司祭が増え始めていますよ。そーいや、カルメルで
上半身伝統修道服、下半身チノパンのフレールを目撃しました。

続くぅ。
Commented by ma_cocotte at 2008-06-08 17:16
☆ 釜の本田師の件は聖域の方々と話すと、それぞれのご専門の立場で
いろいろ語ってくださいますね。解放神学を贔屓にしていても、秘跡を
軽んじたら神さまに申し訳ないだろう、とつぶやく方など、その論点は
政治のミギヒダリという観点なんて薄っぺらたいものではありません。
バチカンの中央集権強化の問題点も、私はSJ総長選考に照らし合わせて
お話を伺えるチャンスがあったけれど、この各修道会の危機感というのは
B16時代になったからではなく、既にJPII時代から深刻に考えられている
ことも知りました。となると、理想はPVI?にまで遡ったりするわけ。となると、
PVI時代って典礼面では保守だったよね・・・あれ?あれ?なんて凡人には
マジカルワールド突入になったりしますよ。だからカトは面白い。
Commented by ma_cocotte at 2008-06-08 17:24
☆ SJ総長のニコさまとラッツィの長年の関係についても漏れ聞いてしまったよ。
なんとKWに「グレ大」が出てきたり、そーなると政治だけぢゃないんだ、って
またまた「知る喜び」だったりします。政治的にミギだろうがヒダリだろうが
そんなのは信仰箇条にないことを私たちが知っていてもいいかと思いますね。
そんな次元にいない聖域が世俗にその枠組みに押し込められてしまうのも
矛盾を感じています。もし本当にそうなら途中であくびかますのは世俗の
こっちになっちゃいそう。司祭や修道者との問答はそんなつまらんもん
ぢゃあない。

ブログのコメント欄で「我こそは○×の卒業生なり」と名乗りを挙げずとも
拙ブログの読者はカト校出身の方が多いし、鍵コメなんて機能がある
ことで「ウチのガッコは従ってます」うんぬん回答もいただいているし、
現実世界での確認は礼を尽くせば門は開かれるもの。
それを肩書を名乗っての想像だけで断定されるのは無理がありますよね。
フランス大革命はカトリック弾圧革命でもあるから。殉教者がどれほど
いるか。フランス系の修道会なら霊的兄姉を思えば、反対なさいますよ。
Commented by あんとに庵 at 2008-06-08 19:20 x
>バチカンの中央集権強化の問題点も、私はSJ総長選考に照らし合わせてお話を伺えるチャンスがあったけれど、この各修道会の危機感というのはB16時代になったからではなく、既にJPII時代から深刻に考えられていることも知りました。

これ遡ればたぶんナポレオンの時代とかにも行き着くと思うよ。ガリカニズムの対抗論として出てきたりした思想とか、或いは第一バチカン公会議で決定された、教皇の不可謬性とか。

特にJP2の時代が長かったせいもあり、また情報化が進む中でまぁ当然中央集権化していくってのは流れでもあるんだけど。
で、中世はああいう時代だし情報の流れってのが今のようなダイレクトさもないし、地方司教の力が強かったりもして、それはそれでまぁ・・・問題もあったわけだが。だからグレゴリオ改革なんてのが起きたりしたのもあるよね。いいかげんである反面、ある程度思想に幅があったりもしたのもこの時代で、自ずと典礼も地方によって幅があったりしたんだと。←某グレ大出身の教会史司祭の受け売り。
Commented by あんとに庵 at 2008-06-08 19:40 x
かぎコメで書かれた情報はあてくしには残念ながら読めんので、情報がシャア出来てないんで、結局、実態が判りませんが。

まぁ、とにかく、問題を提起したおつるさんとtontonさんから、まずは懸念しているという具体的な事例を聞きたいもんです。

ここにはおそらく名を挙げられた各ガッコ出身者が来てると思いますし、もし懸念すべきことが生じているならば、当然、皆知りたいことだと思いますしね。時代が変わるとナニが起きるか判らん。ゆえにちゃんと説明責任は果たして欲しいものです。
Commented by あんとに庵 at 2008-06-08 19:41 x
シャア→シェア ・・の間違い。

シャア少佐か?!
Commented by あんとに庵 at 2008-06-08 22:40 x
おつるさま>某所でのちべ問題以来ですね。その節はども。

ええと、まず大坂辺りが色々悩ましいってのは私も色んな方から聞いています。危機感はあるだろうなぁと..そのあたりの苛々感ってのは判るんですが。

で、ご説明いただいたことはtontonさんの

>これから、日本ではカトリックの学校もつぶれていくと思います。高い学費を払って、左翼っぽい教育を受けさせたくないでしょうから。

・・の具体的事例ではないし、抽象的すぎて、わたくしにはだからナニ?程度しか受け止められんです。深刻な問題があるなら申していただければ関わりのある司祭などと話出来ますし。ヨロ。

しかし守秘義務であるというならばここで守秘義務があることを漏らすことすら守秘を守ってないことになりますから関係者であるならば慎重になるべきです。ほのめかしのみで、いたずらに疑心を蒔くという行為が一番最悪です。
本当によくしたいと思うならば具体的に動くしかない.。なのにそんなレベルの話ではただのデマレベルで終わってしまいます。
Commented by @06-08-07:51 at 2008-06-08 22:50 x
突然失礼致します。鍵コメでもぐっていました。ma_cocotte様、コメントをありがとうございました。

チベットにしても、ミヤンマーにしても、実際に自国にいるかたの圧力というのが、声高な反対運動や外圧によって、より一層強くならないことを願います。活動、入国ができない状況となっては本末転倒だし。

私立学校、とくにカト系の私立学校は、召命の減少も伴い、根幹である創立者の精神をどのように受け継がせていくのか、わが母校も大変知恵を絞っています。一校のことだけではなく、全体で話し合いながら検討していると思いますょ。現職員のかた、卒業生、レイマンとの協働は必須ではないかと思います。そして淘汰されるものは淘汰されていくというのが悲しいかな現実であると思います。

聖歌のことはもういいけど・・・この歌も、ふと気をぬくと、こぶしがききそうになり、意に反して(?)すごい力の入った祈り歌になっちゃったりして。タントゥムエルゴを唄っていた当時を思うと、B16の憂慮も(低次元な私なりの範囲)わかる気がする。つぇっぺりん、想像してみました(笑)Monsignorゲオルグとかいいかも♪いや、彼はPOLICE系か・・・失礼をば。
Commented by あんとに庵 at 2008-06-08 22:56 x
で、二つ目のコメですが、

発言者の年齢とかイメージとか議論内容に全然関係ないじゃないっすか。それを規定して、だからナニ?ナニが言いたいんだ?スタンスとか関係ないといいながら人格想像してるってどうよ?

やめんかい。恥ずかしいわ。ほんまに。

大切な友人かばうのはいいけどさ、だからってナニいってもいいと限んないよ。そんなに堕ちてどうするのさ?はじめは同情しててもな、それでぶち壊しやで?

つーわけで、冷静になりなよ。と言ったんだよ。あたら敵つくっても損するだけだよ。

Commented by あんとに庵 at 2008-06-08 23:11 x
06-08-07:51様>
横レス失礼します。

うちのガッコもそれが悩みですね。シスターの減少がやはり難しくさせているようです。先生が創設者の理念をいかに伝えていけばいいのか?と真剣に悩んでおられ、現場でのそうした悩みを伺ったことはあります。学校側よりはむしろ受験して入って来る生徒や父兄の考えが変容してきたという話ではありました。霊的なよさが判ってもらえないというか、生徒に「受験が第一で、他は無駄」みたいなことを言われてショック受けてました。

私の指導司祭がタマタマ母校と姉妹校の霊的指導担当になったのですが、やはり霊性の取り戻しが課題だとは言ってました。ですが教育に携わる聖職の減少が悩ましいようで、問題は山積みなようです。

おつるさんが見ておられるのは関西ということでそちらの学校事情は判らないために、具体的な情報をシェアして欲しいとは思うのですが。。。。。なんか・・ちょっと残念だ・・・。
Commented at 2008-06-09 00:11 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by あんとに庵 at 2008-06-09 00:33 x
うーむ。肝心のことに答えずに帰っていったところを見るとやはりデマレベルだったのか。

しかしまぁ己の言論の始末もせず、対抗言論者の人格を云々して終わりにするという手法は魯迅が書くところの阿Qの精神的勝利法 注)ですな。

注)現代の阿Q式用例→小日本などとカキコしている中国ネチズン他

Commented by ma_cocotte at 2008-06-09 02:38
☆ あんとに庵さま、どうもです。
教会のピクニク&遠足&司祭館でのダベリングから戻ってきたら、あらま、
大変、ぶったまげ。討論がどうも噛み合わなくなってしまったかなあ。

 >特にJP2の時代が長かったせいもあり、また情報化が進む中で
 >まぁ当然中央集権化していくってのは流れでもあるんだけど。

これは長かったね、まぢ(爆笑。
で、長期政権における典礼改革や教会習慣の変革も、こうなってしまうと
「良かれ悪かれ」がさらに目立つかも。だって新しい聖歌の悪口を言って
いる人々だってJPIIを賛美していたりします。もひとつ問題点は第二ヴァチカン
公会議後なんだろうけれど、PVI時代って典礼はノブスオルドに変わっても
奇抜な応用はまったくなかった時代だってわかってんのかなー、とか
彼らの批判を聞いていてふと思ったり。というか、世俗がこんなにいろいろ
ネット上で言えるというのも祭壇の向こうにも行けず、朗読もできず、
香部屋に入ることなんてできなかったことを知っている婦女子には
ヴぃっくりかも。おつるさんが方々で私のことを婆を書いてらっしゃるけれど
あながち嘘ではござらんな(爆笑。
Commented by ma_cocotte at 2008-06-09 02:39
☆ で、B16ですが、自国語による背面ミサをしょっちゅうあげてらっしゃいますよ。
ルター時代のミサなんですって。どこぞの未公認団体にしてみれば不満
タラタラで時代を遡りすぎだけど、B16らしい表現だと思います。

で、おつるさんが上に書かれているカト校事情はハズレ。鍵さんとあんとに庵さん
が書かれている話は、私が某カト校最長上から聞いていることとビンゴです。
Commented by ma_cocotte at 2008-06-09 02:49
☆ おつるさま、
パリーミッションの報告はチベット自治区単独教区の聖堂建築資金の
援助を願っている報告書です。そもそも私がこれを上に挙げたのは、
おつるさんが中國国内に外人宣教師はいないと書かれていたことにも
引っ掛けたつもりです。
偶然ですが、我が地元の教会にこの9月から新任司祭が異動して来ますが
現在、香港教区にいらっしゃるパリーミッションの司祭です。中國内から
まだ完全に宣教師は追い出されていないかと思いますが、どうでしょうか?

 >問題は その人権侵害であり 聖堂の立派さとか 関係ありません

ですから、そのためにB16が誰を枢機卿に任命し、その方がどういう
BGなのか知らないと。B16が貴女以上にこの問題点を考えられて
いるからこその判断で、その判断に不満を持った中國政府が何をしたのか?
そこでしょ?
B16が中國政府の意向に厳しいから、先日のごとく欧州興行中の中國
オーケストラと合唱団の公演をヴァチカンに献上したのだとフランスの
一般紙が冷静な視点で記事にしていたりもします。

続きます
Commented by ma_cocotte at 2008-06-09 02:56
☆ おつるさま、

 >繰り返しますが 興味ありません。 枢機卿がだれであれ
 >どんな立派な偉い人であれ どんな努力をしていようが
 >カトリックが 人権侵害され 殺されゆく人を助けることが
 >できていない事実に なんら 変わりはありません。

彼らを助けるための人事だとなぜ理解できませんか?
それともB16の人選にご不満ですか?
貴女が興味ある武者小路氏にしろ田代氏にしろ世俗信者です。貴女が
憂う彼らの政治信条はカトリックの信仰箇条ではありません。貴女の
意向で世俗の彼らを聖域にいるがごとく語り、一方でB16がこの問題を
置いての人選に「興味がない」というのは、実はカトリックにはなんら
関係ないこと、おつるさんにはわかりませんか?

 >私は メロディーラインが 駄作、ダサクだと言っています。

ですから、詞をラテン語にしてグレゴリオ聖歌風のメロディに乗せれば
問題はなさそうだ、と私は最初から書いていますけれど?

続きます。
Commented by ma_cocotte at 2008-06-09 03:10
☆ おつるさま、次は両形態について。

 >認可していないことをするのは 禁止です。 常識です。

ところが既に聖域内でヴァチカンに認可申請手続が開始しているなら、
司教認可があれば(仮)実行できるそうですよ。世界中どこのカトリック教会でも。
おつるさんの思い込みであって、実はカトリックの常識ぢゃないみたいですね。

 >あえて公立を選択せず私立を選択する理由があなたには
 >わかっていません。 

おつるさんはカトリック校の本当の使命をご存じないと拝察します。
これは婚姻の秘跡の誓約にも関わります。で、学校側にも受け入れる
子供を選択する理由があります。

 >素敵な学校ですよ。 賛美します。 素晴らしいです。
 >教育方針や子供たちを ご存じないのですか?

でも、その修道女会は正平協に貸しましたよね?
なんだ、正平協に貸す判断をくだす長上さまがいらっしゃる修道女会でも
おつるさんにはよろしーんぢゃありませんか。
貸さなかった方の耶蘇校にはどなたがいらっしゃるかご存知?ふっふっふ。
Commented by ma_cocotte at 2008-06-09 03:10
☆ おつるさんへ。

 >特に日本のカトリック人口が 減少一方であること
 >カトリック小→中学→高校→女子短大や女子大学のエスカレーター式は
 >まったく 昔のようには 人気がありません
 >それで 大手の就職はできませんし。


的外れてますよ、おつるさん。
もともとカト校で各学年に1割ボンクリがいたらカト色濃いくらいです。
で、逆にカトリック家庭がカトリック校に子供を入れる理由は就職に
関係ないのが「大前提」にあります。もちろん世俗ですからそれが総意
とは言いません。カト校と就職を関連づけるのは9割の「ミッションスクール」
好きの意見かと思いますが。

 >おフランス好きな  自慢好きな 世間知らずの

私が何を自慢していますか?
個人の好き嫌いを書いてらっしゃるのはおつるさんのお友達では?
Commented by ma_cocotte at 2008-06-09 03:13
☆ もいっちょ、おつるさん

 >過去の日記とかも 興味ないので 見てませんし
 >彼女がどんな人だとか スタンスがどうとか どうでもいいです笑

それで、自分の妄想をほうぼうに事実のごとく述べられるのはいかがかと
思いますが。既に私と違う人格が貴女に作られて一人歩きしています。


 >私は 私の大切な 尊敬しているともだちを 小バカにしたり
 >嫌なことを 言う まここっとさん のそういう 
 >ネチネチした お局みたいな
 >性格の部分は 嫌いだから 反論してるだけ。

どこで小バカにしていますか?

で、tontonさんが日本國よりはるかに隣国が平和と仮定なさったフランスですが、
カトリックとの関係においては共和国軍教区があること、先のフィヨン
首相が来日の際、国際海上警備隊を作ろうと海軍人を引き連れて
日本國に参加を求めたこと、日本は受け入れていますか?
断っていたら残念ですね。
Commented by ma_cocotte at 2008-06-09 03:24
☆ あんとに庵さま、
おつるさんがほのめかした私学の経営危機の問題は私学全体の問題
であることは私たちも百も承知な話ですが、おつるさんはどうもカトリック
校の教会内でのミッションについて何もご存じないと拝察しました。

カトリック校の改革や問題点については、一月にエントリーされた糸永
司教さまのこちら(↓)が参考になるかと思います。

http://www.mr826.net:8080/psi/blog/3053308c30824e003064306e9078629e

カト校が運営面で視野狭窄になって、本当の使命を怠ってしまう点などは
それこそカト校会議で互いに磨きあっている点でもあると漏れ聞いています。
現在のカイチョさんはその両面でカリスマなヒトだと思いますよ。(私の
高三時の「修養の日」の指導司祭だったんだー(^_^)
Commented by ma_cocotte at 2008-06-09 03:33
☆ で、あんとに庵さま
おつるさんですが元々ご自分のブログでカトリックやカリタスジャパンの
対中國問題についてカトリック教会を絡めてのご意見を書いてらっしゃいますが、
B16が任命された香港司教である陳枢機卿、カリタス・インターナショナルの
マラディアガ枢機卿に「まったく興味がない」「調べるつもりもない」と
ここに述べてますし、一方で世俗信者のひとり(武者小路氏や田代氏)の
思想を日本司教団やカリタス・ジャパンに関連させて考察されたいようです。
実は無理なこぢつけですよね。世俗信者個人の研究題目に過ぎん。そこまで
カトリック教会が世俗信者の「私」部分に関わっていましたっけ?

ネット上で根拠のないままの思いを書くのも自由ですが、それで迷惑
するのは変な泥を塗られた団体や個人だと拝察します。塗るのは簡単
でも拭うのはその数倍の時間と労力が必要だもんね。
Commented by ma_cocotte at 2008-06-09 03:45
☆ @06-08-07:51 さま、ネット上のヴァーチャルご足労、申し訳ありません。

 >声高な反対運動や外圧によって、より一層強くならないことを願います。
 >活動、入国ができない状況となっては本末転倒だし。

まっさにこの点ですよね。ヴァチカンからのミッション(←もごもご(笑)が
遂行できなくなったら、日本の鎖国時代を招きかねません。パリーミッションHP
の報告書はザビエルの時代の総長への書簡、開国後の日本にいらした
諸宣教修道会の司祭による総長への書簡となんら変わりません。彼らの
命がけのミッションについて、私たちが変に動いてしまったら、最初の
犠牲者はその国内にいる彼らであって私たちではありません。

私が前に住んでいた南仏の小村出身の神父さまは朝鮮半島で股裂き刑
により殉教しています。召命の識別において宣教修道者となり、全身
全霊を奉献してくださる聖職者、修道者と彼らの働きで信仰の光を見つけた
人々をどうしたいか、それはB16と共に慎重に前進し、私たちができること
で祈りつつお支えすることではないかと凡なりに思う次第です。

続きます。
Commented by ma_cocotte at 2008-06-09 04:00
☆ カト校の現状ですが、

  >私立学校、とくにカト系の私立学校は、召命の減少も伴い、
  >根幹である創立者の精神をどのように受け継がせていくのか、

ここですね。母校の場合はそれこそ「人気を高めよう」としたことで、
意向に沿わないご家庭を受け入れてしまったという深く重い反省が
あります。そんなこともあって、宗教行事強化したりしていますよ。

  >淘汰されるものは淘汰されていくというのが悲しいかな現実であると思います。

会によっては男女会があると、合併や共同指導という道もあるみたい
ですが、人気が先行しての内部誤解に困っているのでは。

>B16の憂慮も(低次元な私なりの範囲)わかる気がする。

これについてはSacramentum Caritatis 第二章が既に公開されて
いるので「考えずに従う」(←地元司祭の台詞)です。(爆笑

>Monsignorゲオルグとかいいかも

ぜひこちらを。
http://www.dailymotion.com/video/x1tzu2_la-messe-privee-du-pape-benoit-xv_events
どーすれば朝の聖務日課のごミサにあずかれるンです?
このごミサ出席、あたくしの悲願になりますた。
Commented by ma_cocotte at 2008-06-09 04:07
☆ あんとに庵さま、ふたたび

  >学校側よりはむしろ受験して入って来る生徒や父兄の考えが
  >変容してきたという話ではありました。霊的なよさが判ってもらえない
  >というか、生徒に「受験が第一で、他は無駄」みたいなことを言われて
  >ショック受けてました。

ですから、ほれ。庵主殿の姉妹校は数年前から、スリーピッカリタウンでは
数年後に中学からの外部募集を中止しますですよ。修道会側の覚悟
表明だと拝察しています。

おつるさんは関西で、神戸大震災の被災者でもあるとおっしゃってた
こともあり実名を出してのご批判に関しては「オバヤシにいらしたら?」
と書きました。でも、正平協に学園を貸す判断されてもその学園の
教育方針と在校生を賛美するとを書かれていますから、単に聖心、
雙葉、白百合の教育方針が個人的に好まれないだけであって、正平協への
関与はここの件だけどうでもいいんぢゃない?ε= (´∞` ) Bof
Commented by ma_cocotte at 2008-06-09 04:12
☆ おつるさま、自己都合で さようなら ですか?
ここでのコメントはググれば引っかかります。貴女がこれまでここで
述べられたこと、貴女が責任を持ってくださいね。
世の中は貴女の都合、貴女の思い付きで動いていませんし、貴女の
思い付きを述べても事実と変化することはなく、貴女の意向が露に
なるだけです。

貴女がここに書かれたことについて、事実と異なることであれば、
それは「異なる」としか書けません。常に良心と照らし合わせて、文に
なさることお勧めします。ココに集う方々は少なくとも、そうなさってますので
あしからず。
Commented by ma_cocotte at 2008-06-09 04:19
☆ 鍵00H11@09062008 さま、はじめまして。
私も30で始めたフランス語学習者です。一緒に楽しみましょう。

ここでのコメント欄は互いに誠意を尽くしての語り合いを理想としています。
知らないこと、わからないことは自分なりに調べますし、御題をくださった
方に質問を返させていただくこともありますが、それで互いに「知る喜び」
を感じることができたら良いと思いませんか?

うぉおお、K町6丁目ですかっ!?
どこかでお目にかかっているかも。今年の秋あたりすれ違えるかも。うふふ。
Commented by kumiko at 2008-06-09 06:30 x
こんにちは。

宗教関係にはうとく、読み逃げしていましたが、日本人の集団にはめずらしくきちんとした論争になるものかと期待していましたが、おつるさんの物言いは最後はくずれましたね。
論争内容で相容れない、論破されても誰もそれをおかしいとは思わなく、勉強になったなと読んでいると思いますが、能力的に続けられなくなればうまく終わればいいとおもいますが、人格否定にうつり、論点と関係なくなるのはなんとも。

論争も訓練すると、できるようになるので頑張りたいところと個人的には思っています。

Commented by あんとに庵 at 2008-06-09 11:26 x
いやはや。実は正直言って、ことの発端となった能古島さんの発言が取り上げられて云々された時点では、能古島さんに同情してたんですよ。わたくしも「あの歌、超嫌い〜。典礼に美を取り戻したいよう。しくしくしく」とか「左政治活動司教なんぞ、つまみ出せ!」とか気軽に書いちゃいそうなんで。特に大坂教区なんかにいたらそう思うだろうなぁと。愚痴の一つも言いたい。だから大げさに取り沙汰されたら困っちゃうだろうなと。

しかし母校の名が挙げられ、不安を誘うような言論が続いていたんで、なにそれ?とやって来たわけですが、デマゴーグをまき散らすだけなら迷惑ですな。危機と言いながら妄想を暴走させて危機を創出してるというのは、マッチポンプなだけでしょう。しかし、なにかそうではない具体的な原因があるだろうから聞いたのに、結局これでは。
まぁ関西方面の教育界の危機はまったく違うところにあるというか、つまり私学教育者のレベルが著しく低い事例を目の当たりに見て終わってしまったんで、別の危機感を持ってしまっただけであった。
Commented by あんとに庵 at 2008-06-09 11:44 x
>ですから、ほれ。庵主殿の姉妹校は数年前から、スリーピッカリタウンでは数年後に中学からの外部募集を中止しますですよ。修道会側の覚悟表明だと拝察しています。

受験校という数字だけでの世界だとカトリック校なんかのよさってのは出てこないですよね。まぁマリ見て的なおじょーさま幻想(<どうもuumin3さんによると世間一般的にはニーズがある。実態は違うがな)を揺籃するにゃぁ門戸閉ざすが正解かもですな。三○町はそっちに行きましたか。
母校はそれぞれに違うが、母教会の近くのとこははじめから中途入学出来ないようにしてたですね。わたくしはとにかくなんにおいてもぬるい母校が好きだったんですが、世間の受験風が暴風となっておしよせ、先生達を泣かせていたって辺りで、風に逆らって頑張って欲しいとエール送りたいです。

まぁ既にカト校ギョーカイで自明となっていることで騒がれていたなら、現場は更にその危機をではどうするか?とそれぞれが解決に向けて色々努力中であるわけですから、今更感はありますな。(だけにもっと違う問題でも起きたのかと思ったんだが、左翼的教育とか・・「的」などという曖昧なこと言われても困るし。)
Commented by あんとに庵 at 2008-06-09 12:08 x
糸永司教様のブログ記事、以前読んでいてシスターとも話すんですが、(今は鹿児島教区民だし)やはり召命の減少から来るカトリック教育の存続の困難さはおっしゃってました。

カトリック校の特性はやはりカトリック精神にあるという辺りでカトリック校の関係者は合意しているわけで、あとはこの困難な時代にどうやってそれを守って行くかですよね。

同じことを師匠も言っていて、師匠も生徒達の霊性の育成(というか、まぁカトリックの持つ伝統的よさ)に主眼を置いて考えていますね。師匠はなんせアクション同志会の活動も手伝ったりしてるような典礼保守人ですから、霊的なものの大切さを先ず優先するので、そういう発想で教育現場に臨んでいるのがいるんだよというのを不安を覚えておられる方などには、記憶にとどめといて貰いたいなと思います。

うちのがっこの場合は余計な附加イメージがついたんでミーハーな俗な価値でやって来る父兄の対処に苦慮しとるようです。私の時代の校長は眼光鋭く、その手の俗っぽさを見分ける能力があるというか、世俗の価値では動かない。マザーテレサを連想させるようなすごいシスターでした。
Commented by ma_cocotte at 2008-06-09 14:35
☆ kumiko さま、申し訳ありませんでした。
当初から「私は、私は」と個人の好みを主張する方と、個人の好みは二の次
にして(カトリックを絡めた)一般論を語る側に分かれてしまったように
思えました。
私も私情を暴露すれば、該当聖歌は苦手です。この聖歌だけでなく
該当カテゴリーの「典礼聖歌」なるものが苦手です。途中でリズムが
なくなったような状態になるのでオルガニストの方も高度なテクが必要
になります。それも古い聖堂であればあるほど音の伝導にズレが生じ
やすくなったり。
「オルガニストだからわかる」というのはこの点のご苦労あってかもしれません。

たまに、話の途中でわけのわからない歌詞を書いたりする方もいらっしゃい
ますね。誰もコメントを書き込まなくなったあたりで、突然。
なぜコメント欄でそんなことをするのか理解に苦しみますが、現実の
ディベートなら二分した空気を和ませられるかもしれません。
Commented by ma_cocotte at 2008-06-09 14:46
☆ あんとに庵さま、
能古島@氏は福岡教区の方ですよ。某所で公表されています。
そういや、なぜかおひさま・モールは京阪神に学校がありませんね。
私の場合、姉妹校もあれば、大阪大司教区内のカト校を卒業し、現在は
教員もいますが、関西は関東よりしっかりした教育をしていると思います。
ただ大阪大司教区には教区長が設立した高等学府(最近、名称を
変えたとこ)と隣接する耶蘇女学校があるやね。もしかしたら、その
学び舎を主眼において他の宣教会系耶蘇校も平等扱いしていたり
するかもよ。
もうひとつは関西だと、釜へのボランティア実習があるカト校が多いから
もしそれを理由のひとつに「左傾」だというのは外野の短絡的発想に
過ぎないと思います。
この点、もしアレだったら秋にでも元某校院長(現在、江戸にあらしゃる)
や庵主殿のおっしょさんなど私たちが訪問して、話し合いましょうか。
こっちからチーズを買って行きましょう(チョコもね)。
Commented by ma_cocotte at 2008-06-09 14:54
☆ そもそも私があんとに庵さんとこうしてお話するようになったのも
今はなき「園丁日記」で耶蘇女学校の左傾化が取り沙汰された時でした。
自ら教育受験ママを名乗る方が関東のカト女子校の実名を挙げて
左傾度数を○、×、△で評価してご自分のブログに掲載していたのです。
それも、北朝鮮に通ずる文京区春日あたりの住所の団体に絡んでいた
記憶がありますよ。私の母校もサヨク認定されていたので、私が自分で
調べました。けんども、この悪口を書いていた女性がなんと我が母校の
小学校に娘を入学させているおっかさんだとわかっちまったんだな。

  だったら、自分で調べろよ。

でしょ?そすたら、「あたくしは新参者なのでとてもとても」と言いながら
「祖父は高名ですのよ」と来た。その後は私について「修道会にご連絡
できるなんてさぞかしご優秀だったのでしょう」と誉め殺しです。
おひさまモールもピッカリソルトもこの女性のブログではマッカッカ認定
だったことも憶えてます。受験妨害している自覚はないとおっしゃってました。
Commented by ma_cocotte at 2008-06-09 15:00
☆ 私がお世話になった学校は現在も幼稚園から高校まで各学年(3クラス)
だけどシスターが1~2人担任、副担任でいます。住み込み司祭まで
いるという一割のカトっ子のためには最優良環境だったりします。
が、漏れ聞いた話では逆に一般授業から「宗教」を省いてしまった
カト校もあるらしいです。その点など、カト校教育者の集まりで論議されて
いると拝察します。
もうひとつはあんとに庵さんがシスターから伺ったことに通じるかもしれ
ませんが、
私が上に書いたこと含めて、代々同窓生組とお受験で受け入れた初代
組の親御さん子女ご本人とのあらゆることでのギャップですね。
あまりにあまりで退学をお願いしたら、親御さんが登校拒否になった
話も聞いたばかり。アッチッチです。塾の情報が必ずしも事実でなかったり
するとなぜか火の粉は学園側に「嘘ついたわね」となるらしいし。
Commented by みりん at 2008-06-09 16:00 x
はじめまして。いつも楽しみに読ませていただいてます。

最初から最後まで、それぞれの見ている世界の差が歴然としているやり取りでした。
「私は被災者(だから分かる)!私は教会オルガニスト(だから分かる)!私は教師(だから分かる)!」と肩書きに後押しを頼り、思いこみで人格まで貶める方に対し
ma_cocotteさんは、あくまでも自分自身を頼りに対峙なさいました。

> 同席したとしておつるさんなら平和の挨拶をなさいますでしょ
> しません。

怖い。

これからもma_cocotteさんの日記、楽しみにしています。
Commented by ma_cocotte at 2008-06-09 17:57
☆ みりんさま、はじめまして。
公において個人の好みばかりを主張できるのか、ですね。
教皇さまが常々「カリタス」についてそれぞれが考え実行するように
求められますが、カリタスは自己愛でもエロースでもないと思います。

私好みのごミサを望むなら、家庭のミサや小聖堂でのお仲間内の
ミサも可能でしょう。「主日ミサにおいて私好みでなきゃイヤ」なんて教皇さま
でもおっしゃれないと思います。

今回はなんだか変な雰囲気になっちゃいましたが、おだやかに楽しく
コメント交換を一緒にいたしましょう。およろしく。
Commented by あんとに庵 at 2008-06-09 18:37 x
●典礼について
うーむ。確かにまぁ好みの問題ってのを典礼に持ち込むはいかんのだが、げいじつ世界にいるものゆえに、美というものの普遍性を信じているので、教会音楽もまた、普遍の美を顕わすものでなくてはならない。などとわたくしは考えます。一定のレベルに達しておらぬ楽曲などは淘汰させていくべしである。などとは思います。
ゆえに、皆が「あの曲なんとなく嫌い」という場合はやはりそれが天上的美に連動していかない、だからまぁどうなんだ?と思うそれ自体は正しいとは思っています。

●ガッコについて
んで、まぁうちの師匠はあやふやなこととか、曖昧なこととかいうととんでもなく激しく怒るんで、怖いッス。ガッコのことを話すにしても現実のはっきりとした問題点があって、それ持ってかないと、つまり抽象的な風評レベルだと「持ち込むお前が馬鹿」扱いされるんだな。いや〜怖いんですよ。マジに。笑)
責任ある社会ってのはまぁあたり前というか、そんなもんですが。
Commented by あんとに庵 at 2008-06-09 18:44 x
その受験ママのことはよく判んないんですが、というか全然覚えていない・・・・・。たぶん知り合ったのはその議論が行われていたすぐあとだと思う。あとでそういうことがあったというのは教えていただいたから。

で、変な風評ってのはよくないですよね。都市伝説というか陰謀論というか。そういうレベルで社会が動くってのは、例えばあの中国人がシャロンストーンの言葉を誤訳して怒ってるみたいな、暴走するポピュリズムと同じで、激しく愚かなことです。
やはり事例はきちんと検証してから語るべきかなとは思いますね。
といっても、まぁ流されやすいのが人間で、そりゃ変なことを小耳に挟んだら動揺もする。だから色々こうしてそれぞれが断片的に持っている知識をシェアしていかないとと思うのですね。
Commented by ma_cocotte at 2008-06-09 19:09
☆ あんとに庵さま、
おっしょさんがお住まいの教会にいらっしゃるお子たち、結構、我が母校に
相当数いらっしゃるよ。私の同級生にも数名いる。
風評なんぞ持ち込んでの語り合いはどこでもどなたでも「時間の無駄」だと
思われますよ。でも私たちそれぞれがどう動こうか、という話し合いは
大切だと思ってます。

典礼についてはSacramentum Caritatisにみっちり書かれていて、
あんとに庵さんが述べられていることはクリアしていますよ。でも、その
希望に反発している司祭も世俗もいるのも事実でもある。その場の
(臨時)裁治の権限など絡むのかも。難しいけど。大都市に限られて
しまうかもしれないけれど、世俗が自分の希望と一致した典礼に
あずかれる。私はフォークミサは「見ない、知らない、関わらない」
うっかり始まっちゃったら、うーん、内緒 (爆笑。

風評というか、自己希望域だったりしてね。
某カト団体が人権擁護法案に賛成しているとかブログに掲載
していたりする。根も葉もないのに書けちゃうのだからして。
Commented by @06-08-07:51 at 2008-06-09 20:25 x
ma_cocotteさま:

>どーすれば朝の聖務日課のごミサにあずかれるンです?
 このごミサ出席、あたくしの悲願になりますた。

眠気もさめる映像♪感謝です。ホント、どーすれば、どーすればですよね。あたくしめも悲願でございます。

カト校については、お二人の(あんとに庵さま、このようなところから失礼します。「はじめまして」)ご意見、頷きっぱなしでございます。わが母校連合体は、現職員をローマの修道会本部、創立者関連施設等の視察兼研修旅行のようなものを夏休みに企画。先細りに備えたものと読んでいます。サンピッカリーの変革ですがね、しかるべき場かたに物申したいですな。ただこれによって、地方二校はある種助かるでしょう。また、ご存知とは思いますが、Y教区は、カト校への教区司祭の派遣を協力すると司教様自ら宣言なさいましたね。経営不振のカト看護系大学は、同窓会組織を立て直し、経営面や技術面でも支援を得て、持ちこたえています。もいっちょ、先日の拙ブログに記した街の幼~高は近くの大学へいずれは経営移管すると小耳に挟みました。

それでもです、淘汰されるものは淘汰されていくのだと思っています。
Commented by ma_cocotte at 2008-06-09 20:45
☆ @06-08-07:51 さま、でしょう?
朝ミサと拝察。職員の方でしょうか?
ずーっと前、こちらの普通のドキュメンタリでスイス兵のための家族ミサ
の模様が流れまして、それは別の意味でうらめしいというか(爆笑)、
できれば最後列でヲッチしたいのでありますが(と書きながらハツがバクバク
我が母校はローマ本丸から定期的に査察が入っております。聖域も、
学校も、です。

私がちょっと気になっているのは、日本でもこのままだと仏蘭西のように
世俗に学校を移管する方向に行きかねない(というか、既に始まっている
のかもしれませんが)ことです。世俗に移管されたカト校っていっそう
廃れたりするという現象が見られるのも事実だったりします。
同窓生から召命が出、同窓生が教職を取り戻り、同窓生の子供が
入学するなど、なぜかお受験好きの方々から批判されてめげそうに
なっているのもついうっかりムカっとしてしまう私なのでした。
Commented by @06-08-07:51 at 2008-06-09 21:32 x
職員だとすると・・JP2はSH自助会でございましたよね。今はドウナテいるのでございませう。最後列でヲッチ?チョットチョットチョっとのオバサンモードで、どうせなら最前列で(笑)。イッショー無理(涙)ですわねぇ。(失礼をば)もとへ。

同窓生を大事にできない、同窓生から好かれない、愛されない学校はすでにその性格を異にしているような気がいたします。たしかに、お受験好きの方々、カト学校=お嬢様学校というような感覚で入っていらっしゃる方々等様々です。

フリチベが本当にフリチベを望んでいる人がやっているのかというと、そうとも言えない可能性もあるわけですよね。それと同様、同窓生からは考えられない行為を見聞きしたりします。それこそ、神のみぞしるです。
Commented by あんとに庵 at 2008-06-10 00:26 x
まここっと様、06-08-07:51様>

カト校も少子化の波からは逃れられないから、わたくしも淘汰されていくのは仕方がないかなとは思っています。民間委託や統合という形になっていくだろうなと。今、あちこちの修道会は皆高齢化問題で苦しいのが実情で、若い修道者も老いた兄弟姉妹の為に働く時間が多くなり、どうしても内向きになっている。師匠が司祭召命と、霊性の継続、職務を全う出来るよう皆さまに祈って欲しいとこないだ電話で言っておりました。そんなわけで学校どころか修道会そのものが今、危機なんですよね・・・涙)

カト校は人間形成が求められている現代に役割は大きいはず。そうした学校精神を受け継いでいきまた受け継がせていかなきゃいけないなとは思います。何故か母校にたまーに呼ばれることがあるんで、皆さまから伺った話を念頭に、お話出来る機会がまたあったら、お伝えさせていただきたいと思います。

師匠んとこは帰国したら、いこうね。シャイでどっか変だけど、赦してね。
Commented by ma_cocotte at 2008-06-10 01:43
☆ @06-08-07:51 さま
教皇さまと枢機卿方の間で書類などの諸事を任されている方のひとりは
私の母校の修道会のスォルみたいです。今年はじめ、修道女方の研修の
ため来日されたと漏れ伺っております。ひとりで冷たいご飯を食べねば
ならないほど忙しいけれど、拝命された使命を受け入れます、とおっしゃ
ったそうです。
スイス兵のごミサで私の背後にスイス兵が何人もいらしたら、えええ!?
どうしたら良いでしょうか。鼻とか口元にハンカチを押さえ続けていないと・・・。

お受験がきっかけであっても、種が蒔かれ、芽が出ることもありますものね。
男子校にこのパターンが多いような気もします。私の母校は国際同窓会
組織は強くても、学園単位の意識が今ひとつです。スリーピッカリタウン、
おひさまモール、リスブランなどの歴史ある耶蘇女学校同窓生の活躍と
組織としての社会貢献など羨ましい限りです。目標にします。


フリチベの話はまさにパリでの聖火リレー時にこちらでテーマになっていた
重要点です。
Commented by ma_cocotte at 2008-06-10 01:51
☆ あんとに庵さま、
まずはおっしょさんにお祈りしますとお伝えくださいませ。
私の場合、某修道会司祭から「修道生活は今の時代にそぐわない」と
力説されちゃいましたよ。ええ、解放神学系(笑。女性司祭の話も
聞いたけど、エイメリカで見たサツマイモ色のローマンカラーのアングリカン
女性司祭が格好良かったで、という理由もくっついてた。
庵主さまんとこの場合、茶ばね侍者から志願者が出ないものですか?
侍者会や中高生会の練成会イヴェントを増やすなんてできないのかすら?

私の母校の場合、男女修道会がござるのに、最近はイグイグ霊想の
おべんきょもなさってるよ。こういうクロスカルチャならぬクロス霊性が
できるのもきょうびカトリックの良いところではないのでしょうか。
学校もお互い不足を補え合える環境土台は既に整い、開かれていると
思いたいし、開かれていないなら私たちができることで支えたいですね。

おっしょさんのあげられるごミサにぜひ~。ラテン語ぉおおお。
Commented by 123 at 2008-06-11 14:54 x
 ma_cocotte さん、6/6 01:21にご紹介くださったトーク番組なのですが、パソコンの環境が適切でないのか、映らないのです。残念です。

 この記事、もとは、『いまどき言うか!「寒い冬には着物がない♪」って』の言葉に、ma_cocotte さんが、記事の地図以下に書かれているように、反応されたのでした。しかし、この時点で、『・・・』と書かれたNさんの本意をma_cocotte さんが正しく読み取っておられなかったことについては、すでに、お気づきなのでしょうか?

 Nさんは、世界に食糧問題・南北問題(地域間の格差という意味において)が存在しないという意味で『・・・』と言われたのではないことは、文脈の流れをつかめば明らかです。まして、「カリタスの精神」を軽んじて書かれた表現でもないです。彼の本意は、該当曲が、典礼に使用される聖歌としては、しっくりこない、ということではないでしょうか?
Commented by 123 at 2008-06-11 14:56 x
 聖歌は、①典礼文そのものにメロディーをつけたもの(黒表紙であれば501~511など、典礼聖歌であれば201~277など) ②詩編・旧約・福音書の内容そのものにメロディーをつけたもの ③マリア様をたたえる歌(聖母賛歌) ④御聖体をたたえる歌(聖体賛歌) ⑤一般賛歌(聖書の内容に基づいたもの、信仰内容を表明するもの) etc.に分類できます。

 該当曲は、①②ではなく⑤です。「さむい・・・」は、典礼文ではありません。作曲者の作詞のようです。歌いつつ祈るのに、違和感がある表現が含まれていると、多くの方が判断されるのなら、改訂で淘汰される可能性はあります。現行の典礼聖歌集は、完成ではなく、未来への第一歩だと書かれているのは、当時の典礼委員長長江司教様ですから・・・。

 Nさんが、祈る者の立場で、このような表現がふさわしいものだと思わないと表明されること自体、なんら、問題はないと思いました。
Commented by 123 at 2008-06-11 14:58 x
 Nさんが、聖歌の歌詞としての表現のあり方を見て「いまどき言うか」と言っておられるのに、ma_cocotte さんは、全くちがうものをごらんになって、「言いますよ」と記事にしてしまわれたことについて、いささか残念に思いました。

 もうひとつ気になったことです。実在する学校を表すために使われている表現ですが、正直、驚きました。そのうちの3校からの転校生を私の母校は受け入れていたり、私の学校の先生が東京に転居して奉職されたりで、私も、身近に感じて学校だったのですが、なじめない表現でした。阪神間のあるカトリック女子校(東京の姉妹校ではなく、歴史の浅い方)についても、コメントでふれられましたが、関係者の方があの表現をごらんになると、どんなお気持ちかなあと思いました。

Commented by 123 at 2008-06-11 15:03 x
 上のコメント訂正です。

★身近に感じて学校だった→身近に感じていた学校だった

Commented by ma_cocotte at 2008-06-11 15:36
★ 123 さま、
ビデオをご覧になれないのは残念ですね。
ナレーションによりますと毎朝7時、小聖堂で行われる教皇さま司式の
ミサです。イタリア語による背面ミサの様子です。

で、ですけれど、能古島@氏がおつるさまに送付したメールの内容に
私がエントリーしたテーマはなんら入っていませんが。ご本人が
「私はしばらく前から改めてグリゴリオ聖歌とラテン語に立ち帰ることに
しています」とおっしゃることと、同じご本人が「典礼がなし崩し的に陳腐化
される状況に憂慮しています」とおっしゃること。何の関連もありません。
リンクして話す方が不思議です。というか、何度も書いていますけれど、
既にヴァチカン公式HPでSacramentum Caritatis が公開されて
いますから、どの言語でもかまいません。有志で勉強会でも開いて
実践されたらいかがですか?あなた方の希望は全てかなっていると
拝察いたします。
Commented by ma_cocotte at 2008-06-11 16:09
★ しかも歌詞を「今時言うか」についても1970年代に作られた聖歌だと
挙げてコメント欄でも討論していますが。今時「着物」と言わないのなら
段取り踏んで、その部分だけ詞を直されたらどうですか?曲がダサい
とおっしゃるなら別の音楽をご自分たちが気に入るように乗せて歌唱
されたらどうですか?

「ちいさなひとびとの」はマテオ25章のイエズスの言葉の引用ですから
123さんがおっしゃるところの②も含まれるのではありませんか?

で、典礼だけに集中して、まったく違うものをご覧にならない方が
視野狭窄を起こしているとしか思えませんが。私が「修道者でしょうか?」
と質問した意図、ご理解いただけますか?
そもそも、このエントリーの最初にアフリカミッション2008、
洞爺湖サミット、ローマの国連食糧会議について述べたのは私です。
日本語の文章なら「起承転結」という形があること、学ばれていませんか?
もしかして途中から読んでらっしゃいます?
Commented by ma_cocotte at 2008-06-11 16:13
★ 更に、123さま、
123さんに馴染めない表現ですか?
カト校各校で内部で通じる独特の呼び方がありますが、関係者だから
こそご存知のキーワードをわたしがぼやかしたまでで、ご存知の方は
なぜ私がぼやかすのかご理解くださってるし、ぼやけたKWでも対象校
がわかっています。

聖心、雙葉、白百合と明らかな実名を出しながら根拠がないことを
拙コメント欄に無責任に書かれているのと、実名をぼやかしても当事者が
事実を書いているのと、関係者が困惑するのはどちらでしょう?

明らかに前者です。
おつるさんもtontonさんもおっしゃったことに関してのソースをまだ
くださいません。
ここで伺ったことは、同窓生が、直接、学校側にお話してくださるとまで
おっしゃっているのに。

それにしても「オバヤシ」が関係者に当惑するキーワードだったとわ _| ̄|○
それにヴぃっくり......していると思います、関係者全員。
Commented by ma_cocotte at 2008-06-11 16:28
★ ついでに、123さま
丁度良い機会です。こちら(↓)に残されたコメント、123さんによるものですよね。
http://malicieuse.exblog.jp/8567186/

  >>Commented by 123 at 2008-05-11 00:29 x
     VatikanはTaiwanを捨てて中国に擦り寄るようです。

これについてもなぜそう思われるのか?
コメントをいただいた直後から調べましたが、123さんが書かれたことと
同じ意見内容の記事を探すことができませんでした。
123さん個人のお考えですか?それともお仲間うちの発想ですか?
拝察するかぎり、教皇さまのご意向とも、欧米世俗一般紙との見解とも
違うと思います。
それこそ関係者がご覧になったらスキャンダルを連想させるような発言、
少し文章表現について考えられたらどうですか。
Commented by あんとに庵 at 2008-06-11 20:31 x
123様>
横コメ失礼。
まぁ能古島@さんの言葉は、つぶやきみたいなもんで、ご本人、おおごとになってしまって困惑してるんじゃないかなと思っています。個人的には、私も同じことをブログに書きかねないんで。笑)

ただ、何故かコメ欄でどんどんあさっての議論になっていったのがなんでだろうかなぁという感じ。正直「日本カリタスは北朝鮮のチェチェ思想が云々」とか関係ないっしょみたいな、そんなんで余計にワケワカメになったというか。別枠で論じるべきイデオロギーネタを持ち込む場面か?的に。あたかも教会内に左のイデオロギーすぐ持って来るどこぞの司教みたいで、なんだかなぁというのが正直な感想です。弁護者が余計にコトをややこしくしただけだと思います。でなかったら、ま・ここっとさんにゃぁ悪いが、能古島@さん発言の弁護に私も回ってたかもしれないです。

あと、隠語みたいな表現は私も通常使ってないので、はじめは慣れませんでしたが、ただのデマゴーグかも知れないような情報が、ダイレクトに検索に引っ掛かるのは避けたいって配慮なのだと思った次第。
Commented by ma_cocotte at 2008-06-11 21:23
★ あんとに庵さま、

遡るのも億劫なのが正直なところですが、能古島@氏ご本人が拙コメント欄で

  >私はなんぼなんぼでも「寒い夜には着物がない♪」の
  >典礼聖歌400番は駄作だといいたいのです。
  >ラテン語にして荘厳歌えばよいとも思いません

とおっしゃってます。おつるさん宛のメールでは典礼陳腐化の憂慮と
「今時言うか」と述べられた後、「私はしばらく前から改めてグリゴリオ
聖歌とラテン語に立ち帰ることにしています」と書いてらっしゃる。そもそも、
この方が好まれる典礼で、この聖歌が唄われることはない。だったら
ご自分が参加なさらないフォークミサだか、お好みでないミサに登場する聖歌の
ことなんてご自分の中で消化すればいいことです。それとも抹消しないと
欲求が満たされないのでしょうかね?

私個人は生まれて初めてこの聖歌を習った時から違和感を持っています。
今回に限らず、「ちいさなひとびとの」だろうが「私たちはさかなのよう」
だろうが、私個人が苦手だということはいつでもどこでも同じ意見を
述べてますよ。典礼聖歌を唄わないごミサってどういう典礼でしょう?
Commented by ma_cocotte at 2008-06-11 21:35
★「寒い冬には着物がないなんて今時言わない」

数年前の11月末、コートジヴォワールで内乱があった時、真夏の格好で
フランスの空港に到着した人々に冬の洋服を準備したのはカリタス、
赤十字などの団体です。靴がね、用意するのが洋服以上に大変でしょう。

  >>東京の聖心・雙葉・白百合は皇后陛下、皇太子妃殿下、宮家妃殿下の母校でもあるので、反天皇の運動をされると、シスター方はお困りでは?と心配

というコメントに「困っていません。」と返答したら、守秘義務だのなんだの
書いて「本当は困っている」と思わせようとすることに疑問を感じています。
修道女連盟の会長発言に他会の修道女が従順というまことしやかな
意見も発言者においてごっちゃまぜになっているのでは。
Commented by あんとに庵 at 2008-06-11 22:43 x
ま・ここっとさま>

うーんと、つまりまぁ気楽につぶやいたことが大げさに取り上げられちゃった困惑感というのは判るのよ。わたくしもブログで似たようなこと書いてるから。聖歌でこんなへぼな歌うたわせんなみたいなこと、確かブログに書いた覚えが。なんだったっけなぁ?歌はどれだったか忘れちゃったんですが。タイトル見ただけでむかつくぐらい嫌いなの。

なので、議論がそこだけだったら自分が言われてるみたいでどきどきもんっス。
Commented by 123 at 2008-06-12 00:02 x
ma_cocotte さん、

 6/11 16:28 のコメントですが、私が書いたものではありません。私は、中国問題については、コメントをしたことはありません。別の方ですね。しかし、驚きました。HN123を使っている方がおられるのですね!

 ma_cocotte さんのブログを拝見したのは、6/5が初めて。コメントは、次の日の00:54が初めてです。だから、「流れてまいりました」と書きましたでしょう?今日が2回目。HNを変える事も、考えます。私はいつもこのような文体です。今日の文体が私の地の文です。

 今日は遅いので、この点だけ、申し上げておきます。
Commented by anbai at 2008-06-12 00:33 x
123さま>
 横入り、すいませんが…ちょっと紛らわしい感じ致しますので、HN変更も手ですが、公開されて差し支えないメールアドレスを入れられるか、もしブログ管理なすっていたらURLをお願い出来たらと思いますけども、如何でしょうか?

 あと、2008-06-11 14:58のご投稿中のお話なんですが、実は2008-06-09 14:54にma_cocotteさんが投稿されましたお受験ママのブログでのこと、私も当時具体的にどういうことになったか見て存じておりますので一言。
 園丁日記(すでに閉鎖されてます)で、カトリック校の一部で戦中の話だとか君が代・日の丸の扱いだとかが、偏向しているのではないか…?(あくまでもクエスチョンマーク)というエントリをされた件だったと思います。それを、そのお受験ママさんがブログで引用されまして、その記事だけをソースにご自分で確認することなく「この学校は左翼学校だからダメ」というエントリを書いてしまわれたのです。(以下、続きます)
Commented by 123(テレジア) at 2008-06-12 00:35 x
 HN変えました。 上の123です。

 ma_cocotte さんのブログの最近の読者で、同じHNは、やはりまずいです。現に誤解があったわけですから・・・。私が新参者なので、HN変えます。ma_cocotte さんのブログでは、123(テレジア)とします。

 繰り返しますが、中国について書かれたHN123さんとは、全く別人です。したがって、上のma_cocotte さんのコメントは、中国関係の123さんにお返しします。
Commented by anbai at 2008-06-12 00:36 x
(2008-06-12 00:33の続き)
 その時に学校名を明らかにして書かれたために、お受験ママさんのブログには学校のOGや関係者と見られる方々から、コメント欄に抗議の書き込みがあり、中には「名誉毀損である、法的に…」といった穏やかでない内容のものもありまして、大変驚きましたのを覚えております。
 やはり特定の人名だとか団体名を出したエントリ・やり取りがあると、それを検索ワードにしている人たち(学校関係者か近い方々)のお心を騒がせてしまう、ということでは?と。

 もし、学校名をあげて批判エントリ・コメントを書かれるような場合、確たる証拠を提示し、第三者にも説明できる状況にしておかないと、やはり余計なトラブルを招きかねないでしょう。もし、今まで書き込みをされた方々が、学校法人やOGOGの方々相手に事実を提示しながら論じ、納得させることが出来るならよろしいのですが、そうでないとやはり無くてもいい騒ぎを起こしかねないかと思われますが、如何でしょうか?
Commented by anbai at 2008-06-12 00:56 x
(2008-06-12 00:36の続き・終)
 2008-06-08 12:25であんとに庵さんが書かれているように、学校名具体的に上げられずとも具体的事例を説明できるようなら、ここはカトリック校のOGの方も多く見ておられたりしますし、実際に確かめられるお立場の方もあると思われるのです。
 あんとに庵さんも、そういった実態があるのであれば、出来ることをして下さろうという申し出をしておられたわけですし、本当に危機せまる状況であったら(身バレ出来ないから鍵コメやらメールを使われる方もありますが、人それぞれの事情ございますから)母校に訊いて見て下さろうと言う方はあると思うのです。
 ですから、検索に引っ掛からないようにして、なおかつそういう方々に分かる程度の表現で大体どの学校か見当つけられるようにしておかれただけのことだと思います。

余計な一言、長々と失礼いたしました。
Commented by ma_cocotte at 2008-06-12 03:01
★ あんとに庵さま、
私信を一部とは言え公開し、それが荘厳ミサを賛美する理由になって
しまったことですかね。ですから、最初から私は詞をラテン語にして、
グレゴリオっぽい音楽に乗せれば問題ないのか?と書いたけど、それで
解決する内容ではないとすると?
母校では信者であろうがなかろうが在校生全員が聖歌を唄ったけれど、
好き嫌いを言ったり、歌唱拒否は誰もしていませんでした。
教会のミサにおいて誰が我を張っているのでしょう?もし自分好みのミサを
お願いしたいなら、家庭のミサや小ミサをご自分の好きな司祭に頼んで、
自分の好きな聖歌を選べば、ご自分の理想に近いでしょうか。

 >聖歌でこんなへぼな歌うたわせんなみたいなこと

アーメンハレルヤだったと記憶しておりますがの。
「ゴラトリ」や「大波のように」と同時期に習いましたな。
私はあの詞の「兄弟さ」の「さ」でもうゲンナリですわ。
ミサ中の手拍子ぃ?こめかみプッツンです。

Commented by ma_cocotte at 2008-06-12 03:17
★ 123(テレジア)さま、承知いたしました。
123 というHNの論客さんですが、カトリックのミギ側に有名な方が
いらっしゃるようです。「今」気付けたことに感謝ですね。

で、anbaiさんがお話してくださったことが過去にあり、ブログ上でまことしやかに
書かれたことを私が母校に事実確認しました。デマでした。が、その事実をデマを飛ばした本人に伝えましたところ、私が在籍していた頃と事情が違う、
今でも学校に連絡を取るとは異常な愛校心、修道会に連絡を取れるなんて
優秀だの、褒めちぎったり、こき下ろしたり、まったく違う方向の話ばかりで、
ご自分が流したデマは「受験に役立つ」という理由で消されませんでした。
まあ、今回と似た展開です。同窓生に動かれてしまうと困る理由が
ご本人にあるのでしょう。
関東のカト校ですが、立地の名や、立地と学校名双方の略をつなげた
もの、仏系の学校は仏語読みにして隠語というか愛称になっていたり
します。上に私が書いたのはそれを更にぼやかした形にしました。
けどね、この手の冗談は生徒達の間で普通にするけど、123(テレジア)
さんのご母校はみなさまが真面目なのではありません?
Commented by ma_cocotte at 2008-06-12 03:32
★ anbai さま、ありがとうございます。あの時は大変でした。
母校が行っている平和研修に娘を出せない、ともおっしゃってましたが、
こちらからご父兄が納得なさらないなら欠席は一向に構わないことだと
話しても、それではご自分の主張には都合悪くなるようで聞く耳を持って
いただけませんでした。
このコメント欄にも登場の修道女会連盟会長さまが長上の学校についても
当時、大変でしたね。同窓生からの書き込みを私も覚えています。

今回に限りませんが、カト校のほとんどが宣教教育修道会が母体ですし、
私学でもあるので、各校が特長ある教育を行っています。しかも、学校
の性格上、どうしても外部から探りをいれるのが難しい環境だったりします。
で、今回もそうだけど、世間の常識や問題をカト校に当てはめても
必ずしもカト校の場合は「おっしゃるとおりです」とは言えなかったりします。
そういう点を外部から指摘されて、かなりオープンになったと拝察していますし、
各校間のクロスカルチャーも活発化していますが、問題は上で卒業生
方が語ってらっしゃる「カトリックらしさ」の維持だったりします。
卒業生も使徒職なのかも。
Commented by at 2008-06-12 07:20 x
コメント欄の応酬、興味深く拝読しました(こちらでは、はじめまして、かな)。非常に誠実に対応されているのに感銘を受けました。

憶測ですけれど、「ヴァティカンは台湾を切る」というのは、中国の通信社 Record China が配信した記事が元ではないでしょうか? ヴァティカンで中国のオーケストラが演奏した直後の配信だったように覚えています。

記事では「ドイツ紙の報道」という形で書いてましたが、該当する元の報道も自分では探しきれませんでしたし、第一ほかがそんなことをいいませんので流言飛語のようなものだと思っています。意図的に流されるものをそういっていいのかわかりませんが……。
Commented by ma_cocotte at 2008-06-12 16:10
★ 鰤さま、はじめまして。
(某女史のブログ・コメント欄で同席していますね、おそらく)

Record China という報道HPは中國政府御用達の日本語メディアの
ひとつではなかったでしょうか。
私も心を騒がすようなコメントをいただいてすぐ、調べましたが、どうも
こちらではまったく逆の報道で、中國政府がこれまでどんなおべっかを
使ってもヴァチカン側が動じないので、「文化交流」と銘打って欧州巡業
中の管弦楽団と合唱団をヴァチカンに「貢いだ」とありました。

結果はどちらの記事であってもB16がモーツァルト・レクイエムをナマで
聴かれたのは事実ですけれど、途中経過がまったく違います。
今回のことに限ったことではありませんけれど、と思いました(笑。
Commented by at 2008-06-12 22:09 x
まことに、今回のことに限ったことではないのですが(笑
しかし、それを知らないかたがいらっしゃるのも確かで、逐一反論を加えていくのも大事なのかなと最近は思っています。
(はい、と思います。今後ともよしなに)

自ブログにてコメントしようかと思いましたが参照関係が思った以上に複雑になるので、こちらで。ma_cocotteさまへのお返事ではないのですが、ご容赦。
>antonianさま
マルクシズムと中世フランシスカン霊性の関係について、ミルチャ・エリアーデはマルクシズム(とそれに先行するドイツ啓蒙主義・ドイツ観念論)の時代概念がフィオーレのヨアヒムに淵源を持つという指摘をしています。実際、マルクシズムというのは終末思想的メシアニズムの際たるものであって、西欧中世の11世紀前後の思想と非常に近いところにいるのかもしれません。またドイツ思想にはルターを介したオッカム主義の影響の指摘もあり、OFM的なるもの――わたしはそれがなにであるかを知りませんが――がドイツ近世の思想に類似した形態を見出すというご指摘は興味深く思います。
Commented by ma_cocotte at 2008-06-13 03:43
★ 鰤 さま、最近つとに思うことですが、日本語文章で起承転結の
「承転」を省いて話が進められていることがあるような気がしてなりません。
英文や仏文だとまず結論を述べますが、その後、ウダウダと理由付けが
述べられます。日本語で好まれる展開と違いますが、日本語のような
「起結」だけですと、結果は同じでも真を見極めるのが難しくなってしまいます。
ネットで調べられるだけでも良い時代になりました。

あんとに庵さま宛のメサーヂュは私にはちんぷんかんぷんですが、
基本が修道生活であるし、従順もあるでしょうけれど、他修道会に比べると
共和制の雰囲気があるというか・・・(無知婆のボヤキです。おゆるしを
Commented by あんとに庵 at 2008-06-13 03:58 x
ま・ここっとさま>
カト的には厳密に言えばその通りではあるんですよ。ただまぁ、ただのぼやきぐらい言いたくなる時にマジな突っ込みが入ったら動揺するだろうなぁと。

あと、典礼の美に関していくら何でもぞんざいすぎる場合はやはり批判精神は持つべしと思っています。お上が決めたから唯々諾々と従うというのは、秘跡の中核となる分野においてであって、それ以外の付帯要素は批判可能です。入祭や退出の時の音楽の選択は実は自由があるんですよ。式文に組み込まれているサンクトゥスとかグロリアとかと違って。故に実はスマップの曲をやろうが全然オッケーなんですが、典礼にふさわしいか?否か?を鑑みて通常選択する。ゆえに世俗の唄は流石にどうよ?と批判されるわけです。「好み」などと相対化されてしまうと、批判精神も失うことになりますし、典礼の美に関しては批判していくべしとは思います。なので、わたしは糞音楽は駄目と断言しとく。
(続く)
Commented by あんとに庵 at 2008-06-13 04:03 x
で、もとネタの取り扱いですが、一度ネット上に公開されたものに対しては批判する自由があるのが我が国。どこぞの言論統制してるファシズム国家と違いますしね。で、他者の私信を引用する場合、合意を得ていない引用なら引用者がその動議を問われる場面であり、合意を得ているならば、合意した時点で批判されるのは致し方なし。文責とはそういうものですな。公になにかを発信するとはそういうことなんですな。ですからま・ここっとさんが批判するのは言論の自由の国家の市民として当然の行為であるということです。
まぁ「悪口」などと認識しておるのがおるようですが・・・苦笑。

今回の件に関するわたくしの総括はこんなとこです。
Commented by あんとに庵 at 2008-06-13 04:15 x
鰤様>
どもども。
確かにフランシスカンがそういう方向性を内在するというのはあるのですが、決定的に違うのはやはりヒエラルキアの中にあることを承認している辺りでしょうね。それと水平にあるというフラテルニタスの考えは矛盾するようでしないというか、現代的平等とは異にしてるとは思います。
オッカムはまぁ。。過激なんで、昔はカトリック内では人気がなかった人だったかもです。

ま・ここっとさま,123 様>
そういえば、ハンドル名が同じ人の混乱を避けるにはIPを確認しとくのがいいかもです。かとギョーカイで123というハンドルを使われる方は少ないですというか一人しか知らないので、かなり珍しいケースだなというか、マリアとか、テレジアとかは結構いらっしゃるけど。(IP解析すると発進地まで判るよ。)
Commented by at 2008-06-13 05:28 x
おはようございます。いやフランスはたそがれ時か。
ま・ここっとさま>
そうですねえ。。私などぽんぽんと話題を飛ばす嫌いがありご指摘耳に痛いです^^; 自己弁護すれば、美を表すとき、思いを吐露するときなどそういう飛躍がむしろ好ましいときもあるのだといいたい。しかし政治というのはそれだけに引きずられてよいものではなく、またカトリシズムの中におられる方は、論理的飛躍に非常に慎重に処しておられるように、わたしなどは思っていたのですが……。難しいものです。

あんとに庵さま>
ども。
ヨアヒムもかなり過激ですよ^^。来世が霊の時代、フラテルニタスの時代、修道士の時代だといい、ヒエラルキーを留保つきですが否定した、と私は理解していて、これは教会組織と共存できずその説は異端とされました。フラテルニタスとヒエラルキアのバランスを取るというのはいつの世にも難しいのかもしれません。
ところで、お名の日でありますな。おめでとう存じます。幾年も。
Commented by ma_cocotte at 2008-06-13 05:40
★ あんとに庵さま、ですからね。
先に述べましたように、既にSacramentum Caritatis の第二章に

Beauty and the liturgy [35]
Respect for the liturgical books and the richness of signs [40]
Art at the service of the liturgy [41]
Liturgical song [42]
The liturgy of the word [45]
The Latin language [62]
Eucharistic celebrations in small groups [63]

と全部、教皇さまのご意向が明記されています。残念ながら日本語に
訳されていませんが、ヴァチカン公式HPで数ヶ国語で公開されている
のですから、有志で集まって勉強会など開き、司祭にご覧いただいて
それでも司祭が受け入れられなければ、次の行動を考えるしかないでしょう。
Commented by ma_cocotte at 2008-06-13 05:59
★ というわけで、あんとに庵さんのご意見も既に教皇さまはほぼ同様の
ことを述べてらっさいますよ。変な歌謡曲を選ぶ司祭や典礼係には
ラテン語でも読めるから、プリントアウトして突きつけましょう(爆笑

ご自分たちが真剣に悩んでいることへの救いの文章であるのに「英語が
読めません」と読まないなら、読みたくない理由がご本人にあると判断
しています。第一章は神学だから難しいけれど、第二章は英語も仏語も
難しい文法ではありません。ラテン語については典礼だけでなく、神学校
のカリキュラムにも触れていた記憶がある。

私がアフリカ問題やら最近の国際会議に関連付けて拝借したこと。TBした際、
挨拶も申し上げましたが、それでも陰口だの言われたのは私も驚きでした。
ラテン語に訳して、お気に入りの曲に乗せても解決つかないのはなぜなんだか。
典礼聖歌を唄わない典礼がいいのかもしれませんね。そういうことか。
Commented by ma_cocotte at 2008-06-13 06:00
★ あんとに庵さま、IPアドレスはエキブロでは調べられますが、
解析機能はないみたいです。発信地とは確実な住所になりますか?
だとしたら、HNの意味もなくなってしまうというか、私個人は

   そこまで知ってどうする、まここっと婆ちゃん?

だったりします。知ったところで私にとっては「知った喜び」対象ではないかも。
非常識さんやらアラシさんの場合は最終的に調べなきゃならないでしょうね。
Commented by ma_cocotte at 2008-06-13 06:08
★ 鰤さま、現在、背後でフランソワ・フィヨン首相がナマ討論番組に
出演中です。面白い。サルコより魅力的かも。

このエントリーのコメント欄の交流で気になっていたのが、カトリックに
ついて二次元、ミギかヒダリでしか見ない、選り分けしない方がいたと
思えたことです。
あんとに庵さんがヒエラルキアとフラテルニタスというキーワーズを
挙げられましたが、この二語で既に縦と横が明確になりますよね。
しかも、教会政治(と呼ぶには恥ずかしいレベル)やら典礼、学校など
多面になります。これを二次元のみで振り分けたところで何が見出せ
ようか?・・・と、思うけふこの頃。
Commented by 00H11@09062008 at 2008-06-13 09:14 x
こちらの業界の知識も浅く、ヘンなことを言って火に油を注いでもナンなので、鍵コメしていた者です。
当該聖歌も存じていないそんなヨソモノな私がこちらのエントリー及びトラバ先の原文も読ませていただきましたが、

>いまどき言うか!「寒い冬には着物がない♪」って

という書きぶりはま・ここっと様と大きさは違うかもしれませんが同じベクトルの違和感を感じたのは事実です。

他意ではなかったとおっしゃるのなら、「着物」という表現だけが古くさいとおっしゃるなら「着物」にだけカギ括弧をつけて修正・追記することもできます。
実はそれで終わった問題だったんじゃないかと。

続きます。
Commented by 00H11@09062008 at 2008-06-13 09:15 x
問題はこういう他者が感じた違和感を受け入れず、訂正もせず、枝葉の議論に持ち込んだあげく、あげくの果てに砂かけて逃げる・・・的な態度でしょうか。
思いこみのコワさというか、かなり昔に公立小・中・高で育った私なんかはこういう方には初対面でもれなくヒダリ認定されるんだな~、と勉強になりました。

さて、「言っちゃった」的なことは人間誰しもあることだと思いますし、それ自体をま・ここっと様は糾弾しているわけではないように拝察いたします。
プロの物書きではないので間違いを言ったり誤解を与えてしまうことって当然にあると思います。なので、いろんな人がアクセス可能な文字だけのメディアと言うことを鑑みてで修正すべきは修正した方が良いし、修正可能な表現方法だと個人的には思っています。

長々と口はばったい物言いで失礼いたしました。
Commented by anbai at 2008-06-13 11:35 x
 ご報告遅れましたけど、ちょっと私のコメントの部分だけ、ここからスクショ取らせていただいて、記事中に保存をしました。>お受験ママの件です。
 で、00H11@09062008さん仰ることと被る部分あると思いますが、自分がある程度責任持ってアップするエントリで、他者の発言の引用、殊にメール引用するときは気をつけた方がいいですね。能古島@さんもそういう引用のされ方、また他ブログでの取り上げられ方は驚かれたのだろう、と私も思いますし、ブログでメール無断公開というのは…法的にも問題多いことですから。私信公開というより著作権問題になるらしいので。
 あと気をつけるべきなのは、確かに著作権法32条で引用は認められていますが、「引用の要件」を満たす必要があって、引用部分が量・内容ともに引用している側の書いた文章に対して「従」である必要があるのです。丸写しして、「尊敬する方がこういっていたんだから…」という記事の書かれ方は、ブログ主がそこからどう考えたかの経緯と結論を書いてくれないと、読む側からも「人の意見の丸飲み」っぽく誤解されることもあると思うがなあ…と。こういうタイプのブロガーは実は多いんですが。
Commented by ma_cocotte at 2008-06-13 15:55
★ 00H11@09062008 さま、
この件ですが、公私の「私」を主張する側と、「私」の好みを重々わかっていても
第一に「公」の立場を語っている側に二分されているとブログ主として
捉えました。
数名の論客さんはTB先の愛読者の方々ですし、TB先の方とネット上だけの
交流なのか、はたまた所属教会やら職場が同じなのかもわかりません。
が、そういう事情で拙ブログにコメントを残したであろう方々のご意見を
拝読すると、TB先の方がどういう形で吹聴したのかわかる気もします。

TB先の方やメールを無断引用されたご本人による拙ブログの書き込みで
「わたしは、わたしは、」という観点からの意見しか述べていません。
既にこの段階で二名がこの場以外で拙ブログへの反論をメールや別ブログ、
某SNS内の複数の手段を用いて吹聴し始め、それをきっかけに拙ブログに
戻ってきた方々。拙エントリー全文をご覧になった方は全員ではないと
ご意見を拝読しながら悟った次第です。
Commented by ma_cocotte at 2008-06-13 16:01
★ 続きます。
これまでのコメント討論の中で「わたし」の不満である典礼については、
日本語で出版はされていないけれど、Sacramentum Caritatis が
ヴァチカン公式HPで数ヶ国語で全文公開され、ご不満の部分について
すべて教皇さまの意向が述べられていることを私はコメント欄で述べました。
昨年春にこの公式言語を使う各国では一般向けに出版されており、私も
手元に仏語版を持っています。有志が集まって、第二章、第三章を重点
的に読みました。傍観ではありますが、この本に従って典礼を改めた教会、
主任司祭の意向を今も重んじる教会とフランス国内もいろいろあります。
が、世俗信者は自分があずかりたいミサのタイプを選べるのも事実です。
昨年7月に旧ミサの認可が簡略化されたことも手伝っています。

もし「私は英語を読まない」だからSacramentum~を読むつもりはない、と
断言しつつ、ヴァチカンを日本司教団が無視しているとネット上で騒ぐなら
国際的には空論になりかねません。

続きます。
Commented by ma_cocotte at 2008-06-13 16:08
★ このブログの主である私において、このコメント欄で終わりを見たのは
人格攻撃やら社会性に欠けた去り方以前の問題で、中國、チベット、
カリタスジャパンについてカトリックやら司教団を絡めてまで批判発言を
しながら、中國内で最高位である陳枢機卿、カリタス・インターナショナルの
マラディアガ枢機卿についてこれからも知る、調べるつもりはまるでない
とTB主が公言されたことです。対話は不可能ですよ。TB主による「わたし」
の都合で組織をかき回して、重要人物を追い出し、世俗のチュチェ研究の
人物を組織内に巻き込んで語りたがっている。この世俗の方、中國管区で
働いているわけでも、カリタスの日本または国際で働いていません。

グーグルでもブログコメント欄は引っかかりますから、これからTB主が
ご自分のブログで何を書いても、読者側がこのTB主は自己都合やら私怨を
世間一般のごとく書き連ねるということを踏まえて読めるのではないでしょうか。

ご夫君が典礼委員長、ご自身がオルガニストであって自己主張できる、
という発想はカトリック的ではないと思いました。
Commented by ma_cocotte at 2008-06-13 16:37
★ anbai さま、今回の件も同じ画面とキーボードに向かっていれば、
画面の向こうのメール、HP、SNS、ブログなどが全て同じ世界と抜本的
勘違いをしている方々との交流だったと実感しています。

これまでお受験マダムの件や、パリで一人暮らしをなさってる方のご苦労話ブログ&HPが実は嘘だった件など、私は出っくわしていますが、
母校の中身についても架空の話であり、パリの生活の話では役所との
手続など社会制度そのものについて嘘を語って「私がこれだけ苦労している
けれどパリで暮らしているの」という主張優先にするという事実もわかりました。
私の部分での真贋は私にはわかりませんが、学校という団体、社会
制度についての虚偽は調べればわかります。わかった事実を当事者に
話したら「別に私のブログなんて誰も見ていません。友達くらいかな?」と
返答してくることがほぼ100%です。だったら、手書きで日記をつける、
友人に鍵ナンバーを渡して友人限定公開にする、そうすれば自分に
都合のいい嘘も友人にはまかりとおる可能性もあります。

続きます。
Commented by ma_cocotte at 2008-06-13 16:43
★ メールという二者間の私信をブログという公に無断転載しても、
まだその深刻さに気付かないご本人。
私個人のことで恐縮ですが、コメント欄の討論について自らSNSという
別空間に持ち込んで私見を私信の形で送ってきた人物が、今度はその
私信交流を再び元の第三者のブログコメント欄に掲載したいと主張、
私側メールまでご自分が修正して掲載してもかまわない、という、
ご本人にしてみれば常識なんでしょうが、世間では非常識なことを
実行したいとブログコメント欄で書かれた方がいました。「ご自分のメールだけ
どうぞ」とコメント欄に書いたら、その方は自分が発想したメールをブログ
コメント欄に転載しました。こういう行動は私には三文シナリオライター域で、
この意見を聞いたら私の愚かさを公で披露するだけです。釣られるところでした。
ネット上の公衆であるのに、他人を貶める捨て台詞を吐く。公衆でツバを
吐く国をバカにしながら。いくら実存を知る方が外見を褒めても、公衆域
で非社会的行動を「記せば」、

   本性、見たかな (-。-) ボソッ

です。カトリック精神から外れてますよ。れんびん・れんびん
Commented at 2008-06-14 16:20 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by ma_cocotte at 2008-06-14 17:01
★ 鍵16H20@14062008 さま、ご連絡ありがとうございました。

確認しましたら、

  おつるさま
  能古島@さま
  tontonさま

お三方のコメントが消去されていました。
魚拓にはこのお三方のコメントが残っておりますでしょうか?
上のコメント欄の流れでどこにこのお三方に対する中傷、罵詈雑言、
tontonさま宛の悪口があるのか?むしろこのお三方が自ら消去された
コメント欄には事実に反すること、空論、中傷、罵詈雑言がたくさんありました。
自ら消されたのも、個人の感情という「私」事情ではなく、

  世間一般における「事実無根」

を述べられたこにあるかと拝察いたします。上に述べた私見はご本人には
厳しいかもしれませんが、「私の事情で世間の様を都合よく変える」のは
成人である万民がしてはならないことです。自戒を込めて。
Commented by 123(テレジア) at 2008-06-15 04:09 x
ma_cocotte さん、

 「Sacramentum  Caritatis」(2007)は、中央協議会から邦訳で出版されています。まだ、手にしていませんが、日本語訳は、『愛の秘跡』です。私も、HPで昨年3月に英訳では見ていたのです。もっとも、期待していたトリエント・ミサについての言及をさがしたのですが・・・、そのことについては、ご承知の通り、2007.7.7. の自発教令まで、先送りになったわけです。

あんとに庵 さん、

 おっと、あぶないあぶない・・・! 入祭の歌は、「自由」ではありません。拝領、奉納と同じような基準がきちんと明文化されています。   

『ローマミサ典礼書の総則第三版(暫定版)』第48項

「・・・省略・・・ローマ聖歌集、あるいは簡易ローマ聖歌集の中にある交唱を、その詩編と合わせて用いることが出来るし、聖なる行為、あるいは日または季節の性格に適した他の歌を用いることが出来るが、その歌詞は司教協議会によって認可されたものでなければならない。・・・以下省略・・・」

★歌詞は司教協議会によって認可されたものでなければならない、とあります。
Commented by 123(テレジア) at 2008-06-15 04:11 x
続きです・・・

 閉祭の歌の選択の基準は、『総則』には示されていません。

 しかし、『総則』が依拠する、『典礼憲章』(第2ヴァティカン公会議公文書)には、典礼(ミサや、教会の公の祈り)に使用される音楽の基準が示されています。『CONSTITUTIO  DE  SACRA  LITURGIA』=聖なる典礼に関する憲章です。

121条 「・・・省略・・・教会音楽用の歌詞は、カトリックの教えと調和するものであり、それはまた主として聖書と典礼の源泉から汲み取らなければならない。」

112条 長いので、部分的に拾うと・・・

「神の栄光と信徒の聖化という教会音楽の目的に留意し・・・」
「・・・教会音楽は祈りをいっそう味わい深く表現したり、心の一致を増し加えたり、あるいは聖なる儀式をいっそう荘厳に豊かにしたりして、典礼行為と密接に結びつけば結びつくほど聖なるものとなる。」

 「自由に選んでいいのですよ」とおっしゃっておられる方に、一言二言、おっしゃってくださいね。

 もうすぐ、起きないといけないので、今日はこの辺で、終わりにします。また、うかがいます。

Commented by 123(テレジア) at 2008-06-15 04:30 x
あんとに庵 さん、

『ローマミサ典礼書の総則第三版(暫定版)』第48項 (入祭の歌について)

 省略しすぎました。

 第48項は、冒頭に、「入祭の歌は、聖歌隊と会衆が交互に、あるいは先唱者と会衆が交互に、あるいは会衆または聖歌隊のみが全部を通して歌う。」とあり、次に、上の文が続きます。ここまで、書かないと、何について書かれているのかわからないですね。

 あんとに庵さんとは、某ブログにて、確か、コプト正教会が異端だ離教だ、とかいうところで、文字でお目にかかっています。あちらの123は、私
123(テレジア)です。でも、こちらの中国関係の123さんとは、別人なのです。・・・・・ではまた!
Commented by ma_cocotte at 2008-06-15 04:40
★ 123(テレジア)さま、
2008年5月20日に発売されていたのですね!
http://www.cbcj.catholic.jp/publish/pope/ai_hiseki/ai_hiseki.html

だったら、なぜ?これまでの件(↑)。
コメントがご本人方によって消去されていますし、この場も二度とご覧に
ならないと漏れ伺いましたので、どなたかがお三方にお知らせ下さると
いいですね。
で、あんとに庵さんは以下のごとく、自由とはおっしゃってませんが。

  >>式文に組み込まれているサンクトゥスとかグロリアとかと違って。
  >>故に実はスマップの曲をやろうが全然オッケーなんですが、
  >>典礼にふさわしいか?否か?を鑑みて通常選択する。

更に、あんとに庵女史はこう続けられています。

  >>ゆえに世俗の唄は流石にどうよ?と批判されるわけです。「好み」などと
  >>相対化されてしまうと、批判精神も失うことになりますし、典礼の美に
  >>関しては批判していくべしとは思います。なので、わたしは糞音楽は
  >>駄目と断言しとく。


123(テレジア)さん、
「自由に選んでいいとおっしゃる方」にあんとに庵さんは断言していますが。
Commented by あんとに庵 at 2008-06-15 15:04 x
123様>
どもども。オリジナル123さんでしたか。安心しました。懐かしいです。しかしコプトネタん時って、どこでしたっけ?コプトネタ本論の話はしてなかったけど。コメ欄がもめてて酷いなぁと思った記憶はあります。済んだことを忘れやすいタチなんで。笑)

で、ま・ここっとさんもご説明くださっていますが、中世ではセクエンツァってのがすごく多くて、フランシスコ会オリジナル典礼とかあったんですよ。つまり中世の典礼音楽はかなり自由だったんです。
トマス・アクイナスも、ビンゲンのヒルデガルトもそういうのを作っています。そういえばヒルデガルトのは癒し系音楽ではやったりしましたね。式文。つまりサンクトゥスとか決まりのもの以外ってのは可塑性があり、自由に付け加えられたりしていたんです。特に修道院などでは祈りのための音楽として、まぁ、シロス修道院などであるようなチャントのうたいつぎなんてのが深い祈りのために多用されていたわけです。しかし当然ながら、聖域と俗な音楽という区別をこの時代の人は付けていた。また辻説法で用いる音楽なんかもあったんですよ。こちらは多少俗なものもあったようです。
Commented by あんとに庵 at 2008-06-15 15:05 x
つまりミサにおける音楽は、典礼の美に適った御曲で、そういうふさわしき音楽か否かってのは、大切なことで、批判されていかなくてはならない。
・・というのがわたくしの趣旨です。
しかし「ふさわしい」という曖昧な記述は幅が広く、ともすると好みの問題で片づけられてしまう。基準が曖昧であるがゆえに見解の相違が出てくる。ということで、この問題についてはま・ここっとさんと意見が異ったわけです。教会の承認を是とするか?批判すべきか?という辺りかな。

まぁ典礼の美は美しくあって欲しいざんす。ポピュリズムを持ち込まんで欲しいなと思うのです。
Commented by ma_cocotte at 2008-06-15 16:01
★ あんとに庵さま、
私、先日、ヒルデガルド・フォン・ビンゲンのCDを二枚注文しまして
到着待ちの状態です。本当はこれをBGMにケルゴナンのフォン・ビンゲン
のレシピによるどえりゃあマズイというお菓子を口にしてみたかったんですが、
近所で販売されなくなってしまったのです(売れないから。

初歩の質問になりますが、あの「ちいさなひとびとの」ってミサの
どこで唄われるのですか。小学校の朝礼で習った私にはそこからして知らん。
聖体拝領時?入祭、拝領、閉祭のどれかになりますか?
既にコメントが書き込んだ人がご自分で勝手に消してしまったので
ナンですけれど、ご夫妻で聖歌担当長とオルガニストだったり、典礼準備
に関わられるなら、ご自分が選ばなければいいだけだと思ったりしました。
ご自分が選んだ聖歌が、参列者の中には好きでなかったりするの
だから、自分以外が典礼準備した日の聖歌くらい我慢できないのかな。
人気がなけりゃいずれ消えるよ。(-。-) ボソッ
私は上に書いたように、私を中心に語るならフォークミサも見ない、
苦手な司祭のミサも出ない。後で不満を述べなくて済む方法はこれ。
Commented by 123(テレジア) at 2008-06-15 16:43 x
あんとに庵 さん、なつかしい、とは恐縮です。

 2008-06-13 03:58のコメントで、
「★入祭や退出の時の音楽の選択は実は自由があるんですよ。式文に組み込まれているサンクトゥスとかグロリアとかと違って。★故に実はスマップの曲をやろうが全然オッケーなんですが、典礼にふさわしいか?否か?を鑑みて通常選択する。ゆえに世俗の唄は流石にどうよ?と批判されるわけです。」
と、書かれましたよね。

 3つ目の文、「★故に実はスマップの曲をやろうが全然オッケーなんですが、典礼にふさわしいか?否か?を鑑みて通常選択する。」
〝スマップの曲をやろうが全然OKだけれど、聖なる典礼にふさわしいものを選択すべき、〟の前半部分はOKではない、と私は言いたかったわけです。

Commented by 123(テレジア) at 2008-06-15 16:43 x
続きです。 

 入祭の歌は、①ローマ聖歌集のもの ②簡易ローマ聖歌集のもの ③そうでなければ、歌詞が司教協議会によって認可されたものでなければならない。その中から、季節(典礼暦)・典礼の意向にふさわしいものを選ばなければならない、と言いたかったわけです。

 つまり、『総則』48項にしたがうと、入祭の歌の選択のとき、歌詞が司教協議会によって認可されたものでない世俗の歌曲(スマップでも、モーツァルトでも、シューベルトでも・・・)は、視野に入れることすらできない、ということになります。・・・・以上、しつこい確認でした!
Commented by ma_cocotte at 2008-06-15 17:09
★ 123(テレジア)さま、
聖歌を唄う時にハンカチを振り回したり、手拍子をしちゃいけないとか
書いていないンですか?どの聖歌だろうが、オルガン伴奏だろうが
フォークだろうが、それの規定の方が世界のどこであろうが、気に
なったりしますけど。
聖域側に権限がある件について拙ブログで話し合うのはあまり(私個人は)
好ましく思っておりませんので、あしからず。門前の立ち話くらい、門の
中の人にとっては煩いことです。門を叩いて、中に入り、礼をもって
話すのが理想。
Commented by 123(テレジア) at 2008-06-15 18:54 x
ma_cocotte さん

 面白い(と言っては不謹慎ですが・・)質問ですね。調べておきます。公会議以前の典礼についてなら、自発教令で、聖ピオ十世教皇様が、細かく書いておられます。廃止はされていないでしょうが、典礼憲章と相反する点は、後者優位でしょうね。

 私の教会では、手拍子は、日本人のミサでは、まずないですね。もし、たとえ始まっても、私はしないです。したい人は、そういうコンサートに行けばいいです。ミサは音楽会でも、幼稚園の学習発表会でもなく、カトリック教会の公の最高の典礼(祈り)・・・。現実にそういう事例があるのですか?

 でも、外国人の方の英語ミサではあるかもしれないかな?と思います。とにかく、フォークギターがジャンジャン鳴る中で初聖体やっていましたから。ただし、ヨーロッパ系の方ではないです。

Commented by 123(テレジア) at 2008-06-15 18:55 x
続きです。

 ハンカチを振り回す、と言うのは、見たことがないです。リズムを取るのですか?

 私のところではは、シスターがタンバリンをたたかれたことがあります。外国の方のアニュス・デイの最中に。また、主の祈りの最中、ドラムセットがフル音量で鳴り続けたこともあります。この、ドラムとタンバリンは、聖ピオ10世の自発教令では、用いてはならない、ですが・・・。

 1970年代は、聖堂では、拍手はいけません、と言われましたよね。母校の修道院の聖堂内では、祈りと聖歌以外は絶対沈黙でした。これだけは、守らされていました。教会や教区は多少ゆるかったですが・・・。
 
 
Commented by ma_cocotte at 2008-06-15 19:48
★ 123(テレジア)さま、
ハンカチを振り回すミサについてはこちら(↓)をご笑覧くださいませ。
http://malicieuse.exblog.jp/8604656/

123(テレジア)さまがなにゆえ第二ヴァチカン以前のお話を持ち越されるのか
存じませんが、私の母校では幼稚園から聖堂内では振り返ることさえ
禁じられていました。学生になってからそれが当たり前だと思って、日学の
子供の気の散り様について反省会で話題になった時にその思い込みを
話したら、エトワール・デュ・マタンの先輩に爆笑されました。どうやら
我が母校だけの習慣だったみたいです。
Commented by anbai at 2008-06-15 21:26 x
ご歓談中、失礼します。

様子見ていると、ma_cocotteさんが書き込まれたあるブログ、
発言を全削除することで、収束を図るおつもりらしい。まあ、それは
経緯からある程度しかたなかろうし、他人のブログですので
別にいいんですが、いつの間にやら発言削除、というのは何とも
後味悪いものに感じまして。

それなんで、あんまり気が進みませんが、記録とらせていただいています。
個々の良識を信じたい思いですが、お許しを。
Commented by ma_cocotte at 2008-06-15 21:47
★ anbai さま、おそれいります。
発言者が第三者のブログで泣き言を書いてのコメント削除依頼の件ですね。
ブログ主以外、拙ブログに登場されたお二方の発言はネット常識逸脱
かと拝察します。先ほど拝見したら、ブログ主ではなく第三者の方(今時
言うわけないだろ!?発言さん)から信じ難い言葉(門前払い)を私宛に
頂戴し、呆然。私にはブログ主のフォローのエントリーとしか読めません
でした。私としては先方のブログ主からの問いかけには公であるコメント欄
でしか返答できません。いくら第三者に不快と言われても、それがブログ主
に対する私からの誠意だと信じています。
Commented by anbai at 2008-06-15 22:34 x
 まあ、最初に書き込まれた発言者が発言消去してから、論争現場と別のブログで現場のことを持ち出す、これがまずよろしく無かった。巻き込んだんですから。持ち込まれた側のブログさんとしては、お友達だから「一も二も無かった」感じで同調されたのだろうと思うのです。
 だけど事実確認は自分でもきちんとしないと。公人に責任を問う内容のブログで、自分の発言・対応について責任を逃れようというのであればどうかと思いますね。
 それと、今時言うわけないだろ!?発言さんは当初は俎上にあげられたことをお気の毒に思っていたら…浮世の義理ですかねえ。

 まあ、自分は仰っていることが正論であろうと、志高くあろうと、実際の言動を拝見しますので。「言うだけ大将」は好きくないだけなのですよ。
 
Commented by あんとに庵 at 2008-06-15 22:58 x
123様>
まぁ件の説明は極論として持ち出された説明だったんで確かにぎょっとする例だったとは思います。勿論そんなもの(スマップの曲等)は典礼にふさわしくないし持ち込むなという話が後に続くわけです。つまり「ふさわしい」の定義とは如何なるものか?みたいな。
ただ、こうでなくてはならない的な理解を逆に余りにも狭くとる人がいるために、そういう話が出てくる。つまりグレゴリアンじゃなきゃ駄目とか、ラテン語じゃなきゃ駄目とかなんとか。そうなるともう新たなミサ曲というのは望めなくなる。例えば天使ミサが出てきた当初はあれも新しかったわけです。モーツァルトのミサ曲なんかも当時としてはコンテンポラリーなわけですし。
で、中世の典礼の幅の広さというのを見直すべしみたいな話の流れだったと思います。

専門家がそれ専門に書き上げた曲はある程度時代性があったとして、しかるべきお墨付きを得ているならやはり受け入れるべきみたいな。それがま・ここっとさんの主張で、それをふまえても、選び取った人のセンスがダサいと。美の普遍性がないというか、長く生き残らない曲になるよなぁみたいな話をわたくしがここでしてきたという流れっす。
Commented by あんとに庵 at 2008-06-15 23:03 x
で、エントリで取り上げられた元発言でもそういう同じ思いがあったと思うのですね。へんてこな唄うたわされるぐらいなら、カビの生えた古くさいもんでも、それは長い年月で淘汰された曲なわけで、そっちの方がいいです。ラテン語の歌とかグレゴリアンチャントとかの方が萌えます。・・という話だと思うのですよ。

たぶん互いに冷静に話せば理解しあえるような話なんだと思うんですが、どーもこじれまくってしまったようですね。
Commented by あんとに庵 at 2008-06-15 23:29 x
anbai様>
うーん。場外乱闘が生じておったとですか?
論争はここで起きここで行われていることですから他に持ち込むは、まぁ愚の骨頂というか、持ち込まれた方も困っちゃうだろうなぁと思いますです。

ただまぁ、議論がこじれてほとんど喧嘩状態な場合だと、文句や愚痴の一つも仲間にたれたいってのはあると思うんで、そういうのは公に見えない閉ざされた空間でやるといいと思うのだ。私は個人的にそういう陰口的なのは好かんのだが、気持ち的にはそんな気分もあるだろうなぁとは思いますし、ガス抜きぐらいしたくなるのも、人間だもの。

Commented by ma_cocotte at 2008-06-15 23:29
★ あんとに庵さま、

私はグレゴリアーンよりヘンデル、ハイドンが好きです。はい。
国教会が本土から雇った方々ね。
彼らのミサ曲はラテン語でなく英語だったりするけどウルウルです。
私共の挙式ミサをあげてくださった神父さまの携帯の着メロは
シャルパンティエだった。なかなか良いぞ。
最近、市井においてグレゴリアンの楽譜が「読める」「読めない」など、どうも
会話の中に「できる、できない can or be able to 」が多すぎなことに
疑問あり。能力を問うのはカトリックっぽくないですね。
フランスの聖歌集はあえて楽譜を載せておらんのだ。
Commented by anbai at 2008-06-15 23:39 x
あんとに庵さま>
ええ、別に私的にどう思ったとかいうのは、ネット上のことだしお互いさまだもの。だけどそれを、公で公開している別ブログさんに持ち込まれたのですなあ。その管理者さんも、言及したのは迂闊だった…と一応は認めておられますが。ところがそのブログさんは某所からのアクセスが多い、とご自分で書かれているので、それが本当だったら別の意味でどうかなあ、とか思いました。実際、書かれた、ってエントリされてるもの。

ネット上の公開域(誰でもアクセスできる場所)でのガス抜きで無ければ、ここだけで終わったのに…。
Commented by ma_cocotte at 2008-06-15 23:51
★ あんとに庵さま、

ギャラリーに私のコメント消去やら出入禁止を持ち込まれたブログ主の
方にご迷惑をかけています。
拙ブログにもコメントを残し、自ら消去された複数の方が、その第三者の
ブログで私宛に語調強いメッセージを残されています。私のコメント拒否を
ブログ主さんでなくお二人がコメント上で掲載しているのですわ。
(こんなの初めて)そのうちおひとりはそのブログ以外でも私のことを
いろいろ妄想して書いていたりします。
とうとうブログ主さんご本人がお気持をまとめたエントリーを掲載されまして、
本当に申し訳なく思っています。ブログ主さんも初めてのケースらしいです。
そりゃそうだ。
Commented at 2008-06-16 08:12 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by あんとに庵 at 2008-06-16 11:38 x
まぁ、議論が喧嘩状態になってしまう現象というのは、批判というものを、なにか人格否定に捉えてしまうことからおきますね。議論慣れしていない場合に起きることですが。

そうなった場合、己自身を承認してもらう、名誉回復のために、他のギャラリーからの肯定的な言葉が欲しいという心理があると思います。この辺りは傷つけられたプライドの修復という行為として、まぁよくある心理でもあるとは思います。

ただ、公の空間で多くの人が見える場所でそれやるというのは、いわゆる「晒し」なわけです。方法論としては行った人の品位が問われてくることになるので、怒りのあまりにやってしまうことが多いでしょうが、正直、行わない方が無難です。

つまり、ここで起きたことが他所に持ち込まれたことは愚かですが、反対にそちらで起きた現象について、具体的にここで云々してもし方がないなと。ただ持ち込まれたブログ主さんは気の毒だなぁという感想なだけですね。
Commented by あんとに庵 at 2008-06-16 11:49 x
喧嘩状態に陥った場合、それぞれに言い分がある。ですから公平に意見を聞かないといけない場面ですね。芥川の『薮の中』、『羅生門』現象といいますか、主観で話は進みますから、一方的な意見だけに与出来ないというか。

まぁ、そんな喧嘩の末などよりも、命題であるミサに使われる音曲に対する見解の相違について考える方が建設的ですな。これはある意味今の信徒それぞれの意見を代表している要素でもあります。元発言はそう言う大切な主張も入っている。

こじれたのは双方の話の持っていき方が間違っていたと思うんですが。悪いけどそうとしか言いようがない。例えば友人の気楽なつぶやきを大げさに取り上げられたので面食らったってのもあると思うし。それを弁護に来たはずが変なイデオロギーの主張をはじめてかえって混乱を招いてしまったというか。

その辺り、間違えなきゃ、建設的な意見交換は出来たと思うんですよ。

自分的には同じ釜の飯食ってるもの同志が喧嘩してるってのが、寂しい光景だなと。といっても、上手くいかんのは相性があるとは思うんで、近づかない方が吉ってのもあるかもな。
Commented by あんとに庵 at 2008-06-16 12:00 x
んで、話を戻すが・・・

まここっとさま>
ヘンデルはメサイアやらされました。高校ん時に。個人的には英語の歌詞ってのはどーもカトリックな文化と違う印象があり、ゴッドオブゴッド・・などと言われるとアメリカ映画の台詞思い出してしまう悲しい日本人。笑)
グレゴリアンは好きですよ。まぁグレゴリアンそのものはいいもんです。其れを扱う側が排他的というか、あんな楽譜慣れてなきゃそら無理だが、人間には耳があるのだ。わたしはグレゴリアンどころか一般の楽譜すら読めずにピアノの先生を困らせていたぞ。なのでピアノのレッスンは耳で聞いて再現するというやり方でこなしていたです。
グレゴリアンも、コンテンポラリーも共存してるのが一番なんですが、日本の教会は音楽のそういう伝統をあまりにだだくさにしてるんでそう言う愚痴が出てきて当然だと思います。欧州だとやはり歴史が厚いんでどちらも身近にあるが日本はそれがないから。寂しい限りです。グレゴリオの家の扱いなどを聞いていて寂しくなったといいますか。まぁ音楽ギョーカイ内の派閥なんぞもかかわるんで、意外と人間臭いレベルで互いに排他的であったりとかもあるなぁと。
Commented by ma_cocotte at 2008-06-16 14:58
★ 鍵08H12@16062008 さま、
一般論として、ある方だけの要望を受け入れ、ある方からの要望は受け入れない。
これはブログという公の場でコメント欄を開放している限りはやっては
ならないでしょう。やったところで世間で「特殊扱い」にされてしまいます。

軍事やら国際的な教会政治について述べられることが多い先方で
これをブログ主の意向ではなく友人という前提があれ来客が語調
ストレートに行ってしまうと、現実ではヤバい世界になりますね。

巻き込まれているブログ主さんには申し訳ないと思っています。

で、第三者であるブログ主を翻弄させているお二人とお仲間がこちらで
実名を挙げて述べられたことに事実がないことをここで繰り返します。
Commented by ma_cocotte at 2008-06-16 15:05
★ あんとに庵さま、

ご曽祖父の偉業を述べ、それゆえ、ご自分の信仰は豊かである、と
自ら述べられたことに、奉献生活で金祝、銀祝を迎えられてもまだ
ご自身の信仰が満たされないと不安に感じ、祈り求める聖域の方が
いると私が書いたことでお怒りになったのだったら、ああ、そう言われて
怒る方なんだとしか言いようがありません。「慣れていない」、おっしゃる
とおりだと思います。
フランスが日本のような隣国からの不安がなく平和だから日本の気持が
わからないという発言に、フランスにはカトリックにおいては共和国軍教区
という独立教区があり(従軍司祭がこの教区所属になります)、フィヨン
首相が来日した際、国際海上憲兵隊設立協力を政府に求めたことも
書きました。武者小路氏がチュチェ思想で有名なのも地域差がないことも。
これのどこが悪口ですか。事実です。真実を述べると悪口と言われる。

これだけの話題を提供したのだから、後はご自分で調べる。調べたくなく、
悪口と話を摩り替えるなら、そう主張する方々に都合があるのだと思います。
Commented by ma_cocotte at 2008-06-16 15:15
★ 「友人の気楽なつぶやき」で某同好会へのいざないですか?
荘厳ミサ賛美をするために、荘厳ミサ以外で使われる聖歌を引き合いに
出さなくても十分そのすばらしさは語れます。上の同好会のHPにも
フランスの事情など書いてありますが、事実ではありませんよ。
読んでヴぃっくりウサギさんでした。某教区(あんとに庵さんが関わられた
某所の隣が天守閣)のネガティヴな話題も黒い教皇さんのとことか
おひさまモールとか登場するけど、荘厳ミサはその話題がなくても実行
できますよ。

良識があれば登録されて、某同人誌を読めば、現カトリックのひどさが
わかる・・・うううううむ。読まなくても問題点は良識派ならわかるし、段取り
踏んで取り組んでいますよね。単に勧誘が下手なのかも。

10月の荘厳ミサは行きますよ。カテドラルの玄関で福岡からいらした侍者の
方に門前払いされない限り。 平和の挨拶もあちらは思想で「しない」と
公言できるカトリックの派(どちらでしょう?)ですけれど、私は周囲の
方々といたします。はい。
Commented by クロ at 2008-06-16 15:31 x
某掲示板で馬鹿にされ嘲笑され、誰からも相手にされないまここっと・あんとにあん婆さん二人は醜い。被害をうけても沈黙しているお相手たちは立派。

Commented by ma_cocotte at 2008-06-16 15:35
★ あんとに庵さま
私は某新教女学校でパイプオルガンの伴奏で、グノーのサンクトゥスを
ラテン語で唄って卒業しました。これで新教校と旧教校のどっちがマトモとか
天秤かける人がいたりするので、こういう話題に神経使っちゃう自分も
アレですが(笑。

>人間には耳があるのだ。

これだと思います。フランスの聖歌集に楽譜がないのは。

ひとつのミサのための準備に司祭と世俗が集った時のモメモメは常に
付きまとうものですが、どこで主張し、どこで妥協するかも繰り返して
いくうちにわかってくるものかと、私は学生時代にすでにそう拝察したもん
ですが。フォークミサに不満なら世俗だったら「見ない自由」があります。
聖歌も耳栓でも入れればよろし。

祭壇の花の生け方ひとつで司祭によっての文句の出所が違います。
こちらが伝統継承型の飾ったところで、今はそれに従わない自由が
ある、と言われれば、「主任の絶対権限だわなー」と、心の底でボソっ
とつぶやくが。
Commented by ma_cocotte at 2008-06-16 15:50
★ クロさま、はじめまして。
途中からご覧になったので、来客なさった方が拙ブログのこのコメント欄で
何を述べられたかご存知がない。被害を受けたのは彼らが実名を出して
事実無根の思い込みを事実のように述べられた団体側や個人名だと
思いますよ。

私は婆ですから、醜いのも、クロさんがおっしゃるとおりです。
ネット上とは言え、初対面で「婆さん酷い」なんて書かれて、笑われるのは
どちらでしょう。
Commented by 00H11@09062008 at 2008-06-16 15:54 x
>Commented by クロ at 2008-06-16 15:31

おやおや。都合の悪い書き込みを消したあげくに今度は荒らしですか。
そんなことをしたら大切なお友達いなくなりますよ。

本日の聖書の箇所をきちんとお読みになった方がよろしいかと。
Commented by anbai at 2008-06-16 18:35 x
> Commented by クロ at 2008-06-16 15:31 x
> 某掲示板で馬鹿にされ嘲笑され、誰からも相手にされないまここっと・あんとにあん婆さん二人は醜い。被害をうけても沈黙しているお相手たちは立派。

事実確認は簡単ですよ。ここのエントリのURLで検索されれば、まだGoogleとYahoo!にキャッシュがあります。特にYahoo!は読みどころが残っていると思われます。
 発言者があらかじめ消した書き込みの最初あたりはどなたにでも読めますから、それは最低限、ちゃんとお読みになった方がよろしいかと。
Commented by ma_cocotte at 2008-06-16 19:35
★ ALL

なんというか、ミサの典礼の形を自分の都合で優劣つけて、SNSとブログを
自分の都合で平等化しても、それは「自分の都合」や「自分の好み」に
過ぎません。
自ら残したコメントを自ら消したところで、ブログという世界ではキャッシュで
まだ読めるということ。SNSの日記やコミュニティとブログは決定的に違います。

拙コメント欄の自らのコメントを消したことでご自分方がまるでいじめに
遭っているかのような発言をされたところで、公で誰もがご覧になれる
キャッシュで事実を見れば、一目瞭然でわかります。彼らが実名を
挙げて事実無根を書いたことは。上のコメント欄には彼らのコメントに
「私」を横に置いてソースを教えてくだされば動こうとした方々のコメントが
残ったままになっています。
コメントを消したことで被害者を装うにはネット域の公衆に証拠が残りすぎて
いることに気付いていただきたいものです。
Commented by クロ at 2008-06-17 10:41 x
>事実確認は簡単ですよ。ここのエントリのURLで検索されれば、まだ>GoogleとYahoo!にキャッシュがあります
検索しても何も出てこないのだが。某巨大掲示板とやSNSで
検索したら ma_cocotteやあんとに庵が出てくるが。
>思い込みを事実のように述べられた団体側や個人名
>事実無根の思い込みを事実のように
これは何を指しているのか。

Commented by あんとに庵 at 2008-06-17 11:56 x
まぁ別に他所でナニいってようが、ここでは関係ないんでそういうのは無視すればいいと思われ。どうでもいいこっちゃな。

つーか、わたくしは基本的に議論を他所に持ち込むのはモメに繋がるんでやらないというか、そもそも面倒くさいよ。なもんで、ここ以外でこの件に関して発言していない故に事態が実はよく判らん。ここで出た「持ち込まれたブログ」ということにに関してはブログ主に同情してるだけ。

ま・ここっとさま>
まずもって、今回の発端となった件に関して「某同好会へのいざない」とかはないとは思いますよ。つまり、お気楽に書いたことを大げさに取られたら誰だって「がーん」となるという単純な気持ちの問題でして、典礼的に保守だとか以前の問題です。

で、ちょっと苦言させていただきますが、発言者の見解をま・ここっとさんも少し曲解し過ぎではあると思います。ことに「ご曽祖父の偉業を述べ・・・」以下は、相手の内面を勝手に推し量るような内容ですから、それは流石に同意は出来ないっす。(だから、そのあたりの検証のためにも発言者達は消去なんぞしなかった方がいいのに。)
Commented by ガブリエラ at 2008-06-17 12:08 x
ttp://www.google.com/search?q=cache:TDO2ioemkqMJ:malicieuse.exblog.jp/8725040/+%E5%AF%92%E3%81%84%E5%86%AC%E3%81%AB%E3%81%AF%E7%9D%80%E7%89%A9&hl=ja&ct=clnk&cd=1&gl=jp

横から大変なお節介、失礼します。
グーグルのキャッシュ、置いていきますね(6月6日取得とのこと)
Commented by あんとに庵 at 2008-06-17 12:13 x
ところでSNSってナニ?最近よく聞くんだが。巡回ブログ以外最近見てないんで世間知らずづら。某巨大掲示板ってぇのは2ちゃんねるのことか。俺ら、晒されてるんだな。笑)アフォリエイトとやらをやっていたら稼ぎ時かもだな。

>私は某新教女学校でパイプオルガンの伴奏で、グノーのサンクトゥスをラテン語で唄って卒業しました。

そいつはいいなぁ。カコイイなぁ。グノー。好きや。

>これだと思います。フランスの聖歌集に楽譜がないのは。

フランス人は楽譜読まんのね。耳をよくするにはそういう訓練も必要だと思うのです。フランスでのミサでアレルヤ先唱していたのはただのおばさんだったが、すごく音程がよく厚さってのを感じました。

ガッコがどう言おうが、駄目なものは駄目であることをいうのも大切ですよ。「フォークミサはやめろ」「キモイ」とはっきりいいますよわたくしは。しかしその意見を採択するもしないも、おっしゃる通り、それも自由もあるわけですから。主任が採択したら、早く主任が替わることを祈るしかないというか。
日本だと、主任司祭より信徒会が牛耳っているとこも多い。東京の母教会はそうだった。あと聖歌隊に音楽派閥があったりするよ。
Commented by ガブリエラ at 2008-06-17 12:20 x
>あんとに庵さま、はじめまして
SNSとはソーシャルネットワーキングサービスのことです。
一番有名なのはミクシィでしょう。

>ま・ここっとさま
上の私の書き込みがスパムのようになってしまい
申し訳ありません。
「寒い冬には着物がない」でグーグル検索をかけて出てきた
こちらのキャッシュのアドレスです。6月6日取得と書いてありました。
Commented by あんとに庵 at 2008-06-17 12:37 x
ガブリエラ様>
ミクシのことでしたか。まぁミクシの日記なんかで愚痴ったりしてるのは個人の自由だと思うんで。どうでもいいことです。
検索かけて出てくるってのは公開されてるということなんだろうから愚痴垂れる場合は「マイミクのみ」とかにした方がいいかもしれないですよ。>該当者方 

因みにぐぐるで検索してみたけど晒しは出てこなかった。つまらん。

Commented by ma_cocotte at 2008-06-17 14:59
★ クロ さま、
探せなくて、話題に追いつけないなら、「はい、それまでよ」がよろしいかと
思いますよ。
次回は一緒の波に乗れるといいですね。
Commented by ma_cocotte at 2008-06-17 15:06
★ あんとに庵さま、

話が違いますが。
私はTBをかけ、その旨をTB先のブログ主にご挨拶したところ、その
ブログ主が拙コメントで私のエントリーとは関係ない話題を多数持ち出しました。
この発言者がご自分のブログでもなく、私のブログでもなく、第三者の
ブログ主にまずはプライヴェートに訴え、その第三者ブログ主が友人で
あることを理由にエントリーを掲載しました。が、その内容がまるで私が
正平協支持者だったので、コメントでそうでないことを伝えました。
その後、私が書いたコメントを消すように、拙ブログのコメント欄に登場
された方々が「第三者のブログ主」に命じたことになります。

もう消去されているので、第三者のブログ主は相手によってコメントを
消去するというブログなのだ、と読者が割り切れば良いと思います。

続きます。
Commented by ma_cocotte at 2008-06-17 15:14
★ あんとに庵さま、私がTBかけたところのエントリーをご覧になっていますか?

http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/article/407/

超重たいので開かれるまでに数分かかりますけれど、根気よく。

で、なぜ発言者が以下のごとくおっしゃったか。

  >>私の曽祖父はカトリック系らい病(ハンセン氏病)の伝道士で、全ての人生を教会に投げ打ちました。
だから隣人愛、社会福祉は代々教えられてきたつもりです

同じ方からの初めていただいたコメントがこちら。
Commented by 能古島@ at 2008-06-06 00:26 x
そもそも書いてる本人ですが、何か?
私は、「カリタス」の精神は否定してませんし、
カトリックを立派に現していると思います

「我、関せず」なんていってませんが、はあ
私はなんぼなんぼでも「寒い夜には着物がない♪」の
典礼聖歌400番は駄作だといいたいのです。
ラテン語にして荘厳歌えばよいとも思いません
(中略)
社会福祉に目を奪われるだけでなく、霊魂(アニマ)の救かりこそ重要と思います。この世には告解どころか罪を犯していることすら気付いていない最も救済を必要とする魂があるんです
(後略)

Commented by ma_cocotte at 2008-06-17 15:39
★ 上のご発言について、私が返答したところ(上に私のコメントが
残っていますからお手数ですけど探してください)、彼はご自分のの曽祖父を
引き合いに出して、この発言直後に信濃町の上皇さまの発言を以下の
とおり書かれた。

  >>債務帳消しキャンペーンやったて、バチカンの財宝を売り払って施しを
  しても大局的には何も変らないのです

  では、なにかあなたはできますか?


というわけで、
私、別に内面の推測なんてしていません。ご本人からこうおっしゃって
きて、ご自分が「カトリックを立派に現している」理由付けに挙げている
のですから。はっきり言います。ご身内にカトで有名な人がいなくても、
立派な信者でなくても、よりよい聖歌を求めるための意見は言えます。
信濃町の上皇様についてもラテン語とグレゴリオ聖歌のことと
何か無理に関連づけしなければなりませんか?

Commented by ma_cocotte at 2008-06-17 15:41
★ あんとに庵さま、
お気軽に公に書いたことが知らない読み手にTBされて、「がーん」と
なって、根も葉もないことを拙ブログで述べた。自分の意図ばかり語って、
それがもとで大騒ぎになり、発言内容がマズいとわかって、仲間内で
話し合って同時に消した。
その後は個人向けイジメだとほうぼうのネット上で書くことをあんとに庵
さんが擁護して大丈夫ですか?

ご自分は私と一緒に批判対象にはならないというのもこれまでのコメント
から誰もがわかることで、わからないで一緒くたにして騒いでいるのは
ここで自らコメントを書いては消した方々です。

あんとに庵さんは、もしかして私のこのエントリーもご覧になっていませんか?
Commented by ma_cocotte at 2008-06-17 15:45
★ 自ら曽祖父の代からの育ちでカトリックを立派に現していると述べられた
方が、次のように述べる際、

 >>私はしばらく前から改めてグリゴリオ聖歌とラテン語に
    立ち帰ることにしています

に典礼聖歌の詞を引き合いに出しています。
私は典礼聖歌のダサさを引き合いに出さなくてもグレゴリオ聖歌も
ラテン語も大切に残すべきカトリック遺産だと確信しています。でなけりゃ、
なんで5月に私がみずから1時間以上かけた土地まで1962ミサを
拝見しに行く?どっかの教皇庁非公認団体のように偽物の旧ミサ
検証に行ったのでもなければ、PaulVIミサ賛美のために行ったのでもない。
フォークミサや子供のミサに関わる人がたくさんいます。私自身、学生
時代は教会学校のリーダーでした。何度も繰り返すけれど、私の好み
だったら子供に妥協したミサも聖歌も「?」の立場です。が、それで
喜ぶ子供がいるのも事実です。教会によっては月に一度、フォークミサ、
子供のミサをあげることを慣例にしていますが、そこでどんな聖歌を
唄おうが自分がスタッフでも司式する司祭でもないのだから、ほって
おけばいいのです。
Commented by ma_cocotte at 2008-06-17 15:56
★ あんとに庵さま、
少し認識が違うかも・・・・。
SNSなどグーグルに検索をかけたところで引っかからない場での討論を
ブログやHPという別次元に持ち出そうとする方々が多数いること。
逆に、ブログでのコメントをSNSのコミュのコメント欄と平等に扱って
軽率な行動を取る方がいること。

これが問題だと思います。

私も数か月前に、どうしてもSNSで討論したことを某ブログに掲載したいと
なぜかSNSのメッセで私にその箇所を探せ、と命令文が届いたことが
ありまして。自分が掲載したいのに、自分で探したくないんですと。

その一ヵ月後だったかmixi で著作権問題が勃発し、登録者の中には
mixi使用を止めた方々がいることは報道で知られるところではないでしょうか。
上の件もあんとに庵さんは「お気軽に書いたことを大げさにかいた
ま・ここっとのTBに当惑した」とおっしゃるかもしれませんが、実名で
挙げられて、かかわりもないのにたまたま勉強会に読んだだけで
癒着のごとく書かれている国際組織クラスの団体側の困惑より
無責任発言さんの擁護なら、私が友人だったら無責任発言さんを
注意します。
Commented by ma_cocotte at 2008-06-17 15:57
★ ガブリエラさま、お手数かけてしまい申し訳ありません。
私もあらためてキャッシュを拝読いたしました。

ため息しか出ません。
Commented by at 2008-06-17 16:34 x
あらこれは収束したのだとおもっていたけれど。
キャッシュはいつか消えますので、この議論もそのうち流れるのでしょう。ウェブ魚拓や archives.org に残っているかも知れませんが。

私はカトリックではないのですがたまに遊びにいくことがあります。こういうこと申し上げるのは申し訳ない気もしますが、三回に一度は身がよじれるような気持ち悪さを感じることがあります。イタリアではほとんど感じたことのない感覚です。たぶん西方典礼にというより、日本のいま住んでいるところの慣行に自分のうちにあるなにかと決定的に衝突するものがあるんだろうと思います。ちなみにバンブーダンスで有名になった某教区です。いわゆる典礼亡命でいま通っている教会へ来た方にも複数お会いしたことがあります――ただしネットでいわれるほどその数は多くないと思います。東西の壁はたんなる様式の違いではなくいろいろな教義の違いですから、やはり超えがたいものもあるのでしょう。西のほうには、もう少し中でいろいろな選択肢があるとよいのかなあと他人事ながら思うこともあります。
Commented by at 2008-06-17 16:38 x
あちこちで評判の悪い子どもミサですが一度だけ偶然にいきあたったことがあります。たまに遊びに行くところで、月に一回なさるのです。それを偶然引き当ててしまったw 共同体のみなさまはおっとりと受け入れておられるようにもみえ、それは好ましく思いました。結局教会でのお祈りというのはまずはそこの信者さんのものですしね。ただ私の趣味じゃなかったw なので反発される方がいるのも分かります。

団塊の世代の感覚なんでしょうね。だから逆に言うと、その方々がお子さんを連れてこられることを主眼におく分にはよいのでしょう。それを受け付けない方もたぶんいらっしゃる。違う可能性もあるのでしょうが。

アシジで青年向けの御ミサにたまたま途中から参祷する機会がありました。閉祭などギターにあわせて手拍子でこれはびっくりしました。でもとてもよい雰囲気だったのですよ。和やかで活気があってみな朗らかで。私も朗らかなよい気分にさせていただいて、なにやらうれしうございました。
結局、それぞれの共同体にあった文化を培っていく、いまのところは日本のカトリックの方々は大きな実験をされて、いま大層苦労なさっておられるということなんでしょうか。
Commented by ma_cocotte at 2008-06-17 17:35
★ 鰤さま
コメントを消してしまった方ですがM面教会のオルガニストさんですよ。
ご夫君は聖歌隊長です。もしかしたらニアミスなさってませんか?(笑
阪神の耶蘇教区については私も間接的に縁があり、聖俗両方の知人が
奉職したりしています。姉妹校もあります。でも、ネットで得た情報で
頭をいっぱいにして事実関係を確認すると、どうも違いますね。第三者
であるからこそ冷静に考察すると、ネットで語られる方には別の目的が
あり、そこに典礼問題をあてがっていたりします。(いかにも典礼に問題が
ある、と上手な文章で主張されているけれど。

荘厳ミサはすばらしいです。が、その素晴らしさを語るために、他の典礼や
聖歌を引き合いに出す必要はありません。それほど素晴らしいです。

続きます。
Commented by ma_cocotte at 2008-06-17 17:38

荘厳ミサの良さは世界中の誰でもわかっています。カトリックの信者さんで
なくても頷く方が多いです。が、今の日本で問題なのは現教皇が荘厳ミサ
以外を受け入れていない、というような論調が罷り通りつつあることです。
B16がどの国を訪問しても若者とのミサや交流では新しい聖歌を用いて
らっしゃいますよ。

ミサひとつひとつの典礼についてのいちゃもんとなると、これは先にあんとに
庵さんや私が述べている通り、各教会の主任の権限に関わってもきます。
典礼準備当番など各教会内の機構にもつながる。また別の話題になりますよね。

私ですが、フォークミサも子供のミサも出ません。できるだけ見ないように
しています。でも、先日、成人の堅信式ミサにあずかったら、あまりに
アラモードで戸惑いました。詳細は以下のとおり、ご笑覧くださいませ。
http://malicieuse.exblog.jp/8604656/
Commented by ma_cocotte at 2008-06-17 17:43
★ ああ、今日だ!
ノートルダム・ド・パリで1962ミサがあげられますですよ。
Commented by anbai at 2008-06-17 18:47 x
あ、Yahoo!のキャッシュ、ご覧になれませんでしたか。では、置いていきます。
まあ、これも流れるまでのお話です。では。

ttp://cache.yahoofs.jp/search/cache?p=http%3A%2F%2Fmalicieuse.exblog.jp%2F8725040%2F&search_x=1&fr=top_ga1&tid=top_ga1&ei=UTF-8&u=malicieuse.exblog.jp/8725040/&d=NHRsRJzfQ9Hd&icp=1&.intl=jp
Commented by ma_cocotte at 2008-06-17 23:07
★ anbai さま、申し訳ありません。
私も良いウロコを取って欄間に飾れるよう豆に取ることにします(笑。
Commented by あんとに庵 at 2008-06-18 05:22 x
「擁護」とか、ナニそれ???そういう認識になるんだ。とほほだな。一部においては容認出来ない言論がある場合、おかしいなと思えば指摘するまでです。

悪いけどそのゼロイチ思考はやめようよ。
ほうぼうブログに書き散らしているってのは認識していないが(ここで紹介された一つだけは確認している)そういう行為について容認していないのは上記のコメントでお判りでしょう。これに関しては批判してきましたが?ただし非公開の場においては自由だと思うんで関知しない。

ここで私は、論者に対し批判を行ってきたことを悪口と受け止め、人格全てを否定されたと思うような心理を批判してきたわけですが、ちょっとでも批判したら「擁護者」と見做すとは、まったく彼らと同じ心理に陥ってるようですな。ダークサイドにいく前に冷静になってもらいたいもんですが。

既に自分なりの所感は全て書いてありますから、これ以上言うこともありませんし。はじめからナニを批判してきたかは全コメントを読めばお分かりになると思いますし、彼らに対して批判的だった部分は変わりがないんで「擁護者」などという発想が出てくるはずもないと思いますけどね。まぁそう思いたいならご自由にどうぞ。
Commented by Oo。( ̄。 ̄ )y- ~ at 2008-06-18 07:01 x
ma_cocotteさん

コメントを恣意的に削除してる時点であんたの負けだよ。
自己の発言に責任が持てる者ならば、そんな惨めなことはしないけどね。

あなたのやっていることは、自分の意見の押し付けであって、議論ではないよ。
そんな偏屈な考えで物事を語るのはご自身の名誉の為にも止したほうがいいですよ。
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